3 危険を乗り越えた先の危険
しかしその時、騎士の頭へ向け、青白の光芒がくるくると飛来した。
光芒は攻撃するでも無く、ただくるくると回り続けていたが、騎士は慌てたように狼狽えて、躊躇しながら剣を仕舞った。そしてそのまま、俺に背を向けて何処かへと駆けていった。
「助かった、のか」
ふう、と息を吐いて、俺は腰を落とした。と言うより、腰が抜けてしまった。
「ああ、全然何も出来なかったなあ」
折角ナイフの使い方を習ったのに、全然活かせなかった。悔しいなあ。しかし、生き延びることは出来たのだ。ドレッドさんも言っていたじゃないか。生きてりゃなんとかなる。
なら、これは成功だ。俺は生きている!
「で、これはどうしようか……」
辺りには血溜まりと倒れ伏した人々の身体が積み重なっている。今は暗く人目には付かないが、日が差し込めば立ち所に事件となって憲兵の手が入るだろう。だとすれば、俺達の仕事は失敗となる。
取りあえず、取引の金だけでも持ち帰るか、と立ち上がったその時、俺は思いついた。
「あ、そうか」俺は思わず手を打った。「取引を失敗したことにして、金を自分のものにすれば儲かるじゃ無いか」
幸いなことに、金は鞄に詰められていて、片手で下げられるほどだ。それなりに重いが、抱えて歩けないほどでは無い。これを持ち帰れば、俺の生活は盤石なことになるじゃないか。我ながら、なんて良い考えなんだ。
しかし、結社への言い訳はどうしよう。このまま帰れば仕事は大失敗だ。騎士団に襲われて、這々の体で逃げ出した。犯罪結社の常識に疎い俺でも、かなり立場が悪くなることは分かる。ドレッドさんはああ言っていたけど、こっちもヤバいよなあ。
「あ、薬の方も持ち帰れば良いのか。それで、薬だけ出して金は懐に入れれば良い。結社は何も損をしていないことになるな」
よし! それで行こう。
あ、あとさっき護衛の人が魔法を使った杖も欲しいな。俺も魔法を使えるようになりたいな。あっ、結構金も持っているな。これも頂戴しよう。あっ、これも……。
「君、中々やる奴だって、噂になってるよ」
仕事中、ザッドさんがそう言った。
「そうなんですか?」
「凄い奴だってね。この前取引を襲った騎士がいただろう? 聞いた話じゃ、あれは結構ヤバい奴らしい。表の情報だけじゃそんな事件は起きなかったことになっているんだってさ。つまり裏側の、特別な任務を帯びた精鋭だってことさ。そんな奴から薬だけでも持ち帰った手腕は、中々評価されているんだって」
「あれが無きゃ、俺達もここには居なかったかもしれんしなあ。よくやったぜ」
ドレッドさんが珍しく素直に俺を褒めた。
「そんな事を言っても、ドレッドさんは現場に戻りたいんじゃ無かったんですか?」
「馬鹿言え。ここに居ないって事は首を切られるって事よ。物理的にな」
「ひえー……」
恐ろしく声を震わしたが、内心俺は安堵の溜息を吐いた。どうやら、金を持ち帰ったことはバレていないらしい。
あの日、両手に薬と金を積めた鞄を携えた俺は、まず一番に冒険者ギルドに向かった。そして久しぶりに見る受付の男の人へ向け、
「荷物や道具を預かってくれるサービスがあるって聞いたんですが、良いですか?」
と言った。
つまり、俺が手に入れた金は今、ギルドの中にあるのである。結社は冒険者ギルド方面には疎いし、バレる心配は薄いだろう。久しぶりに顔を出した俺を怪訝な眼で見つめる目は沢山あったが、まさか犯罪結社に属しているとは思いやしないだろう。
その足で、今度は結社の本部へと向かった。対応した成員に向け、俺は開口一番に文句を言った。
「簡単な取引だって言ったじゃないですか! 襲われましたよ、どういうことなんですか! それでも取引の品は持ち帰ってきましたよ。あ、金ですか? それは俺が戻ったときにはもう有りませんでした。どっかの誰かが盗んだんじゃ無いですか? 薬は換金が難しいですが、金はそのまま使えますからね」
嘘を吐く際に一番大切なのは、堂々としていることである。
そんなこんなで日々が過ぎたが、バレていないどころか、俺は評価されているようだ。いやあ、良かった良かった。儲けて立場も盤石になって、良いこと尽くめだな。
「にしても、取引が失敗したのは残念でしたね。ああ、でも大したことが無い取引だったんでしたっけ。だったら相手方も大したことないと思ってるんでしょうかね」
俺は上機嫌にドレッドさんへ言った。
「いや、デーデンの奴等は必死になって盗んだ奴を探してるぞ。ありゃあ血祭りに上げる気満々だな」
「どえっ!?」
「どうした?」
思わず変な声を出してしまった俺を不思議そうに二人は見つめていた。しかし、俺はそれどころでは無かった。話が違うじゃ無いか。ちょっとした取引だろうと思ったから盗んだってのに。
「い、いやあ驚いたんですよ。え、で? 何でそんなに必死なんですか? 大したことないって言っていたじゃないですか」
「そりゃあ僕達にとってはたいしたことが無いけど、相手方にとっては必死に集めた金だったんだよ」
ザッドさんがそう説明してくれた。
「あれは薬物の取引量に加え、ただのチンピラ集団からうちの下部組織になるための上納金だったからね。白金貨15枚と金貨300枚。ここで数字と睨めっこしてると感覚が麻痺してくるけど、これはとんでもない額だよ」
「へ、へえー……。白金貨が、15枚……。一枚で二十年は遊べるのが、15枚も……」
道理で、鞄が俺一人でも抱えられたわけだ。鞄一杯の薬に比べて、どうも鞄一つ分じゃ少ないと思ってはいたが、そうか、白金貨だったか……。
嫌な汗が出てきた。背中からだらだら脂汗が流れてるのが分かる。く、苦しいぞ。バレないよな? バレないでくれ……!
「あいつらはもう崖っぷちだからなあ。誰だか知らんが、盗んだ奴はひっでえ事になるんじゃ無いか?」
「もう血祭りでしょうね。首を掻っ捌かれて広場に吊り下げられてもおかしくないですよ」
「魔物と無理矢理交尾をさせられるかもな」
「おかしくない。本当に何をやってもおかしくない。追い詰められた人間ってのは怖いですよ。僕もその被害に遭ったことがあるから分かります」
「それはお前が詐欺ったからじゃないのか?」
「分かりましたか」
ケラケラとアハハハと笑い声が響き合う中で、俺は愛想笑いしか浮かべられなかった。
「それで俺は追い詰められているんですよ。詳しいことは話せませんが、もう本当に怖いんですよ。もう最近じゃ朝に目覚めるのが怖くて布団から中々出られないんです。それで二度寝しちゃって今日怒られちゃいました。どうしたら良いんですかね?」
「わ、私に聞かれても、困ります……」
ある日、俺は喫茶店に居た。異世界にも喫茶店はあるのだ。と言っても、随分と高級な地域にしか無いが。
今俺が話しているのは、この喫茶店で出会った女性である。名前はメリイさん。歳は俺と同じくらいだろうか。かなりの背の高さで、金色の髪に金色の瞳を輝かせる容貌は実に美しく、多分どっかの貴族のお姫様だろう。
そんな美しい人と今や犯罪者の俺が何故言葉を交わすまでになったのか、それはある日の出来事だった。懐の余裕とは裏腹に心が追い詰められていた俺は、安寧を求めて方々を彷徨っていた。解決策を探していたのでは無い。何か心を紛らわす物を求めていたのである。
そんな中見つけたのがこの喫茶店だった。いや、カフェと呼ぶのか? まあいいや。ともかく、この落ち着いた淡い栗色の店構えを気に入った俺は、注文のスイーツを食べて更に気に入った。
果物菓子だろうか。何やら分からぬ柑橘の風味に蜂蜜染みた甘味が纏われとても美味しかった。黄金に輝く球状は見た目にも嬉しく、深い赤色をした茶の味も渾然となり、俺は久方ぶりに落ち着く事が出来た。そして、忽ちの内にこの店のファンになったのである。
喫茶店の名はフルールといった。俺は足繁くフルールに通った。そんなある日、俺の座るテーブルに落とす影が一つあった。それがメリイさんだったのだ。
「そ、そこは、私の席なんですが……!」
不躾に言われ、俺は眉を顰めた。店員さんに目をやってもきょとんとしていて、どうやらそんな決まりは無いようである。しかし、振り返って見たその顔は何故だか泣きそうなほどに悲愴に満ちていて、堪らず俺は席を譲った。
「なんで貴方の席がここなんですか?」
「席、譲ってくれるって言ったじゃないですか……。そこは、ありがとうですが、なんでまだ私の前に座っているんですか……」
「興味があるんですよ。ね、教えて下さいよ。常連さんなんですか? いやあここの店は俺も気に入っているんですよ。良い味していますよねえ。雰囲気も良い」
「それは、そうですけど……」
「ですよね!」
喫茶店が良いという共通の趣味を見つけ、何がそんなに怖いのか、最初は酷くおどおどとしていたメリイさんも次第に饒舌になり、熱っぽくこの店の美点を語った。そうして俺達は仲良くなり、友人となったのである。
「だからこそ、友達なんだから、そんな素っ気ないこと言わないで下さいよ! 貴方は俺の唯一の相談できる相手なんですよ。何とか解決策を出して下さいよ。お願いしますよ!」
「じゃあ、詳細な話が無いと、その、何にも言えません。分からないから……」
「それは言えません」
「……なら、無理です」
「そんなあ!」
俺は殆ど泣きそうだった。最近じゃあデーデンの熱の入り様はよく噂になっていて、盗人へ向け賞金も掛けられたとのことだ。その額は金貨800枚。今の俺には少なく感じられるが、よくよく考えればこれは途方も無い大金だ。人一人の命とは十二分に釣り合っている。
「いや、全然釣り合ってないよ! 俺の命だぞ! 釣り合って堪るもんか!」
「何を言っているんですか貴方は……」
「あ、すみません。ちょっと興奮してしまって……」
「そ、そうですか。まあ、疲れているのなら、甘い物を食べると良いですよ。美味しいですよ、これ」
そう言ってメリイさんが指し示したのは、よく焼かれた薄い生地に香ばしい木の実を振り掛けた菓子である。普段は水物を好んで食している俺だが、この菓子にはそそられる物があった。葉形に整えられた見た目は彫刻の造形として完成しているようでもある。
「……欲しいのなら、自分で注文して下さい。そんな物欲しそうな目をして」
「ええっ! 一口ぐらい良いじゃないですか。ここのスイーツ、美味しいのは良いんですけど値段が高いんですよ」
「貴方は払えるだけの金を持っているでしょう。私と同じくらいここに通っているじゃないですか」
「払える金があるのと実際に払いたいかは別なんです」
そういえば、と俺は思った。懐に余裕がある俺は良いとして、メリイさんの金はどこから出ているのだろう? 以前貴族の人かと異世界風俗への期待を込めて聞けば、物凄い苦渋を秘めた表情で「……違います」と言われてしまった。あの時の雰囲気は酷い物だった。過ちを繰り返したくはない。
「という前提で聞くんですが、どこからそんなお金が出ているんですか? どんな仕事をしているんです?」
「貴方は、本当に……」
メリイさんは呆れ果てたような顔をした。
「遠慮というものを知らないんですか。私には何にも教えないくせに……」
「じゃあ教えますよ。ヒントだけですがね。……実は俺は、数字を管理する仕事をしているんです」
「ああ、成る程。官僚だったんですか。道理で性格が破綻していると思いました」
メリイさんは納得したように頷いた。結構失礼だなこの人。
「残念ですけど違いますね。はい、俺は一つ言いましたよ。今度はメリイさんの番です」
「むう……」
メリイさんは難しそうに顔を強ばらせ、暫くうんうんと唸っていたが、この人は嘘をつけるような人ではないのである。また、俺のように迂遠に情報を小出しする人でもない。そんな人が秘密を抱えていると言うこと自体が不思議なのだが。
メリイさんは言葉を探すように店内をうろうろ見渡していたが、やがて観念したように瞳を伏せると、ぽつりと言った。
「……剣ですよ。剣を使って、私は生計を立てています。醜い商売ですよ」
「へえ、騎士団ですか?」
「っ! い、いや、ち、違います……」
当てちゃったみたいだ。