29 義務では無い意思
「それはどうだろう」マクニトさんはそう言って、笑みを消した。
……どういう事だろうか。先程までの浮かれた様子とは一変して、今は思慮深い皴をその額に刻んでいる。瞳は丸くなく、細められて鋭く俺達を見つめている。まるで価値を見定める様である。
「どう、とは……」
「姫様。貴方は本当に国を良くしたいと思っているのですか?」
マクニトさんは、重々しく、そして冷ややかにそう言った。
「それは……私は……」
「どうにも、貴方の態度からは意志が感じられない。まるで流されてこの場に来たようだ。私は期待していたのですよ。革命の姫が、威風堂々と私たちを導いてくれるものと。しかし……」
マクニトさんはそこで首を大仰に振り、悲しげな表情をした。
「貴方の顔、態度には、それが見られない。どうしたのか。貴方は、国を救おうとはしていないのか。まるでなっていない。これでは、私の命運は預けられませんな」
その言葉とともに、場を包む雰囲気は一変した。それまでの和やかな、こちらを歓迎する雰囲気は、こちらを冷酷に見定め観察するようなものとなった。それを敏感に察知したのだろう。メリイさんもレイチェルさんも、背筋を伸ばし、唇を引き締めた。
「私たちの組織、メルテストは、当初惨めなものでした。私は元貴族だったのです。それが貴方のお父上である皇帝アルフレッドに罰せられ、その地位を剝奪されました。以来、私たちは草の根で活動し、苦難を乗り越え、この一等地に居城を築くに至ったのです。その財と苦労を一方的に利用しようとは、余りに虫が良すぎるというものです」
「それは」
俺は変わりに説明しようとしたが、しかしマクニトさんの凄まじい視線によって遮られた。
「貴方には聞いていない。私は今、姫様に聞いているのです。……どうです? あなたは私たちを導こうというのに、その意志というのはどこにあるのか。貴方がここに現れた理由とは? 父君のもたらした遺恨の存在を、貴方は理解していたはずです。その上で私を説得できると?」
「…………」
メリイさんは、深く思案するように俯いて、沈黙した。
これは、まずいな。先程までの調子は道化だったか。道化に徹し、こちらの観察を続け、その上で判断を下してくる。なんだ、やはり想像通りの海千山千そのものじゃないか。贅肉に膨らんだ表情が、今は凝り固まって見える。財と権力を吸って膨らんだ、悍ましい怪物の様に。
これは、どうしたものか。この人はレイチェルさんと同じく、メリイさんに義務とやらを押し付けようとしている。それに憤りを覚えてはいるが、しかし俺が怒りをぶつけたところで何も変わりはしないだろう。
この人は、端から俺もレイチェルさんも見ていなかったのだ。ただ、メリイさんを、自分たちの旗印となる帝国の姫を見定めようとしている。
これは、厄介だ。俺ではどうにもならない。メリイさんにしか、この人と会話することは出来ない。
俺はメリイさんに視線を送った。「取り合えず、適当な事を言って誤魔化しましょう」そういう意思を込めた視線だ。
何せ、メリイさんには国を背負って立つ意志などは無いのである。彼女には、家族のために国を救うという遠大なエゴしかない。それではこの人を説得できやしないだろう。相手は「国のため」その言葉を求めている。それ以外は、歯牙にもかけていない。本物の、国を憂う貴族なのだ。
見れば、レイチェルさんも自分が相手にされていない現状に、憤りを覚える前にまずメリイさんに視線を送っていた。俺と同じような、この場での協力を取り付ける事を最優先する視線だ。彼にとってそれこそが本懐なのだから、自身のプライドよりも何よりも、優先する事態だと言える。
しかしメリイさんは、俺の方をちらと見て、それで安心したようにふっと笑っただけで、再びマクニトさんの方に向き直った。
「……私は、貴方たち元貴族を、そして反乱の志を持つ人たちを、導こうとは考えていません」
「何ですって?」
マクニトさんの瞳が異様なまでに細められて、敵愾心を露にしメリイさんに向けられた。これはまずったか。しかしメリイさんは何でそんな事を言ったのだ。こうなることは目に見えていたじゃないか。
だが、メリイさんの様子は落ち着いたものだった。彼女はまるで当然のように、自身の真なる目的を朗々と語った。
「私は、家族を助けたいだけなんです。父を、弟を、奸臣の手から救ってあげたい。それが、姫とか、そういうのではない、私自身の本心なんです。それが、私が反乱を志した理由です。私の意思は、国家にではなく、ただ一人、宰相のギムデン・ユーベックにのみ向けられているのです。そのために、私は国と戦う覚悟を持っています」
「……皇帝を殺さず、あくまで国を害する奸臣のみを除くと?」
「元より父を、皇帝を害してしまえば、革命の大義名分も無に帰すでしょう。何せ皇帝は善政を敷いている。その裏は腐敗と汚職に満ちているとはいえ、一般に父は善き皇帝と尊敬の眼差しで見られているのです。それを害してしまえば、大衆の支持を得るには難しくなるでしょう」
「犯罪の記録や汚職の実態を公開しても? 幸いに、宰相が裏社会に支配を敷いていたという事実は記録として残っております。それを見せられて尚、民衆は皇帝に信仰を向けるでしょうか」
「……人々は、信じたいものを信じるものです。偉大な大臣として愛していた人が、自分たちを愛していたと、信じたい。幾ら酷い実態を示されても、その上でも尚、擁護したい。愛し、愛されていたという過去を否定したくない。例え、その過去がまやかしであったとしても……」
メリイさんの言葉には実感が籠っていた。彼女の言葉には真剣なものがあり、それがマクニトさんの内心をたじろがせたのだろうか、彼は頬杖を解き、掌を膝に乗せ再びメリイさんに向き直った。
それにしても、メリイさんの態度は堂に入ったものだった。見事、立派としか言いようのないものである。肩書以上に、高貴な風格が感じられる。
先日から、メリイさんは貴族の在り方について悩んでいたようだった。自分に向けられる期待に、悩んでいた。それ故に、自身もまた、それに応えたいと思ったのか。しかし尚自身の考えは曲げずにして、相手に語り掛けている。エゴの発露である。
それが嬉しかった。そうだ。それでいいのだ。そういうのが人間には必要だと、俺は思う。
「ふうむ……」
マクニトさんはメリイさんの言葉に悩むように額に皴を寄せたが、すぐに笑みを見せた。
「どうにも、私が見間違えていたようですね。貴方には、立派な信念がある。これで義務などと言われていれば、どうしたものかと困っていたところですよ。貴方には義務などないのですから。それを言う事は、間違っている。だから、安心しました。貴方がちゃんと、人間であって」
柔らかい頬に、柔らかい笑みを浮かべて、マクニトさんは優しくメリイさんを見つめた。メリイさんは、ほっと溜息を吐いた。今更ながらに、汗を流していた。
「私は……」
その一方で、レイチェルさんは深く訓戒を示すように項垂れていた。俺は慰めようとは思わなかった。何せ、もう彼には分かったのだろう。今更何かを言う事は無意味だろうし、後で酒でも付き合おうか。
とにかく、事態は上手く行ったのだ。俺はメリイさんの下に駆け寄り、焦燥して長い溜息を吐き続けている彼女の肩を喜ばしく叩きながら、安心して言った。
「という事は、協力してくれるという事ですか」
「ええ。勿論ですよ! 不甲斐ない同志たちにも声を掛けましょう。私が音頭を取れば、彼らも風見鶏を止め、精力的に動き出すことでしょう。反乱の機会は、まさに今です。積年の願いは今まさに結実する! 国家を揺るがす力とは、私たちの手そのものなのです!」
マクニトさんは唐突に立ち上がって、熱っぽく弁舌をぶち上げた。その言葉に彼の部下たちは歓喜の雄たけびを上げ、涙ながらに拍手をした。
「……上手く行ったね。行ってしまったね。はあ……熱狂的な雰囲気だ。これは仕事が忙しくなる……」
「何だいザッド! 君は嬉しくないのかい。嬉しくないだろうね。しかし君の力は多分に革命に役立つことだろう! それに、君は協力する以外に道は無いのさ。国からは裏切り者と指さされ、これからはテロリストとしての名が通るだろう。あははは」
「はあ……」
愉快そうなマクニトさんとは裏腹に、ザッドさんは面倒くさそうに溜息を吐いている。しかし、マクニトさんの言葉通り、彼にはこれしか道は無いのだ。可哀そうなので、全てが終わったらのんびりと暮らせるよう、マクニトさんに頼んでおこう。
「いやあ、やりましたねメリイさん! 全て貴方のおかげです。驚きましたよ、メリイさんにあんな胆力があるなんて!」
「……私も、自分を出さなきゃ、と思ったんです。キサラギさんに言われたことを、ずっと考えていて……。その答えが、確かなものとして、出せました。だからこれは、キサラギさんのおかげでもあるんですよ?」
と、メリイさんは疲れた顔で悪戯っぽく笑った。赤くなった頬に、汗が流れて、輝いていた。俺は何だか堪らなくなって、力強くメリイさんの背中をばしばしと叩いた。
「全くこんなに立派になっちゃって! 成長が早いんですから!」
「あはは。止めてくださいよう。えへへ……」
メリイさんは嬉しそうに笑った。それが嬉しくて俺も笑った。それを見て、マクニトさんが興味深そうに顎先を撫でつつ言った。
「ほう、ほう。キサラギ君と言ったね。姫様と随分仲がよろしいようで」
「ええ! 私とキサラギさんは、とても仲がいいんですよ!」
「成程、成程」
マクニトさんは何かに納得したように頻りに頷くと、今度は真剣な顔をして俺の方を見た。
「では、キサラギ君。くれぐれも姫様を守るように。絶対に、守るように。いいね? 絶対だからね? それができないときは……」
「なあに言っているんですか。当たり前じゃないですか! ねえ?」
「えへへ……恥ずかしいですね」
「うんうん。なら良いんだ。これで安心だ。将来の事が一つ安心できた」
そう言うと、マクニトさんは喜ばし気にどっかりと椅子に掛けた。しかし、また神妙な顔をして言った。
「しかし、幾ら戦力が見込めると言っても、私達だけでは騎士団に対抗できるほどではない。拮抗の時間は幾分か稼げるだろうが、打ち勝つとなっては、とてもじゃないが出来ないね。やはり、時間が大切か。速攻で、しかし、それだと犠牲が大きい。これからの国政を考えると、犠牲は少なく、また、表立っての大事件も避けたいものだけれど……」
「ああ、それなら俺に考えがありますよ」
「本当かい!?」
「ええ!」
俺は胸を張って答えた。そのためにドレッドさんに頼み事をしていたのである。
「いやあ流石は姫様が見込んだ方だけはある! これからの帝国を背負うに相応しいお方だ! その時はこのマクニト、尽力いたしますよ! いやあ安心だ。将来がまた明るくなった! 酒でも開けましょうかね。とびっきりの酒を!」
「いや、いや。まだ早いですよ」
俺は浮かれるマクニトさんを手で制した。
「それは、全てが終わってからにしましょう。まだ、何が起こるかは分からないのですから。その酒が末期のものにならないよう願うためにも、ここは蓋を開けずにいましょう」
「流石思慮深い方でいらっしゃる!」
俺たちは浮かれ気分で一夜を過ごした。しかし、油断しているわけではない。卓上にはこれからの予定が描き出され、どこからか持ち出されてきた場内の地図も広げられ、侵入の経路も計画しつつ夜を過ごしたのだ。
結局、議論と計画に忙殺され、あまり眠ることは出来なかった。しかし眠れただけましだろう。ザッドさんなどは、なんと、皇居に努めていた経験もあると言って、そのために散々情報を引き出されたのだ。彼に比べれば、俺はさほど働いていないと言えるだろう。
朝になって、出立の時間になったとき、ザッドさんは深々と隈を付けた目で、
「キサラギ君。僕の命運も君に託されたんだ。失敗したら、許さないからね……」
そう言って、気絶するように倒れ伏した。
「言われるまでもありませんよ」
それでは。と、俺は一人で目的の地へと向かった。向かうはドレッドさんに人を集めてもらった、スラム街の広場である。




