44 皇帝と娘
メリイさんとエイン君は、俺を引っ張って皇帝の前に座らせた。
「父様っ! どうか、瞳を開いて下さい! 貴方のために、一人が命を賭したのです。全て父様の責任だというのに、貴方はまだ目を覚まさぬお積もりか!」
「……父様。……不義の子、貴方がお捨てになった子の、メリイです。ですが、今はそんな恨み言も吐きたくないのです。今は、ただ、貴方に責任を問いたい。皇帝として、命を賭した者の回復を、貴方はすべきなのです!」
二人は項垂れる皇帝の前に立ち、叫ぶが、目を覚ます気配は無い。それでも尚二人は叫ぶ。一方で、俺としては、何だか気乗りしなかった。そりゃあ腕は生やして欲しいが、事態の元凶である皇帝に頭を下げるというのは、釈然としない物がある。
「た、しかに、皇帝なら、腕を生やすのも造作も無いことでしょう……」
ふと、倒れ伏していたギルベットさんが、血を吐きながらそう呟いた。
「あ、生きていたんですね。エイン君、回復してあげて」
「私を回復させて、どうなると……? 殺しなさい。それが、私の望むことです」
「はあ……面倒臭い。ねえ、エイン君……」
俺が再び声を掛けると、二人はキッと俺を睨み付けた。
「貴方は、貴方の回復よりも、貴方を傷付けた者の回復を優先するというのですかっ! この……馬鹿! 馬鹿ですよキサラギさんは! 何でそう、無頓着なんですか!」
「だって、全然目を覚ます気配が無いからさ。先に出来る事をやって貰おうと。ねえ、メリイさんもそう思いますよね。犠牲は少ない方が良いと、城内でもなるべく殺さないようにしていたじゃないですか」
「私は、そうは思いません」
メリイさんが、そう強く言った。
「メリイさん……」
「私は、何よりも、貴方の回復を優先したいんです。可能性とか、そう言うのは、違うんです。希望が少しでもあるのなら、縋りたい。貴方の傷を全て消し去りたい。貴方の顔に、一点の曇りも見出したくないんです。だから、私は、何よりも貴方のことだけを考えるんです」
そう言って、二人とも再び皇帝に向き直った。
参ったな。どちらも手を貸してくれそうに無い。俺は回復魔法なんて使えないし、先の詠唱も、とてもじゃないが真似できそうに無い。あれは、違った。朦朧としていたのもあったが、まるで見えなかった。解析なんて不可能だ。
俺は申し訳なくギルベットさんに向き直った。しかし、彼は何故か、笑っていた。
「は、ははは。これは、とても、良い物を見ました。そうです。そうなのですよ。そう在るべきだ。無様な敵の死に体よりも、愛しい者の傷を優先すべきだ。メリイ様。エイン様。二人とも、立派に成長なされた。自分の中に、確固とした天秤を築けている。それこそ、皇帝足るものの器に相応しい。このギルベット、その選択を、祝福いたしましょう」
「まあたよく分からない勝手な理論ですか。少しは自分のことも大事にしては?」
「ははははは……! それは、私が言いたい言葉ですな……」
ギルベットさんは呆れたように呟いた。
「貴方は、やはり、少し自分勝手が過ぎる。今し方、自分の腕を吹き飛ばすに至る原因を作った相手を慮るなど、正気では無い。メリイ様とエイン様の反応は、ごく当然のものなのです。寧ろ、貴方の方が、間違っているでしょう」
「はいはい」
「……貴方は選択によって、自分が犠牲になることさえ厭わない。それが、正しいから……。素晴らしい判断です。ですが、その選択を、よく思わないものもいるでしょう。それは自分が不利になるからでは無くて、貴方が傷付いてしまうからです。貴方を心配する人のことを、もっとよく考えてみなさい。老骨からの、助言ですよ」
「む……」
そう、なのだろうか。少し考えさせられる。だが、それを踏まえた上でも、ギルベットさんを見殺しにするわけには行かないだろう。
俺はギルベットさんの千切れ掛かった衣服を切り裂き、即席の布とした。それを水魔法で湿らせ、血と傷口に付いた汚れを拭い取っていく。
「……聞いていなかったのですか? 貴方は、御二方と同様に、真剣に皇帝に声を掛けるべきです。それを彼女達は望んでいるのです。私何ぞよりも。敗れ去り、正義を無くした、私何ぞよりも……」
「知りませんよそんな事。貴方がどうあれ、俺が生かしたいと思うから生かすんです」
俺は身体に刺さった瓦礫の破片を取り除きながら、呟いた。間違っているとか知らんさ。俺はこうなんだ。生まれたときから、ずっとこうなんだ。
「だって、ギルベットさんは、たった一人で皇帝のために戦ったじゃないですか。迷いながら、苦しみながら、それでも忠義を貫いた。反乱を起こした俺達よりも、余程貴方は、皇帝の事を思っていたんです。それがどうして、名誉で無いと? 褒め称えられるべき人なんですよ、貴方は」
ギルベットさんが、驚いたように目を見開いた。瓦礫を取り除き、血と汚れを拭い去った身体は、酷く鍛え上げられている。何十年を費やしたのだろうか。それだけの年月を、この人は、皇帝のために捧げてきたのだ。
「だが、私は、負けた。天秤として、皇帝の前に、善悪を量る者として存在すべきだというのに、私は負けた。疑ったから、負けたんだ。私は、正しくなど無かった。天秤として、既に終わっていた……」
ギルベットさんは唇を震えさせて、呟いた。だが、俺はその理屈に言いたいことがあった。人間を突き動かすのは、そういった使命でも責任でもあるだろうが、そのもっと奥の方、根本的なところに、重要な物があるはずだろう。
「……貴方は最初から、天秤でも何でも無かったんですよ。貴方を使命に駆り立てていたのは、きっと、皇帝への愛だったんです。多分ね」
「は……」
ギルベットさんは、口をぽかんと開けた。そしてそれは、僅かに笑みの形となった。
「そう、か……。私は、そうだ。私は、私の始まりは、確かに……! は、ははははは! 全く、馬鹿だった! 私は、何て、愚かだったのだろうか! 天秤を気取らずとも、私には最初から、それがあったというのに……!」
笑い声に驚いて、メリイさんとエイン君が振り返る。その表情には焦燥ばかりが積み重なって、事態の好転がまるで見られないと分かる。さて、俺も皇帝に土下座でもしようかな。癪に障るが。
しかしその時、ギルベットさんが叫んだ。
「皇帝よ。皇帝アルフレッドよ! 貴方は目を覚ますべきです! 私は見誤っていた。何も言わず、ただ仕えることだけが本義では無いのだ。私は何よりも、貴方に憧れたからこそここに居るのだっ。貴方の手を、目を、取り戻すために、私は働くべきだった!」
メリイさんとエイン君は目を開いた。そして言った。
「……忠臣の言葉を、耳にしましたか。貴方が皇帝として治世をこなしてきた成果が、今貴方に声を掛けているのです。落日の日なれど、父様にはすべき役割という物があるのです」
「どうか、どうか。キサラギさんを、その腕をっ!」
「救国の勇者に掛ける言葉を、どうか目を覚まし、口にして下さい!」
「ええと、頼みます、皇帝アルフレッド。如月恭司です」
熱意溢れる三人に続いて、俺は拙く自分を紹介した。しかし、皇帝は微塵も動かない。
やはり、駄目かと、そう思ったとき、僅かに声が聞こえた。
「き、さ、ら、ぎ……。ゆう、しゃ……」
「父様っ!」
「おおっ!」
皇帝が、動いた。椅子の手すりに置いた腕が、僅かに震える。ゆっくりと、顔を上げる。
「き、さ、ら、ぎ、か……?」
「はいっ! そうですこの人がキサラギさんっ!」
「あ、はい。どうも」
向けられたその顔は、髭が波のようにうねりながら生えた、老人の顔だった。いや、実際の年齢はもっと若いのだろうが、痩けた頬と落ち窪んだ目が、目の前の表情を死人のそれと同じく錯覚させている。
しかしその瞳は動いている。動いて、俺を捉えている。
皇帝は言った。
「おお、キサラギ・キョウジよ! 女神ハーラーバーに選ばれた、勇者の先遣たる者よ! この私、皇帝アルフレッドが、そなたの道筋を祝福しようぞ!」
「……は?」
ぽかんと、俺は口を開けた。何を言っているんだ。いきなり元気に、笑みまで浮かべて。死にそうな顔とまるで似合っていない。無理矢理動かされているように不気味だ。
「と、父様……? 何を、何を言っているのですか……!?」
「皇帝よ、貴方は何を……!」
「家臣一同よ、この者に協力を惜しむな! この者は、神に選ばれた者なれば、その意に従わざるは神に反逆するも同意と知れ!」
皇帝は、大仰に腕を振り翳して、命じるように部屋中をゆっくりと見た。しかし、その視線の先には誰も居ない。謁見の間はがらんとしていて、一同と呼べるほど家臣は居ないのだ。だと言うのに皇帝は、まるで本当に家臣が並ぶ光景が見えているかのように振る舞っている。
「おお、女神ハーラーバーよ。私は確かに、使命を果たしましたぞ。この者に、永久の祝福ぞあれ!」
そう言うと、皇帝は操り人形の糸が切れたかのように、突然腕を落とした。ぜいぜいと、荒い呼吸を吐いている。その瞳は恨みがましく虚空を眺めている。
「ご、が、は、ああああ……。ハーラーバー! この、クソ女神め。私の死を縛り付けたのは、ただ、これを言うためだけだったのかっ! 何という杜撰な、ふざけた仕事っ! 貴様の言葉で、貴様を奉じさせるな!」
俺達は、理解しがたく皇帝を見つめていた。何を言っているんだ。何をさせられていた? 女神、ハーラーバーと、そう言ったか。
「……何が、あったのですか。父様」
「ああ……エイン! それに、ああ、メリイ! ああ、ああ! 大きく、なった! そして、すまなかった!」
皇帝は、泣きながら頭を下げた。
「私は、間違っていた。私は、身勝手な父だった! 治世の手が、私から外れ、その中に苦しく育っていくのを、私は見ていたんだ。ギムデンの暗躍を、何も出来ず、ただ、見せられていた。だが、手を外れたことで、分かったのだ。私が正しいと信じた、お前達の未来は、全て、お前達を不幸にするだけだった!」
「いま、さら……!」
エイン君が、怒気を滲ませて詰め寄った。メリイさんは何も言わずただ皇帝を見つめていた。それを受けて、皇帝は更に頭を下げた。
「ああ、ああ。取り返しの付かないことは、分かっている。だが、今は聞いて欲しい。私はすぐに死ぬ。いや、死んでいるはずだったのだ。それをハーラーバーが留め置いた! 奴は私を死なせず、生き返らしもせず、この瞬間のために長らえさせたのだ。……キサラギ! そこの、お前なのだろう? 勇者の先遣!」
「え、ああ、はい」
いきなり言われ、俺はたじろいだ。だが皇帝は鬼気迫る勢いで俺を見つめている。俺は困惑しながらその側へと近付いた。
「お前が、そうなのか……! 簡潔に言う。私は、お前に祝福を与えるだけの存在だ。お前が首尾良く魔王討伐に向け基盤を気付くための、礎に過ぎないのだ。臣下達に従うよう命令を下したのも、その一環だろう。勇者の存在を確かにし、国家による後ろ盾で保護する。それだけだ。私が選ばれたのは、大陸で最も巨大な国家であったからと、奴はそう言った。便利だったからと、女神はそう言ったのだ」
「あー……」
通りで、転移した際、俺はこの国の路地裏に立っていたのか。帝国に降り立った勇者の先遣を、皇帝が認めることで、首尾良く基盤を整えると、そう言うつもりだったのか?
「にしては、随分上手く行っていないような。俺がこの国に来たのは、一年以内のことですよ。皇帝が倒れたのは数年前と聞きましたが」
「そうだっ! 奴は、無能だ! 不手際を起こしやがった! 時間のずれ、空間のずれ! 長い間、私は生きることも死ぬことも出来ずに、待ち続けていたんだ。……ギルベット。その間のお前の献身、ありがたかった! 願わくば、これからは私だけに依らず、己が考えでこの国に尽くしてくれ。……見限っても、仕方が無いことだが」
「そんな事はございません! 私は、一層忠義を尽くしこの国に仕えます!」
「そう、か……!」
皇帝は、満足げにそう呟くと、がふがふと籠もった咳をした。それを受けて、心配そうにメリイさんとエイン君が側に寄り、手を当てる。
「……もう、長くない。望み通り、腕を治そう。出せ」
「は、はい」
俺は千切れたままの右腕を出した。皇帝はそれに手を当てた。乾ききった、体温を失った手の感触が、恐ろしく冷たく感じられる。
「最後の教授だ。エイン、しかと見ていろ。メリイも、参考にして役立てろ。……■■、■■、■■■■■■■■■……っ!」
皇帝の声はまるで聞こえなかった。だが、二人には聞こえたのだろう。頻りに頷いて、俺の腕先を真剣な表情で見つめている。柔らかく、暖かな魔力の奔流が、腕先に形を成して、輝いた。思わず目を閉じ、見開いた後には、腕は元の通りに生えていた。
「これを、最期として、受け取ってくれ。私は間違っていたが、確かに、お前達を……」
そう呟いて、皇帝は頭を落とした。
「父様っ!」
「……とう、さま!」
二人が頬に手を当てて、その顔を上に向かせた。皇帝は、柔らかく笑っていた。そして最期に、呟いた。
「神を、信じるな……。キサラギ。古の、勇者の末路を、調べろ。奴は、人間を、お前を……!」
言い切れず、皇帝は事切れた。震えた腕が、だらんと椅子に落ちた。




