5 成功と破滅の危機
「お前、何処の組織の奴だ? 誰に雇われた。使い捨ての下っ端でも、それくらいは分かるよな」
ドスの効かせた低い声で、集団の一番前にいた男は言った。
口振りから、彼らはデーデンの組織に属する者達らしい。一様に目を鋭くさせて、フードに身を隠した俺を怪しげに、いやもう殆ど俺が襲撃者と決めつけて殺してくるような目付きで睨んでいる。まあ本当に襲撃者なんだけどさ。
それにしても、不味いな。十数人か。道は塞がれて、逃げれそうにもない。
かといって後ろにはデーデンとアジトがあるし、メリイさんだって俺を置いたまま逃げはしないだろう。あの人は、そういう人だ。だからこそ、手早く俺は今の状況を切り抜けなければならない。
そういう意地がある。掛ける迷惑にも、限度ってもんがあるだろう。
「おい、なんとか言ったら……」
「サンダーボルト」
「うぎゃあっ!?」
一番前に居た男が雷を受け吹っ飛び、後ろの数人も纏めて地面に転がった。
よし、良いぞ。落ち着け。集中しろ。彼我の距離は五メートル程。飛び道具のある俺の方が有利なんだ。この有利を崩さずいけば、勝てる!
「サンダーボルト! ファイアボルト! サンダーボルト!」
次々に魔法を放っていくが、修練が足りないのか、中々狙いが定まらない。当たれば先の男のように気を飛ばして痙攣させることが出来るが、当たらなくてはどうにもならない。その隙に、彼らはナイフを手にして怒声を上げながら向かってくる。
「落ち着け、落ち着け……」
そうだ。落ち着け。狙いを良く定めて……いや、違う。
使い始めたばかりの魔法で、動く人間相手に当てられるものか。最初の一発は、相手が油断していたからだ。俺に的を当てる才能は無い。なら、魔法を魔法と思うな。
これは、凶器だ。ナイフと何ら変わらない、人を傷付け脅すための武器だ。なら、使い方もナイフと一緒だ。ドレッドさんの言葉を思い出せ。
「武器は前過ぎず前に出す! サンダーボルト!」
「っずうっ!?」
今正にナイフを抱え飛び込もうとしていた男が、雷を受けもんどり打って転がった。
よし、近付けば、狙える。リーチの差が俺の有利になる。五メートルではない、せいぜい二メートルの距離が俺に出来る限界だ。
だが、リーチの差という物は絶対的だ。男達も果敢に突っ込むのをやめ、狼狽えたように距離を取っている。びくびくと焦げ臭く痙攣する仲間を横目で見ては、怯えたように目を逸らしている。
「凶器で付けた傷は、そのまま怯えになる……」
すうっと杖を相手に向ければ、忽ちの内に身を躱し、姿勢を崩した。そこへまた一つ魔法を放つ。綺麗に光線が貫いた。
「上下関係を刻み付ければ、後はこちらの思うがまま……!」
俺は自分から歩み出し、狼狽える敵方へ向けて炎を放った。当てる気は元より無い。しかし、顔を至近に掠める炎の光線は肌を、髪を焼き、彼らの多くをへたり込ませた。
道が、見えた。彼らに塞がれていた逃げ道は今、ぽっかりと暗闇を広げている。後はそこへ向かって飛び込めば良い。
「っ! 黙って逃がすわけにはあああ!」
勇猛な一人がこちらへ向かって飛び込んでくる。
「サンダーボルト! ……あれ」
魔法が出ない。切れた? 何かが尽きたような感覚がある。
あ、魔力切れって奴かこれ。随分乱射していたからか。
「でもそれ今あっ!?」
「このおっ!」
「ひいっ!」
ギリギリでナイフを躱したが、次はどうだ。多分、無理だ。相手の目は未だ恐怖を覗かせているが、次第に冷静になって何故魔法が使えないのかに気が付くだろう。そうしたら、今度来るのは一つの斬撃じゃない。囲まれて、袋叩きにされる。
なら、はったりを噛ませ! あと一つ、脅かすだけで良い。打てる手立ては……あった!
「フラッシュ!」
「うあっ!?」
振りかぶったその顔へ向け、至近距離で光球を浴びせた。男は目を閉じる暇も無く真正面から莫大な量の光を浴び、そのまま力なく倒れた。
「フラッシュが魔力消費の少ない魔法で、良かったあ……」
と、感慨にふけっている場合ではない。今すぐ逃げ出さなければ。
そういえば、背後からは何の物音もしない。俺が苦戦しているのを見て、メリイさんが予め片付けてくれたのだろうか。凄いな。ならなんで何時もはあんなに自信なさげなんだろう。
そんな事を思いながら、俺は必死になって逃げ出した。
「デーデン、捕まったってね」
そんな話を聞いたのは、ザッドさんからだった。
俺達はその日、朝焼けに包まれた街の一角で煙草を吸っていた。夜の取引監視の仕事を終え、そのままずっと数字の調整を行っていた物だから、こんな時間になってしまった。
ザッドさんは眠そうな目を眩しそうに細めながら、世間話としてデーデンの捕縛を語った。
「捕まって、あいつの組織は混乱しっぱなしみたいだよ。元々強力なリーダーに依存したところだったからね。あれはもう、無理かな。結社は搾り取れるだけ搾り取る、って事も無いようで、知らぬ振りを決め込むらしい」
「どうしてですか? その方が得なのに」
「そうした方が得だからさ。面子だよ。わざわざ死にゆく奴らを追い詰めるようなのは、偉大な結社の姿には相応しくないって事さ」
ザッドさんはばふばふと煙を吐きながらつまらなそうに言った。
彼の専門は、詐欺だ。言うなれば、今否定した「死に行くのを追い詰める」というのが、彼の生業なのだろう。だから面白くなさそうな顔をしている。そうやって噂話を集めていたのも、自分の手慣れた分野で成果を出したかったからなのだろう。
「視点が違うって事なのかねえ。何だか最近、そういうことをよく感じるぜ」
ドレッドさんも、眉間に皺を寄せながらそう呟いた。
「毎日毎日、数字を数えて、取引の現場を監視して、性に合わねえ。俺達がやっているのは官僚の真似事だ。悪事じゃない。俺達は仕事だけを見りゃ、至極真っ当なことをしている。数字が正しく管理されているか、取引が正しく行われているか……。全く、正しくだって? はっ! そんな言葉を口にする羽目になるとはな」
「……辞めるんですか?」
俺がそう言うと、ドレッドさんは思いのほか真剣に考えているようで、目を細めながら首筋を撫でた。
「首があって辞めることが出来るんなら、そうするんだがな」
「そう、ですね……。僕も、どうにも何だか、まともに働いていたときのようです」
ザッドさんが新しい煙草に火を付けつつ言った。
「数字の管理、取引の管理。後ろ暗さで言えば何ら変わらない」
「……官僚だったのか?」
「下っ端ですけれどね。それが嫌で、もういっそと思い、この道に進んだんですが」
ザッドさんは、ふうと煙を長く吐いて、呟いた。
俺としては、今の待遇に不満はなかった。悪事に手を染めているという不快感はあるが、毎日旨いものは食べられるし、金も貯まる。それに、この立場では様々なことを学ぶ事が出来る。曲がりなりにもあの路地で逃げ出すことが出来たのは、他ならぬドレッドさんの教えがあってのことだ。
その上、と俺は懐に忍ばせた杖の感触を確かめた。
この盗んで手に入れた杖があってこそ、俺は上手く魔法を放つことが出来る。聞けば、これは戦闘用の中々上等な杖らしく、かなりの値段がするらしい。あの状況、この立場でなければ手に入らなかった、俺の生活基盤を支える大事な物だ。
だからこそ、俺は二人が結社から逃げ出そうとも残る腹積もりであったのだが、しかしその決意を翻させるものがあった。
それは、結社の建物近くに屯していた俺達を呼び止める声だった。
「よお」と俺達に声を掛けたのは、最近この結社でもかなりの立場、幹部級だと判明した、ギールさんだった。
彼は親しげに手を上げつつこちらに近付いてきたが、本来ならば、そんな風に下に阿るような立場では無いのである。だからこそ俺は頭を下げつつ疑念を抱えていたのだが、想像通り、彼は俺にとって嫌なことを言ってくれた。
「キサラギ、以前の取引で消えた金、お前が盗んだんだろ。不問にしといてやるから、返しな」
バレた……! どうする。逃げ出すか。しかしアジトに近い。追っ手の数は余りに多い。ここは大人しく金を返すか。不問にすると、そう言っている。
だが、そうやって俺が煩悶している間に、ドレッドさんが荒々しく声を上げた。
「はあ? あの金は結社の金じゃないだろうが。薬は結社に帰って、損はしていないだろう。あれはこいつの手柄だ。なんで結社に寄越す必要があるんだよ」
「そうですよ」
ザッドさんも煙草を消し、言った。
「あれは手柄ってもんです。自力で手に入れた物は自分のもの、そういう慣習だったでしょうが。それに、本当に取り返したかったなら何故事態を報告した時点で言わなかったんです。今更、後になって、壊滅したデーデン側からの情報が入ってきたからの判断ですか」
「騙された側が悪いってのは、常識だぜ。何うだうだ言ってやがるんだ」
「お前ら……」
ギールさんは苛立ちを表わすように靴で地面を数回叩いた。その態度に、二人は今にも怒声を浴びせそうである。
しかし、その緊張の雰囲気以上に俺は聞かねばならぬ物があった。
「えっ、と。気が付いていたんですか? 俺が金を取ったって」
「当たり前だろう。薬だけ取って帰ってくる馬鹿が何処に居る。俺だってそうするわ」
「嘘は上手でしたけれどね。しかし、状況が分かり易すぎますよ。あの状況で、君が殺されるのは確実だった。そこから生き延びたと言うことは、何らかの異変が起きてあの騎士が去ったということしか考えられない。なら、君の下には薬と金が残されたということになる。後は、ドレッドさんの言うとおりです」
俺は赤面した。うわ、恥ずかしい。見抜かれていたのか。流石、年期が違うということだろうか。