32 革命前夜 2
「もう、いいんです。キサラギさん。僕はもう、いいんです。何もかもが嫌になってしまった。嘘を吐いて生きる事に、疲れてしまった」
エイン君は項垂れて、首を差し出すように地面を見つめていた。周囲の喧噪の声が小さく聞こえる。俺たちの間には静寂が満ちている。
まさか、女の子だったとは。姉弟ではなく姉妹だったとはな。通りで、よく似ていると思った。
しかし、それだけだった。俺は特に、エイン君が皇子ではなく皇女だったという事実に対して、大したことを思わなかった。嘘、嘘と言ってはいるが、それは先にも言った通り、仕方のない事だろう。今の告白でそれが更に補強された。
生まれから、嘘を吐くことを強制されて生きてきた。ならば悪いのは、彼女本人ではなく親だろう。親が悪い。彼女にそんな人生を課した親が悪い。エイン君は何も悪くない。悪いと思っているのは、本人だけなのだ。
だから俺は、エイン君を打った。軽く、ただ頬に拳を当てるだけだが、それでも打った。意志を込めて。
「え……? と、これは……」
「馬鹿」
「はい……?」
「馬鹿だと言っているんだ。君も、メリイさんも、生まれに捕らわれ過ぎている。どうしてそう、自分が悪いなんて思うんだ。君たちは何も悪くないのに。最初から、君たちは被害者だというのに」
はあー……と俺は長く溜息を吐いた。言いたいことが沢山あった。何でこうも、こうも。生まれというのはそんなに重要なのだろうか。俺には理解できない。きっと、特別な視点がなければ、理解できない悩みなのだろう。義務だとか、責任だとか。絶対に俺には理解の出来ないことなのだろう。
だが、それで苦しんでいては、どうしようもないだろう。苦しんでいるなら、逃げてくれ。逃げて、幸福になってくれ。どうして幸福を望まないんだ。
俺は惑うエイン君を引っ張ってずんずんと大通りを進み、広々とした公園に腰を落ち着けた。
あそこでは、目につく。少女が殴られて良い目をする者はいない。良い目をする者がいるとしたら、変質者だ。余計逃げなければならないだろう。
ともかく俺は、暗い顔をしたままでいるエイン君へ向けて、必死になって弁舌を振るった。
「馬鹿だよ君は。自分から不幸を望んでどうするって言うんだ。何が、殺してくれ、だよ。死んで何がどうなるというんだ。馬鹿、馬鹿。賢く見えて、その実君は酷い馬鹿だ」
「……何とでも言ってください。僕にはもう、それしかないんです。姉様が、キサラギさんが、戦おうとしているというのに、僕は何もしていないんです。今日だって、何かがしたくて姉様と貴方の姿を探していたわけではないのです。ただ……何でしょうね。顔を見たかった。ただ、事態に困惑して、二言三言、会話をしたかった。それだけの理由で、僕は城を抜け出してきたのですよ」
「実に立派な動機じゃないか。不安だったから、顔を見たかった。単純明快だ。親愛がある。どうしてそれを否定する?」
「無意味だからです。全く、無意味です。顔を見て、それで、どうすると言うのです。本当に相手を思うなら、僕は今日、ここに有益な情報を持ってくるべきでした。しかし、僕は持ち出せなかった。怖かったから……。宰相が、というのではありません。僕は、僕の嘘が露見するのが怖いだけなのです。何とも浅ましい、醜い在り方ではありませんか」
埒が明かない。エイン君はとっくに自己評価を完結しているようで、こちらの言葉は雄弁な自己否定によって返されるばかりだ。
きっとそれは、何十年間も彼女の内に溜め込まれていたのだろう。愛を信じようとして、その度に自分で否定してきたのだ。だからそんな、前もって用意してきたように丹念に自分を否定することが出来る。どのようにすれば自分が傷つくかを、彼女は知悉し過ぎている。
「……結局、君は、自分が信じられないのだね」
俺は空を見上げつつ言った。雲一つない青空が長閑に開け、その片隅には豪壮なる皇城が聳えている。いつ見ても立派な建物で、その存在だけで一般の民衆との位置を区別するようである。
エイン君は、空からも城からも目を背けるように、瞳を伏せながら呟いた。
「どうして信じられるというのですか。嘘吐きの、浅ましい、名ばかりの偽りの皇子を、どうして。その醜い実態を一番良く知っているのは、僕自身であるというのに」
「なら、メリイさんは信じられるかい。君のお姉さんが、全てを救ってくれると。救われたくないと思う君もまた、救ってくれると、信じるかい?」
「それは……」エイン君は躊躇いながら呟いた。「やはり、信じられません。姉様は、弱い人です。そもそも、そんな義務を背負うような人ではないのです」
「メリイさんは、変わったよ。いや、本心を出したというべきかな。ともかくも、君の知っているような、何時もおどおどとした彼女じゃない。彼女は自分の意思で君を救おうというんだ。それを空想で否定するのは、傲慢だよ」
「それでも、僕は……」
そうしてまたエイン君は沈黙した。
ああ、全く、面倒くさい。義務だの責任だの、どうでも良いじゃないか。そう思うのは傲慢だろうか? 傲慢だとしても、歯痒いのには変わらない。我慢がならない。何時までうじうじと続けるつもりなんだ。国が亡ぶ、その日までか。
きっとそのつもりなのだろう。彼女はそう在る様に自分を規定してしまっている。ああ、もう、面倒くさいなあ。
もう俺は、面倒くさくなっていた。彼女のこれは、あれだ、思春期というやつなのだ。多分そうだ。その悩みが、どれほど重い背景を抱えていたとしても、後になって馬鹿だったなあと思えるようなことなのだ。まあ、その子供らしい悩みが純粋であるからこそ、部外者の言葉は決して響かないのだが。
全く、真面目だからこうなるんだ。馬鹿真面目だ。もっと遊びを覚えた方がいい。ああ、遊べるなんて環境ではなかったか。親に決められた人生しか知らない彼女。……ああ、ああ、面倒くさい。
そもそも、こういったことに思い悩むのは、俺の柄じゃないんだ。俺はもっと、自由に生きたい。悩みなんて抱えないような生き方をしたいんだ。それが性根によるものか、環境によるものかは分からない。それが幸福か不幸なのか、多分幸福なのだろうけど、それで目の前の苦悩を放っておくつもりもない。
だから俺は、もう率直に言った。
「だったら、俺を信じてくれ」
「はい……?」
エイン君が、突拍子もない言葉に驚いたように顔を上げた。俺だって突拍子もないと思っているさ。だけど、これだって俺の本心なんだ。
「君が君を信じられず、メリイさんも信じられないっていうのなら、俺を信じろ。君は俺を、憧れると言っただろう。だったら、その憧れに賭けてみてくれよ。自分の周りにある邪魔なもの全部をぶち壊してくれるって。それで全部幸福になるんだって、俺を信じてくれ」
ああ、本当に柄にもない事を言っている。他人の思いを背負うなんて、俺らしくない。自由とはかけ離れた行為だ。
だが、それをしたいというのも俺の本心だった。
「俺を信じろ。全てを俺のせいにしてくれ。今までの人生も、これから予期していた人生も、全部俺によって変わるんだって、変わってしまうんだって、そう信じてくれ。これからは、嘘を吐かずに生きていける。メリイさんとも一緒に暮らせる。宰相なんか、一瞬で豚箱にぶち込まれるんだって、そういう希望を持ってくれ。お願いだから、変わる前から、変わることを諦めないでくれ」
無意味な事を言っているなあ。別に、ここで何を言ったって、革命が実行されるのは変わらないだろうに。成功すれば、エイン君だって勝手に幸福になるだろうに。
これは自己満足だろうか? それでもいいさ。ずっとそうして生きていただろう俺は。言ってやりたかったんだ。
エイン君は、ぽかんと呆けた顔をした。その顔が、見たかったんだ。それだけでも満足さ。
「貴方は、本当に……馬鹿、ですね」
「君に言われたくないね!」
ばあしんと、力強く肩を叩いた。エイン君はつんのめって、こほこほと咳を漏らした。
「運動していないからそうなるんだ。運動した方がいい。気が晴れるぞ。まずは走る事から始めたら?」
「は、はは……。運動、ですか。剣でも、魔法でもなく、走るんですか」
エイン君は薄く笑みを浮かべた。そして襟を正し、言った。
「……まさか、貴方を信じろ、だなんて、そんな言葉が出てくるとは思いませんでしたよ。言うに事欠いて、貴方を信じるだなんて、ね」
「何さ。そんなに信じられないっていうのか俺は」
「キサラギさん。自分の来歴を振り返ってみたことありますか?」
エイン君は呆れ交じりに苦笑しながら言った。
「この都市に煙のように現れ、冒険者としてたったの三日間を過ごした後、貴方は詐欺で捕まったんですよ? その後は、何故か犯罪組織に入りますし、その後は、組織を裏切って特殊犯罪対策局と、全く、自由闊達。信頼を置けるようなものじゃありませんよ」
「う……どうやって知ったんだ」
「姉様が教えてくれたのです」
メリイさんめ……確かに話したことはあるけれど。しかし、確かにこうして並べられれば、どうにも奇妙としか言いようがない道を歩んでいるものだな俺は。とてもじゃないが、真っ当な人間の来歴ではない。
「だから、笑っちゃいました。可笑しかったですよ。なんだか、馬鹿らしくなってしまいました」
そう言って、エイン君は立ち上がると、こちらを振り返って笑みを見せた。
「いいでしょう。その、馬鹿らしい人に、全て上手く行くと、空想してみます。まるで、物語のようじゃないですか。風来人が、国を救うだなんて。……英雄にしては、貴方はどうにも、怪しさで溢れていますけどね」
「余計な言葉だ。もしかしたら、俺は本当に、神からの使者なのかもしれないぞ」
「あはははは」
エイン君は可笑しそうに笑った。だから言いたくないんだ。誰も信じてくれないだろうこんな事。
ともかく、俺は満足できた。無意味な時間ではなかった。こうして、目的を新たに一つ、増やすことが出来た。決意も更に固まるというものだ。
「……時に、キサラギさん。怪我をしていますね」
「え、分かった?」
いきなり言われて、俺は驚いた。確かに騎士団長オーウェンに付けられた傷は、未だ癒えぬまま背中に大きく開いている。回復魔法の使い手など中々居なく、公的な機関にも頼れないので今日まで忘れようと努めていたのだが、エイン君にも分かるほどぎこちなかったのだろうか。
「では、服を脱いで下さい」
「えっ、なんで」
「僕は、回復魔法が使えるのですよ。……寧ろ、これこそ皇帝の血族たる証とも言っても良いでしょうね。姉様の雷と同様に、希代の回復の腕もまた、初代皇帝が国を築くに至った所以なのですから」
「へえー」
歴史的な逸話に耳を傾けながら、俺は服を脱いだ。途端、エイン君の目が細まる。
「…………」
「な、なに? 何か言ってよ」
「いえ、綺麗な身体だな、と……。ああ、いや、うん、はい。酷い傷ですね。こんな傷で反乱を企てていたのですか? 呆れますよ。早速治します」
エイン君は誤魔化すように言葉を捲し立てながら、背中の傷に触った。そりゃあ地球はこの世界に比べて食糧事情も豊かだし、戦ったりする必要も無いのだから、俺の身体が、この世界で同年代のそれと比べて綺麗なのは当然だな。
「一応、秘奥なので耳を塞いで下さいね」
「えー。メリイさんは雷の魔法を教えてくれたんだけど」
「……まあ、姉様には秘奥も何も関係ないのでしょうが。と言うか、使えるのですか? 珍しいですね。ですが、秘奥ですので。耳を閉じ、僕の手に身体を預けて下さい」
「分かったよ」
俺がそう言って耳を塞ぐと、エイン君はぺたぺたと傷口を触った。久しぶりに傷の痛みを思い出して眉を顰めるが、しかし直ぐさまそれは消えていった。熱く、煩わしい痛みが、立ち所に消えていった。
おお、凄いと感嘆していると、肩を叩かれた。終わったらしい。自分でも背中に手を回してみれば、傷が綺麗さっぱり消えていた。
「おー……。綺麗に消えてる。ありがとうね」
「いえいえ」
エイン君はそう言って、服を着る俺をじっと見つめていた。他人の着替えが珍しいのだろうか。少し恥ずかしい。
ともかく、これで僅かな懸念も消えた。後は明日に向け、寝るだけだ。
「さ、それじゃあ」
俺はエイン君に、明日までの別れの言葉を告げようとして立ち上がった。しかしその時、俺たちに寄り来る影があった。
「探しましたよ、皇子」
その人は、顔を隠した数人の従者を連れた、いかにも貴族といった風貌の女性だった。
好色の影を隠さぬその顔は、余計な脂肪にぶっくりと膨らんで脂ぎっている。マクニトさんと一見よく似ているが、こちらの方が、何て言うか、邪悪な感じがする。
年齢としてはロイスさんと同じくらいと思うのだが、これは単なる印象だろうか。それにしては、彼女に声を掛けられたエイン君は、露骨に怯えた表情をしていた。
「全く、度々城を抜け出しては遊び惚けるとは、馬鹿皇子も極まる。これでは国の未来も暗いでしょう」
「……申し訳ありません。ギムデン様」
そう言って、エイン君は深々と頭を下げた。一方で、その名前に、俺は驚愕していた。
この人が、ギムデン・ユーベックか。名前だけは知っていたが、顔は知らなかった。そう思うとどんどん邪悪に見えてくる。仮にもこの国の皇子に頭を下げさせて、嘲笑するように嘆息する様など、邪悪の一言では片づけられない表情をしている。
「ああ、全く。血筋ですかね。愚かな皇帝の子は愚か……。下劣な、進退窮まった血の呪いですか。さっさと、死んでしまえば良いのに。何故死なないのか……ま、いいでしょう。今に始まったことではありませんし……。所で、そちらの方は?」
「えっ」
ぎくり、と俺は心臓を高鳴らせた。顔はフードで隠しているとはいえ、怪しまれ、見分されれば、俺が指名手配を受けているキサラギだという事は露見する。誤魔化せるだろうか。しかし、ギムデンの目は冷え切って、こちらを疑わし気に睨んでいる。
逃げ出そうかと、そう思ったその時、エイン君がこれまで聞いたことのないような明るい声で言った。
「ああ、こいつは、僕が今日捕まえた下僕ですよ。あれこれ遊び歩くにも金が必要でしょう。それをこいつに出させてやったんです。未来の皇帝に奢るとは、随分名誉なことをしたものです」
あはははは、と、エイン君は笑ってこちらを見た。しかし彼女は、泣く寸前のような目をしていた。
ああ、これが、彼女が今まで生きてこられた理由なのか。俺は直ちに理解できた。彼女は、性別も、自分の性格までも偽って、何とか陰謀渦巻く宮廷で生きてきたのだ。見れば、拳が耐え難いように固く握られて震えている。嘘を吐いているのが、苦しいのだろう。
だから、俺は言った。
「戦っているじゃないか」
「……はあ?」
「君だって、戦っているじゃないか。そんなに必死になって。だから、気にしないでくれよ」
エイン君は、一瞬だけ表情を崩して、嬉しいような、泣いてしまうような、笑みを見せた。それから振り返って尊大に言った。
「……全く! 何を言っているのでしょうかね。下民の考えることは、高貴な僕には分かりません。さあ、ギムデン様。城に戻りましょう。城の外は楽しいですが、あそこがやはり、僕に一番ふさわしい」
「……ええ。そうですね。全く、これっきりにしてほしいものですわ。下民で満ちた下町は、臭いったらありゃしない。鼻が曲がる。いっそ、焼き払いたいものですわね」
こちらを二度と振り返らず、彼女らは去って行った。後には静かな、閑散とした場に、俺だけが残された。
俺は無言で公園を立ち、買い食いもせず、道を進んだ。大通りを抜け、人気のない、入り組んだ路地に差し掛かり、暗闇に視界が薄ぼける頃、俺は言った。
「出て来いよ。居るんだろう?」
「……驚いたな。ただの市民じゃなかったのか」
現れたのは、先程、ギムデンに付き従っていた従者の一人だった。
気が付くのは当たり前である。俺が何度息を殺して敵地に侵入したと思っているんだ。人の気配には、これでも敏感になったのだ。
「大人しくしておけば、楽に死ねたものを。皇子と親しくなった人間は、皆死ぬことになっているんだとさ」
彼は細身の短剣を抜きながら、面倒くさそうにフードを脱いだ。その顔を見て、俺は驚いた。思わず言った。
「あれ、ギールさんじゃないですか。何やってるんですか?」
フードを脱いで現れた顔は、以前俺が属していた犯罪結社の幹部であり、捕まったはずのギールさんだった。




