31 革命前夜 1
決行を明日に控えたその日、俺は大通りで買い食いをしていた。肉串を貪り、酒を飲み、粉物に舌を火傷しながら、たらふく腹に詰め込んでいた。
何も最後の食事を気取っているわけではない。戦火を巻き起こすことに感傷的になっているわけでもなかった。元より戦闘を起こすのは城周辺と確定しており、いずれにせよ城下は巻き込まれないだろう。そういう威信が、貴族である、或いは貴族だった彼らにはあるのだ。
既に覚悟は決まっている。失敗の恐怖も無い。だというのに一人わざわざフードで顔を隠して城下を練り歩いているのは、単にこの所忙しくて遊んでいなかったからである。
人間には、休息が必要である。メリイさんにもゆっくりと過ごすように言った。彼女はその身分の重要さもあって外出することは流石に出来なかったが、俺は一人でも遊ぶのを楽しんでいた。こういう遊びが、活力を得るには必要だと、マクニトさんも言っていた。彼は今日、二級品の酒を二級品の肴で飲むらしい。それが勝利の美酒を後に味わうのに相応しいのだと。
そんなこんなで方々を練り歩いていた俺だったが、ふと、呼び止められた。
「キサラギさん……」
その声は、いつかの様に路地裏から聞こえた。見れば、そこに立っていたのは、質素な服に身を包んだエイン君だった。彼は不安そうな表情でこちらを見つめていた。
「どうしたんだい、こんな所で! 君は、あれだ。そう気軽に出歩いて良い立場じゃないだろう」
メリイさんが姫であるという事は、その弟である彼は皇帝の息子、つまりは正当なる第一皇子である。以前にもこうして出会ったことがあったが、しかしよくよく考えなくてもその状況は異常である。何をやっているんだろうか。
「それを言いたいのは僕ですよ……。何をやっているんですか。処刑の命令が出ているんですよ? いくら顔を隠したとしても、危険ではないですか」
「いやまあ、危険は危険だけれどさ。それでも心身の休息が一番なんだよ。何せ明日は……」
と、そこまで言って俺は慌てて口を噤んだ。言ってしまっては不味いだろう。幾ら友好的な態度を見せているとはいえ、彼は立場的には俺達と敵対する立場なのだ。
しかしエイン君は、全てを察しているかのように深く溜息を吐き、
「やはり、貴方は、姉様は……。どうして、逃げないのですか。逃げれば、良いというのに……」
そう呟く表情には、陰鬱な憂慮が見えており、耐え難いように伏せられた瞳には、深い憤りの念が見え隠れしていた。
ああ、彼は、どうも分かっているらしい。こちらが革命を企み、国家を揺るがそうとしていることを。しかし、それを理解した上で尚、捕縛の意思も見せず、所か、周囲に俺を捕縛するための人員の影も見えないのは、どうしてだろうか。
「どうして貴方は、姉様を説得なさらなかったのですか。貴方ならできたはずでしょう。僕以外に信頼を見せる姉様など、見たことは無かった。貴方なら、姉様を、こんな国に関わらせずに、安全な地へ出立させることも出来たはずです。姉様に、国に関わる責任など、無いというのに」
「ああ」と俺は呟き、そして思った。
彼は単純に、メリイさんの事が心配だったらしい。そして、革命に対する敵愾心も無いと見える。所か、現状の国に対する敵愾心で満ちている。
「それは、メリイさんが望んだからだよ。確かにメリイさんには責任なんて無い。だけど、他ならないメリイさん自身が望んだのさ。国じゃなくて、君とお父さんを助けたいってね」
「はあ……本当に、姉様は……」
そう呟いて溜息を吐いた。余り嬉しそうではない。本心から、メリイさんの事を慮っているようだ。
「それに付き合う貴方も貴方ですよ。それこそ貴方には、義務も責任も無いというのに」
「まあ、確かにね。……いつまでもここで話していても変な目で見られるし、食べながら話そうか」
「いや、僕は……。それに、貴方だって……」
「いいから、いいから」
俺は周囲の目を気にして渋るエイン君を連れ出して、大通りで買い食いを続けながら事のあらましを語った。最初に追っていたツーリガンのその実情。騎士団副団長から聞き出した処刑命令。メルテストとの協力。冒険者雇用による騎士団対策……。
詳らかに語ったのは、少しでも彼の陰鬱な表情を柔らげんとしたためである。彼の不安は、恐らくは、メリイさんの身の危険に由来している。反乱を起こそうなど、正気の沙汰ではない。国一つに寄せ集めの組織が勝てるものかと、彼はそう思っている。
俺だってそうだ。だから俺なりに方々手を尽くしたのだ。
「未熟だが、道筋は開けているんだ。メリイさんは君を思っている。そのために行動しようとしている。だからさ、そんな暗い顔をしないでくれよ。君だって、現状を憂いているんだろう? なら、良いじゃないか。全てが上手く行くと、願っていてくれよ」
俺は努めて明るく言った。しかしエイン君の顔は晴れない。
「……確かに、薄い警備の手をそれだけの戦力で突けば、突破口も開けるでしょう。父上は、いや、宰相殿は、余りに敵を作り過ぎました。市民には気取られなくとも、宮廷中にその悪評は轟いています。城の中からも、反乱に応じるものは現れるでしょう」
「なら……」
「しかし、やはり姉様が関わるというのは、反対です。姉様は、こんなことに関わる義務はないのです」
無理矢理手に取らせた肉串を、固く噛み締め飲み込み、彼は冷たくそう言った。
「……メリイさんは、あくまで自分の為にやるって言うんだ。君がどうとかじゃなくて、メリイさんがやりたいからやるんだよ。君が反対していたとしても、メリイさんは城に向かうよ。それが彼女のやりたい事だ。彼女は君たちを救いたいのさ」
「しかし、それでも、僕は……」
「何故なのさ。何で君はそう暗い顔をして、反対するんだ。君だって現状を憂いている。そしてメリイさんは先頭に立ってそれを解決しようとしている。何処に反対する理由があると」
俺は呆れつつ言った。全く姉と同じだ。意固地で、悲観している。同じ父親から生まれたとはいえ、その環境はまるで違うというのに、何故なのだろう。
エイン君は、その言葉に耐え難いように瞳を伏せつつ、呻くように声を漏らした。
「……僕は、そんな、救われるに足る人間ではないのです。……キサラギさん。僕は、嘘吐きなんですよ。」
そう言って、エイン君は食べかけの肉串を俺に押し付けた。
「僕は、ずっと嘘を吐き続けて生きてきました。この肉串、以前は美味しいと言いましたが、嘘です。とてもじゃないが、こんなもの、食べられない。ネズミの肉と聞いて、吐き出しそうになったんですよ。今も、やはり耐えられません。僕はいつも嘘ばかりを吐き続けている」
彼は嘲笑を浮かべながらそう言った。自らを嘲る、物悲しい笑みを浮かべていた。
「姉様と仲が良いように見せていたのだって、嘘なんですよ。本当に姉様を愛していたなら、ちゃんと、皇帝の娘として、立場を回復してあげるべきだった。なのに、僕はそれをしなかった。僕は怖くて、嘘を吐いていたんです。宰相が、怖くて、僕は何もしなかった。言葉だけの親愛を嘯いて、それで満足していると、自分にも嘘を吐いていた」
「僕には救われるに足る資格なんてないんですよ。僕は、僕はね、淫売の子供なんです。姉様の母君に嫉妬して、ようやく孕んだ子供を盾に、彼女を宮中から追いやった、淫売の子供なんですよ。所かあの女は訳の分からぬ嫉妬と怨嗟で、その娘が血を継ぐ事実を許さなかった。姉様が今、処刑まで下されてしまったのは、元を辿れば僕のせいなんです。僕が生まれてしまったから、姉様は、存在の意味を剥奪されてしまった。生まれてきた意味さえ失ってしまった」
「そんな女に親としての愛情など、抱けるものですか。ずっと嫌だった。僕の生誕を切っ掛けに、そんな酷いことが起きたという事が、ずっと許せなかった! だけど、だけどですね、僕はそれでも嘘を吐き続けたんですよ。母親に、媚びを売って、求められる子供足ろうと嘘を吐いたんです。生まれて初めに覚えたことが、嘘を吐くことだったんですよ。どうかしていますよこんな奴」
「あの女が死んだ時だって、僕は泣くことが出来たんです。悲しくないのに、悲しい振りをすることが出来ていた。そうと意識してもいないのに、無意味に涙が流れ出た。それを、求められていたから……ですよ」
エイン君は、泣きそうな目をしながらそれを語った。だが、泣いてはいなかった。彼は乾いた目をしていた。環境に擦れ切って、全てに慣れてしまった顔を、慣れざるを得なかった顔をしていた。
「それで?」
俺は言った。エイン君は目を見開いた。
「……話を聞いていましたか? 僕には救われる価値などない。一番手っ取り早いのは、僕と父上ごと、この国を司る血統を絶やしてしまう事です。貴族たちは、それを望んでいるはずです。姉様に義務はありませんが、僕と父上にはあるのです。国をよくする義務、国の舵を取る責任が。それが満足に成されていない今、どうして皇位の保証が成されるというのでしょう。姉様に救ってもらう意味などないのです。僕たちは、宰相と同じく、その首を並べられ、晒されればいいのです」
「それをしたくないからメリイさんが立ち上がったんじゃないか。話を聞いていないのは君の方だ」
「ですから! 僕には救われる資格なんてないと言っているんです! 宮廷を支配する宰相を恐れ、父の危機にも何もできず、ただ媚び諂うばかりであった僕を、どうして断罪してくれないのか。愛なんて、嘘だ。嘘なんですよ。僕は姉様を真に愛していなかった! 姉様は、僕を愛してくれたというのに……!」
興奮に、頬を赤くして、汗まで流しながらエイン君は語った。いかに自分が醜い人間であるか、いかに救われてはいけない人間であるかを、饒舌に語った。
それはきっと、彼が十数年間溜め込んできた、本音であるに違いなかった。嘘を吐き続けてきた人生で、初めて発した心の底からの言葉だった。だからそんなに必死なんだ。だからそんなに、汗を流している。常の上品な様相は崩れ、ただの子供の様に、必死になって叫んでいる。
俺はそれを哀れに思った。エイン君は、子供だ。子供が駄々をこねている。捻じ曲がって、悲壮に暮れた子供が、涙を流せないまま泣いているんだ。
「……キサラギさん。貴方なら、きっと、分かってくれるはずです。貴方は、姉様のように優しくはない。貴方は、国なんかどうでもいいのでしょう? 姉様に協力したくて、それだけの理由で手を貸しているに過ぎない。立派な信念も、責任感や義務感も無い。自由ですね。憧れます。だから、お願いですから、僕を殺してくださいよ」
「いやだね」
俺は間髪入れずに言った。そんなことを許して溜まるものか。
彼は、メリイさんとよく似ている。自分を卑下して、救われるべきではないと思っている。それが、苛つくんだ。彼は自分の人生を過ごしていない。それが彼には許されなかった。
しかし、それでも、望むべきではあるだろう。人間とは、そう在るべきだ。誰だって幸福を望み、不幸な今から逃れたいと思うべきだ。それに縛られていては駄目なんだ。義務と責任を語るというなら、人間には誰だって、幸福になる義務と責任と、権利があるんだ。
俺の言葉に、エイン君は声を荒げた。
「どうしてですか! どうして、姉様には協力するのに、僕には協力してくれないんですか。僕だって、困っているのに、どうして姉様だけ……ああ」
そう言って、彼はまた嘲笑を浮かべた。
「ほら、また一つ嘘が露見しました。僕はですね、嫉妬していたんですよ。僕だって、友達なんかいないのに、どうして姉様にはこんなに良い人が隣にいるんだろうって、初めて会ったときに思ったんです。酷いでしょう。求められる弟の正体は、こんなものですよ。幻滅したでしょう。こんな姿、見せたくなかったのに」
「いいや、幻滅しないさ」俺は言った。「仕方がないと俺は思う。君は、仕方がなかった。そうだろう。生きるためには、それを抱え続けなければならなかった。仕方がなかったんだ」
「……何が、仕方がない、ですか」
彼は歪んだ笑みを見せて、俺を睨みつけた。
「良いでしょう。飛び切りの、最悪の、裏切りの証明をしましょう」
そう言うと、彼は俺の片手をむんずと掴んで、自らの胸へと押し当てた。
俺は驚愕に目を見開いた。指先に感じた感触は、柔らかかった。薄いが、とても男のそれではなかった。
「分かったでしょう? 僕は、本当は女なんですよ。生まれた時から、男であると、嘘を吐くことを強制されてきたんです。その方が、あの女が生んだ子供に勝っていると、母は得意げに話していました。父もまた、それに気が付いていながら、受け入れました。……僕だって、生まれを祝福されたわけではないのです。寧ろ、初めから、望まれてはいなかった。僕が生まれて、初めに聞いた声は、落胆の溜息だったんですよ」
その時、彼は……彼女は、ようやく涙を流した。




