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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第一章

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幽世

「で? この幽世(かくりよ)に連れてきたと?」


 満開の桜に包まれた広い寝殿造りの平屋敷の一室に、静かな寝息を立てて眠るひなの姿がある。

 御簾を上げ、明るい光と共に桜の花びらが無数に舞い落ちていく中、廊下の手すりの縁にとまっていた一匹の黒烏――八咫烏やたがらすが呆れたような眼差しで麒麟を見ていた。

 眠るひなを背に、廊下に腰を下ろしていた麒麟は、八咫烏が不満そうにしているのを見て小さく笑う。


りん、あんたがまさか拾い物をしてくるとは思わなかったぞ」


 八咫烏の言葉に、麟は僅かに視線をそらす。


「放っておけなかったんだ。それに……」

「それに?」

「いや……。ただ、彼女は幸せになるべきだと思った」


 麟の言葉に八咫烏は目を細める。

 彼が、まるで奥歯に物が挟まったかのような言葉選びをするのは珍しい。


「……それだけじゃないんだろ?」


 そう言いながら視線をひなに向ける。

 鼻先に掠めるのはただの人間のにおい。麟がこれほどまでに気にかけるということは、何か特殊な力の気配の一つや二つしてもおかしくはなさそうなのだが、今の彼女からはそういった類のものは一切感じない。


「やはり、お前には分かるか」

「まぁな。長年あんたの傍にいるんだ。それくらいは分かるさ」


 八咫烏は横跳びで彼の傍から離れる。そして自らの体を包むように羽を広げると黒い羽根が舞い、たちまちの内に黒い着物を纏った男性に変化した。

 三白眼で、やや癖のある黒い髪を乱雑に結い上げた武士のような風貌は少し威圧的だ。

 八咫烏は足音をできるだけ立てないよう眠るひなの傍に近づき、片膝をついて彼女の顔を近くで覗き込む。


「で? この子をここに連れてきた本当の理由ってのは?」

「彼女は異能者だ」


 麟は指先に残る傷跡に視線を落とした。

 今思い出しても、あの時感じた力は背筋を寒くさせる。


「性質的にも、放っておけないほど危険だった」

「……危険?」


 八咫烏がその言葉に僅かに反応し、麟を振り返る眼光が鋭くなる。

 麟はそんな彼に視線を合わせることなく、指先の傷口を親指の腹で撫でた。


「……まだ全貌は分からないが、その力ゆえ彼女は孤独を強いられていたようだ」

「へぇ……」


 八咫烏はひなに視線を戻し、値踏みするかのように見つめる。

 それだけの異能が備わっているなら、こうしていても何か感じてもおかしくはないのだが、それがまるで感じられない分、勘ぐってしまう。

 八咫烏は上体を起こして振り返る。その眼差しは厳しさを残したままだった。


「正直、俺はあまり賛成できない。得体の知れない危険な力をここに持ち込むのは問題があるし、そもそもこの子はまだ生きてるじゃないか」


 腕を組み、否定的な言葉を口にする八咫烏に、麟はようやく彼を見上げた。


「……お前は、そういうだろうと思ったよ」

「そりゃそうだろ。その力とやらが暴走でもしたら、どうするつもりだ?」

「それは、この子が今後身を置く環境で大きく変わってくるだろう。私は、この子をあのまま見過ごす方が危険だと判断した。だから、彼女はここで生きてもらう」

「は?」


 八咫烏は信じられないと言わんばかりに表情を歪め、髪をかき上げる。


「どうすんだよ。このことが帝釈天たいしゃくてん閻魔えんまに知られたら……」


 麟は背後に眠るひなをおもむろに振り返り、彼女の顔を見つめる。

 目元に張り付いた前髪をそっと払い除けると小さく反応を示し、眉根を寄せながら手元の布団を握りしめる。


「……そうだな」


 ひなの姿を見ていると、なぜか心が揺れて言い淀んでしまう。


「では、目を覚ましたらどうするか、もう一度彼女に選んでもらおうか。まだ現世に戻す術はある」

「……」


 そのいかにも名残惜しいといわんばかりの麟の態度に、八咫烏は怪訝な表情で彼の横顔を見つめた。


***


 ひなは夢を見ていた。

 暗い家。両隣の家には温かな明かりが灯り、談笑する家族の声が響く中、ひなは一人近くのコンビニでお弁当を買って家に帰宅した。


「ただいま……」


 答えてくれる人間などいない。

 暗い玄関を通り、リビングに向かってテレビを点け、バラエティ番組を流しながら買ってきた弁当をテーブルに広げる。

 まだ微かにぬくもりが残る、ひなが大好きでよく買う唐揚げ弁当。

 コンビニ内で作られた、機械ではなく人の手が加わった手作りのお弁当がひなは好きだった。少し遅い時間に行くと割引シールが貼られて安く買えるというのも、一人で暮らすようになって気付いたことだ。


「少しくらい冷めてても、やっぱり誰かが作ってくれたお弁当は美味しいもんね」


 まるで自分を慰めるように呟いた言葉が虚しい。

 黙々と食べるひなは、ぼんやりとテレビ番組を見つめていた。


「……」


 お笑い番組を見ていても何も面白くない。むしろ、どうしようもない疎外感に晒され急に食欲が無くなった。

 やがて箸が止まり、食べかけのお弁当にラップをかけて冷蔵庫に押し込むと、自分の部屋に駆け戻る。

 ベッドに倒れこむようにして寝転び、掛布団をきつく握りしめて身を丸くした。


「……絶対泣かない。寂しく、ないもん」


 そう呟きながらひなはきつく目を閉じた。

 ……しばらくして、ひなは体の力を抜いて目を開くと、視界の端に茶封筒が見えた。

 それは突然一人にされて食事に困った際、死に物狂いで家の中を漁って時に見つけた祖父母のへそくりだった。大した金額は入っておらず、今はもう千円と僅かな小銭しかない。


「……このまま死んじゃうのかなぁ」


 ひなはぼそりと呟いた。

 その時、窓の向こうの夜空に流れ星が見えた。青や赤、黄色など複雑な色の帯を引いて一瞬明るくなった夜空。それはまるで吸い込まれるように山の一部に消えていった。


「あの場所……高神神社がある方だ」


 ひなはいても立ってもいられずベッドから起き上がり、その場所へ向かおうと部屋を出た瞬間、インターホンが鳴り響き、動きが止まった。


『すみません、警察です。どなたかいらっしゃいませんか?』


 そろそろとインターホンの室内カメラを見ると警察官が二人映っている。


『おかしいな。どこかに行ってるのか?』

『隣の人に話を聞いてみるか』


 警察官の声を聞き、ひなは怖さと同時に誰かに縋れるかもしれないという思いに揺れる。ふと、ドアノブに手を伸ばしかけて、その手を軽く握りこむ。


「……誰を頼ったって、同じだよ」


 自分に言い聞かせるように呟き、その手を抱きしめるように胸元に引き寄せる。

 ひなは警察官がいなくなったのを見計らい、靴を取って玄関ではなく庭から外に飛び出した。夜道を闇に隠れるように駆け出し、神社へ向かう。

 息を荒らげながら走っている内に、ひなの胸にはふと疑問が浮かんできた。


(あれ? なんだろう。この光景……一回見た気がする?)


 走る足を止めて呼吸を整えながら後ろを振り返ると、いつもなら見えているはずの街明かりが見えない。再び前を見ると、山の頂上にある神社は見えるがそこへ続く道も、いつの間にか漆黒の闇に呑まれて見えなくなっていた。


(嘘……どうしよう。でも、なんで?)


 一人パニックになっていると、今度は遠方で光っていた神社も見えなくなり、あたり一面真っ暗な空間へと変わる。あまりの怖さに泣き出しそうになったひなの前に、優しそうな男性が現れ、ひなに手を差し伸べてきた。


『君は、神隠しを望むんだね?』


 その言葉に、ひなは視線を上げて彼の手を握りしめた。

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