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9 掃除人ギルベット

「その、あまり根を詰めすぎないで下さいよ」

「あ、ありがとうございます」


 メリイさんが、書類仕事をしていた俺の前に紅茶を出した。爽やかな良い香りだ。フルールで買ったのだろうか。嗅ぎ覚えのある匂いだ。味も良い。これで上品な菓子でもあれば尚のこと良いのだが。


 そう思っていると、メリイさんの後ろから一人の老紳士然とした人が現れて、にこにこ笑いながら紅茶の横にケーキを置いた。


「昼間に買っておきました。皇帝にも献上された菓子だそうで、中々並びましたよ」

「ギルベットさんも、何時もありがとうございます。言ってくれれば俺が並んだのに」

「気遣おうとしている側が気遣ってどうするんですか」


 やれやれと肩をすくめるその所作は大変似合っている。いかにも熟練の執事といったその風貌は、しかし執事には不釣り合いなほど体躯が研ぎ澄まされており、腰に下げられた細長の剣からもこの人が戦闘を専門にしていることを窺わせる。


 そうなのだ。この人は我らが騎士団特局の六騎士が一人、掃除人のギルベットさんである。何でそんな二つ名が付いたのかは知らない。掃除が得意だからだろうか。確かにギルベットさんは掃除所か家事も洗濯も得意そうである。


 ちなみに、並み居る雑務や手伝いの人々を置いて騎士が六人だけということになっているのは、そうしないと戦闘の義務が生じ、死傷率が格段に上昇するためであるという。そのため今の所、騎士だけの死傷率は連日0のままである。そこに雑員の数は加えられないのが局の闇を窺わせるが。


「ああ、確かに美味しい! 生地にアネットの実を砕いて混ぜているんですね。実に香ばしい。クリームも甘すぎず、舌に残らない。ついつい手が進んでしまいます」

「私もこの店は気に入っていましてね。メリイさんもどうぞ、休憩しては?」


 そう言ってギルベットさんはメリイさんにもケーキを勧めるが、何故かメリイさんは顔を青ざめさせている。


「そ、そっか。紅茶には、菓子が必要でした。私は、そんな気遣いも出来ず、恥ずかしい……」

「気にしないで大丈夫ですよ。紅茶だけでも俺は嬉しかったです。その心遣いが何より嬉しかった」

「そ、そうですか……」


 メリイさんは俺の言葉に勇気づけられて顔を上げたが、その表情にはまだ心残りが残っているようだ。全く、戦闘時にはあれ程凜々しく冷静だというのに、平時ではこうもおどおどとしているのだから、不思議である事この上ない。


 そうして俺達は束の間の休憩を楽しんだが、やがて時間が来た。俺達は無言に剣を取り、立ち上がった。


「それでは、行きますか」


 ギルベットさんが何時もと変わらぬ調子でそう言い、メリイさんが鎧を身に纏い静かに頷いた。俺はと言えば、何時ぞやのようにフードを被り、杖とお飾りの剣を携え、緊張に心臓を高鳴らしている。


 今日の狙いは大物だ。組織の一人を狙うのではなく、遂に全体として決起した組織そのものを壊滅させる。だからギルベットさんとメリイさんが付いてきているのだ。


 いや、ギルベットさんとメリイさんの仕事に俺がついて行っているのか。ともかく、常の仕事より格段に難しく、そして危険に満ち溢れていることには変わりない。


「キサラギ君、杖は持ちましたか? 剣は? 魔力回復薬は? 魔法の準備は出来ていますか?」

「全く以て大丈夫です。大丈夫じゃないのは決意だけですかね。不安です」

「それならよろしい」


 よろしくないでしょ、と言いたかったがギルベットさんは既に歩き出していた。その後にメリイさんも続き、俺も続いた。


 帝都の夜は今日も騒がしく、俺達はそれに背を向けて闇を進んだ。あらかじめ騎士見習い、という名目で、あらゆる雑務を請け負ってくれている人達に整えて貰った道なりは静かで、人影一つ見当たらない。常ならば警戒すべき道も悠々と進むことが出来る。


 しかし俺の心は安まらなかった。これから鉄火場に臨むのだ。それも、俺の実力では対処しきれない戦場へ向け、自分から向かっている。


 俺は先を行く二人の背を見つめていた。メリイさんの実力に疑うところはない。一般的な騎士の鎧に身を包んだ姿だが、その実力は一般から傑出している。剣戟の速度は目で捕えられず、放たれる雷炎も凄まじく敵を圧倒する。俺ではまるで敵わない超一流の人だ。


 しかし、ギルベットさんはどうなのだろうか。疑うわけじゃないが、俺は彼が戦っている姿を見たことが無い。メリイさんと一緒の研修期間を三日で終えてからはずっと一人での仕事だったので当然だが、その年齢で戦うことが出来るのだろうか。


 他の騎士の人達が一目で強者、それに狂人と分かるのに対して、ギルベットさんの物腰は実に穏やかだ。他の騎士のように性格が破綻していない。いい人である。その優しさが、今はちょっとばかし不安である。


 しかし、そんな不安は杞憂に終わった。敵アジト内部へと侵入を果たした俺達が見ることになったのは、物の見事な虐殺だった。


 この日のために作ったのだろうか、広い一室の壇上で決起の声を上げる組織のボスに、音も立てずに近付いたギルベットさんは、無言のままにその首を切り裂いた。


「な、あ……!」


 呆気にとられ反応を返せない人々へ向け、彼は作物でも刈るように剣を振るう。細長の剣が異様に長い範囲で首を刈り取り、血飛沫が舞った。


「う、うあああああ!」

「誰だてめえ! 何処の組織の奴だ!」

「てめえら逃げるな、戦え! ぶっ殺すぞ!」

「待て、あいつは……!」


 一気に室内は混乱の絶頂を迎えた。出口へと殺到する人々を押し留めたのは、俺とメリイさんの二方向から放たれる炎魔法である。事前に見張りを倒し、位置を手に入れたこともあり、こちらからは狙い放題だ。特に難しくはない。ただ扉へと近付こうとする人々へ魔法を飛ばすだけの作業だ。


 俺は寧ろ、ギルベットさんの剣技に見入っていた。逃げ出せぬと気が付いた人々は、彼へ向け様々な反撃の剣や魔法を繰り出すが、その尽くがすり抜けていくかのように避けられていく。


「遅いですね、ええ。弱い弱い」


 代わってギルベットさんの剣は見事に首を狙い撃ち、床へと倒れ伏させるというのだから、相手にとっては絶望がそのまま現れたようなものだろう。たった一人の相手を崩せず、味方の戦力だけが削られていく。余りに一方的だ。それに彼は思い切り笑いながら殺戮を繰り広げている。怖っ。


「無理ですよあんなの勝てるわけがない! ここは逃げましょうよ!」

「ぐ……! しかし、そうだな。あっちの方が楽そうだ」


 そんな声が聞こえた。ギルベットさんを倒すのは無理だと悟ったのか、今度はこちらの方へ魔法が集中し始めた。


 俺は慌てて姿を隠したが、黙ってこのまま隠れているほどではない。メリイさんが支援に魔法を打ってくれているが、俺一人でも解決できるのだ。


「接続、眼下の魔法群」


 俺は意識を集中させ、今まさに帰来しようとする幾多もの魔法へ向け魔力を向けた。防ごうというのではない。それを手に入れようというのである。


 何でも、俺の魔法操作技術は傑出しているらしい。そうロイスさんに褒められたことがある。「魔力量は普通だが、魔法を描くだけならかなりのものだ。叩き込んでやる」と言ってよく分からない魔法までかなりの量を覚えさせられたのは大変だった。しかし、そのおかげでこんな芸当が出来るようになった。


 俺の眼下に帰来した魔法は途中で捻れ、曲がり、中空に留まった。その魔法群は一塊を成し、呆然とした顔に影を落とすほどにまで巨大化している。危険視し、落とそうと放たれた魔法までもが取り込まれ、その光球は怪しく輝いた。


 これが、俺の魔力量がそんなに多くない事を理由に開発した、だったら相手の魔法を利用しようの魔法である。局の仕事は激務であり、一日に何件も対処していればすぐ魔力が尽きてしまうからだ。


 ちなみに特に魔法名はない。何せ、これは魔法ではないのだから。「接続」と言ったのは、意識のスイッチのようなものである。詠唱の際、長々と述べるのと同じようなものだ。


 貯め込める限界にまで膨張した魔法球は、人一人分の直径を成し、そのまま地に落ちた。爆発させることも出来るが、それでは間近に居る俺が被害を受けてしまうし、目視も難しくなってしまう。


 混沌とした魔力の奔流が縦横無尽に床上を駆け巡る様は、一見波打ち際で溺れているようである。しかしその実、経路も方法も滅茶苦茶な、本来形を成さないはずの魔法が身を焼くという恐ろしい現象だ。これは相手が魔法を使えれば使えるほど効く。その意識を混乱させるのだ。


「いいですよキサラギ君! さあ死になさい!」


 そう言ってギルベットさんは足が止まった人々を次々に刈り取っていく。そうして粗方を殺し尽くし、今日の仕事は終わった。




「本当にこんな所にいるんですか?」

「聞き出した言葉が真実ならば。それにここは、人が隠れるには打って付けでしょう」

「そうですかねえ。暗いし汚いし、俺ならもっと明るくて綺麗で豪華にしますけどね」

「隠し部屋が豪華である訳がないでしょう……」


 俺達は始末を終えた後、アジト内の奥まった部屋の床下に隠されていた階段を下っていた。何でも、壇上で演説していたのは影武者で、本当のボスはこの下に隠れ潜んでいるらしい。


「あ、いや。どうやら俺と同じ考えらしいですよ。ここから壁紙が貼られています。明かりの装飾も金で揃えられて、気を使っていますねえ」

「むう……」


 メリイさんは理解できないとも言いたげに呻いたが、誰だって住処を快適にしたいと思う筈だ。おかげで随分歩きやすくなり、俺達は前方と後方を気にしつつ狭い道を進んだ。

やがて一つの部屋に行き着き、俺達は立ち止まった。中から声が聞こえてくる。


「おい、どうした。急に騒音が聞こえてきたが、何か不慮の事態があったのか? やはり隠れていて良かったな。しかし、解決したんだろう? 何せ私の組織はザブザの兵を取り込み更に拡大し……」

「残念ながら人違いですよ」


 そう言うとギルベットさんは扉を蹴り飛ばし中へと入った。俺達も続き入れば、そこには豪華絢爛に整えられた一室があり、その中央では金赤の荘厳な椅子に腰掛けた小太りの男が煙草を吹かしていた。


「ここ地下なんですけど、空調の整備とか大丈夫なんですかね」

「そんな事を言っている場合ですか……」

「な、何だお前達はっ!」


 俺の疑問には答えてくれず、男は壁へと掛けられていた、これまた装飾が多分に盛られた黄金の剣を取ろうと手を伸ばしたが、しかしその手はギルベットさんの抜刀により切断され、床へと転がった。


「ぐ、が、ああああ」

「さて、質問に答えて貰いましょうか」


 ギルベットさんは首元へ剣を突き付け言った。


「ここの空調はどうなっている? 煙草の煙が充満するのでは?」

「な、何を……」

「質問に答えなさい」

「ぎゃあっ!」


 ギルベットさんは先程切断した手首の先をまたほんの少しだけ切り飛ばした。丸く切り裂かれた手首の肉は、ハムか巨大なソーセージの断面のようである。


「そ、それは、気圧差だ。地下室は熱が籠もるため、定期的に換気のパイプを開けることで風を呼び込むことが出来るんだ……!」

「成る程お」


 俺は納得した。道理でそこまで煙草の臭いが染みついていないと思った。


「よろしい」


 ギルベットさんは再び剣を突き付けた。


「これは、デモンストレーションです。貴方が従わなければどうなるか、よく分かったでしょう? あなたはどんな質問にも答えなければならない。それがどんなに些細なことでも逐一話すのです。良いですね?」

「う、ぐ……分かった……」

「しゅ、趣味が悪い……。それは建前でしょう……」


 メリイさんが密かに呟いた。

 それからギルベットさんは真面目な質問を繰り返した。俺にはよく分からなかったが、多分重要なことなのだろう。聞き覚えのある組織の名前が何度も交わされていた。


「それで、俺をどうするんだ」


 男は唾を床に吐きながら言った。


「これは、違法だぞ。てめえら騎士団か。鎧姿で押し入りやがって。ただで済むと思うなよ。その醜聞撒き散らしてやる」

「法を破る側が法を嘯くとは、滑稽ですね」

「うるさい! 何だてめえは。俺が拷問されている横で部屋を漁ってんじゃねえ! その剣を返せ!」

「えー」


 俺は握っていた黄金の剣を口惜しく見つめた。とても見事な造形である。是非腰に下げて街を歩きたいと思ったのだが。


「キサラギ君。その剣はこの男の所持品として余りに有名だそうです。それならこちらにしておきなさい。防御の宝石ですよ。二回だけですが、確実に致命的な魔法の攻撃を弾いてくれるそうです」

「わあい」


 ギルベットさんは男の首元から宝石を引き千切って俺に渡してくれた。深い青色をした大粒の石は、仄暗い地下室でも絢爛に輝いて見える。男は悔しそうに宝石が離れるのを見つめていたが、突然神妙そうな顔をし、目を細めた。


「……キサラギ? てめえ、キサラギだと? あの、裏切り者のキサラギか! てめえ!」


 どうやら男は俺のことを知っていたようで、突然声を荒げた。メリイさんが飛び入って間に入ってくれたが、しかし再びギルベットさんに剣を突き付けられると押し黙り、そして更に顔を神妙に深めた。


「……待て、キサラギが居るということは、お前らあの人狼共か? まさか、だとしたら、お前、まさか……!」


 男は顔を青ざめさせ、ギルベットさんを見やった。


「お前、まさか、掃除人ギルベット……! そんな、そんな、だとしたら、俺は……!」

「はい、正解です」


 ギルベットさんはそう言うと男の首を切り飛ばし、血飛沫を上げさせた。狭い室内に血の臭いが充満し、思わず俺は鼻を摘まみつつ言った。


「空調のスイッチがある場所を聞きそびれましたね」

「確かに」

「…………」


 メリイさんが、呆れ果てたような目で俺達を見つめていた。


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