41 老いた天秤 1
先程の戦いで用意していた剣は全て失われたため、局員の方から新しく剣を貰った。数打ちの、何てことは無い、普通の剣である。
「こちらの戦力を確認しましょう。俺と、メリイさん。両者とも魔法も剣の腕も立ちますが、俺よりメリイさんの方が格段に強い。しかし、それよりギルベットさんの方が段違いに強い。真正面から戦っても、勝ち目は薄いでしょうね」
言いながら、俺は空間を開いた。中にはハウルトンさんから購入した数多の魔道具が犇めいている。
「剣は全て失いましたが、まだこれらがあります。有用な物と言えば、魔力回復の指輪、石化、麻痺その他の状態異常を防いでくれる護符、魔法を発動できるスクロールなんかも、持っていて損は無いでしょうね。後は……」
粗方を取り出した後、不気味な人形が空間に鎮座しているのを見て、俺は目を逸らした。
「これだけです。これだけで、俺達はギルベットさんと戦わなければならない。全く、とんでもないことだ。無理難題も良いところです」
「今、人形が笑っていたような……」
「気のせいです、気のせい!」
俺は直ちに空間を閉じた。俺だって、何だが目があったような気がして怖かったんだ。この場では気にしないことにする。
「では、対策を講じましょう。ギルベットさんの戦い方は、特徴的な物がありません。ただ速く、鋭く、相手の首を切り貫く。得物は細身の剣ですが、それだって偽りの武器とは限らない。本当に面倒な相手です。何故立ち塞がってくるのでしょうかね? 人の迷惑って物を考えてほしいものです」
「愚痴を言いたい気持ちは分かりますが……今は、対策を」
メリイさんはそう言ったが、しかし、俺には分からないのだ。
「無いんですよ、そんなもの。今までを偽っていないとも限らないし、偽っていなくとも、付け入る隙なんてありません。ハウルトンさんのように、長所と短所が分かり易い魔法使いとしての戦いだったら、まだ勝ち筋みたいな物も講じられたんですが」
まあ、あれだって勝ったとは自信満々に言えた物では無いのだが。しかし、そういった実力差以上にこちらが不利になる点があるのだ。
「何せ、戦場は室内です。剣士と戦う際のセオリーとしては、遠距離から大魔法を打ち込み続け、その質量によって押し潰す、と言う物なのですが、城の中じゃそれも出来ませんし、何より相手には人質がいる。近・中距離での戦いを強いられてしまう。だから……」
「だから、本当に真正面から戦うしか無いと言うことですか」
「この魔道具達が、少しでも役に立ってくれたら良いんですけどね」
はあ、と溜息を吐きながら、俺は懐をまさぐった。煙草が吸いたくなったのだ。城内では息つく暇も無かったが、あと一つ、取りこぼせぬ決戦を前にしては、紫煙で心を休ませたくなる。
指先の、極小の炎魔法で火を付け、ほうと白い息を吐く。それをメリイさんが、じっと見つめていた。
「吸いますか?」
「いえ。まだ年齢に達していないので。……キサラギさんだって、そうでしょう」
「そんな法律、この国には無いですよ」
「それでも……常識という物があるでしょう。……思えば、キサラギさんは、何時もそうですよね。常識が無い」
「こんな時に貶さないで下さいよ!」
ばふばふと紫煙を吐き出しながら俺は言った。それを受けて、メリイさんは慌てて言った。
「ほ、褒めているんですよ! 私と違って、キサラギさんは、常識とか、当たり前の物からかけ離れた行動を選択できる人です。それが、強みになっているんだと思います。それが、沢山の人を救う原動力になっているんだと、そう思うんです」
「そう、なんですかねえ……」
思えば、ギルベットさんにも似たようなことを言われた。彼は、俺達が鎧を取りに戻った局の廊下で、確かにこう言ったはずだ。
『貴方は天秤として完成している』
躊躇の無い行動。判断の素晴らしい速さ。褒め言葉と、そう喜んで良い物だろうか。今更ながらに、ロイスさんの言葉が気に掛かる。
「ギルベットさんが死にたがっているって、本当なんでしょうかね。だったら勝手に死ねば良いのに」
「……酷い言い方ですが、私もそれは気になります。でも、ロイスさんが言ったということは、何かしらの意味はあるはずです。私達とは違って、ロイスさんは、ギルベットさんの事をよく知っているようです」
「二人にしか分からない機微って奴ですか。だったら俺達には分かりませんね。大人しく殺す事だけを考えましょうか」
指先に、ちりちりと火の粉が舞う。吸えるところまで吸いきって、俺は煙草の火を消した。
「じゃ、行きましょうか」
「はい。行きましょう」
俺達は、謁見の間へ繋がる扉を開いた。
「ようこそ。キサラギ君、メリイ君。ここが最後ですよ」
ギルベットさんは、何時もと代わらぬ柔らかな声色で俺達を迎えた。品の良い口髭も、微動だにしない直立した姿勢も、普段の姿そのものである。だが、彼が佇む光景は異様だった。
「姉様っ……!」
「エイン……!」
「あっ、皇帝だ。それにギムデンも」
部屋の奥まった中心に据えられたのは、絢爛豪華な王の椅子だ。その上には男が、力なく項垂れて座っている。そのすぐ側の床に座っているのはエイン君である。そして、その近くにふんぞり返っているのはギムデンだ。
「はっ! 不義の子が、神聖な城内に入り込んで、反乱の真似事かい? 滑稽だねえ。これだから、殺しておけば良かったんだ。ロイスの阿婆擦れの犬になって生き汚く過ごしていたと思ったが、これも犬の真似か? 飼い主に従って、わんわん鳴いているのか」
「真似事じゃ無くて、本当に反乱だよ。馬鹿かな?」
「何だ貴様は。私をギムデン・ユーベックと知っての無礼か!」
「うわ。宰相とかの地位じゃ無くて自分の名前を言いましたよ。よっぽど自分に自信があるんですねえ。まあそれも、今じゃ追い詰められて無様ですがね」
「貴様っ! ……おい、ギルベット!」
ギムデンは苛立ちを露わにして顎をしゃくった。ギルベットさんに命令し、俺達を殺そうというのか。俺達は直ちに剣を構え、戦闘に備えた。
「この、馬鹿な若者達を、殺してやりな。じっくりと痛め付けて、生きてきたことを散々に後悔させて、殺すんだ。お前の得意だろう?」
ギルベットさんは無言に剣を抜き、一歩、進み出た。ぴりぴりと空気が張り詰める。一瞬の判断が、戦闘の開始を合図する。
しかし、ギルベットさんは背を向けた。そしてそのまま、ギムデンを切り裂いた。
「なっ、あ、あ! お、お前っ! どういうつもりだっ!」
「な、何を……」
メリイさんが、愕然として呟いた。俺もまた、構えを維持しながら目を見開いた。何をやっているんだこの人は。ギムデンを守っているんじゃ無かったのか。
ギムデンは血に塗れたまま、もぞもぞと芋虫のように床を蠢いた。尊大な言葉とのギャップに、滑稽である。しかし、そんな事を気にしている場合では無い。俺は視線をギルベットさんに戻した。
「……で、これはどういうことなんですか? 何を目的としてこんなことを? ギムデンの味方をしていたのではなかったんですか?」
「元より、私は宰相の味方ではありません。国家の味方です。皇帝を守護することはあれど、宰相までも守る義務は存在しないのです」
「の割には、エイン君も縛っているじゃ無いですか。彼は次期皇帝ですよ?」
「次期皇帝ではありますが、皇帝ではありません。必要とあれば、不穏の芽を事前に摘み取ることも私の使命です」
駄目だ。分からん。この人が何をしたいのかまるで分からない。メリイさんもまた、一刻もエイン君の側に駆け寄りたい気持ちを抑え、ギルベットさんを睨み付けている。
「貴方の言葉はまるで要領を得ません。何が目的か、話して下さい。守護か、それとも反乱か、単なる狂人の戯れ言なのか。その如何によって、我々が向ける態度も異なるでしょう。もしかしたら、叶えられる望みかも知れません。戦わずに済む手段もあるのです」
「……変わりましたね。メリイ君。いや、メリイ・アルスリンド様」
「それは、服従の敬意と取ってもよろしいですか」
その言葉に、ギルベットさんはにっこりと微笑むと、瞳を細めて剣を振った。細長の直剣が、空間さえ切り裂くように鋭く静かに輝いている。
「私には、分からないんですよ。私は確かに、天秤だったはずなのに」
ギルベットさんはそう言って、皇帝の喉元へと剣を突き付けた。俺達も応じて剣を構えたが、しかし、ギルベットさんが笑ったのを受けて手を止めた。その笑い声と、何よりも皇帝の態度がそうさせたのだ。
皇帝は、向けられる剣にもまるで反応せず、依然静かに項垂れていた。
「数年前から、こうなのですよ。皇帝は、死んでしまった。生きながらにして、その機能を止めてしまったのです。なまじ肉体的には生きているからこそ、その処遇が、こうして奸臣如きに利用される。だから私は、分からなくなったのです。これを守るべきなのか。殺した方が良いのではないか、と」
「どう考えても殺した方が……」
おっと、と俺は口を手で押さえた。幾ら邪魔であっても、皇帝はメリイさんとエイン君の父親である。例え一方を捨て、一方の性別を誤魔化して生き方を強制させようとも、この人は二人の父親なのだ。だから……。
「いや、考えれば考えるほど殺した方が良いな。殺した方が絶対良いですよ。手伝いますよ俺も」
「「キサラギさん!」」
「だってさあ……」
メリイさんとエイン君から咎めるように言われたが、絶対殺した方が良いってこんな奴。いや、それを決める権利なんて俺には無いんだけどさ、一意見としては提言したい。
「確かに、私もそう思います。私が私で無く、私と同じ力量を手にしていたのなら、間違いなく殺すでしょう」
「ですよね! だったら今すぐ……」
「ですが、私は私なのです。帝国の掃除人、ギルベットなのです」
そう言うと、ギルベットさんは向けていた剣を納め、恭しく皇帝に向け礼をした。その所作は堂に入っており、まるで隙が無い。礼節としての意味だけでなく、背を向けられたというのに剣を振ろうとすら思わせない程である。直ちに振り返って袈裟斬りにされる未来が見える。
「私は、帝国を守らなければならない。皇帝を、守らなければならない。幼少に、この名を与えられた時に、そう誓った。……私は絶対的に正しいはずだ。私の皇帝を守るという判断は、決して曖昧な物では無いはずだ。そして、正しいなら、私が負けるはずが無い。だからこそ、この反乱が、好機だと思ったのです」
ギルベットさんは、振り返って俺達を見つめた。その瞳には敵意は無く、所か愛おしむような色さえあって、狼狽えさせた。
「キサラギ君。貴方は天秤として完成している。貴方は、決して自分にとって最良の選択を見誤る事は無い。それが、羨ましい。それは、天稟だ。……だからこそ、戦いましょう。比較をするのです。どちらの天秤が正しいのか。どちらの天秤が、より強いのか。……完成された天秤に勝利することによって、私もまた完成されていると、私は間違っていないと、証明できる」
そう言って、ギルベットさんは剣を構えた。しかし戦う前に、俺は言いたかった。
「くっだらない悩みですね! 馬鹿馬鹿しい! いい年こいて、思春期ですか貴方は! 自分の悩みに他人を巻き込まないで下さいよ! そういうのが許されるのはですね、貴方みたいなご老人じゃ無いんですよ。悩みに他人を巻き込むのは若者の特権です! 例えば、メリイさんとかですよ」
「えっ……私ですか?」
「貴方は自分の悩みを解決したくてここまで来たんでしょう。というか、ギルベットさんもいきなり戦おうとしないで下さいよ。死ぬかも知れないんだから、姉妹の会話くらいさせてあげて下さいよ!」
「……姉妹?」
「そうですよ! ……あっ」
言っちゃった。思わず口を噤んだが、しかし手遅れだった。ギルベットさんは、エイン君の顔をしげしげと眺めて、得心がいったように頷いた。
「成る程。……良いでしょう。私の目的はキサラギ君ですが、メリイ様とも比較をしたいのです。何せ、貴方はこのままでは皇帝になるかも知れないのだから。どちらが正しい皇帝なのか、知りたいのですよ」
「気持ちの悪い趣味ですね!」
言いながら、俺はメリイさんに視線で促した。これを最期の会話にさせるつもりは無いが、踏ん切りは付けられるだろう。苛烈なる戦闘を前にして、少しでも心残りは無くしておきたい。




