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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第一章

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思い通りにならない

 高層ビル建設途中の鉄骨の上で、麟は着物の袂から取り出した数枚の紙に念を込める。そしてふっ、と息を吹きかけると紙に魂が宿り、小動物に姿を変えて四方に走り去っていく。

ひながいなくなり、麟とヤタが現世に身を置くようになってかれこれ一週間。一向にひなの足取りが掴めていない。

麟は柔らかく吹く風に煽られながら、すぐそばに建っているビルの看板に視線を巡らせた。そこには、清涼飲料水のペットボトルを手にし、満面の笑みを浮かべるひなの看板広告があった。

「……」

 幽世の体感でいえばまだ数十分。しかし現世では四年もの歳月が流れ、看板で微笑むひなはすっかり大人になっていた。

 麟は目を細め、物憂げにため息をこぼす。その瞬間、視界が揺れ、すぐそばにある壁に手をつく。

 どっとくる疲労感は、現世に長い時間身を置いているせいかもしれない。現世の時の流れが速すぎる分、焦りも体力の減りも加速する一方。そして、ひなを探すために現世では効きにくい術を使い続けることも、麟の体には相当堪えていた。

「今放った式神たちは、戻ってくるだろうか……」

 力なく呟いた言葉に、麟の重たい感情が滲む。

「……」

 麟は疲れからか、力なくその場に膝をついてしまう。

「麟」

そこへ、偵察に出ていたヤタが大きく翼をはためかせながら彼の傍に舞い降りた。

「大丈夫か? 顔色が悪いぞ。今日はもうやめておいた方がいいんじゃ……」

 体を支え起こしながらそういうと、麟は軽くヤタの体を押し返し、首を横に振った。

「……そういうわけにはいかない。そうしている間に、ひなを見つける手がかりが遠のいてしまうだろう」

「あんたが動けない分は俺が動く。俺はあんたと違って現世の時間軸にはある程度耐性を持ってんだ。ひなを見つけ出す前にあんたが倒れたら意味ねぇだろ。無理すんな」

「……すまない」

 ヤタの言い分は最もだ。

 彼の体を押し返そうとした手から力が抜け、壁に寄りかかる。

「それで、どうだった?」

「いや、全然。あの女、ずいぶん上手にひなを隠してやがる」

 ヤタはため息交じりに腰に手を当て、遠くに視線を投げる。

 その瞳には、麟と同じようなやるせない気持ちが滲んでいた。

「……すぐ近くにいるはずなのに、どこにいるかわからねぇなんてな」

「……」

 ビル上の看板のひなに視線をやりながら、ヤタはもどかしく呟く。

 二人の間に、それぞれ抱える自分の不甲斐なさから沈黙が落ちる。

「……なぁ、麟。見つけたらどうする?」

 ヤタは看板を見つめたまま、そう訊ねる。

 麟は視線を横へそらしながら、一瞬言葉を呑み込んだ。

「……いかなる魂も、同等に転生する権利を与えられる。それが幽世の掟だ。しかし……例外もある」

 麟は目を伏せ、口を閉ざした。

 彼は本来、命を尊び殺生を好まない。手を差し伸べ守る存在。だが、多くの人を危険に晒す者に対して、好感は当然抱かない。

 口を閉ざした麟を見て、ヤタはふっと息を吐いて困ったように笑う。

「なぁ、麟」

 麟の肩に手を置き、振り返った顔を真っすぐ見つめ返す。

「その役割のために、俺がいるんだろ?」

「……八咫烏」

「汚い仕事は俺の役目。本当にどうしようもない奴は死んで魂になったって、どうしようもない奴のままだ」

 決して軽く思っているわけではない。だが、ヤタは小さく笑みを浮かべ、わざととぼけたように言うと、麟もまたふっと息を吐く。

「……そうだな」

 責任の重たさを、非常に重たく受け止めている。何より、甘いだけでは通らないということも。

「気にすんな。前にもこういうことあっただろ。これは俺の大事な役割で、あんたに仕える最大の意味でもあるんだからな」

 ヤタはそういうと「日が暮れる前にもう少し偵察してくる」といい、再び飛び立った。


***


「どういうこと?」

 数日後。コンポジット用の撮影を終えて控室に戻ってきていた香蓮が、目の前にいる気弱そうな男性マネージャーを睨みつけた。その鋭い眼光を前に、マネージャーはおどおどとしながら口を開く。

「こ、今回の化粧品のイメージキャラクターが別の方に決まったそうで……」

「……はぁ?」

 短く呟いたその瞬間、香蓮はドン! とテーブルを力いっぱい叩く。その音に、意図せず肩を跳ねさせた男性の顔が更に青くなった。

「それって、今までずっとあたしがメインでしてた仕事でしょ? 何で急に別の人間に決まるわけ? おかしいじゃない!」

「け、契約が満期を向かえるためだと……」

「は? そんなわけないでしょ? まだ契約が切れる時期じゃないってあたしが知らないと思ってんの?」

 苛立ったため息を吐き、机を指で叩く仕草を見ていた男性は、視線を泳がせた。さらに喉の奥が乾き、貼り付いてうまく飲み込むこともできない。

「つい先日だってあのスポンサー、次のシーズンも私を使うって言い切ってたのよ? それが何? 他の人にした? なめてんじゃないわよ!」

「す、すみません……」

マネージャーは掠れた声で謝り、震え上がっていた。

その姿を見た香蓮は、目を眇める。彼の姿が、幼い頃の自分を彷彿させる。それがさらなる苛立ちを呼んだ。

「あんたさぁ、最近新しい仕事もまともに取ってこれてないじゃん。売れもしない下っ端がやるようなスーパー広告のタイアップとか? ノーブランド洋服のモデルだとか? あたしのこと馬鹿にしてんの?」

「そ、そういうわけでは……」

 無意識に男性の手が自分のシャツの裾を揉むように掴み、泣き出しそうな顔をしている。

「……ねぇ。あんたのその態度イライラする。やめてくれない?」

「は、はい」

 返事を返すものの、身を竦ませたまま態度が改まることはない。

香蓮は露骨な舌打ちをする。

「……だから、止めろって言ってんでしょ!」

 苛立ちを爆発させ椅子を蹴倒して立ち上がった香蓮に、マネージャーは小さく悲鳴を上げ、部屋を飛び出して逃げ出してしまう。

「……何だってのよ」

 香蓮は思い通りに舵を切れなくなり始めた人生に、強い苛立ちを抱いていた。

 ふと上げた視線の先にある、メイク用の鏡に映った自分を見る。

「……ひっどい顔」

 乾いた笑いを浮かべ、鏡の中の自分を睨んだ。

 気付かなかったわけじゃない。世間から見放され始めたことも、仕事も以前より格段に減ったことも。

「何がまずかったのよ」

 今回のイメージキャラクターの変更は致命的だった。

これで、大口案件はすべて白紙。香蓮にとってこれ以上ないほどの屈辱だった。

「皆して、あたしを業界から排除しようだなんて……。全部あんたたちが悪いのよ。あたしの価値を見抜けない周りが悪い」

 香蓮は頭を乱雑に掻き、髪を鷲掴みにして動きが止まる。

「……忘れられる。また忘れられちゃう」

 怒りで顔を赤らんでいた顔が、青ざめていく。

その瞬間、香蓮の感情に合わせて、机が小刻みに震え始める。

「……いらない」

 自分の耳にも届かないほど小さな声で呟く。見開いた目はどこを見ているともなく、瞳孔は開きっぱなしだ。

「……死後の世界からせっかく復活してやったって言うのに、またあたしを無き者にしようとするやつらなんて、いらない」

 香蓮の体からじわり……と、小さな陽炎が生まれる。それは徐々に大きく揺らぎだし、全身にまとわりつくような重たい空気とともに、黒い蛇がゆっくりと姿を現した。

 奥底に眠っている大きなものが外に抜け出るような、ぞわりとした感覚が意識の奥底にいるひなの背中を撫でていく。

――なに……?

ひなは顔を上げ、冷たい汗が頬を伝い落ちる。

「……消えろ」

 香蓮は抑揚のない声で静かにそう呟いた瞬間、静まり返っていた大地が大きな軋みを上げて大きく揺れ動きだす。

「きゃああぁあ!!」

「また地震だ!」

 廊下にいた人々は悲鳴を上げながら、慌ただしくなった。


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