おかまの3兄弟
面接官はその履歴書を見て首をひねった。
性別の欄だ。男と女のど真ん中、何もないところに○が書いてある。
顔を上げ、目の前で折り畳み椅子に座っている面接希望者の顔を眺めた。
どう見ても男である。
むしろ男にしか見えない、男の中の男のような、男であった。
背が高く、がっしりした体型に、髪は短く切り揃えられ、男らしい黒々としたヒゲが鼻の下を彩っていた。
唇はきりりと結ばれ、眉毛逞しく、目はギラギラとした光を浮かべている。
名前欄には『坂本竜毅』と、しっかり男の名前が記してある。
「性別欄、へんなところに○がしてありますが……」
面接官は苦笑いしながら、訊いた。
「男性ですよね?」
「いいえ、私は『おんこ』です」
坂本竜毅は野太い声で、意地を張る勢いで言った。
「男でも女でもないのです! ゆえに、性別は『おんこ』と称しておりますっ!」
いかにもガテン系の仕事に向きそうな、その逞しい胸筋を、呆れたように眺めながら、面接官は『こりゃダメだ』というように、首を横にふるふると振った。
長男、坂本竜毅は27歳。
兄弟のため、今日も職探しに出掛け、また落とされた。
♂ ♀ ♂ ♀
ありふれたワンルームのアパートの六畳間に、古めかしい鏡台が置いてある。
リサイクルショップで二千円で買った黒ずんだ漆色のその鏡台の前が、乙女のお気に入りの場所だ。
引き出しを開け、口紅を取り出す。蓋を取り、ひねると、出て来た芯の色はピンクベージュだった。
鏡の中に入り込むように顔を寄せると、乙女は唇をその色に染める。
む〜、と唇を口の中に引き入れて、上下をこすり合わせ、ぱっ!とかわいい爆発音を立てて唇に馴染ませる。
綺麗についた。指で輪郭をぼかしながら、乙女はうっとりと笑う。
しかし唇だけを見ていた目を、自分の顔全体に移すと、泣きそうになった。
まん丸い、小さなオッサンみたいな若い男の顔が、鏡の中から自分を見つめていた。
「なんで……あたし……こんな顔なんだろう……」
手で顔を覆い、さめざめと泣く。
「こんなあたしじゃ藤森くんに好きになってなんて貰えない……っ!」
乙女こと次男、坂本みちるは22歳。
今日も繊細な乙女の心が傷ついていた。
♂ ♀ ♂ ♀
繁華街は不景気に負けず賑わっていた。
ギラギラとした光の中で、一際ギンラギラの派手な光に包まれた城のような一軒の店がある。
その出口で、艶やかなライトグリーンのナイトドレスに身を包んだアイドルのような女の子が、中年の男性客を見送っていた。
「じゃーね、スーさん。またお店来てよね。約束ですよっ?」
「ハヤちゃんがいるからまた来るよー、絶対」
「わっ、嬉しいっ!」
ハヤちゃんと呼ばれた女の子は小躍りすると、両手を伸ばし、客の手をしなやかに触った。
愛嬌たっぷりに顔を横に倒し、唇をキスの形に尖らせ、長いまつげを揺らしてウィンクすると、離した片手を小さく振る。
「待ってるからねー! ばいばい」
長い茶色の髪を柔らかく揺らし、小顔にコロコロとした笑顔を浮かべて客を見送ると、お姫様のように店内へ戻って行く。
接客ホールを横切り、控室に入るとハヤちゃんは、ソファーにどっかりと音を立てて座った。コロコロと笑っていた小顔からは殺気のようなものが漂っている。脚をテーブルの上にドカッ!と投げ出すと、タバコを吸い始めた。
「ったくよー……。キメェんだよ、ハゲ中年オヤジがよー……。テメーなんかカネ持ってなきゃ、ただのオヤジ狩りの対象だっつーの……!」
愚痴をこぼすハヤちゃんに、前から待機していた明らかに女装した男が、笑いながら声を返す。
「ハヤちゃん、カワイイから人気あっていいわねぇ〜。羨ましい」
「俺は好きでやってんじゃねーんだ。俺はフツーに女の子が好きなオトコなんだよ、バァーカ」
ハヤちゃんはライトグリーンのナイトドレスの裾をまくり上げ、トランクスのパンツを露わにしながら、タバコの煙を吐いた。
「カネが要るからやってるだけなんだ。ムカつくけどこれが俺の才能だからな!」
ハヤちゃんこと三男、坂本早矢斗は二十歳。
今日も業界トップに君臨するゲイバーで、一番人気の座に君臨していた。
♂ ♀ ♂ ♀
3兄弟がアパートの六畳間に集まった。
赤い卓袱台を真ん中にして、長兄の竜毅が上座に座る。
「すまん……。今日も面接、ダメだった……」
2人の弟にぺこりと頭を深く下げた。
「どうも余計なことを言っちまう。性別がオトコだなんて、嘘でも認められんのだ。男でも女でもないのはアタレの誇りだから……」
「『アタレ』って一人称からやめろよ」
三男の早矢斗がツッコむ。
「そんな特殊な言葉遣いしてっから世間に色眼鏡で見られんだ、あんちゃんは」
「世間が悪いのだ」
竜毅はきっぱりと言った。
「おかまの一人称を用意していない日本語が、あるいは悪いのだ」
「『私』でいいと思うよ?」
次男のみちるが遠慮がちに発言する。
「あたしは心が女の子だから自分のこと『あたし』って言うけど、あんちゃんは男でも女でもどっちもないんだから」
「アタレに『私』は似合わん」
竜毅が口をへの字に結んでぶすっとする。
「女なら『アタシ』、男なら『オレ』が似合うキャラなんだ。足して割って『アタレ』を使うしかないだろ」
「まあ、どっちでもいいけど、とりあえずカネは俺が稼ぐからさ」
早矢斗が面倒臭そうに言う。
「あんちゃんはゆっくり仕事、探してくれや」
「あたし……、大学やめる」
みちるが言い出した。
「あんちゃんは高卒だし、ハヤちゃんは自分で稼いだお金で専門学校行ってるのに……、あたしだけ優雅に大学通ってるのは……申し訳ないよ」
「みちる」
竜毅が怖い目を優しくした。
「アタレら3兄弟の中で、頭がいいのはお前だけだ。アタレは力バカだし、ハヤは遊び人だし」
「遊び人じゃねーよ!」
早矢斗が一言抗議した。
竜毅がみちるにかける言葉を続ける。
「大学をきっちり卒業して、いい会社に就職して、それからでいい。アタレらに恩返しをしてくれるのは。別にそんなことを期待してるわけじゃないけどな。お前はアタレら3兄弟の期待の星なのさ。お前を立派な人物にしてやるのが、あんちゃんとしての務めだと思ってる」
「ありがとう……」
みちるが頬を紅くして頭を下げた。
「あたし……、頑張るね」
「母さんと……親父達のためにも、兄弟力を合わせて頑張って生きて行こう」
そう言って竜毅は仏壇の上のほうに目をやった。
部屋の奥に仏壇があり、その上に四つ並べた額の写真が並んでいる。
左から母、竜毅の父、みちるの父、早矢斗の父の遺影である。
母は何の特徴もない人だったので、兄弟はそれぞれの父親の特徴を受け継いだ。
竜毅の父は着物姿で男らしい顔を笑わせている。みちるの父はマメコガネみたいな小さなオッサンだ。早矢斗の父はスーツを着込んで美女とも見間違うほどの美貌を微笑ませている。
「まあ、メシにしようぜ」
そう言うと早矢斗がビニール袋を卓袱台の上にどん!と置いた。
中身はバイト先のゲイバーから貰って来たオードブルだった。唐揚げ、やきそば、オマール海老のソテー、フライドポテト等々。貧しげな六畳間に似つかわしくない豪華な料理の数々。
「ハヤちゃん……、いっつもありがとうね」
みちるがウーロン茶をちびちびと飲みながら、お辞儀をした。
「こんな豪華なごはんがいっつも食べられるの、ハヤちゃんのおかげだよ」
「たくさん食べてデブになれよ、みちる」
早矢斗は缶ビールを呷ると、からかうように笑う。
「お前の好きな藤森くん、もしかしてぽっちゃり専だったら振り向いてくれるかもしんねーぞ」
竜毅が熱燗片手に叱りつける。
「こらっ! 早矢斗っ! お姉ちゃんのことを呼び捨てにするとは何事だっ!」
早矢斗がさらにからかう。
「ねーちゃんじゃねーよ。こんな小さなオッサンみてーな姉ちゃんいるかよ。けっけっけ」
みちるの頭の上に『ガーン』という書き文字が浮かぶ。
「俺の顔とスタイルをみちるが持って産まれて来てたら幸せだったろーな」
早矢斗は美女の顔をキヒヒと笑わせる。
「ま、俺はみちるの外見いらねーけどな!」
みちるは自分の白いシャツの袖を『きいいっ!』と悔しそうに噛むと、よよよと泣き崩れた。
「神様の考えてることが、本当にわからん」
竜毅がぽつりと言った。
「なぜ、女の心を持つみちるに、どう見ても男の姿を与え、男の心を持つ早矢斗に美女の外見を与えたのか……。いやそれ以前に、なぜアタレら3兄弟、揃っておかまになってしまったのか……」
「俺はおかまじゃねえっ!」
早矢斗がふんわり茶色のロングヘアーを揺らして抗議する。
「おかまバーでバイトしてるくせに」
みちるが逆襲した。
ぎゃんぎゃんと口喧嘩を始めた弟達から逃げるように、竜毅は立ち上がると、浴室へ歩いた。
「食事が終わったらすぐに風呂に入れるようにしておいてやろう」
そう言いながら、昔ながらのボイラーのスイッチをカチカチとひねる。
「……ム?」
カチカチと音はするが、火が点かない。
「……壊れたか」
そういえば少し前から調子が悪かった。
竜毅は2人の元へ戻ると、威厳のある野太い声で、言った。
「銭湯へ行くぞ」
♂ ♀ ♂ ♀
「銭湯なんていつ振りかなぁ」
タオルと着替えを入れたスーパーのビニール袋を振りながら、早矢斗が楽しそうに言った。
早矢斗はウィッグを脱いでいた。それにグレーのスウェットの上下なのだが、それでもショートカットの女の子にしか見えない。
夜空はよく晴れ、くっきりとした輪郭の半月が空に浮かんでいる。
3兄弟は肩を並べ、団地の横の歩道を靴音を鳴らして歩いて行く。
「楽しいね、こういうの。みんなで入る風呂なんて、本当に久しぶり」
みちるがウフフと笑う。
「早矢斗が小学校3年生ぐらいの時に……確か、みんなでスーパー銭湯に行った」
竜毅が懐かしそうに顔を笑わせる。
「アタレは高校1年生だった。性の芽生えに、顔を赤らめて、タオルで必死に前を隠していたなあ……」
そのうちに銭湯の高い煙突が見えて来た。昭和の香り漂わせる、昔ながらの銭湯だ。
「それじゃ、また後でねー」
そう言いながら女湯ののれんを潜ろうとしたみちるを2人が引き止める。
「バカかっ! みちる!」
早矢斗が兄の頭をタオルでどつく。
「お前がそっち入って行ったら大騒ぎ間違いなしだろ! 警察呼ばれてーのか? ちっとは自分の小さなオッサンみたいな見た目を自覚しろ!」
3人揃って男湯ののれんを潜り、中へ入ると番台のおばちゃんに止められた。
「こっち男湯だよ。女の子はあっち!」
「あ。俺、男の子ッス」
早矢斗が男にしては高めの声で言いながら、頭を掻いた。
「はあ? こんな可愛らしい男の子がいるもんかね! だめだよ、あっちから入って」
「まあ、確かに。早矢斗なら、チンコと胸さえ隠せば女湯に入れるな」
竜毅がそう言って考え込む。
「いやいや。俺のチンコおっきしちゃったらマグナムだぜ? 隠しようがねーよ」
早矢斗の言葉にみちるが顔を真っ赤にしてうつむいた。
「何言ってるの、この子ら。ほら、お嬢ちゃんはあっちだよっ」
しつこくそう言う番台のおばちゃんに、早矢斗はスゥエットのズボンとパンツを同時に、勢いよくめくって見せた。
「ほれっ!」
愕然とした表情のまま固まってしまったおばちゃんの前にお金を置くと、3人は中へ入って行った。
「ひゃあ〜……。ひゃあ〜……」
おじさんやおじいちゃん達が全裸でいる脱衣所で、みちるは固まってしまった。
「お、男の人の裸が……いっぱいだあ……」
壁のほうを向いて動かなくなってしまった。
服を脱ぐことも出来ずに、もじもじしている。脱いだところでみんなと同じものがついているだけだというのに。
そんなみちるのことにはまったく気づきもせずに、おじさんもおじいちゃんも、入って来た早矢斗を見て固まっている。
「あ」
視線に気づいて早矢斗が全員に断った。
「俺、男ッスから」
そう言ってスゥエットの上を勢いよく脱ぐと、膨らみのない胸が現れる。
「うお」
「うおおー」
「うおおっおおーー!」
おじさんもおじいちゃんもみんなが興奮した声を上げた。中には手を合わせて拝み始めたおじいちゃんもいる。
「アタレら、現代日本に適応して生きて行けるのだろうか……」
竜毅は呟きながら着物を脱ぐ。
赤いふんどしに背中の刺青がきらめいた。
ふんどしを脱ぐと、その股間についているものは、何もなかった。