2 中々な犯罪者生活
「酷い、酷すぎるよ。あんまりだ! どうして誰も言ってくれなかったんだよ!」
「そんなこと言われてもなあ……」
埃っぽい部屋の中で、俺は慟哭していた。
「なんで手紙を届けただけで、犯罪者集団の一員になるんだよ! おかしいだろ! もっと皆、疑うって事を覚えなよ!」
「それだけお前の資質が評価されたって事だろうよ」
「勝手なことを言ってくれますね!」
「勝手さあ。お前がどうなろうが、俺にはどうでも良いのさ」
ケラケラと笑うこの人は、俺の先輩であるドレッドさんである。先輩と言っても、部活とかの爽やかなもんじゃない。彼の専門は強盗である。犯罪である。俺はいつの間にか、犯罪結社の下っ端になっていたのである。
「まあ、そんな文句ばかし言うもんじゃないよ。寧ろ幸運だと思いなよ」
「何言ってるんですか、ザッドさん……」
この一見優しそうな男の人の名はザッドさんだ。この人も先輩で、その風貌を活かして詐欺や置き引きをこなしているらしい。やっぱり犯罪者だ。
「だって、ザブザの結社に入れたって事は、良いことなんだよ。ここは規模も大きいし、下っ端を使い捨てるようなちゃちな犯罪は中々しない。良いところだ。給料も高いし、怪我してもちゃんと治療してくれるし」
「犯罪結社で福利厚生を説かれてもなあ……」
「言ってねえで、仕事しな」
「はあい」
俺達三人は今、違法薬物の帳簿を確かめていた。ちゃんと数字があっているかの確認をし、その合計を弾き出すというわけである。ものすごく露骨に犯罪に手を染めているという事実に頭がクラクラするが、しかし紙面に刻まれる数字の膨大さも目を回すほどだ。
ちなみに、文字は何故か読めた。理由は分からないが、一応は神様の特典って奴だろうか。もう少し余分に付け足してくれても良かった気がするが。
「金貨5000枚で……白金貨5枚……と。合計で、白金貨562枚と、金貨772枚。ううん……。これって、全部合わせたら何年遊んで暮らせるんですかね」
「白金貨一枚有りゃあ、二十年は遊んで暮らせるって話だぜ。ここに在るのは一年分の集計だが、まあ、国家予算とは行かないまでも、かなりの額だ」
「ひえー……」
「全く、儲けてやがるよなあ」
「だから幸運って言っただろう」
ザッドさんが笑って言った。
「この結社は帝国そのものに根を張りつつある。それ程までに巨大なんだ。この仕事はその根幹なんだよ。僕達は出世組って訳だね」
「俺は現場仕事の方が性に合っているけどなあ」
ケラケラと乾いた笑い声が暗い部屋に木霊した。
「えっ、お前なんでここに居るの」
「それはこっちの台詞ですよ」
ある日、俺は優しいおじさんことギールさんと会った。彼は牢屋の中に居たはずなのに、何故か結社の建物に居る。
「捕まってたんじゃ無かったんですか? 俺より警備も厳重だったじゃ無いですか」
「厳重なんてもんじゃない。俺はギールだぞ。あいつらが逃がそうとするものか。……まあ、出られたんだけどな。怖いくらいの権力だぜ。腐ってやがるよなあ。と、まあ、それより、どうして居るんだって。お前に頼んだのは手紙の配達だぞ」
「それが聞いて下さいよ!」
俺はこれまでのあらましを文句を付けながら語った。当初は神妙な顔をしていたギールさんだったが、話が続くにつれ笑いだし、呆れ果てた顔になった。
「お前、お前な、警備の奴らに渡せば良かったんだよ。馬鹿だなあ。馬鹿度胸だなあ。ザブザの奴が気に入っているわけだ」
「気に入られちゃ困るんですよ! どうにかして抜けられないんですか」
「んなこと言ってもなあ。裏切り者は処刑されるしなあ……」
「ひえっ」
「それに」
ギールさんは俺の肩を優しく叩いた。
「お前、行くとこ無いんだろ? じゃあここに居ていいじゃねえか。金も稼げるし、地位も名誉も得られる。冒険者だとか言ってたな。あんな商売辞めて、こっちに着いた方がお得だぜ」
「ぐむ……」
俺は何も言えなかった。それは、そうなのだ。薬草毟っているだけじゃ暮らせないし、剣を買ったからと言ってモンスターを倒せるとも限らない。俺にはチートもなんにも無いのだ。生活の基盤を作るには、ここに居るのが一番である。
「だけど、犯罪って、結社って。これ、大丈夫なのかなあ……」
神様とか、勇者とかから、討伐される側じゃ無い? 本当に大丈夫?
「何だ、まだ不安か。なら俺が飯奢ってやるよ」
ギールさんはそう言うと、部下の人に何事かを言い、立派なテーブルが長々と広がる食事処まで俺を連れてきた。
戸惑いながら薦められた通りに席に着くと、品の良さそうな給仕がやって来、俺の前にステーキを置いた。てらてらに油が滴っていて、実に旨そうな肉である。何より、でかい。こんな大きな肉は今までで初めてだ。
「一角牛のステーキだ。ここにいりゃこんな物まで食えるんだぜ」
「成る程、美味しいですね! こっちのワインは?」
「もう食ってるのか……そしてもう飲むのか……。それはデガッタ地方で採れた葡萄の中でも上質な物だけを選んだ……」
「美味しいですね!」
「お前、本当に味が分かってるのか?」
ギールさんが自前の肉を切りながら呆れたように言った。
「分かりますよ。このワインは随分と酸味が少ないですね。それでいて甘味だけってわけじゃない。わざとらしく主張するでも無く、仄かに香っている。まるで草原の隅に咲く一輪の柔らかな花弁のようだあ……」
「……俺、お前の出自がわかんねえよ」
そりゃあ分からないだろうなあ。異世界出身って事が分かるはずも無い。調べたところ、この世界に異世界って概念は伝説やらの中にしか無いようだしな。
そんな事を思いながら散々食べて満足した後、上等な煙草まで貰い、俺は晴れやかな気分で寝床に帰った。
「いやあ、犯罪結社ってのも悪くないなあ!」
翌日、俺とドレッドさんとザッドさんの三人は、郊外の陰気な路地裏に居た。これから薬物の取引をするのである。その監視と、現場の見学のために駆り出されたというわけだ。
「相手の組織はデーデンって奴が仕切ってる、まあ、木っ端の組織だよ。うちの比じゃない。そんなのが相手だから俺達に割り振られたんだろうけどね」
「成る程……勉強になるなあ」
真面目な顔をして取引を見守っている俺達とは裏腹に、ドレッドさんは随分退屈なようだった。時折、手持ち無沙汰に懐のナイフに手を掛けて相手を身構えさせ、それを見ては笑っている。ケラケラの乾いた笑い声だ。
「迷惑ですよ、ドレッドさん」
「いいじゃねえかよ。あいつら何もしてこねえ」
「そりゃあ、こっちとの力関係を随分分かっているようですからねえ」
「犯罪組織は舐められたら終わり……と。勉強になるなあ」
うんうんと頷く俺を取引相手は歯噛みして見つめていた。黒尽くめの服に細められた瞳も相まって、ちょっと怖い。しかし相手は見つめてくるだけで決して手を出そうとはしない。何せ、こちらには護衛の人達が何人も居るからだ。
「こうやって武力を前に出しておけば、馬鹿な真似されずに済むって寸法よ。幾ら稼いでいるからって暴力が無けりゃ軽く見られちまうからな。強盗も一緒だ。初めにナイフ構えときゃ抵抗も少なくて済む。もっと徹底したいなら傷の一つでも付けりゃ良いのさ」
「成る程、初めにどちらが上かを見せつけておく必要があるんですね」
「賢いな、お前は」
「いやあ」
褒められて、俺ははにかんだ。勉強して褒められるのは嬉しい。もっと勉強しようという気持ちになる。
俺はこの犯罪結社で基盤を作ろうと決めたのだ。金を稼ぐには持って来いの環境だ。それに加え、種々の護身術や親切なアドバイスまで教えてくれる。
先日も、ドレッドさんは手慰みにナイフの使い方を教えてくれた。凶器を触ったことの無い俺には難しかったが、それでもちょっとばかしは使えるようになった。
「いいか、肝心なのは、ナイフを前に出しておくって事だ。それも前過ぎてもいけねえ。身体から離れて、取られちまうからな。それに、過剰に相手を怯えさせちまう。必要なときに、自在に使えるようにしておけ」
「今と一緒だね。武力は使い所を見定めなくちゃ容易く跳ね返ってくる。だからドレッドさん、そのちらちら見せるのを止めて下さいよ」
「暇なんだよ」
そうこう話している間に取引はつつがなく終わったようで、剣呑な雰囲気のまま形だけの握手をし、両者は引き払いを始めた。
と、その時、遠くからカツカツと硬い靴音が聞こえてきた。それだけで無く、同時に鉄と鉄とが軋み合うガシャガシャとした音まで響き、向かってくる。
「何かが来てますよ」と呟いたときにはもう遅かった。鉄音は一気呵成に路地を駆け出し、背中を見せた取引相手へ向け剣を振ったのである。
「がっは、ああ!」
「てめえらっ!」
「違う! こいつは、憲兵かっ!」
「だが一人だぜ」
取引の場に現れた人影は、護衛の内一人が掲げた証明の魔法によって照らし出された。その身は銀色の鎧に覆われ、素顔も甲冑に隠され、窺えない。
しかし、その身を包む緋色のマントと鎧姿には見覚えがあった。
「あれ、もしかして、騎士団じゃ無いですか」
「馬鹿を言えっ」
ザッドさんが珍しく荒々しく言った。
「騎士団がこんな王都の片隅に来るもんか。あいつらは、こんなちゃちな現場には介入してこないはずなんだ」
「だが、腕はまさしく騎士様のもんだぜ。いや、それ以上か」
後ろに下がった俺達の目にも、両陣営の護衛を軽々と薙ぎ倒していく騎士の腕の凄まじさは容易く見て取れた。いや、と言うか凄まじすぎる。証明を掲げていた護衛の人も一息に切り倒され、真っ暗な路地に斬撃の音だけが連続して響いている。
「おい、逃げるぞ」
「良いんですかドレッドさん。ここから逃げたら管理責任とかになるんじゃ無いですか」
「いいか、キサラギ。お前にはナイフの使い方とかを教えたが、もっと重要なことを教えるのを忘れていた」
ドレッドさんはそこで言葉を切って、重々しく口を開いた。
「それは、逃げるって事だ。ヤバくなったら逃げろ。これ鉄則な。逃げりゃまたやれる。挽回なんて生きてりゃ幾らでも出来る。だから、逃げるぞ」
「な、成る程……。分かりました!」
「よし、賢いぞお前は」
ザッドさんは流石で、俺達が話している間に既に逃げ出していた。俺達も這々の体で逃げだそうとしたのだが、しかし、俺は転けてしまった。慌てていたので、倒れていた身体に気が付かなかったのだ。
「おい! ……ちっ!」
ドレッドさんは一瞬振り返ったものの、視線を向けた騎士に舌打ちをし、去って行ってしまった。後に残されたのは、今し方切られ倒れ伏した最後の護衛と、立ち上がった俺だけだ。甲冑に覆われ姿の見えぬ瞳が、俺を鋭く突き刺しているのが分かる。
ヤバい。これは本当にヤバい。成る程、逃げる必要がある場面だ。だが逃げられそうに無い。相手方は既に剣を構え、こちらを切り飛ばす気でいる。痛いだろうなあ。だって足下のこの人も血がだらだら流れているんだもの。
「あっ、それで滑ったのか。成る程なあ」
「……!?」
思わず言ってしまったその声に、騎士が振りかぶった剣を止め、不思議そうに(たぶん)俺を見た。いかにも警戒していると言いたげに今度は剣を中段に構えたが、しかしどうしてか、攻撃の様子は無い。
「どうしたんだ? 切ってこないのか?」
「……っ」
純粋に疑問で言ったのだが、相手は更に警戒を深めたようで、身体を落として剣を深く握り締めた。成る程、どうやら俺が何か企んでいる物と思ったらしい。
しかし、俺には何も無い。この危機に対してもチートやら何やらが覚醒する様子は欠片としてない。
だから、俺は虚勢を張ることにした。
「掛かってきな」
「…………っ!」
俺は胸を張り、堂々と言った。しかし相手方は傍目にも分かるほど気を張り詰め、甲冑から僅かに覗く金色の瞳もまた、ギラギラと猛々しく輝いて睨み付けている。
あっ、失敗した。死ぬなこれ。