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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第一章

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 行き交う足音が多くなる中、人込みを掻き分けながら香蓮のいる部屋に一人の人物が駆け込んでくる。


「カ、カレンさん! 早く避難を……!」


 血相を変えて駆けつけてきたのは先ほど追い出したマネージャーだった。だが、彼は香蓮の姿を見た瞬間、その場に凍り付く。


「え……」


 マネージャーは目をそらせない。ただ、大きく見開かれ、頬を汗が伝い落ち、喉の奥に何かが詰まったように言葉が出なかった。

 彼も知らないわけではない。ソーシャルメディアで囁かれていた「死神」のことを。

 部屋に佇む香蓮が、ゆっくりと振り返る。その目だけが異様なほど不気味に光っている。


「……気付くのおっそ。ざぁこ」


 香蓮は鋭い目を楽しそうに細め、馬鹿にしたように呟いた瞬間、部屋の電気が落ちた。暗くなった部屋の中、鏡の前に置かれていた電気スタンドが次々と音を立てて弾け飛ぶ。同時に地鳴りのような大きな音が響き、頑丈に作られているはずのテレビ局が、崩落し始めた。

 身動きが取れないマネージャーと香蓮の間を亀裂が走り、大きな軋みと共に互いに大きく傾いでいく。


「う、うわぁああぁあぁっ!」


 叫びながらこちらに伸ばしてくるのは、彼の人としての優しさだった。

 そんな彼に対し、香蓮の唇は不敵に弧を描き、彼に強烈な印象を残す。

 地震の影響によるテレビ局崩落。逃げ遅れて巻き込まれてしまう者、命からがら脱出できた者、皆、蜘蛛の子を散らすようにその場からいなくなった。


「きゃははは! いい気味! こうなったのはあんたたちが悪いからよ!」


 悲惨な現実を目の前に、香蓮は甲高い声を上げる。だが、香蓮の立っている床も大きく崩れ空中に投げ出されたが、彼女の笑い声は止まらず、そのままがれきに呑まれていった。




 静まり返ったテレビ局周辺。まばらにあった人の気配もなくなった頃、香蓮は瓦礫の中にできた狭い空間に埋もれ、気を失っていた。

 固く閉じた顔は、香蓮というよりもひなの表情に戻っている。

 そんな彼女が埋もれる瓦礫の前に、一匹のネズミが鼻をひくつかせてやってくる。何度も辺りを見回し、瓦礫の隙間を窺うように覗き込む。やがて、吸い込まれるように瓦礫の中に潜り込んだネズミは、ひなの周りを確認するかのように駆け回り、顔の傍に近づくと動きを止めて、黒くつぶらな瞳は食い入るようにひなを見つめた。


「……ひな!」


 弾かれるように麟は顔を上げる。


「見つかったのか?」


 突如揺れ出した大地に、麟を守っていたヤタが声をかけると、麟は彼を振り返ることもなく真っすぐ南の方へ視線を向けた。


「海の近く……被害が最も大きい」

「海?」


 ヤタは麟のいう方角を確認すべく空へ舞い上がると、震源地とされる海の一角。内陸の強い揺れで一番被害の大きい場所が見えた。


「……あそこか」


 場所を確認したヤタが再び地上に戻る。


「麟、あったぞ」

「……すぐに向かおう」


 麟はゆっくり立ち上がると、神格化し、ヤタと共にそこへと向かった。

 現場に駆け付けた二人は、目の前の光景に目を見張る。

 辺り一面、戦にでも遭ったのかというほど何の跡形もなくなっていた。人の気配もない、ただ剝き出しのコンクリートや壊れた建物の瓦礫が、ある。

 その場に降りた麟が人の姿に戻ると、ひなの傍にいたあのネズミが駆け寄ってくる。そして彼の肩にするする登ってきた。


「……ご苦労だったな」


 麟がネズミにそう声をかけると、瞬間、ネズミは一枚の紙切れに戻り、麟の着物の袂に入り込む。

 ネズミが出てきた瓦礫の山をヤタが押しのける。

 全身土埃まみれになってはいるが、大きな怪我はしていないひなの姿が見えた瞬間、麟とヤタは同時に胸を撫で下ろす。


「すっかり、大人になっちまってるな」


 ヤタの言葉に、麟は彼女の傍に身を屈める。

 ひなの成長ぶりを見ると、幽世と現世の時間の差を痛感させられた。

 ほんのわずかな時間しか離れていなかったと思うのは麟たちであって、ひなにとっては途方もなく長く感じていたと思うと、言葉もない。

 麟は僅かに唇を噛み、視線を下げた。


「……もう少しの辛抱だ。もう少しだけ、そこで待っていてくれ」


 囁くように声をかけ、そっとその頭に手を触れて優しく撫でた。


***


――麟、さん?


 麟の手のぬくもりと言の葉が肌を伝い、無機質だった空間に久しぶりの感覚が届く。

 仰ぐように上を見上げ、ゆっくりとその場に立ち上がる。すると、何も見えなかった暗闇に一点の微かな光が灯り、無意識に伸ばしたひなの手の指に落ちて弾けた。その瞬間、滞っていた血潮が体の中を巡る感覚を思い出す。


 熱い。冷え切った体の隅々に行き渡る熱い血の流動。指先が痺れ、久しぶりに深い呼吸ができる。

 これが、生きているということ。


 ひなはそれを思い出し、諦めていた気持ちに再び光が差し込むのを感じていた。


――麟さん! 私はここだよ!


すぐ傍にある壁を叩きながら叫ぶ。

手が痛くなっても腫れ上がっても、諦めることなく叫び続けることを止めなかった。


『で、どうする? まだひなの体にはあの女の魂が入ってるぞ』


聞き覚えのある声がはっきりと耳に届く。ひなは目を潤ませ、唇を噛み締めた。

胸は喜びと切なさに震え、鼓動は早鐘のように鳴る。


――二人とも、約束、守ってくれた……。


ひなは滲む涙を振り払い、暗闇を睨みつけた。


――香蓮にできるなら、私にだってできるはず! もう思い通りになんかさせない!


すっと息を吸い込んだ。

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