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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
序章

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神隠し

昨年のネトコンで第一選考突破まではした作品。

タイトルを「モノの卦慚愧」から改題、内容も改稿しました。これでネトコン再挑戦します。

「ひなを、ここじゃないどこかに連れてってください。お願いします。それが叶うならもう何もいらないし、我儘もいいません。だからお願いします」


 こうして何度神様に願ったことだろう。


 急勾配の山道を登って行き着いた場所にある、天空の鳥居が有名な神社。ひなが山道がきつくてもこの神社を選んだのは、家から近いのはもちろんのこと、空に近いから。願いが天に届きそうだからだ。

 特にこの日は今まで以上に一層真剣に願う。もう、彼女には帰る場所が無くなってしまったからだ。

 顔の前で合わせていたはずの手が固く握りしめられ、閉ざした瞳から涙があふれて地面を濡らす。

 神頼みなどしたところで、どうなるわけでもないことは分かっている。分かっていても今のひなにはここに縋るしかなかった。


「……」


 必死に願う傍らで、冷めた自分もいた。

 どんなに願ってもそれはただの祈りでしかない。こんなことで日常がひっくり返るようなら、もうすでに変わっていたっておかしくはない。きっとこれからも、変わらずに地獄は続いていくんだ。


 心のどこかで、ひなは諦めを感じていた。


 一瞬は気に留めて声をかけてくれるひとはいても、それだけ。結局、皆他人事なのだ。

 齢九歳にしてそれをすでに悟っていたひなは、伏せていた目を薄っすらと開いた。


 ひなは涙を拭うとゆっくり立ち上がり、小さな背中をより小さく丸めて社に背を向け、元来た道を戻る。参道を歩き、大きな石の鳥居の前で一度立ち止まった。

 眼下に広がる街明かりと暗い夜の海。遠くの空を白々と照らす月はいつも冷たい。目の前にある急勾配の階段の下から吹く風が、ひなの長い髪をいたずらにたなびかせた。


 もし、ここから落ちたらどうなるのだろう……。

誰かが見つけて助けてくれるのだろうか?

それとも誰にも見つからないでそのままになるのだろうか?


……ちょっとだけ、試してみようか。


 幼い子供のその場の思い付きで、それ以外のことは考えずひなは足を踏み出そうと動かした。

 だが、この日はいつもと違う不思議なことが起きる。

 まだ春遠い初秋。どこからともなく一枚の桜の花びらがひなの目の前に舞い降りた。


「……?」


 ひなは足を止め、顔を上げる。


「まだ、桜の時期じゃないのに……」


 その瞬間、一切の音が止んだ。空気は流れ、草木は揺れているのに……。

 何が起きたかと振り返ろうとしたその刹那。ひなの真正面から強く風が吹きつける。

「わっ」


 ひなは咄嗟に顔の前に手をやり、顔を伏せる。

 二つに結んだ髪が大きくたなびき、閉じられた瞼の奥にさえ色鮮やかな閃光が走った。その光と共に、桜の香りがひなの鼻先を掠める。


「……」


 やがて、風が緩やかさを取り戻し、ひなは閉じていた目を開いた。


「え……?」


 言葉では説明ができない。ひなが見つめる先には、神々しい光を纏った一匹の神獣がいた。

 金と朱の混ざった長い(たてがみ)に、深い琥珀色の瞳を持ったそれは、「麒麟」と呼ばれる伝説の神獣。その麒麟が今、目の前に立ち静かに見つめている。

 ひなは言葉もなく、ただ茫然としていた。


「あ、あなたは、誰……?」


 ひなの言葉に呼応するように麒麟は目を細め、鼻先を近づけてくる。ひなは突然の接近に思わず目を閉じる。


「……君の願い、いつも聞こえていた」


 落ち着いた声音と共に柔らかく頭を撫でられる。その感覚に、ひなは胸が苦しくなった。

恐る恐る目を開くと、そこにはいつの間にか見目麗しい人間が立ち静かに見つめてくる。その温かな琥珀色の瞳を見つめ返し、ひなは「あっ」と息を呑んだ。

彼は、先ほどの神獣だ……。


「君はなぜ、ここではない場所に行きたいと願うんだ?」


麒麟のその問いかけに、ひなの瞳が揺れる。

夢を見ているのかと思った。願いが通じて、何かが起きることを心から望んでいたはずなのに、今、目の前で起きている現象が信じられない。その反面、期待に胸が膨らんでいるのも事実だった。

ひなは服の裾を掴み、微かに唇を震わせながら口を開く。


「……ひなは、普通の人じゃないんです」


その声は暗く、緊張感を孕んでいた。


「普通じゃない?」


 麒麟がそう答えると、ひなは小さく頷き返した。


「ひなは変な力があって……」


 その言葉に、麒麟は何かを量るように目を細める。


「変な力?」

「よく……分かんない。

でも、その力のせいで気持ち悪いって、怖いって……。

みんな、ひなから離れてっちゃった……」


顔を俯け、言葉が尻すぼみになる。

先ほどまで心の限り叫んでいた声とは裏腹に、痛みが滲む。


「なんで、ひなはこんな力を持ってるの?」


 自分に問いかけるように呟く声は、酷く暗い。

 麒麟はそんなひなの前にしゃがみ込むと、彼女の顔を覗き込んだ。


「……その力は、いつから出るようになったんだい?」


 その問いかけに、ひなは首を横に振った。

 伏せているひなの瞼が赤く腫れている。これまで散々泣いてきたのだろう。

 麒麟はひなの顔に手を伸ばすと、突然、指先に強い電流が流れたかのような衝撃が走り、瞬間的に手を引いてしまう。異質感を覚えるほど強い衝撃だった。

 麒麟の指先に、じわりと血が滲む。


「ご、ごめんなさい!」


衝撃に感づいて顔を上げたひなは、麒麟の指に血が滲んでいるのを見た途端、顔色を変え反射的に謝った。


「ひな……?」


 不安に駆られ真っ青になったひなへ視線を向けると、彼女の右目の奥に、一瞬縦長に鈍く光る赤い光が見えた。麒麟はそれを見た瞬間思わず眉根が寄る。


 麒麟は、それを知っていた。


 彼は無意識に息を呑み、まじまじとひなを見つめる。

その表情に、彼女はびくりと身を震わせ、殴られないように自らの頭と体を小さく丸め込む。その様子に気付いた麒麟は表情を崩し、血の滲む手を握りしめる。


「君のせいじゃない。少し驚いただけだ」

「生きていて、ごめんなさい……!」

「!」


 顔を背けたまま、震える声で呟いたひなの言葉は小さな子供から発せられる言葉にしてはあまりにも衝撃的だった。

 麒麟の胸の奥に重たく響く。


「そんなことを言っては駄目だ。君は何も悪くない」


 その言葉に、ひなは自分を守ろうとしていた手を解き、俯いたまま呟く。


「……もう、嫌だ」


 抑揚のない声で零すその言葉に、麒麟はぞわりと背筋に寒気を覚える。

 得も言われぬ危機感。今のひなの反応はとても危ういと直感的に肌で感じ取った。

 麒麟はゆっくりと手を持ち上げると、躊躇いがちにその小さな肩に触れる。その時、ひなから懐かしい香りがした。

先ほど感じた悪寒とは真逆の温かい気配。胸を締め付けてくる気配に麒麟が顔を上げると、ひなの背後に陽炎のように揺らめく一人の女性の影が見えた。


「……っ!」


 麒麟は大きく目を見開く。

 もう二度と会えるはずがないと、ずっと思いこんでいた女性。だが彼女はすぐに光を散らして消えてしまった。

 彼女を追うように伸ばされた麒麟の手が虚空で止まる。所在をなくした彼の手はゆるゆると下され、自然とひなに視線が移る。


「……」


 彼女とこの子は、何か因果があるのだろうか?

 そう感じた瞬間、麒麟はひなに対して強い庇護欲に駆られた。そして同時に、このままこの子をここに放っておいては危険だという警鐘が鳴っている。

 麒麟はひなの両肩に手を置くと、ひなはゆっくりと顔を上げた。


「ひな……。神隠しを知っているかい?」

「……神、隠し?」

「何の痕跡もないまま、ある日突然いなくなってしまうことだよ。君は、その神隠しを望むんだね?」


 確かめるように訊ねれば、ひなは大きく首を縦に振った。

 何の迷いもない真っすぐな眼差し。麒麟はその眼差しに目を細める。


「……その神隠しの先に、君が望むものがあるかどうか分からなくても?」


 麒麟の言葉に、ひなは一瞬躊躇いの色を見せた。


「君が本当に望むのなら連れて行こう。ただ、迷いがあるならやめた方がいい」


 ひなは躊躇った心を見抜かれたことに僅かな動揺を見せたが、それでも首を縦に振った。


「連れて行って下さい」

「……そうか」


 麒麟はそう呟くと手を差し出す。ひなはその手を、迷うことなく握り返した。

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