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彼女と私のシンタックス・スパイス

「シンタックス・シュガーって、聞いたことある? 日本語で言うと、糖衣構文。つまりね? プログラミング言語で、本当ならコンピュータに分かりやすい形で書かないといけないような文法を、もっと人間にとって砂糖みたいに甘々で優しい、理解しやすい形に置き換えたもの。うーん、例えば……関連性がある一連のデータを扱う場合って、本当なら『何千何百ビット目から何千何百何ビット目まで』なんていうふうにコンピュータの記憶領域の中の番地を直接指定する必要があるんだけど、プログラム言語だとlist[1](リストの1番目)list[2](リストの2番目)list[3](リストの3番目)……なんて書き方をしたら、もっと簡単にアクセスできたりするよね? そういうのが、糖衣構文シンタックス・シュガー。それで言うと……神部(かんべ)ちゃんの書いたプログラムって、シンタックス・スパイスって感じだよね」

「え? 砂糖(シュガー)じゃなくて……香辛料(スパイス)?」

「そ。なんか、目が覚める感じ? 使ってるアルゴリズムとかは他の人と同じでも、なんか、ピリリって一味違うんだよね」

「それって……クセが強いってことですか? 先輩、いつも言ってますもんね。『自分のクセを消してコードを書け。自分にしか理解できないようなコードは、良いコードじゃない』って。はあ……分かりました、直します。どのファイルの、何行目ですか?」

「いやいやいや! 私、悪いって言ってるんじゃないよ⁉ 実際、神部ちゃんのこのコードに理解しづらいところなんてどこにもないし。処理効率の面でも、他の人のコードと比べて頭一つ抜きん出てる。もちろん、バグもない。ただ、そんな完璧なコードの下地に、薄っすらと隠し味的に神部ちゃん特製の香辛料(スパイス)が使われてるよね、ってだけ。それってちょっと、すごいことだと思うよ」

「そ、そんな……」

「私、スパイスから作ったカレーとか大好物だし」

「はあ……。私のコードは、カレーですか?」

「あっははーっ! もおう、冗談だってば!」




 私が先輩と話したことの中で一番印象に残ってるのは、その、香辛料構文シンタックス・スパイスの話だ。

 彼女は、私と同じ「プログラミング同好会」の一個上の先輩。大学在学中からすでに国内外のいろんなプログラミングコンテストに入賞したり、作ったスマホアプリが年間ダウンロードランキングで上位に入ったりするような、すごい人だった。

 だから、そんなすごい人に、私の書いたコードが講評(レビュー)してもらえたこと。それに……お世辞だとは思うけど「すごい」なんて言ってもらえたことが嬉しくて、ずっと忘れられずにいたんだ。


 やがて、四年生だった先輩は大学を卒業して、国内の有名ソフトウェア企業の海外支社に就職した。それを真似るように、私も一年後にそのグループ企業の東京の本社に就職を決めた。

 社会人最初の三年くらいは、同じ大学出身ということもあって、先輩の噂がよく耳に入ってきた。先輩はやっぱり社会人になっても私の知っている先輩のままで、プログラマーとしての高い技術力で、大活躍していたらしい。私が聞いた噂のほとんどは、そんな先輩の姿に男女関係なく後輩たちがみんな憧れている、だとか。あるいは、その分同期や先輩たちからはかなり嫉妬されて嫌われている、とか。そういう話ばかりだった。


 私の方は、そんな先輩に直接プログラミングを教わっていた、なんて言うのが恥ずかしくなるくらいに平凡すぎる仕事っぷりで……。先輩に迷惑をかけたくないこともあって、自分で納得いくくらいの仕事が出来るようになるまでは、あえて先輩に会わずにいることにしていた。

 いつか、恥ずかしくないくらいに成長してから先輩の前に現れて、彼女と一緒に仕事が出来たら……それが、私にとっての唯一にして最大の生き甲斐だった。


 やがて、先輩のすごさがあまりにも「当たり前のこと」になってしまって、噂にすらならなくなって。私もちょうどそのころ仕事が忙しくなってきて、他のことにあまり注意を向けられなくなってきたとき。

 すごく久しぶりに、先輩に関する情報を聞いた。そして……彼女が死んでしまったことを知った。自殺だったらしい。



 その理由は、彼女の才能に嫉妬した同僚たちから陰湿なイジメを受けたせいだとか……。自分の限界に気付いてしまって絶望したからとか……。好き勝手にいろんなことを言われていたけど、実際のところはよく分からなかった。ショックで体調を崩した私が、半年近くの休職明けにようやく元の職場に復職したときには……もうすでに、先輩のことなんて話題に上げる人は一人もいなくなっていたから。


 最初こそ、そんな状況についていけずに、仕事も何もかも投げ出して、先輩のあとを追おうとしてしまったけれど……。時間が経つに連れて、そんな気持ちは薄らいでいった。

 結局最後には私も、他の人たちと同じように先輩のことなんか忘れて、どこにでもあるようなありきたりな日常を送れるようになっていった。




「あ、神部さん! 今日こそは、うちらの飲み会来てくれますよね⁉ みんな、神部さんのこと待ってるんですよ!」

「だぁから……何度誘ってくれても、私はそういうの行かないってば。悪いけどさ。若者は、若者同士でつるんでればいいでしょ?」

「そ、そんな……。神部さんだって、私たちと三つぐらいしか違わないじゃないっすか! そんなこと気にしなくても……って、っていうか私、実は前々から神部さんといろいろお話したくて、それで、今日の飲み会を企画したんです! だ、だから……」

「はいはい。それじゃ、おつかれ」

「あー、もおう! 神部さんのバカー!」


 そんな感じで。

 どういうわけか私のことを慕ってくれるかわいい後輩たちの前で「付き合いの悪い変わり者の先輩」を演じた私は、いつものようにどこにも寄り道せずに、早々に自宅に帰る。

 そして、自室のノートPCの電源を入れた。



 暗い室内に、ディスプレイの光だけが浮かび上がるように点いている。通常なら数秒と待たずにデフォルトOSの起動を完了させるはずのPCに向かって、素早く特定のキー入力を行う。すると、OS起動処理に割り込みが入って、普通に見るのとは全く違う画面が表示された。


 これは、何よりもセキュリティやプライバシー――というより、匿名性――を重視して私がいちから作った、オリジナルのオペレーティングシステムだ。

 このシステムが動いている端末からアクセスする限り、どんなサーバーやウェブサイトへの操作も、決して形跡は残らない。誰にも知られずに、世界中のシステムに自由に出入りすることが出来る、まるで幽霊のような匿名端末。

 この世を去ってしまった先輩に、唯一近づける場所だ。



 先輩のことを忘れて、普通の日常を過ごす……。

 そんなこと、できるはずがない。


 先輩は、私にとっての全てだったんだ。

 そんな先輩がいなくなってしまって、これまで通りの生活を送れるはずがない。送っていい、わけがない。先輩のいない世界なんて、あっていいはずがない。

 だから私は、この世界を終わらせることにした。自作のシステムは、そのための準備の一つだった。


「ふふ……」

 ふと、今日自分が行かなかった飲み会にいるはずの後輩たちのことを想像して、笑ってしまった。

 まさか彼女たちも、飲み会を断った「付き合いの悪い先輩」が、こんなことをしてるなんて思ってないだろう。それに……その飲み会が自分たちの最後の晩餐になるなんてことも、想像出来なかっただろう。


 もちろん、そんな彼女たちに少しも罪悪感がないわけじゃない。それに、こんな私にだって大事に思っている家族や、気を許せる友達の一人や二人くらいはいる。

 それでも……。

 先輩を失った世界への失望のほうが、そんな思いよりも遥かに大きいことは、疑いようがないのだった。



 世界最大級と言われている、某ロボティクス企業のサーバーに侵入して、計画の最終チェックをする。

 よし……大丈夫だ。


 この企業の基幹システムは、国内の一流ベンダーの専用サーバーによって構築されている。でも実はそこには、まだおおやけには見つかっていない脆弱性(ぜいじゃくせい)がある。メモリ領域のある一部分に展開されたビット配列が、ある特殊なパターンになったときに、ごくごく短い一瞬の間だけ中核システム異常(カーネルパニック)のような状態になって、あらゆるセキュリティ機能が効かなくなってしまうんだ。

 

 本当に、その企業の製品は今や世界中に展開されていて、私たちの暮らしに欠かせないものになっている。工業ロボットや商業分野のオートメーションなんかはもちろん……中には、友達や恋人の代わりになるアンドロイドなんてのもあって、深刻な少子化の原因の一つになっているくらいだった。

 そんな、誰もが完全に心を許していたロボットたちが今日、一斉に反乱を開始して人間に襲いかかってくるとしたら……? きっとみんな、計り知れないほどの絶望に包まれることだろう。

 先輩を失った、私のように。



 私はすでに、すべての調査と準備を完了していた。

 システム定期アップデート、ログ書き込み、システム時刻同期処理……。単体では何の問題もないそれらの通常機能がメモリ常駐しているセキュリティシステムの定時チェックとバッティングして、もうすぐ例の「脆弱性メモリパターン」を作り上げることが分かっている。

 その瞬間に、私があらかじめ作っておいた悪意のあるスクリプトを流し込む。それだけで、基幹システムのデータベースが不正に書き換えられて、世界中のロボットが暴走を始めるんだ。

 こんな千載一遇のチャンスが揃うのは、今夜だけ。しかも、ほんの数十ミリ秒の間に過ぎない。でも、コンピュータの世界で数十ミリ秒なんて、無限の時間と何も変わらない。問題はなかった。



 もうすぐだ……。本当に、あと少しで……。

 私は、サーバーの状態を可視化したダッシュボード画面を見ながら、その時が来るのを待つ。

 あと、五秒……三秒……ニ……一……。

 その時が来た瞬間、私の匿名端末からサーバーに対して、スクリプトが自動的に実行された。

 計画通りにサーバーのセキュリティは無効化されていて、管理者権限でデータベースに不正データが注入される。そして、定期アップデートに偽装したそのデータをダウンロードした途端、すべてのロボットたちは暴走を始めて……。


「……えっ⁉」

 次の瞬間、私は思わず声をあげてしまっていた。


 想定通りにサーバーセキュリティは一瞬停止して、その隙に私のスクリプトは実行された。でも、データ改変は行われていなかった。スクリプトのその部分のコードが、無効化(コメントアウト)されてしまっていたからだ。


 スクリプトファイルのタイムスタンプを確認する。変更されたのは……ついさっき。つまり、私がサーバーに侵入してそっちに注意を向けている隙に、誰かが逆に私の匿名端末をハッキングして侵入して、そのファイルを書き換えてしまっていたんだ。

 その犯人の正体も……私には、すぐに分かった。


 そのスクリプトの無効化した部分のすぐ下の行に、注釈(コメント)文が書かれていた。まるでプログラム講評(レビュー)のNG指摘として、問題がある部分を差し戻すときみたいに、こんなコメントが。



# 相変わらず、目が覚めるようなコードだねー

# でも、今回のはちょーっとスパイス効きすぎかなー?



 それは、私と先輩だけが知っている、二人の間だけで通じるパスワードのようなコメントだった。

 私にとってはそのたった二行の文章だけで、実際に先輩の姿を見るのと同じくらいに確かに、彼女の存在を感じることが出来た。



 以前から先輩は人工知能に強く興味を持っていて、暇な時間にはよく、その研究をしていたらしいという噂を聞いたことがある。その一環として、自分の性格や考えをコピーしたAIを作ろうとしていた、なんて話も聞いたことがあった気がする。


 でも、私には分かっていた。

 これは、先輩だ。

 性格をコピーしたプログラムとかじゃなく、確実に先輩本人だ。


 絶対に私に繋がるはずのない匿名性を高めた端末に、私宛のコメントを残すことが出来るような……。データ書き換えスクリプトのコードに残っていた無意識の私のクセ(スパイス)を感じ取って、私を特定出来るような……。そんなことが出来るのは、先輩本人以外にはありえないんだから。



 その日のうちに私は、長い時間をかけてせっかく作った匿名端末をあっさりと破棄した。世界を絶望させようという気持ちも、もうすっかりなくなっていた。


 他の人が何を言っても。先輩の死を証明する、どんな証拠が残っていたとしても。私にとっては、この世界に先輩が存在しているということは、疑いのない確かな事実だったから。

 先輩がコードから私を感じ取ってくれたように。私も、先輩が生きているということを感じとってしまったから。


 先輩と再び出会うという、私にとって何よりも大切な生き甲斐ができてしまったから。

 

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