18 推理しない探偵 3
まあそんな他人の考えなど気にしたところで仕方が無い。問題は目の前に突っ立っていて、敵意の視線を向けているのだから。
「おい、それを離せ。そいつは随分労力を掛けて作り上げたんだ。間違っても壊すな!」
「壊すなですって。じゃあ壊したら困るんです?」
「本当に止めろ!」
メイドさんは表情を変えて、本当に先程までとはまるで変わった顔でこちらに苦悶の表情を向けている。柔和な、いかにも貴族の生活に関わるような礼節を重んじた姿勢は何処ヘやら、乱暴に足を開き肩をいからせて睨んでいる。
「クソッ。全部この女のせいだ。この女が、人形をわざわざ引っ張り出さなければ、こんな事にならずに済んだんだ。これじゃあ契約は失敗だ!」
そう言うと、どさりとメイドさんが倒れた。途端、その身体から黒ずんだ靄が浮かび上がり、人の形を成した。角を生やした男が現れた。
「不本意だが、この場に居る全員、全てを忘れて貰おう。魔力の無駄だってのに、仕方が無い……」
「魔族……いや、悪魔か! それも実体の成すところは、上級の……!」
「その通り、俺は欺瞞の悪魔、ラーバゼタ。丹念に術式を構築した人形で、この貴族のお坊ちゃんを写し取ろうとしたんだが、その前にこの馬鹿女に見つかってしまった。憲兵の代わりに、お前達、騎士共を呼べたのは良かったよ。何せこの場で始末できるんだからなあ!」
ギルベットさんの呟きに、悪魔は飄々と答えた。
成る程、言いつけの通りに憲兵を呼ばず、俺達を呼び込んだのはその意思があったためか。だが、何処で成り代わったのだろうか。本来ならば、この死体を発見されることは、彼の言に依れば不本意だったはずだ。
「きっと、死体を発見されて慌てて乗り移ったのでしょう。悪魔とは、魔族の上位に属する、魔王の先兵です。神が我々に時折天使を遣わすように、魔王もまた、悪魔を魔族に遣わすのです。……しかし、その多くは実態を持たぬ概念。亡霊染みた憑依が関の山。実態を持つ上級の悪魔が顕現するとは、魔王の戦力も十全に調えられていると言うことでしょうか」
ギルベットさんは剣を抜き出しそう語った。その表情は険しい。覚悟を持って当たらなければならない相手だと言うことか。
「その通りだ。既に魔王様……と言うより、魔王様の周囲の魔族達は、魔国近辺の国家に多数入り込み、その情報を手中に収め、権力者に取り入ることに成功している。後は人間主体のこの帝国を落とせれば下準備は万全だってのに、あの馬鹿女が!」
悪魔は苛立たしげに倒れ伏したメイドさんを蹴り上げた。それが許せず、俺は魔法を放った。
「ホーリーレーザー!」
「うおっと!」
悪魔は光線を軽々と避け、にやにやと笑った。
「気が狂った男だと思ったが、中々どうして、魔法の腕は確かじゃないか。だが、通じないよ。その程度で、この俺にはな」
悪魔は更に笑みを深めて見下すような目をした。俺は手の動きでレイチェルさん他、館の人達に下がるように伝えた。これから始まるのは戦闘だ。一般の人々が居て良い場所じゃ無い。
その意思は十全に伝わって、彼らは慌ただしく逃げ出した。後には俺とギルベットさんと悪魔、そして物憂げな表情のハウルトンさんが残った。しかし悪魔は依然余裕を保って逃げ出す人々を見つめていた。
「騎士を下せば、その分乗っ取れる対象が増える。俺は欺瞞、嘘、魔法を司る四大悪魔の眷属よ。その威力、人の身には過ぎた物と知れ!」
悪魔は両腕を前に出し、魔力を高めた。何かが来る。俺は剣を前に構え、同時に片手には杖も構えたが、しかし相手が何をしてくるのかが分からない。欺瞞、嘘、魔法と奴は言った。その言葉通りの現象が起こるというのか。
「お前達は、何も分からず、知ること無く、死んでいく。そうして俺に人の形を奪われるのだ。安心しろ。この館の全員、同じように写し取ってやるさ」
悪魔は自信満々に背から翼を広げ呪文を唱えた。その翼はまさしく悪魔然とした、コウモリのような黒々と鋭利なそれであり、邪悪な悍ましい感覚を如実に浴びせてくる。
「喰らえ! 混乱、空欄、消去消滅!」
ぶわあと魔力の奔流が風となり前髪を撫でる。俺は全身に魔力を纏い防御に備える。相手の魔力量は莫大で、確かに人の身と蔑視するのにも頷けるほどの実力差があった。
だが、それだけだった。悪魔の詠唱は、何者をもさざめかせなかった。しいんと、いっそ滑稽な沈黙が、部屋を満たした。
「……もう発動したので?」
「ば……馬鹿なっ!? 何故、何故何も起こらない! 掻き消された……? いや、違うっ! 展開した術式との繋がりが、断ち切られたとでも言うのか……!?」
「ああ、何だ。あれって悪魔の術式だったのか」
それまで部屋の隅で眠たげに瞳を閉じていたハウルトンさんが、にやりと笑って言った。
「この館に魔法の術式が張られていたのはすぐに勘付いた。邪魔だったので消させて貰ったが、まさか、それが悪魔の術式だったとはな。上級悪魔とは、これ程未熟な術式を組む物か。呆れるよ」
「な……。人間が、私の魔法を……!?」
「欺瞞、嘘……その言葉通り、実に分かり易い認識阻害の魔法だ。拙い嘘を魔法で強引に誤魔化そうとしたのか? 個体の情報にのみ限定すればまだ誤魔化せた物を、欲張るからそうなるのだ」
ハウルトンさんはつまらなそうに宙を撫でながら言った。きっとそこには俺には分からない術式の定理が刻まれていて、だからこそ彼は、それを完全に解析することが出来たのだろう。俺とは実力が隔絶している。流石、性格の不真面目さを踏まえても、騎士として召されるだけはある。
「こいつから学び取る物は何も無い。キサラギ、ギルベット。大人しく殺して、今度こそ火葬場へと送ってやれ」
「分かりました! 行きますよギルベットさん!」
「……ええ。そうですね。緊急事態となれば、実力を出し惜しみするわけにはいきません」
「な、何でっ……!? どうして俺の魔法があっ……!?」
それから、俺達は呆気なく悪魔を討伐した。欺瞞、嘘とは聞こえが良いが、その分実際の戦闘における手数は少なかったようで、光魔法と斬撃を数発打ち込んだだけで、先の護衛の仕事の際出くわした悪魔と同様に、塵となって消えてしまった。
「ざまあないですね! 何が写し取ってやるだ。手も足も出なかったじゃ無いか!」
「ぐ、ぐ、こんな、筈ではっ……!」
悪魔は身体を塵と化させながら、なおも末期に罵声を放った。
「この、クソッタレのクソ騎士共め! 神気取りの皇帝の、天使気取りってか!? 笑わせる! 聞いた話じゃ、ここ数年は倒れ伏し、無能に……っ!?」
その瞬間、ギルベットさんが詠唱もせずに白色の光線を放った。悪魔は言葉を途切れさせ、今度こそ完全に消えていった。
「……皇帝は、無能では無い」
そう語るギルベットさんの横顔は、酷く冷たく見えて、俺は気を晴らそうと努めて明るく言った。
「いやあ、これで事件解決! 全て丸く収まって……」
と、そう言おうとして、俺は不審な人影に口を噤んだ。彼は、いや、彼らは真面目な表情でどやどやと部屋に駆け込んできた。その服装は一様にかっちりとした制服であり、町で見慣れた物である。つまりは憲兵だった。
「悪魔が出た、という通報は俄には信じがたかったが、しかし、不審者はいたようだな」
髭面の、恐らくは一団の長と思しき男が、瞳を細めてそう言った。彼らは敵対者にそうするように剣を構え、後方では魔法の発動さえ始められている。慌てて俺は言った。
「待って下さいよ! 事件を見事に解決して、どうして責められなきゃいけないっていうんですか!」
「お前達が憲兵を騙り、不法に貴族様の館に侵入した不審者だからだ!」
あの、悪魔。ラーバゼタとか言ったか。最後の最後に館の人達を騙していきやがった。いや、最初から騙していたのか。憲兵を呼ぶと面倒だから、人数の少ない、いかにも怪しい俺達で事を済ませようって魂胆だったか。
「とにかく、話は詰め所で聞こうか」
「その必要はありませんよ」
そう言うと、ギルベットさんは進み出て、じいっと相手の顔を見つめた。
「私の顔をお忘れかな? 支部とは言えども、憲兵の長たる方が」
「な……ぎ、ギルベット……! な、ならお前らは、人狼共……!」
「騎士団特殊対策局と言って欲しいですな」
その言葉に、憲兵達はざわついて、恐ろしい者でも見るような視線で見つめてきた。口々に「まずいよ……」「本当に存在したのか……」「やばいって……」と呟き、慌てて姿勢を正している。
そんなに怖がらなくても良いじゃないか。俺は親しみを表わそうとにこやかに手を振ったが、しかし彼らは一層顔を青ざめさせて、視線を逸らし知らぬ振りを決め込んだ。何なんだ。
「報告書は後に届くでしょう。この件は、悪魔の侵入を許した貴方達、憲兵の責任でもあるのですよ。私達はその尻拭いをしたのです。感謝して欲しいですな」
「ぐ、む……。分かりました。ご協力、感謝いたします」
男は丁寧に礼をし、それに続いて後方の憲兵達も礼をした。それを見て、ギルベットさんは「ふん」と嘆息すると、振り返って俺に言った。
「では、後は憲兵の方々に任せ、私達は帰るとしましょう。報告書は二つ分に増えてしまいました。今日中にどちらも仕上げなくてはなりませんね」
「うへえ」
「ハウルトン。貴方にも詳細に書いて貰わねばなりません。此度は両件とも、局内で済ますことは出来ぬ、関係各署に提出するための書類なのですから」
「……面倒な」
俺達は、姿勢をいっそ過剰な程までに正した憲兵達に見送られて、館を出た。その際、館の主であるレイチェルさんが俺に話しかけてきた。
「まさか、君がキサラギ君だったとはね。聞いていた話より、ずっとまともな……いや、まともじゃ無いか。うん。まともじゃない」
「悪口を言うために呼び止めたんですか!?」
「いや、いや、そうじゃ無いさ。ただ、もしかしたら、また会う機会があるんじゃ無いかと思ってね」
「はあ……?」
俺は不思議にレイチェルさんを見つめたが、それきり彼は会話を止め、荒れ果てた館へと帰っていった。
「遅い! 帰還するのが遅いよお前達! 何処をほっつき歩いていたんだ。今日中に書類を整えて先方に出さなきゃならんって言うのに!」
「あ……あの、その……そんなに……」
局に帰還した俺達を迎えたのは、ロイスさんの罵声だった。側に侍しているメリイさんがおろおろとして、視線をロイスさんと俺達とに交互に投げている。取り成したいようだが、どうにもそのための言葉が出てこないようだ。
「すみません、ロイス。帰還の途中で別の事件に出くわしてしまいましてね。その報告書も平行で出しますので、よろしく」
「別う!? 何やってんだいギルベット! あんたがいながら!」
「申し訳が無い」
「それで済むと思うんじゃないよ! 全く……」
ロイスさんの苛烈な声をギルベットさんは飄々と返しながら席に着き、言葉通り直ぐさま報告書の処理に取りかかった。俺もハウルトンさんを引っ張って、ペンと紙を渡し、自分の報告書に取りかかった。
「ど、どうぞ……」
「ありがとうございますメリイさん。ハウルトンさんもお礼を!」
「ああ……ありがとうな」
「いえ……お疲れのようですから」
ことりと卓上に置かれた茶と菓子を摘まみつつ、俺は今日あったことを思い返しながら筆を進めた。二つの事件にはどちらも悪魔が関わっていた。一方は襲撃の先兵として、一方は貴族の乗っ取りを企てて……どちらも、今までの仕事とは違う相手だった。自然、両者の関係性を疑ってしまう。
「大司教であるカミュエルさんの秘密裏の護衛として、俺達が駆り出されたんでしたよね。途中までは何事も無かったんですが、繁華街を見たいと言い出して街に繰り出したとき、襲撃に遭った。それで退治して、その後にまた悪魔に遭った。これは偶然でしょうか?」
「……両者は協力しており、大司教襲撃は目眩ましの事件で、本命は、レイチェル・マインクラウスに成り代わることだったと?」
ギルベットさんが、机を挟んで俺に視線を投げ掛けた。
「だって、今まで結構な数の事件に出くわしましたが、悪魔と戦うなんて今日が初めてでしたよ。それが、一日に二件。偶然ですかね」
「さて……それを考えるのは私達の仕事ではありません。ですが、帝都の防衛が疎かになっていると言うことは事実ですな。憲兵の質が落ちているのか、他の事件に手を取られているのか……いずれにしても、遺憾の意を感ぜずにはいられませんな。帝都の守護は、皇帝の守護に繋がるというのに」
「確かに、多いですよね事件。犯罪組織の活動も活発で……何時もこうなんですか?」
「常にこれ程忙しいのならば、私はとっくに市井へと隠れている。以前までは、暇な時の方が多かったのだ。だからこそ、安全に金銭を稼ぎながら研究の場とするに相応しいと思ったのだがな」
ハウルトンさんが物憂げに答えた。その言葉の裏には、どうにも退職を考えているような節があったので、俺は慌てて言った。
「辞めないで下さいよ! まだまだハウルトンさんからは教わりたいことが沢山あるんですから!」
「あーうるさい分かっている。下手に身を隠せば、お前は無理矢理にでも私を見つけ出して訪ねてきそうだからな。全く、面倒な者を弟子に取った」
「弟子!? ついに俺を弟子と認めてくれましたか!」
「あーうるさいうるさい」
俺は嬉しく立ち上がってハウルトンさんの肩を掴んだ。それをハウルトンさんは疎ましげに払い、あくまで書類に没頭した。
「キサラギ! さっさと仕事を済ませな! ギルベット、あんたも手伝うんだよ。どうせもう終わったんだろう?」
「ええ。この通り」
そう言ってギルベットさんはロイスさんに報告書を提出した。ロイスさんはそれを碌に確認もせずに脇に置いた。緊急の案件で仕事が雑になっているのでは無く、ギルベットさんの仕事に絶大な信頼を置いているようである。
「ねえメリイさん。あの二人は一体どれくらいの付き合いなんでしょうかね。二人とも、俺達と接するのとは違う感じで相手に接してますよ」
「ええと……私がここに来る前からギルベットさんは居ましたから、かなりでは……」
「キサラギ、働け! メリイも構うんじゃ無いよ!」
「す、すみません……」
また怒られちゃった。それから俺は何とか二つの報告書を片付け、すっかり疲れてその日も局で眠った。余りよろしくない働き方であった。




