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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第一章

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呪縛、解離、解放

 辺りは静まり返っていた。

 海から吹き付けてくる、重く湿った風と、波が壁にぶつかる水音だけが麟たちの耳に届く。

 気を失ったままのひなを見つめていた麟は、ゆっくりと、静かにその場に立ちあがる。


「……手荒かもしれないが、まずはひなから引き剝がすことが先決だ」


乗り移って時間が経ったことで、下手な癒着が起きていなければいいが。と、麟は内心呟く。


「さて……。そんじゃあ、ここからが腕の見せ所ってやつだな」


ヤタが口元に笑みを浮かべ、腰に携えていた刀に手を添える。その彼の目は、笑っていない。


「……」


 麟は着物の袂に手を差し入れ、筮竹(ぜいちく)と護符を一枚取り出す。

 黒く塗られた筮竹を扇状に広げ、絞った部分を片手で握る。空いた方の手で護符を持ち、瞳を伏せて小さく術を唱える。そして手にした筮竹を空に投げると、その一本一本がまるで意志を持っているかのように広がり、ひなを囲むように地面に鋭く突き刺さった。


護符を仰向けになって倒れているひなの胸元に置き、一度強く両手を打ち鳴らす。するとひなの体が突然、下から突き上げるように大きく跳ね上がり、閉じていた瞼がゆっくりと開かれた。


「お前は何者だ」


 麟の問いかけに、ひなは仰向けになったまま憎悪の籠った表情で睨みつけてくる。


『あたしの邪魔をするな……』


 ひなの口から発せられた言葉は、彼女自身の声とは全く違う。二重にも三重にも重なった怨念の声。ぞっとするようなその言葉と同時に、彼女は体を小刻みに震わせるとうつ伏せになる。俯いた頭をゆっくりもたげた顔には、乱れた髪が覆いかぶさり、その隙間から二人を睨みつけた。


「……ひぇ~。こわ」


 ヤタは顔に薄ら笑いを浮かべながら、わざとらしく怖がってみせた。

 そんな彼を疎ましそうに睨みつけた香蓮は、唸るように口を開く。


『今更、この子とあたしを引き剥がそうったって無理だ。このこはもう諦めてる。あたしにこの体を明け渡すつもりでいるんだ』


 下卑た笑いを浮かべる香蓮に、麟の鋭く目が細められる。


「その体はお前のものではない……返してもらうぞ」


 麟が隣にいるヤタに目配せをすると、ヤタは小さく頷いて刀の柄をゆっくりと握りこみながらやや腰を落として身構える。


『……やれるものなら、やってみな!』


 確勝を得たように香蓮は吠える。その瞬間、穏やかだった空気が一段重たくなり、痺れるような細かな電流が肌を伝う。


「……っく」


 体全体に圧し掛かる重圧。

 意図せず冷や汗がヤタの頬を伝う。香蓮の睨み一つで動きを封じられ、体が思うように動かない。まるで、地面に沈み込みそうな感覚にさえ襲われる。


「っ!」


 ふいに、足元に転がる小石が小刻みに震え、地面が鳴き始める。

 再び地震が起きる。

 二人は反射的にそう思った。だが、次の瞬間、小石が意志を持ったように空を裂くような音を立て、ヤタと麟を襲いかかる。


「……っ!」


 ヤタは攻撃から身を守るべく身構える中、麟はうまく動かせない手を動かしながら、袂からもう一枚護符を取り出し顔の前に構える。そうしている間にも攻撃は容赦なく二人に襲い掛かり、鮮血が走る。着物は部分的に裂け、あっという間にボロボロになってしまった。


「……っち。冗談じゃねぇぞ」


 ヤタは険しい表情を浮かべたまま、細く長い息を吐き痛みを逃がす。


「……天つ南瑠璃(みなみるり)()を守護する増長天(ぞうちょうてん)、今に一度、その御力を貸し賜んことをかしこみかしこみ申し上げる」


 痛みに揺らぎを見せることなく、静かに呟いた麟の言葉に、手にしていた護符が反応する。

 眩い光が陽炎のように空に向かって登り始めた。麟はその護符を空中に向かって投げつけると同時に、麟とヤタの周りには強力な結界が生まれる。

 その様子を見ていた香蓮は口の端を引き上げ悪態を吐く。


『守るしか能がないお前に、あたしが負けるわけがない!』


 鼻で嘲笑う彼女の言葉に、カチンときたのはヤタの方だった。

 地面を強く踏み込み、睨みつける。


「でけぇ口叩くんじゃねぇよ。じゃお前は何か? 攻撃も防御も両方長けてんのか?」

『……なんだと?』


 ぴくっと香蓮の眉が動く。


「そもそも、お前だって攻撃するしか能がねぇもんな?」

『……っ』


 ヤタは至って冷静だ。だが、その彼の言葉に香蓮はカッとなったように表情を歪め、歯を食いしばる。


『そん、なこと……ない』


 違うと言葉で否定してみるが、言葉が詰まった。

 意気揚々と叫んでいた声も、勢いを失い小さくなっていく。眉間に皴を刻んだまま、体を小刻みに震わせた。

 ヤタは微かに口の端を引き上げた。


「……どっちが疎かでも生き難い。けどな、それを補える奴がいれば問題はねぇ。俺は、そのためにいるんだよ」


 ヤタは持っていた刀の柄をじわりと握り直す。


「お前の人生、今までよっぽど楽勝だったんだろうな。おめでたくって笑えるぜ」

『……っ』


 香蓮は顔を伏せ、拳を硬く握りしめる。

 ヤタの言葉がやたらうるさく響いた。

耳の奥で脈打つ鼓動の音も耳障りで、それに乗じた彼の言葉がじくじくと胸の奥刺してくる。

 香蓮は突然狂ったように奇声を発し、荒々しく頭を掻きむしり始めた。


『うるさいっ! うるさいうるさい! お前に何がわかる!』


 悲鳴にも似た声で叫ぶ彼女の言葉に、ヤタは冷たい目で彼女を睨みつけた。


「わかんねぇよ。俺はお前じゃねぇし」

『っ!』

「あぁ、あとな。それ以上ひなの体に傷をつけたら……容赦しねぇ」


 それまでの冷たさとは違う、背筋が凍るようなヤタの眇められた眼光に、香蓮は言葉を呑み込んだ。



***



 闇全体が軋むような音がする。それは次第に大きくなり、思わず耳を塞いでしまうほどに大きな音で響き渡った。


 ――きゃっ!


 体が大きく傾ぎ、ひなは成すすべなく反対側へ倒れこむ。その瞬間、すぐ傍に稲妻がおちたような、何か大きなものが裂ける音が聞こえてくる。

 ひなは耳を塞いだまま顔を上げると、目の前の闇に微かな光を帯びた裂け目が見えた。

 それを見た瞬間、ひなは目を見開く。


 ――もしかして……。


 あとは無我夢中だった。

 裂け目に駆け寄り、指をかけた。だが、それ以上広がらない。ひなはすでに痛む手を握りしめ力いっぱい叩いた。


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