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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第一章

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甘い香りと、潜在意識

 ゆらゆらと、心地よい揺れと懐かしい香りに包まれる。

 桜の甘い香り。柔らかく温かい布に抱かれて、ひなは夢を見ていた。


『可愛い、私の……赤ちゃん。あなたの名前は、ひなよ』


 記憶に残っていないはずの、自分の夢。

 優しい声で抱きかかえる、記憶にない母の背中は、喜びと言うよりも後悔と恐怖に震えている。

 体を丸め込み、震える指で生まれたばかりのひなに触れた。


『……愛、してるわ』


 暗い声でそう呟くと、ひなを床に寝かせ体の影から一本の短刀を取り出した。

 浅く、短く吐く息は、今にも止まりそうだ。

 これから何が起きるのか理解していない赤子のひなは、母の顔をあどけない顔で見上げて笑っていた。

 母は、短刀を鞘からゆっくりと抜き、震えが収まらない両手で握りしめ、ゆっくりと頭上高く振り上げる。


 ――やめてっ!


 思わずそう叫びそうになった。だが、母はひなの胸元に刃先が届く寸前で手を止めた。


『……ごめん。ごめん、なさい』


 肩から力を抜き、短刀を取り落として顔を伏せる。


『どうしても、できない……』


 苦しむ母に反して、ひなは声を上げて無邪気に声を上げ、小さな手を動かしている。

 母は涙をこぼし、ひなの小さな手に触れた。反射的に指を握り返すその姿に、母の嗚咽が漏れた。


『私の罪は、私のもの……。だからどうか、目覚めないで』


 母はそう言いながら、ひなの右目に触れる。そして聞き取れないほどの声で何かを囁き、ひなを抱きしめた。


『ずっと愛してる。例え、傍にいなくても……』


 母はひなを再び床に戻し、短刀を拾い上げてその場から離れた。


 ――あぁ、お母さんは……。


 ひなは目を見開き、背に冷たいものが落ちた。

 ついぞ、こちらを振り返ることもなく去っていく母の背中を追って、ひなは弾かれるように走り出した。


 ――待って、待ってよ!


 手を伸ばすひなは、小学三年生の姿になっていた。

 息を切らし、力を振り絞って追いかける。だが、距離はどんどん開いていってしまった。


 ――置いていかないで……。


 滲む涙に歯を食いしばる。

 胸の奥に詰まっていた想いを紡ぐため、ひなは口を開いた。


「お母さん……!」


 思いの丈を叫ぶと、伸ばした手をぎゅっと誰かが握りしめてくれる。優しく温かな感触に、ひなは閉じていた瞳をゆっくりと開くと、滲んでいた涙が目尻を滑り落ちた。


「ひな」


 虚ろな眼差しの先に、見覚えのある人物の姿を捉えた。

 呼吸は乱れ、頭の中は覚醒し切らず、ぼんやりとしてしまう。ただ、目の前にいる人物が誰なのかは理解できた。


「……麟、さん?」

「良かった……」


 疲労の色が見える。しかし、心から安堵したかのように緩く微笑んだその表情に、まだ夢心地だった意識が徐々に覚醒し始めた。同時に、目が大きく見開かれる。

 現世に連れていかれてから、長い間見続けていたのは、淀んだ闇。

 ひなは無意識に息を呑んだ。

 頭の先から、足のつま先に至る全てに、懐かしい香りと空気が行き渡る。それまで忘れていた感覚が、確かに自分のものとして蘇ってくる。

 麟を見つめている視線を自分の手元に落とし、ゆっくりと握りしめたり開いたりしてみる。

 次第に、ひなは小さく身を震わせ始めた。


「ほんと、に?」

「?」

「帰って、きた……」

「……あぁ、そうだ」


 静かに頷く麟を緩慢な動きで見つめ返すと、胸に熱がこみ上げてくる。刹那、ひなは麟の胸に飛び込み泣き崩れる。


 帰ってきた。


それが言葉で表せられないほど熱く胸を焼く。


「麟さん……! 麟、さんだぁ!」


 なりふり構わず声を上げて泣きじゃくるひなを、麟はしっかりと抱きしめ返した。


「ひな……。迎えに行くのが遅くなって、すまなかった」


 麟が抱きしめたままそう呟くと、ひなは彼の着物を掴む手に力を込める。


「もう一人は、嫌だよ! ずっと傍にいて、離れないで……!」


 ひなの中で堪えていたものが、すべてが一気に箍を外した。

 幽世へきた頃のような幼さで顔を埋めるひなに、麟は彼女の尽きない孤独の痛みをみた。


「……今度こそ、君を一人にしない。絶対に」


 麟の表情も歪み、抱きしめる手に力が込められた。




 どれだけの時間、そうしていただろうか。

 ひなは疲れ切り、再び静かな寝息を立てて眠り始めていた。

 羽織をしっかりと握りしめたまま布団に横たわるひなを、静かに見下ろしていた麟に、下ろしていた御簾の向こうからヤタが声をかける。


「……麟」


 麟が顔を上げると、ヤタの黒い影だけがみえる。


「しばらくひなの傍にいてやれよ。ついでに、あんたも少し休め」

「八咫烏……」

「……今のひなには、あんたがついててやらないといけないだろうと思う」


 静かに語るヤタの言葉に、麟は小さく頷き返した。


「わかった。すまない」

「気にすんな」


 ヤタは静かにその場に立ち上がり、その場を去ろうとして足を止めた。そして一度麟の方へ顔を向ける。


「……あとで、少し話したいことがある」

「……あぁ」


 麟が答えると、ヤタはそれ以上何も言わずその場を後にした。

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