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不安と恐怖

 どうしてこうなっちゃったんだろう……これから、どうしたらいいんだろう……。


 熱い湯気に包まれたひなは、壁に手をついて強めに出したシャワーを頭からかぶり、排水溝に流れていく水の濁りがやがて透明なものに変わるさまを食い入るようにみつめながら、錯乱状態の中でも冷静に今起きている状況を何とか冷静に整理しようとしていた。


 分かっているのは香蓮と名乗る亡くなった少女の魂が自分の体を乗っ取り、自分の意志と反して現世に連れ戻されてしまった事。香蓮は現世にとても強い執着心を持っていた。だから彼女は実体のあるひなの体に乗り移り現世の扉を潜り抜けてきた。そして彼女はまだ、自分の中にいると言う事も……。


(あんなに強い思いは初めて。怖くなる……でも、何をしようとしてるの?)


 ひなは香蓮に話しかけるように心の中で問いかけるように呟く。しかし、香蓮はもうこの世の人間ではない。幽世で新しい命を受ける立場の魂だ。彼女が乗り移った事で、ひなにも彼女が幽世で与えられるあやかしとしての姿の醜さがどんなものなのかが言わずとも分かっていた。とても人の形とは呼べない異形。よほど彼女はこの現世で私利私欲のために汚い事にも手を出して来たのだろう。この強引さを見れば、不思議と頷ける。


 それよりも、今はたった一人で戻ってきてしまった現実に、ひなの胸は不安で張り裂けそうだった。例え香蓮が現世に執着を持っていたとしても自分には関係ない。こんな場所に戻って来たくはなかった。


『気色悪い……』


 先ほどこの家の男性が呟いた言葉が痛い。あんな言葉はもう聞きたくない。

 どうしてせっかく安心できる場所を見つけられたのに、こんなに簡単に切り離されてしまうのか……まるで自分には幸せになる資格すら無いと言われているようで、酷く悲しくなった。


「……幽世に戻れなかったらどうしよう」


 ふいに口を突いて出た言葉が妙に現実味を帯びていてますます怖くなってしまった。そして怖いと言えばもう一つ。自分の中にあるとても強い得体のしれない力の存在だ。今なら何か少しでも刺激を受けるとすぐにでも暴れ出しそうな力を自覚していた。今までの比にならないほど強まっている事に怖くなる。


 ふつふつと、今は暴れ出すタイミングを見計らって手ぐすねを引いているようだ。それが暴れ出してしまったら、自分で抑えられる自信がない。もしもそうなってしまったらどうなるのか想像がつかない。だからこそ、怖くて仕方が無かった。


 ひなは自分の手を見つめると、その恐怖に体が小刻みに震えていた。

 熱いお湯に当たっているのに体はずっと震えて止まらない……。


「この力に飲まれちゃったら、自分が自分でいられなくなっちゃう気がする……」


 ひなはぎゅっと自分の体を強く抱きしめ、目を閉じてその場にしゃがみ込んだ。

 自分の体なのに自分じゃないような、体と心が分離している感覚がどうしても拭えない。それが一層恐怖を煽って来る。


「……麟さん。怖いよ」


 シャワーの温かい水とは違う熱い物が頬を伝って零れ落ちる。

 守ってもらうのが当たり前だとは思っていない。甘やかされるのも当たり前だと思っていない。それでも、誰かの傍にいる事を許されたのは、ひなにとって心から嬉しかった事。麟の傍は何が起きても帰る事が出来る安心できる場所なんだと、初めて自覚できた場所だった。やっと出来た大事な場所から意図せず切り離され、色々な事が一気に自分の身に降りかかり、困惑しないわけがない。


 帰りたい。麟の傍に帰りたい……。


 ひたすらに願うのは、麟のいるあの場所。

 ひなは顔を埋め、不安に押し潰されそうになっていた。






「なぁ、どうすんだよあの子。見たところ中学生か高校生くらいだろ? あんなボロボロの着物一枚で雨の中突っ立ってるなんて明らかにおかしいよ。幽霊じゃなきゃどっかの風俗で働いてたんじゃないのか? 病気持ってるかもしれないぜ?」


 ひなが風呂から上がり女性が置いて行ってくれていた洋服を身に着け、夫婦がいるであろうリビングに続く扉の前に立った時、男性の声が聞こえてビクッと体を強張らせた。


「それに、さっきあのボロ屋の家の前に立ってただろ? もしかして元々あそこに住んでた子なのかもしれないよな?」

「う~ん、でも私たちが5年前に引っ越して来た時には、もうすでに誰もいなかったじゃない。誰も住んでないような家に子供が一人で生活するなんてあり得ないし、もし仮にそうだったとしても、こんなに長い間放置している方がおかしいわ」

「そりゃそうだけど。それにしたって気味悪過ぎるだろ……」

「気持ち悪い気持ち悪いって、そんなに言うもんじゃないわ。……まぁ、そりゃ、私もちょっとはそう思うけど。とにかく、どちらにしても一度警察に連絡をするわ。捜索願が出されてる可能性もあるし、ずっとここに置いておくわけにもいかないもの」

「……そうだな。家出してる子かもしれないもんな」


 通常、誰でもそう判断する。彼らの判断は決して間違いなんかじゃない。

 それでもひなにとってその判断は一番されたくないことだ。だからと言って女性が言うように、この家にずっと居座るわけにはいかない。


「あの子がお風呂に入っている間に警察に電話してくるわ」


 女性が席を立ちあがった時、ひなは慌てて身をひるがえし玄関からなりふり構わず、玄関先の傘立てを蹴倒して外へと飛び出した。


「あっ……待って!!」


 背後で女性が呼び止める声が聞こえる。だが、このまま黙ってまた知らない場所に連れて行かれるのは絶対に嫌だった。何より、これ以上感情を搔き乱されたらどうなってしまうか自分でも分からない。

 ひなは女性を振り返ることもなく、一心不乱に駆け出した。水たまりを蹴って、背後から追いかけて来る女性たちから必死に逃げるように走っている内に、しっかり温まっていた体は再び打ちつけて来る雨で再び体温を奪っていく。


「どうしよう。どこに逃げればいい?」


 近くの茂みに身を潜めどこに逃げようかと焦っている内に、ひなはふと思い出す。

 もしかしたら、高神神社に行けばまた戻れるかもしれない。麟も言っていた「二つの世界は隣り合っている」と。だからあの場所へ行けば、戻れる可能性は高いと思った。


 先ほどよりも雨脚が強まった土砂降りの中、ひなは縋る思いで茂みから飛び出して駆けて行く。雨で視界が霞み、坂道からは雨が川のようになって流れ落ちていく中、何度も足がもつれて転びそうになり、足に無数の切り傷や痣が出来てもお構いなくひなは必死になって山道を駆け上った。だが、神社に続く参道に出た瞬間愕然としてしまう。


「……うそ」


 丁度神社へ向かう少し手前の道が、この雨のせいで土砂崩れを起こし道を分断されてしまっていた。しかも分断されただけではない。天空の鳥居と名高いあの鳥居がどこにも見当たらなかった。それどころか神社ごと押し流されてしまい、当時の面影はどこにもなかった。


 ここに来たら大丈夫だと思ったのに……。


 あんなに有名な神社ごと崩れ去っている事にどうしようもないやるせなさを感じ、ひなはその場に膝をついて小刻みに体を打ち震えさせた。もう希望がどこにも見えない。麟に出会える場所が分かるなら何処へだって駆けて行くのに、どこに行っていいかも分からない……。


「ううぅ……」


 顔を伏せて短い唸り声を上げると同時に、カタカタと道の上にあった小石が震え始める。そしてひなの体から黒い蛇のような靄が出現し始めた。

 バシュッ! と言う空を割くような音が響くと同時に、ひなの近くにあった木々が四方八方に、まるで刃物で一刀両断したかのように断ち切られた。

 大きなものが崩れる低い音を立て、ひなを基準に地面が崩れ山がそのものが崩れ始める。地鳴りの音に麓の家々の明かりが次々について大慌てで人々が外に飛び出してくる姿もあった。


「早く逃げろ! 山雪崩れだ!!」

「連日連夜降り続く集中豪雨のせいだ!」


 飛び出して来た人々は口々にそう叫びながら蜘蛛の子を散らすように雨の中を逃げ出している。


――きゃはは! 何これめっちゃウケる! この子の力マジやば~!!


 気が遠くなりかけたひなの頭に香蓮の笑い声が響き渡った。

 目の前でパニックに陥る人々の姿を目の当たりにしながら、彼女はこの状況を楽しんでいるようだ。地面がケーキカットされたかのように割けた事で、ひなの体も崩落の波に例外なく落ちて行くが、香蓮の笑い声は消えなかった。


(あぁ……ひなのせいで、皆が……皆が……)


 遠退いて行く意識の中で、ひなは自分のせいで起きているこの現象に胸を痛めた。それに相反し香蓮は憎悪にあふれ意識がハッキリとしていく。


――そうよ、あたしをこの世から葬り去った奴も、あたしをすぐに忘れ去った人達もみんないなくなっちゃえばいいんだわ!


 もはや狂気の沙汰だ。

 ひなが自我を手放し始めたことで自分を確立した香蓮は、自分の意のままに操れるひなの体を使い、あまつさえその力の暴走を助長するよう働きかけていた。

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