6 転職しよう!
しかし、なら何故黙っていてくれたのかと言えば、それは先の会話からも見えた、彼らなりの矜持や美学といった物に由来するのだろう。そして、それが脅かされようとしているからこそ、彼らは幹部であるギールさんにも敵意を隠そうとしていないのか。
「……もう、そんなのが許される組織じゃねえんだよここは」
ギールさんが、聞き分けの悪い子供を諭すようにそう言った。
「俺達の結社は、余りに大きくなりすぎた。統制が必要なんだ。一人一人が意識を持って結社への恭順を示さなけりゃならねえ。そういう段階になっているんだ。お前らも、結社にとっては重要な立場なんだ。身を弁えろ」
「てめえ……。それが結社全体の、ザブザの意思かよ」
「ザブザ様と呼べ。これからはな」
「……呆れた。これじゃ官僚と何も変わらないじゃないか。犯罪者集めて、王様気取りか」
笑わせる、とザッドさんが唾を吐いた。それをギールさんは見咎めるように鋭く睨んだが、何も言わず、ただ眼光で語るに留まった。
彼は瞳でこう語っていた。『態度を改めなければ、次はない』
「……それじゃあ、キサラギ。お前はさっさと金を持ってくるんだ」
「一つ聞きたいんですが」
と俺は言った。
「もし金を返したら、ザブザさんはドレッドさんがしてくれたように、一角牛のステーキやデガッタ地方産のワインを奢ってくれますかね?」
「……ああ勿論、同じ物を喜んで送ってくれるだろうさ」
そう言うと、ギールさんは踵を返してアジトへと帰っていった。と、その途中振り向いて、言った。
「ああ、後、その杖も返せよ。それは護衛の奴から盗んだ物だろう」
それだけ言って、ギールさんは去って行った。後には剣呑な雰囲気だけが残され、ザッドさんとドレッドさんは苦汁を飲まされたような顔を突き合わせていた。
「どうする?」
「どうもこうも……」
ザッドさんは両手を広げ、馬鹿馬鹿しそうに溜息を吐いた。
「もう、終わりですよ。官僚の真似事をしたくてここに来たわけじゃないんです。辞めますよ僕は」
「そうしたいのは俺もだ。だが、許してはくれないだろうな。辞めるというなら、刃向かうだけの覚悟がいる。……キサラギ、お前はどうだ」
と、二人は俺の方を見た。
「キサラギは留まるでしょう。心証も良いだろうし。金を返せば、その地位は安泰だ。ザブザが直々に目を掛けてくれるとギールは言っていたじゃないですか」
「いや、俺も辞めようと思いますよ」
「え?」
ザッドさんは意外そうに俺を見た。ドレッドさんも不思議そうな顔をしている。
「俺はてっきり、もう心を決めたもんだからあんな質問をしたと思ったんだが」
「あの答えに全てが現れているんですよ」
俺は溜息を吐きながら言った。
「俺はギールさんに一角牛のステーキとデガッタ地方産のワインを奢られました。それだって高級ですが、しかし、最高級品というわけじゃない。結社のボスという面子からして、それ以上を奢ってくれるのは当然だというのに、同じ物とギールさんは言った。つまり、待遇は今と何ら変わらないと暗に言っているんですよあの人は」
そもそも、ザブザさんが俺に目を掛けているという言葉さえ怪しいのだ。
ギールさんは、あくまで送ってくれると言った。奢ってくれるのではなく、送ってくれる。つまり、わざわざ同席する価値すら無いと言っている。
「ここにいても、もう金を貯めることは出来ない。会社に勤めているのと同じですよ。成果は結社に吸われ、全体の利益となってそこから給料が配分される。これならまともに働いた方が良い。少なくとも、捕まる危険を冒してまでやることじゃない」
俺は冷静に今自分が抱える物について思案していた。俺が今持つ物の中で最も重要な物、それは力だ。魔法を放つことが出来るという力が、俺が手に入れた物の中で一番重要だ。それは誰にも奪われることのない、確固とした力である。これを更に突き詰め大きくしていくことが、今の俺が目指すべき事だ。
そして金は、一番重要ではないが、一番大きな力だ。白金貨十五枚という大金は中々手に入る物では無い。
異世界に根を下ろし始めたこの時期に、大金を得ることが出来たのは幸運だった。これが有ると無いとでは、今後の方針はまるで違うことになるだろう。贅沢をする、ということではない。金を使って、一番重要な自分自身の力を高めることが出来ると言うことだ。
これから魔法を覚えるに当たって、他の魔法使いから教えを請うことが多々あるだろう。その際に金は必要だ。単に教授料としてではなく、コネ作りや話を通すのにも金は不可欠だ。俺の力を増すために、金は多すぎるということはない。
そういった前提の上で、金を失った上で手に入れられる今後の生活と、金を手にした上で追われる身になるのとを比べれば、後者の方が、格段に利がある。
「決めましたよ。俺もここを辞めてみせます。勿論、金を手にした上でね。誰がなんと言おうと俺の下にある以上、あれは俺の金だ。誰にも渡すもんか」
俺とザッドさんとドレッドさんは、互いをじっと見つめていた。俺達の顔には決意が溢れていた。それを確認し合い、俺達は無言に握手を交わした。
「それで、どうするかって話だ」
俺は考え倦ね、ぶらぶらと街を歩いていた。
「結社の力は凄まじい。兵力も、財力も、権力も、たった三人で崩せるものじゃない」
今思えば、ギールさんは優しかったのだろう。あれは忠告だ。本来俺は裏切り者として即刻損切りされてもおかしくない立場だ。それを助けてくれたのは、牢屋からの伝言を届けてくれたという恩か、それとも面子からか。
ともかくも、あの人は一応道を示してくれたのだ。恭順の道、安寧の道。しかし、それを俺は断ろうとしている。俺にとって余りに得が少ないからだ。
「だからといって、命まで失っちゃあどうしようも無いよなあ」
俺は無意識に喫茶店フルールへと辿り着いていた。以前食いそびれた葉形の菓子と紅茶を頼み、甘味を存分に味わうも、心は晴れない。
「……浮かない顔をしていますね」
背後からテーブルに影が差した。メリイさんの声だ。デーデンを捕縛してから数日ほど会っていなかったが、上手くやったらしい。
「メリイさん、無事だったんですね。いやもう凄い悩んでいて……ってあれ?」
振り返って声を掛けたが、その顔は酷く浮かない物だった。それに加え、彼女の背後に見知らぬ人が付き添っている。いや、その人が付き添っているというよりかは、メリイさんがその人に付き従っているような雰囲気だ。
深い皺が刻まれた老婆の顔は、一種の特権的な尊大さをありありと示している。身につける衣服も高級である事を隠さず、寧ろ盛んに喧伝しているようでもある。
「その人は?」
「この方は……」
「あんたがキサラギって奴かい」
異様に力強い声が老婆から発せられた。思わず背筋を伸ばしてしまいそうになるほど凛としたその声は、細い身体のどこにそんな力があるのかと疑問に思うほどだった。
「はい。如月恭司、16歳です」
「16ねえ……」
老婆は何かを確かめるように俺をじっと見つめた。俺も彼女をじっと見つめた。人に見られて目を逸らすというのは失礼だからだ。
暫くの無言が場を包んだ。俺としては相手が何かを言ってくれるのを待っていたのだが、相手が何も話してくれないので口を閉じている。別に沈黙は苦ではないのだが、ただ不思議だった。なんでこの人はそんなに鋭く睨んでいるのだろう?
隣に侍すメリイさんが可哀想だった。彼女は沈黙に慣れていないのか、顔を青くしたり赤くしたりと落ち着かないでいる。額から、汗まで流れた。仕方が無いので、俺は言った。
「……そんなに食べたいなら、一口どうぞ」
「はあ?」
「あ、一口だけですよ? そんなに睨んだって一口以上は上げませんからね。ちゃんと自分で払って下さいよ」
こんなことを言って、失礼だったろうか? しかし俺にはこの位しか睨み付けてくる理由が分からないのだ。俺はこの人と会ったことなど無いし、それならこの皿上の菓子に心奪われたという方が納得できる。だって、俺はこの人に何一つ責められるようなことをしていないのだから。
「は、はははは! まさか、まさか、冗談だろうね? この私が、乞食だって? そう言いたいのかいあんたは」
「ええ、冗談です。すみません」
俺は素直に頭を下げた。やはり失礼だったか。しかし、そうなると更に理由が分からなくなる。何故メリイさんは更に顔を青ざめさせているのだろう。
「す、す、すみませんコーカリウス様! 私の友人は、性格がとても破綻しているんです!」
「いや、いいさ。この位で丁度良いのさ。あんたもそう思うだろう?」
「俺は真面目な方ですよ」
「ああ、それでいいさ。そういうので良いのさ私達は」
老婆……コーカリウスと呼ばれたその人は、何か勝手に納得したように歪んだ笑みを浮かべながら席に着いた。俺の正面だ。
え? 何だこの人。なんでいきなり俺の正面に座っているんだ。
「こ、この方はロイス・コーカリウス様です。くれぐれも! 失礼の無いようにして下さい。……キサラギさん、いきなりこんな事になってすみません。本当にすみませんが、どうか失礼の無いように……!」
「どうも、ロイス・コーカリウス様だ。よろしく」
あっ、この人、物凄く性格が悪いな。メリイさんが言った敬称をわざと引用して言いやがった。
テーブルの上に置かれた手が、試すように広げられている。五本の指にはゴテゴテとした指輪がそれぞれに付けられており、その石の大きさと輝きも相まって、相手を威圧させようとする意思が感じられる。
「はあ、よろしくお願いします」
俺は困惑しながらその手を取った。がっしりと固まった掌は、まるで老人の物とは感じられない。この手は、戦闘を生業とする掌だ。ドレッドさんの手によく似ているが、それを更に何十年も突き詰めたような感じだ。
ロイスさんは力強く俺の手を握り、殆ど潰すように力を込めてくる。いや、痛いな。
「痛いですよ」
「そうか、痛いか」
そう言うと、ロイスさんはぱっと手を放し、またにやにやと笑った。何がしたいんだこの人。
「それで」
ロイスさんは目をギラギラと輝かせて言った。
「凄く悩んでいるって? 教えておくれよ。何に悩んでいるのかをねえ」
俺はメリイさんの方を見た。彼女は震えた顎先で頻りにロイスさんの方を示している。どうにも話してくれという意味らしい。
見知らぬ人にいきなり悩みを話せとは、交友の深め方としてはちょっと重すぎやしないか? まあ、話せるなら良いか。今は話したい気分なのだ。
しかし、話す前に俺はどうしても言わなければならないことがあった。俺はやれやれと溜息を吐きつつ言った。
「喫茶店に来たら、まずは注文するのがマナーでしょう。メリイさんも立たせたままじゃ可哀想です。座らせてあげましょうよ」
「な、わ、私は大丈夫です! ……キサラギさん、何を言っているんですか……!」
「いや、いいさ。お前も座りな」
ロイスさんは異様に歪んだ笑みを浮かべつつ言った。
「そうさね、状況は整えなくちゃならんね。両者の立場を同じくしなくちゃならない。そうしなけりゃ、話は出来ないか」
「ええ、座り心地が悪いでしょう」
俺も笑って言った。店員さんの訝しむような目が心苦しかったのである。ファミレスで、ドリンクバーだけで何時間も居座った時を思い出させる目だった。