43 老いた天秤 3
硬く畳まれた指先が、弾かれたように揃って伸びきる。貫手の格好だ。喉元を狙って、貫こうとする指の形だ。それは確かに空気を切り裂き、俺を絶命に至らしめる……筈だった。
ギルベットさんの指先が、俺の喉元に触れた途端、何かが割れた音がしたかと思うと、不思議にその指先は弾かれたのだ。
「なっ……!」
「えっ、何ですかっ!?」
ギルベットさんとメリイさんが驚愕の声を上げるが、そう言われても、俺にも分からない。ただ、割れた音は胸元から聞こえた。思わず取り出してみれば、深い青色の宝石が、亀裂を走らせながら輝いていた。
「これは……何時だか、ギルベットさんと一緒に仕事に行ったときの……。すっかりアクセサリーとして付けてたから、忘れてた……」
「魔法防御の宝石……! クッ……。万全を期して、魔力を纏わせたことが、仇になりましたか。だが、ならば今度は肉体のみで刺し貫けば良いまでの事!」
「それを私が許すとお思いですかっ!」
メリイさんが、更に腕を振るおうとするギルベットさんへ向けて刺突を繰り出す。剣先は、今まさに伸びようとしていた拳を捉え、停止させた。その隙に俺は距離を取り、空間魔法を放つ。
「詠唱、発生、収束、発動。最下級空間魔法。ハウルトン!」
「発動が遅いのが難点ですなっ!」
杖先から放たれた暗黒は、しかし見切られ、触れること無く躱された。球体はそのまま壁に当たり、絢爛な装飾をごっそりと削る。
「ごめんエイン君!」
「気にしないで下さい。というか、そんな事を気にしている場合じゃ無いでしょう! 心配で叫び出しそうなのに、邪魔になると思って僕は声も上げられないんですよ!」
「気遣いありがとうね!」
「ああ……もう! 姉様!」
「ありがとう。優しいね、エインは」
「ああもう!」
エイン君は耐え難いように拳を振り上げ、強く自分の腿を叩いた。
その間にギルベットさんは体勢を立て直すためか後退し、指を振って血を払った。白亜の床に、血飛沫が飛び散る。
「想定外でした。確実に、これで殺せる物と思い、油断してしまった。……ですが、その防御も、確かあと一回切りでしょう? まぐれはもう、ありませんよ」
確かに、今助かったのはまぐれに過ぎない。あの瞬間、本来なら俺は死んでいたはずだ。だが。
「ですが、まぐれでも、俺は生きているのです。貴方は俺を、殺せたのに殺せなかった。これが事実です。もう一度を容易く狙えるとは思わないことですね。今度も殺しきれないかも知れませんよ?」
「空言を!」
「そうやって簡単に断言してしまうから、貴方は俺達に勝てないんだ。メリイさん!」
「はい!」
俺はメリイさんを呼び、簡単に言葉を告げた。一つ、思いついたのだ。勝ちきれない相手に、確実に勝つ方法を、今の瞬間に、俺は思いついたのだ。
「キサラギさん。それは……」
「やってくれますね?」
「……分かりました! それが、勝機だというのなら」
俺とメリイさんは視線を交わし合い、頷き合った。剣を握る手に力が入る。
「話は終わりましたかね。こちらも、完全な状態の貴方達を倒さなければ意味がないのです」
「ええ、ええ。もう十分に、ギルベットさんをぶっ殺す準備が整いましたよ!」
「決着を付けます!」
俺達は同時に飛び出し剣を振った。当然のようにそれは拳で防がれる。弾かれる。蹴りが飛来し、こちらも防ぐ。魔法を放つが、ねじ伏せられる。
このままでは、正面からでは勝てないだろう。だからこそ策が必要なのだ。ギルベットさんの凝り固まった価値観を粉々に破壊するような、飛びっ切りの奇策が。
「メリイさん!」
「はいっ!」
メリイさんは俺の声に応じ、その剣戟の激しさを苛烈に増した。同時に、後のことなど考えないような魔力消費で魔法を放つ。今度こそ、本当に四十二、いや、それ以上の数を放ちながら、彼女は踊るように斬撃を繰り出す。
「舐められた物ですね! 全力を出した程度で、私が倒せるとっ!」
ギルベットさんはメリイさんの攻撃に完全に対応し、剣を拳に打ち合わせながら、合間合間に帰来する光線の連続を完全に打ち落とし続けている。血を流し、肉を削がれながら、その肉体に疲労の感は無い。寧ろ血を沸き立たせるように笑みさえ浮かべながら、彼は戦闘に没頭している。
まさしく、怪物だ。ギルベットさんは完全に防御をこなしている。これ以上傷を付けぬとばかりに完全に、彼はメリイさんの攻撃に対応している。
だが、その完全さこそ、俺が隙と見た一点だった。
俺はギルベットさんの背に向けて飛び込んだ。それまで剣先のみを向けていた身体に向け、剣を抱え込むようにしながら攻撃を仕掛けたのだ。
ギルベットさんがメリイさんに対応しながら、視線をこちらに向ける。だが、手までは出してこない。この程度の刺突、見え見えすぎて防ぐまでもなく避けられるとの考えだろう。馬鹿にしたような視線が見える。だが。
「貴方は、自分の肉体を傷付けようとしないから、分からないんですよ!」
俺は剣を抱えながら空間を大きく開いた。途端、メリイさんが距離を取り、エイン君と皇帝を守るように側に立つ。それを確認し、俺は空間を引き出した。内に溜め込んだ数多の魔道具が、俺とギルベットさんの間に降り積もってくる。
「これは……!」
「魔法の失敗によって、爆発が生まれる! これだけの魔道具の発動を意図的に失敗させれば、貴方もただでは済まないでしょう!」
俺は剣を捨て、右手に魔力を集約させ、降り来る魔道具全てを掴み取った。全身の魔力を結集させ、意図的に不具合を発生させる。バチバチと異様な音が生じ、空間の一点に力が集約するのが分かる。
「まあ俺は、この宝石があるから、安全なんですけどねえええええ!」
「そうですか。……ホーリーレーザー」
「うわっ!?」
ギルベットさんが振り向きながら指先で放った光線は、俺の胸を打った。パキンと、宝石が完全に割れた音が聞こえた。
「皇帝の雷に憧れた、拙い技量ではありますが……さあ、これで防御は無くなりました。……貴方は本当に、その身を犠牲にするつもりで?」
「キサラギさん! 今すぐそれを投げて下さい!」
メリイさんが叫ぶ。エイン君が目を見開いてこちらを見ている。ギルベットさんは余裕そうな表情で、俺を見つめている。
それを見て、俺は笑った。
「やっぱり貴方には、理解が出来なかったみたいだ」
「なっ……まさかっ! そんな、馬鹿なことを……!」
「っ!? や、止めて下さいキサラギさん!」
言われても、俺は止めない。と言うか止められない。既に右腕に魔力は集約し、凝り固まって、解けないのだ。右腕全体が暴走した魔力に乗っ取られて、爆発物と化している。だが、それで良い。メリイさんには伝えなかったが、この、犠牲を踏まえた上での決着こそ、本来の策だったのだ。
メリイさんは、優しいからね。きっと反対しただろうから。
「さあ……増強、増強、増強、増強、増強! 死んでしまえ! 暴走魔力爆発っ!」
「こんなっ、馬鹿なっ! そこまで、貴方は……!」
ギルベットさんは身を捩って逃れようとするが、しかしその前に閃光が強く瞬いた。目も開けていられないほどの閃光が、俺とギルベットさんを包む。
爆発、した。
「キサラギさっ、あ、あああああああ!」
吹き飛ばされた。俺は床に転がった。考えられないほど痛いが、幸いにも、全身が弾け飛びはしなかったようだ。威力の全てを右腕に集約したのが幸いしたか。だが、魔力を暴走させた代償は高かったようで、全身の穴という穴から血が噴き出して止まらない。
しかし、それでも、爆発させた価値はあった。濛々と煙る粉塵が晴れた先には、ギルベットさんが、息も絶え絶えに転がっていた。爆発を、至近距離で受けたのだ。胸から顔から、血が溢れ出て床に滴っている。あれでは、もう立ち上がれないだろう。
「ははは……。やった。勝った! 万歳!」
俺もまた、立ち上がれないまま、勝利の歓喜に右腕を上げた。随分軽い。見れば、手が無い。肘から指先までがすっかり無くなっていて、千切れた肉から血がどんどん溢れ出している。
それを見て、俺は思った。
「左腕にしておけば、良かったな……。こっち、利き腕だし」
「何を、何を言っているんですか貴方はっ!」
ぼんやりとした頭に、声が聞こえた。視界に二つの顔が入る。メリイさんとエイン君だ。二人とも、必死の形相で、泣いてしまいそうな顔をしている。
「ああ……メリイさん。エイン君。勝ちましたよ。良かったですね……」
「勝ったとか、良かったとかじゃ、無いでしょう! 貴方は、何て真似をするんですか!? 腕が、右腕が、無くなっちゃったじゃないですか! 魔道具で防ぐって、言ったじゃないですか! また、また私に、嘘を吐いたんですかっ!」
「仕方が無いでしょう。メリイさんは……止めたでしょうし」
「止めるに決まってますよ! こんな、こんな事になるなら、絶対に止めました! どうして、こんな事をっ!」
どうしてと言われても、答えは一つしか無い。寧ろ、一つしか答えを出せなかった俺の不甲斐なさが、腕を無くすに至ったのだ。
「だって……あれだけが、俺の考えつく唯一の勝機でした。なら、それを行うのは当然でしょう? それしか無いんですから。時間を与えれば……どんどんこちらが不利になりました。元気な内に近づけなければ決められない。だから、すぐにやる必要があったんですよ」
「本当に、貴方は……!」
メリイさんは、俺の胸元にひしと抱き付き、泣いた。それを慰める気力も無いのが辛いところだ。
「……全身の、魔力を伝う経路が、ズタズタになっています。このままでは、死にます」
それまで全身の患部を仔細に検分していたエイン君が、静かにそう呟いた。
「エインっ……! 治せる!?」
「治します……絶対に!」
エイン君は真剣な表情で両手を俺の腹に当て、瞳を閉じた。ぶつぶつと何事かを呟き、こんこんと湧き水のように溢れ出す魔力が温かく感じられる。
「……閉じよ、戻れ、時を、神、う、絶対の、知るべからず、とむ、無限……いのちを、もどせ」
秘奥はどうした秘奥は。と言いたくなるが、どうにも言葉にノイズが掛かって、途切れ途切れにしか聞こえない。これは本格的に俺の頭が駄目になっているのではなく、どうにもそうとしか聞こえないようである。
これが、秘奥と言うことだろうか。ハウルトンさんが最後に放とうとした呪文と、酷く似ているような気がする。そして、魔法の威力は魔力量と同じく凄まじいものだった。瞬く間に全身の疲労と痛みは消えていき、傷跡も無く治っていく。
「おおー。凄い」
「待って下さいっ! 腕がっ、腕がまだ、治っていません」
立ち上がろうとしたのを止められ、俺は思わず右腕を見た。確かにそこだけ千切れたままだ。所か傷も塞がっておらず、回復が行われたようには見えない。
「このまま戻したら、キサラギさんの腕は無くなってしまいます。でも、僕は、未熟です。無いものは、治せない。元の腕があれば、繋げることも出来ますが……」
「跡形も無く爆散しちゃったね。今はもう部屋の煙か」
「っ……! どうして、どうして僕はっ、もっと真面目にっ、ああ、ああ、何で、僕はあっ……!」
「誰か、他に回復魔法を使える人は、居ないの!? 腕を生やせる人っ!」
「居ません! 僕以上の使い手は、それこそ父様くらいしか……」
メリイさんとエイン君は、額から汗を流しながら必死になって言い合っている。俺もまた、生やせるものなら生やしたい。腕を失ったのは残念だし、落ち込む。どうにかならないだろうか?
その時、メリイさんが、酷く焦燥した顔で呟いた。
「父様……。それしか、ないのでは? 父様に、頼むしか、ない」
「もう何年もまともに目を開けてすら居ないのですよ!? 最初に倒れ伏してから、まるで死んだように、父様は、ずっと、目を開かないんです……!」
「そ、れでも、それでもっ! 他に手段が無いのなら、それしか無いでしょう!」
メリイさんが叫び、その気迫に押され、エイン君も頷いた。




