19 悪魔と人間 1
「キサラギ……良いところに連れてってやろう」
そうメロスさんが言ったのは、珍しく出動の無い、書類仕事だけの業務を終えた日のことだった。まだ日は高く昼を過ぎたばかりだが、しかし俺達がすべき仕事は既に存在せず、他の職員の邪魔だからとロイスさんに追い出されたのである。
帰って寝るかと思っていたところに言われ、俺は意外に思った。まさか、メロスさんが人を誘うとは。珍しいこともあるものである。
「何処です? 行きますよー」
「そりゃあ……とても、素晴らしいところさ。行けば分かるさ……」
「へえー」
どんな場所なんだろうか。まあ、付いていけば分かるか。と、そう考えて付いていこうとしたその時、同じく暇を出されたアリアさんが俺達の間に割って入った。
「ちょっとメロス! そりゃあ貴方が一人で幾分には勝手だけどね、キサラギにはまだそういうのは早いでしょ! それに貴方の趣味に付き合わされたんじゃ可哀想よ! ねえ、メリイもそう思うでしょう!」
「え、ええ……? 何がですか……?」
「それは……その……身体を……ぐぐぐ!」
アリアさんは何故か迂遠に言った。加えてごにょごにょと声を潜めて言った物だから、メリイさんも意味をよく理解できず首を傾げている。だが、俺には分かった。
「ああ、風俗ですか。だったら行きませんよ。そういうの、あんまり興味ないんですよね。ましてや金を出してまで行きたいとは思いません」
「ちょっと、そんなに直接的にいうもんじゃありません! 青少年が!」
「ふっ、ぞ……! あわわわわ……」
アリアさんとメリイさんは顔を赤らめている。そんなに恥ずかしがるなら、わざわざ口にしなければ良いのに。
一方で、メロスさんはそんな二人を酷く馬鹿にするような視線で、そして実際に嘲りの笑みを浮かべて言った。
「はあ? 何を想像しているんだ? 淫猥な、下劣な奴等め……! その下らない脳味噌は、想像力も貧困か。俺がキサラギを連れて行くのは、図書館だ……!」
「図書館?」
また、意外な言葉が出てきた。メロスさんから図書館という言葉が出てくるとは、今日は本当に驚きの連続だ。後で嫌なことでも起きなければ良いが。
「そうだ。お前、ここ最近、悪魔がどうとか魔王がどうとか言っていただろう。それを調べるには、図書館が一番だ。あそこには、帝国が集めた古今東西の書籍が、公的に公開されているのさ……! もっとも、一般民衆は使用出来んが。……だが、俺達は特別だろう?」
「一応騎士階級ですもんね。騎士階級なら使用できるって事ですか」
そうか、図書館という手があったか。ネットが無いこの世界ではどう情報を手に入れようかと思っていたが、まさかこんな簡単な方法があったとは。デジタルな生活に育ってきた自分の浅慮を恥じるところだ。
「あ、図書館! へえーそう、そうなの。そりゃ良かったわ!」
「え、ええ。はい。良かったですね!」
「何がですか?」
「誤魔化してやがる。ククク……恥じろ! 自分の猥雑な想像が肩すかしを食らって、恥じやがれ……!」
「うっさい!」
アリアさんがメロスさんに向け蹴りを放つが、それを彼はひょいと避け、へらへら笑いながら去って行った。付いてこいと言うことなのだろう。彼なりに、俺の悩みを慮ってくれたと言うことなのだろうか。有り難いことだ。
「で、どうしてお前達まで付いてくるんだ……?」
「心配だからに決まってるでしょ! 図書館に行くとか行っておいて、別の所に行くかも知れないじゃ無い。ちゃんと見張っておかなきゃ」
「メロスさんは信用無いですねえ。あはは」
言いながら、俺達は繁華街から手続きを済ませ貴族街へと進み、帝都大図書館へと辿り着いた。窓も無く、壁材だけで象ったような建物は、外気や光の侵入を防ぐための意図があるのだろうか。その外観は白く巨大で威圧的だ。青空に、夏の積雲のようによく映えている。
「大体、貴方が手続きなんて分かるの? 貴方が? もう一度聞くけど、貴方が?」
「これだから、碌に本も読まない馬鹿女は……。俺は、ここによく通っている。お前と違ってな」
「あんですって?」
「や、止めましょうよ、お二人とも……」
メリイさんに止められて、アリアさんは不満げに下がったが、メロスさんは却って嘲笑を深めた。
「メリイ、お前も碌に本を読まんだろう。そういう人間を馬鹿にするために俺は本を読むんだ。こいつに比べて、俺は上等な人間なのだと、そう考えると胸が空く……!」
「どうして貴方はそう性根がねじ曲がってるのよ」
喧々諤々に言い争いながら、しかし、メロスさんの「よく通っている」という言葉は本当だったようで、実に慣れた風に建物へと入り、受付に手続きを済ませ、俺達四人分の入館証を持ってきた。余計な質問も、所か俺達本人に向けた確認さえ無く、酷く楽に入館を果たしたのだった。
「な? 言っただろうよく通っていると。顔馴染みなんだよ」
「ううん……解せないわ。どうしてこんな、こんな奴が……」
アリアさんはぶつぶつと言っていたが、しかし俺は、初めて見る異世界の図書館というものに感嘆していた。
それは、並べられる本一つを取っても違うのだ。一冊一冊の装飾は実に豪華に背表紙を飾り、重厚な頁の重みというものを如実に伝えてくる。それが棚に並び、段として揃えられているものだから、本棚の一つ一つが繊細微妙な彫刻と化しているようにも見える。
金銀と色彩に飾られた彫刻は、広く高い館内を所狭しと埋め尽くし、まるで館内全体が、一種の博覧会とも感じられた。
いや、これはきっと、博覧会でもあるのだ。国の威容を知らしめるために……これ程までの知の結晶を公開できるという帝国の威信が、この大図書館の内装に含まれている。だからこそ、本棚そのものには装飾は無く、全体を取っても、視線の散らばりを避けるように、無駄な彫刻や柱などは置かれていないのだろう。
そういうことを、俺はメリイさんと話した。メリイさんもまた、俺と同じく館内の様相に感嘆していたのだ。言葉も出ないように、きらきら輝く棚の一つ一つに目を奪われて、意味もなくその内の一つを手に取ってみたりする。意図が機能している証拠である。
「凄い……です。こんなに、本が沢山……」
「別に文字なんて何処にも有るじゃない。仕事でも紙なんて幾らでも使うでしょう」
興味なさげにアリアさんは言って、ひょいとメリイさんが手にしていた本を取り上げた。
「……これ、私も知ってる英雄譚じゃない。古の勇者アトラテアの伝記。内容も、吟遊詩人が語るのと同じ。なんでこんな立派な装飾を付けるのかしら」
「そりゃあ、後世に残すためじゃないですか。口伝だけじゃいつ忘れられるか分かりませんし、こうやって綺麗に外装を整えれば、後世の人も残そうと思うでしょう?」
「別にこんな話、何処でも聞くから忘れられないと思うけどねえ……」
「そう思う人が少なかったからこそ、本が生まれて、図書館が出来たんでしょうね」
「ふうん」
アリアさんはあくまで興味なさげに本が抜かれた棚を見つめていた。しかし、ふと目を見開いて、慌ててその隣の一冊を引き出した。
「なっ……これ……古の英雄アトラテアの伝記……2!? 2ですって!? 2なんてあったの!? 3も、4も!? ええ……!?」
「こうやって残さなければ、アリアさんも知りようが無かった、と言うことですね」
メリイさんがそう言って、アリアさんが納得を示すように何度も頷いた。既にその手は頁を捲り初め、物語へと没頭しているようだ。
と、その時メロスさんが慌ただしくやって来て、アリアさんの頭を叩いた。
「おい……! うるさいぞ。図書館では静かにしろ……!」
「あ、ごめんなさい……。いや、素直にね? 素直にそう思ったのよ。うん」
「恥じるなら、最初から声を出すな……! お前達も、注意をしろ……!」
「すみません」
「す、すみません……」
そうだ。図書館では静かにしなければならないのだ。この光景が余りに素晴らしく、周囲に人も少ないので、思わず失念してしまった。
「全く……。何しにここに来たと思っているんだ。お前が調べたいからじゃ無いか。悪魔、魔王、その他諸々。……そこに、積み上げておいたぞ」
そう言ってメロスさんが指し示した先には、幾つか本が机の上に積み重ねられていた。手が早い。実に慣れている。
「うわあ、ありがとうございます! 本当に珍しいですね。メロスさんがこんなに手伝ってくれるなんて!」
「し、失礼ですよキサラギさん……!」
「すみません」
俺は頭を下げた。しかし、本当に珍しい。何時もなら、飲みに誘っても一顧だにせず直帰し、或いは口酸っぱく奢りだと言うことを確認してから共に夜に繰り出すものだが、今日は本当に手厚く手伝ってくれる。どうしたのだろうか。
「いや、なに……。俺にもこれは、利があるのさ。効率よく知識を手に入れるという、利がな……」
そう言って、メロスさんは歪んだ笑みを浮かべた。いつ見ても悍ましい笑みである。メロスさんの顔は、悪相というよりかは狂相と言うかのような、近寄りがたい顔をしているものだが、こんな笑みを浮かべられてしまえば通報されても仕方がないような気さえしてくる。メリイさんも、思わず顔を引き攣らせていた。
「まあ、やりましょうか。メリイさん、手伝ってくれますか?」
「勿論です! 私も、本を読んでみたくって。でも、こんなに沢山、大丈夫でしょうか……」
「俺よりお前達の方が普段はよく仕事をしているだろう。それと同じだ。……キサラギ、お前の知りたいこととは何だ?」
そう言われ、俺は考えた。情報を引き出すには適切なキーワードが必要である。キーワードが曖昧であれば、情報は効率よくも正しくも引き出せない。俺は考えて、呟いた。
「……女神ハーラーバーと、魔王と、悪魔との関係。また、天使と勇者とに纏わる事柄を」
そうだ。俺は、それが知りたい。俺がこの地に遣わされた意味である、魔王の討伐。その魔王とは何なのか。そして悪魔とは、天使とは何なのか。悪魔と関わった事件を通して、知りたくなったのだ。
それらは帝国では余り知られていなかった。帝国は、一応、女神ハーラーバーを唯一神として信仰しているものの、それ以上に国主たる皇帝の権威が強いようで、それが帝国全土に、人間主義とも呼ぶべき自立の心を広く渡らせたらしい。故にギルベットさんもロイスさんも、魔王も悪魔もよく知らず、ただ「帝国の外敵」と語るだけだった。
唯一ハウルトンさんだけが、神と魔王について熱弁してくれたが、それは概念としての神ではなく、魔法の定理、式の歯車の一つとして語っているようで、俺には全く理解出来なかった。歴史を知りたくて数式を返されては、不本意と言わざるを得ない。
「広いな。まだ広い。だが、それは進めていけば狭まるだろうよ」
メロスさんは、俺の言葉にそう言って、早速本を開いた。
一方で、俺はまず、どのような本があるかを確かめるべく、全てのタイトルと最初の数行を読んだ。結果、それらの殆どは悪魔と人との伝説、説話と言ったもので、概説書として書かれてはいないようだ。
内一冊、女神ハーラーバーを信仰する宗教の伝道書だけは、信仰へと導く概説書の体を成していたが、しかしそれらも伝説と説話に彩られており、こう、何て言うか、余りに物語すぎている。論文のように、結論を明確に書いてほしいものだ。
ふと、俺は顔を上げた。
「そう言えば、アリアさんは?」
「ああ? あの馬鹿女……」
と言ったとき、どさりと机の上に本が積み重ねられた。見れば、アリアさんがその山の前に座り、黙々と本を読んでいる。
「これは……全て先程の、英雄アトラテアの伝記ですね」
「……おい、何しにここに来たか、分かってるか? お前の娯楽のために来たんじゃねえんだぞ」
メロスさんが口さがなく罵倒するが、アリアさんは気にした様子も無く黙って本を読んでいる。どうにも、周囲の声が聞こえていないほど、物語に熱中しているようだ。
「まあ、良いんじゃないですか? そういった伝説にも悪魔やら魔王やらは登場しているでしょうし、後で聞けば良いでしょう」
そう言って、俺もまたアリアさんと同じく本に熱中した。




