混沌の奥底に眠る
歳月が過ぎるのは早い。
ひなが自我を手放した代わりに香蓮がひなの体を完全に乗っ取り、崩落した高神神社をきっかけに現世では幾つもの災厄が起きていた。大地は震え、活火山は活発化し、なんの前触れもなく巨大なシンクホールがあちらこちらに発生。行方不明者、死者の数は四年経った今もなお、増え続けている。天災が起きると、決まって犯罪も右肩上がりになる。
不安定な状況が続く中、息つく暇もなく人々は疲弊していた。
「高神神社は、古来より日本に張られていた結界の一つ。それが崩れたことで眠っていた悪魔が目を覚ました」
などという者も少なくない。
世界各国から救援物資や救助隊の派遣によって助かった人々は、皆先の見えない未来に表情が暗く沈んでいる。その中で、テレビやラジオは前向きな番組を前面に押し出すように心がけていた。
この日も、テレビ局の控室でスマホを見ながら出番を待つ少女がいる。
ニュースとしての情報は、どこも同じようなものばかり。だんだんつまらなくなったのか、少女はニュース画面を閉じ、よく使うソーシャルメディアを何気なく覗いてみる。すると、そこで話題に上がっている文字を見て、少女の指がぴたりと止まった。
『見てしまった! 何か起きる前に、黒い大きな蛇のようなものを纏った女の子が必ず現れるの。十七、八歳くらいの女の子。あの子がいたら、絶対何かが起きる』
ある少女のこの言葉は瞬く間に世界中に広がり、もの凄い数のいいねとスレッドに反応がついている。トレンドには「#人の姿をした死神」というものまで上がっている。
「死神、ね……」
無機質な呟きが少女の赤い唇から零れる。
みれば、根拠のないフェイク動画だけじゃなく、話題に乗っかりたい人々の声高な書き込み、さらにはそれをネタに物語を書いたりイラストを描いたりする者たちで、ネット上は溢れていた。逆に言えば、その話題を話している間は誰しも孤独を感じにくい。
「皆必死になっちゃって……。その必死さを、あたしに向けてくれればいいのに」
毛先だけを鮮やかな赤色に染めた黒髪を肩に流し、恨みがましく呟いたのは、ひなの姿をした香蓮だった。
すっかり様変わりしてしまったひなは、つまらなさそうにスマホを机に置いた。
高神神社崩落をきっかけに記憶喪失を装い、現在は香蓮と名乗っている。
「でも……。ふふふ、バッカみたい。人の姿をした死神だって」
置いたスマホを見つめ、目を細めてほくそえむ。
「ま、あながち間違いじゃないわよね。だって、それ全部、あたしがやってんだもの」
香蓮は心底楽しそうに、そして意地悪く笑った。
その時、部屋のドアがノックされ外から声をかけられる。
「カレンさん、そろそろ出番です」
「はぁ~い」
香蓮は印象良く、可愛く返事を返す。が、その目は鋭い光を帯びていた。
ひなの力を利用して、自分の意のままに行動できる。現世に戻ってからの香蓮の人生は思い描いた通りに進められていた。
香蓮は控室を出ると、ヒールブーツの靴音を鳴らしスタジオに向かって歩く。その立ち振る舞いは、自信に溢れるモデルそのものだ。
「……おい、あの子、今話題のモデルの子だろ?」
「あの災害の中でよく生き残ったよなぁ。しかもめちゃくちゃ可愛いよな」
通り過ぎざまに囁かれる男たちの囁きと視線に、香蓮はゾクゾクと体を震わせた。
もてはやされるこの状況が彼女には堪らない快感。この快感をもう一度得ることができて、この上ない幸せを噛みしめている。
「この状況を手放すわけないわ。悪いけど、アンタの体はこのままあたしがもらってあげる。よくわからないけど、凄い力も使える特大のおまけつきだもの。だからさっさとこの体から出てってよね。一つの体に二人もいらないのよ」
ひなは用済みだ。そういい捨て、香蓮は鼻で笑う。
香蓮はひなが持て余す力の制御を難なくできてしまう。気持ち一つで壊すことも残すことも今の彼女には容易なこと。今や現世は、彼女の手中にある。
面倒になったら無くしてしまえばいい。
そんな自己中心的で端的な考えを持つ少女一人に運命を握られた、危うい状態だった。
暗く、重たい闇が広がる。
水底深く沈み込んだことで、何の情報も音も届かない。前後左右の感覚さえ分からず、ひなは膝を抱えてじっと蹲っていた。
――寒い……。
自分の体なのに自分の意志ではもう動かせない。香蓮の力が圧倒的に強く、抗うことができずに意識の奥底に追いやられてしまっていた。
はじめは香蓮に必死に抗っていた。何度も自分を取り返そうと足掻いていたが、彼女にはまるで歯が立たない。そうしている内に、ひなは香蓮の知られざる過去を垣間見るようになった。
そこからだ。ひなが抵抗する力が格段に落ちたのは。
――香蓮! 何をしてるの!? あなたは世界一の人間になるんだから、そんなことしないでちょうだい!!
母の足音と、ヒステリックな声。そして頬に走る強い衝撃と痛み。そんな毎日に怯えた日もある。
――見て、あいつ。あたしに対して生意気。一回わからせてやらなきゃダメよね?
友と呼べるような友はいない。圧力をかけて自分のいいなりになるよう、周りをコントロールして侍らせる。学校ではいつもリーダー的な存在。
――……な、に? どういうこと?
家を飛び出し、長く同棲していた彼氏のスマホに送られてきた、知らない女との写真とメッセージ。
人生初めての恋で、彼のことを香蓮は心の底から信じてきた。なのに、彼はそうではなかったと分かった時の絶望。そこからくる男遊びはエスカレートしていた。
――あたしは常にナンバーワンでいなくちゃいけないの。全てにおいてね!
常に完璧でいなければならないという母からの刷り込みは、いつまで経っても直らない。常に一番でなければ気が済まない気負い。一切の妥協を自分でできないように仕向ける苦しさ……。
ひなは、四年もの間、自分とは正反対な生き方をしてきた香蓮に同情してしまった。
彼女も、愛情に飢えて天涯孤独な人生を送ってきたのだと、自分と共通点があるのだと知ってしまった。だから、抵抗することに躊躇いが生まれた。
――香蓮と私は違う。でも、彼女もずっと一人ぼっちだった。だから賞賛をされて初めて居場所を見つけたから、やめられないんだね……。
ひなは眉間に深い皴を刻み、膝を抱えていた腕に力を込める。
頭では理解している。彼女の痛みも叫びも自分のことのようにわかる。だが、強引に奪われたひなの気持ちに寄り添う者はここにはいない。
――理解はできる。でも、私の体、香蓮にはあげられない。
ひなは薄っすらと目を開き、緩慢な動きで暗い闇を見上げる。
――私はまだ未熟で、香蓮にできることが私にはまだできない。きっと今の私が表に出たら、この力は止められない。私のせいでもっと酷い世界になっちゃうと思うと、怖い……。
どうしたらいいのかわからず、ただじっとしているしかない自分が情けなかった。
滲む涙を誤魔化すように、ひなはもう一度顔を伏せる。
――寂しいよ……。怖いよ……。
きつく目を閉じ、唇を噛む。
――一人にしないって、いったのに。
堪えきれず、零れ落ちた涙がひなの足元に落ち、小さく波紋を広げていった。




