24 義務と責任
「すみませんでした!」
調度品の飾られた一室で、俺はレイチェルさんに謝っていた。
「いや、いいんだけどね? 確かに僕は怪しいだろうし、誤解って言うのも遅かったし、いいんだけどね? でもね、いきなり殴ってくるっていうのは、どうなのかなあ」
「いやあ本当にすみませんでした。いかにも怪しかったもので……。本当に、よくないですよ。そういう雰囲気は!」
「うん。その通りだね」
レイチェルさんは苦笑しながら古びた椅子に腰かけていた。その仕草は上品で、どことなく気品というものが感じられる。このおんぼろな建物と室内には似つかわしくない振る舞いだ。衣服もまた、派手な装飾も無いが、洒落た感じを出している。
「それで、何の用だい? キサラギ君」
レイチェルさんは優雅に問うてきた。しかし、その頬は腫れたままだ。ちょっとばかし滑稽である。
俺は率直に聞いた。
「ツーリガンがレイチェルさんに関係していたとは驚きでしたが……まあ、率直に言うと、貴方の組織が急に拡大したって噂を聞きましてね。それと同時に俺の噂話が尾ひれを付けまくって拡散している。まるで真実を隠すように、金を奪ったという話が、組織拡大の時期とぴたりと一致する。怪しいと思ったんですよ」
「うん。分かっている。知っているよ、そう言われているのは」
しかし、とレイチェルさんは両腕を開いて室内の惨状を示した。
「何処に金があるって言うんだい。ここには何にもないよ。所かここは、犯罪組織ですらない。そりゃあ反皇帝のビラをデザインして刷ったり、犯罪組織のシンボルやらをデザインしてはいるけれど、直接的に犯罪にはかかわっていないんだよ。いわば、ツーリガンという組織は、ちょっと裏に接した芸術家集団でしかないんだ」
「なら、テロリストだという話は?」
「それは……」
そこでレイチェルさんは困ったように、しかしどこか誇りを持ちだすように笑みを見せた。
「それは、僕の父上の時の話さ。その時分は確かに、ツーリガンはテロ組織だった。貴族の私兵組織と言い換えてもいい。それが切っ掛けでここまで落ちぶれてしまったんだが、今では名前だけさ。そして、その名前が悪かった」
レイチェルさんははあ、とため息をついて頭を抱えた。見れば、辺りに屯する部下の人達も皆、焦燥した顔で溜息を吐いている。
「奴らは、僕たちの名前を騙っているんだ。君の、キサラギ君が金を盗んだという偽装は、金がツーリガンに入り込んだという偽装と二重構造になっていたのさ。全く、迷惑な事だよ。要らぬ悪名を買って、勝手に失望されて、見下される」
「何だって……」
俺は愕然として話を聞いていた。ツーリガンもまた、噂話の一つに過ぎなかったのか。
しかし、その噂が確実に恣意的な意図の下で流されたという事は分かった。誰かが俺達を利用しているのだ。そしてその誰かとは……。
「騎士団ですか? 彼らはあからさまに怪しかった。不穏な動きがありました」
「うん? 騎士団? いや、どうだろうな……確かにあの副団長は関わっているかもしれないけれど」
違うのか? しかし、だとすれば……。と、別の名前を探す前に、レイチェルさんは苦々しく、恨めし気に言った。
「僕たちを利用しているのは、ギムデン・ユーベック。この国の宰相さ。奴は皇帝を唆し、権勢を振るって、自分の思うままに国を動かそうとしている」
「ギムデンっ……!」
メリイさんが、驚いたように、或いは怯えるように呟いた。
「……ああ! そう言えばロッドって人が言ってましたね。母親が宰相だとかなんとか。へえー、そいつが悪いんですね。皇帝を唆す奸臣。うん。いかにも悪そうですね」
しかし、と俺は思った。宰相という立場で、権勢を振るえるなら、どうして一犯罪組織の金なんかを大事に偽装してまで手に入れようとするのだろう? 国家予算が自由に使えるというのなら、そんなことはする必要はないはずだ。
「君は疑問に思わなかったかい? ザブザがあそこまで勢力を拡大しながら、つい数か月前まで手を出されずにいた理由を」
レイチェルさんは額の皴を更に不快気に深めて語った。
「それは、ザブザもギムデンの勢力下にあったからさ。奴の違法薬物による収益は、全てギムデンの懐に入っていた。宰相という後ろ盾もあって、国は奴に手を出せなかったのさ。手を出す気も無かっただろうがね。しかし……」
と、そこでレイチェルさんが俺を指さした。
「そこで、君だ。君の裏切りによって特局が動くことになった。結果、ザブザは一時的に身を隠す必要になり、こんな風に面倒な偽装を迫られることになった」
「いやあ。別にそんな意志があってやったことではないんですけどね」
俺は照れ臭く頭をかいた。しかしレイチェルさんは伸ばした指を力なく折り曲げて、暗い顔をした。
「だが、それでもギムデンは余裕だろうね。何せ、金はすべて回収された。取引も続ける腹積もりだろう。そのためにツーリガンを名乗っている。この名前を乗っ取って、ザブザの結社の後釜に据えるつもりなんだ。その頂点に立つのはやはりザブザさ。逮捕なんて、嘘なんだよ」
「ザブザさんが……」
確かに、彼のやり方は次第に官僚染みたものへと変わっていった。あの、まるで犯罪組織らしくないやり方は、元々国側の組織として動いていたからなのか。
きっと逮捕されなければ、そのやり方を突き詰めて、更に大々的に動くことになっていたのだろう。それが頓挫したのは、俺の裏切りによっての事か。
「あれ? だったら俺ってものすごく恨まれていることになりません?」
「当たり前だろう。だから君の名前が使われたんだ。きっと奴らは君を切っ掛けにして邪魔なものをあらかた潰すつもりだろうね。不審な金の流れがあったとか言って……。裏切った君も、目障りな特殊犯罪対策局も、そして僕たちツーリガンも、皆潰されてしまうだろう」
「そうしてギムデンは、国を完全に手中にする……ということですか」
メリイさんが唇を噛みながら呟いた。その額には脂汗が流れている。国の行く末を憂慮しているのだろうか。やけに真剣そのものといった表情である。
それに対して、俺はあまり真剣な感情は持てなかった。そりゃあ利用された怒りや勝手に狙われている現状に思う所もあるが、何せ、敵が膨大過ぎるのだ。そんなことをいきなり言われても、余り現実味が湧いてこないのが本心である。
レイチェルさんはメリイさんの呟きに同意するように首肯し、瞳を強く開いて言った。
「その通りだ。だから僕たちは、戦わなければならない。あのギムデン・ユーベックと、それに纏わりつく邪悪な者どもを、綺麗さっぱりこの国から片付けなければならない。……協力してくれるね」
「ええー……? うーん……」
レイチェルさんから伸ばされた手を、俺は取りべきか迷った。戦うと言っても、どうするというのだろうか。この人は困っているのだろう。しかし、今さっき会ったばかりで戦ってくれと言われても、正直なところ困るのだ。
俺は先程から戦うのではなく、逃げる事ばかりを考えていた。この国で悪さをすると言うのなら、別の国へ逃げればいいじゃないか。幸い帝国とは戦争はしていないものの仮想敵国とも言っていい国が多数ある。その内の一つへ逃げればいいじゃないか。
あっ、そのための騎士団か。遠征と言って、その実帝都の周囲を囲むつもりなのか。俺たちが逃げ出せないように。という事は、期日はあと僅かだという事か。
しかしそれでも、逃走の手段を考え付かないわけではない。局の人達も狙われているなら、一緒になって正面突破すればいいのだ。あの人たちにはそれが出来るだけの力があると思う。傲慢か、慢心だろうか? しかし真実だと俺は思う。
そうだ。皆で一緒に逃げればいいじゃないか。国の事は、国の方に任せればいい。どうせ俺達には大した関りがない。関わったって得も無いだろう。
そう提案しようとして、しかし、俺は気が付いた。レイチェルさんの目は俺に向けられてはいなかった。いや、俺も含めてはいるのだろうが、その真剣な感情は、その後方、メリイさんの方へと向けられている。
メリイさんは、狼狽えていた。親指の爪を噛んで、何かを考えあぐねているようだった。視線は忙しなく四方を行き来し、胸に添えられた腕が震えている。ぶつぶつと、何事かを呟いている。
レイチェルさんが、ずいと腕を伸ばし、真剣に言った。
「何せ君は、メリイ・アルスリンドは、皇帝の娘なのだから。君にはこの国を救う責任と義務がある。父上と弟君を奸臣の手から守る、使命があるんだ」
「っ……! その名を、どこで……!」
メリイさんが、弾かれたように顔を上げ、腰の剣に手を伸ばした。しかし抜刀の前にレイチェルさんは降参するように両手を上げた。
あっえ? どういう事なんだろうか。メリイさんが皇帝の娘とは。王女……じゃなくて、皇女だったのか? 友達だと思っていたのに、そんな重大な隠し事をしていたのか、と俺は少しだけ落ち込んだ。
しかし、「水臭いなあ。どうして隠していたんですか!」とはとても言えぬ雰囲気である。その表情は焦燥に駆られて青ざめている。隠す事情があったのだろうか。
「木っ端でも貴族だと言っただろう」
レイチェルさんは手を上げたまま訥々と語った。
「君の存在は、宮中では暗黙のものだったようだ。皇帝が、皇后との間に子が生まれぬのを不安視し、愛人に産ませた不義の子。しかしその出産のすぐ後に皇后の懐妊が発覚し、用済みとなった……。古今よくある話ではあるが、当人にとっては、その様な物語では済まなかったようだね。どうしてか、君は特局に落ち着いている。……僕が知っているのはこれだけさ」
不義の子、か。道理で存在が公式には認められていないと。その表情が陰鬱で、常におどおどと自信なさげなのも、そのあたりに由来しているのだろうか。
そう思うと、メリイさんの姿にも気品があると思えてくる。元々貴族染みたところがあったが、それがより確信を持って受け止められるのである。
「なるほど、メリイさんはお姫様だったんですね。なるほどー」
「違いますっ! 私は、皇室とは何も関係がありません! 私は、違うんです。私は、違う……」
「いいや、違くないね」
メリイさんの悲壮な叫びに、レイチェルさんが割り入って言った。
「君は皇女さ。皇帝アルフレッド・アルスリンドの第一皇女。それが君だ。だから、君は立ち向かわなければならない。国の危機に、僕たち貴族の反乱の旗となってもらわなければならない。それが君の生まれの義務だ。責任だ。僕はそれを、貴族として求めなければならない。君の義務がそれであるように、僕の義務もまたそれなんだ」
「う、うう……」
メリイさんは力なく俯いて、足を震えさせている。腰を落としそうだ。がちゃがちゃと剣と鞘の擦れる金属音が狭い部屋の中に響いている。苦しいのか。辛いのか。義務というものが、彼女を惑わせているのか。嫌なのに、立ち向かわなければならないと、強制させられているのか。
ああ、成程ね。成程。
「なるほど、おー……」
俺はメリイさんへ向けていた視線を切って、手を伸ばしたままでいるレイチェルさんに歩み出た。
「ん? 君は協力してくれるのかい。良かった。戦力はいくらでも……」
「おらあっ!」
「ぶえっ!」
俺は、レイチェルさんの顔面を殴り飛ばした。彼は椅子から転げ落ちて、床に細い身体をしたたかに打ち付けた。
「な、何をするんだ……」
「貴方ねえ! さっきから聞いてれば、何勝手なことを言っているんですか! メリイさんが、可哀そうでしょうが!」
誰も彼もがぽかんと口を開けて茫然としている中、俺は言った。言わなければならなかったのだ。
「何が義務ですか! そんなもの何処にあるって言うんですか。生まれた時に何か契約を交わしたんですか。法律にでも書いているんですか。メリイさんがそんなことをしなければならないって!」
「て、帝国憲章には、皇帝は国の危機に対処し、立ち向かわなければならないと……」
「メリイさんは皇帝じゃないでしょうが! 今言いましたよ。メリイさんは皇室とは何も関係がない。それが真実です。メリイさん自身が否定しているんだ。それで何処にそんな義務が生まれるって言うんですか。嫌がっている人に、押し付けて!」
俺は抑え込もうとする人達を押し退けて、尚も何かを言おうとするレイチェルさんの顔面を蹴り飛ばそうとした。しかし、それを引き留める声があった。
「止めてくださいキサラギさん! そんなことを、しないで下さい……。私の事は、いいですから……」
「メリイさん! その優しさは短所ですよ!」
俺は振り返って叫んだ。メリイさんが驚いた顔をして口をぱくぱくとさせている。
「この際言っておきますけどね、貴方、ちょっと自信がなさすぎますよ! そんなに強いのに、どうしてそんなに自分を押し殺そうとするんですか。生まれを否定しなくちゃいけないのが理由ですか。しかし、生まれを否定していても、それに捕らわれていちゃ意味がないでしょう!」
「えっ、あっ、ご、ごめんなさい……」
「謝らないで下さいよ! たまには自分ってものを出して下さい! あなたが何をやりたいか、それが曖昧だから怒っているんじゃないですか!」
「え、ええ……」
俺は怒りと憤りが溢れまくっていた。どうしてこうなんだ。どうしてこの人は、こうなんだ。そして、それを利用しようとするレイチェルさんもレイチェルさんだ。何が義務だよ。ふざけやがって。




