1 転移と収監と生活の始まり
「異世界で、勇者の手助けをしなさい」
光り輝く女性がふわふわした空間に浮いていた。周囲には無数の小さな球体があって、その中に俺も居た。先程まで確かに学校に居たはずの俺の身体が、今は奇妙に浮いている。
「私が管理する異世界が、危機に瀕しているのです。魔王と呼ばれる存在に脅かされ、世界のバランスが崩れようとしている」
何だ、これ。という動揺も省みられず、女性は訥々と話し続ける。
「貴方は私が送り込む勇者の助けをするため、先遣として、先んじて異世界で基盤を作り上げなさい」
待ってくれ。何が何やら分からない。俺が異世界? 何を。
そう言いたかったが俺に口は無かった。俺は今、周囲と同じく、球になっていたのである。
「拒否権はありません。貴方は神に選ばれたのだから、光栄に思いなさい」
そう言われ、俺は落ちていった。訳も分からず、異世界へと。
神様の声によって落とされた先、俺が目を覚ました場所は、まあ、中々異世界らしい場所だった。王城だろうか、そんなものが中心に聳える街で、辺りは石造りの街並みが連なっていた。
俺が居たのは路地裏の人気の無いところで、服装も着の身着のまま、学生服だ。所謂チートといったものなんて何処にも感じられず、「ステータスオープン!」とか言ったものの何も出てこなかった。しいんと静まっていて、ちょっと恥ずかしかった位だ。
しかし、当初は俺も浮かれていた。何せ、異世界だ。ファンタジーだ。剣と魔法なのだ。路地裏から覗く大通りにもでっかい剣や鎧を纏った人々が行き交っていて、まるでゲームの中みたいだった。
「勇者ねえ」
俺はまず、色々思うところがあるものの、神様に言われた使命とやらを考えていた。基盤と言ったって、何をしろというのだろう。魔王をもう殺せる状態まで拘束しておくとか? それとも、俺自身が仲間となって戦えというのかな。
そんな事を考えながら、俺は浮かれるままに街へ繰り出した。周囲から向けられる胡乱げな視線も気にならなかった。冒険と戦闘のことが俺の頭の中を占めていて、冒険者ギルドっぽい建物を見つけたときなんかは心臓が高鳴りまくって痛かった。
しかし、俺の想像は甘かった。ギルドの中は荒っぽくて、びくびくとしながら受付の人に、
「冒険者登録したいんです」
と言って、思いっきり笑われた。
「君ねえ、冒険者って大丈夫かい?」
にやにや笑いながらこちらを見つめる、想像とは違って中年男性の受付の人に、俺の異世界生活は最初から瓦解しそうになったのだが、何とか堪えて登録をこなした。
しかし、困難はこの後にあった。俺はボコボコにされたのである。
これもまた、テンプレみたいな奴なんだろう。通過儀礼と言っても良いのかもしれん。生意気なガキに現実を見せてやるって事だ。荒くれ者に笑われながらボコられて、俺は泣いたよ。可哀想すぎるだろ俺。十六の子供が見知らぬ土地に放り込まれて、殴られて、酷すぎると自分でも思う。
まあ、そんな事もあったが、俺は逆に奮起したね。「やってやろうじゃないか」って。この世界、あの神様、俺をボコった人、全部に対して俺は中指突き付けてやろうと思ったんだ。
生傷残したまま、俺は依頼を受けて外へ出た。剣も防具も無い俺は、薬草採取の依頼を受けたのだ。この傷も癒やせるだろうと思ってね。呆れ返ったような受付と同業者の目は、俺がこの世界に最初に突き付けた中指の象徴だ。
都市の外は、道は整備されているものの大部分が草原で、近くには森もあった。森の付近に良い感じの薬草があるらしい。
道中スライムや何か兎や猪っぽい動物と遭遇し、隠れながら、俺は薬草を集めていった。惨めな姿だよ全く。何処にチートがあるって言うんだ。いや、そもそもチートくれるとか言われてなかったな、とこの時俺は思い返した。悲しかった。泣きそうになった。
異世界とは余りにそぐわない、手伝いの草むしりを思い返しながら俺は薬草を集めていった。ちなみに、薬草はちゃんと薬草だった。傷にも効いた。異世界だなあ、と思った。
幸いなことに、バッグは持っていたから、中々の量を納めて帰ることが出来た。受付に帰って、
「いくら?」
と聞くと、
「四十八本か。銅貨48枚だ」
「……いくら?」
また呆れた目が帰ってきた。しかし、結構優しい人だった。彼は俺のことを田舎者か落伍者、或いは田舎の落伍者と思ったのか、色々説明してくれた。銅貨三十枚くらいで一日の食事が賄えるらしい。
らしいというのは、貨幣制度が厳密で無く曖昧であるからだ。基本的に細かい釣り銭というものが無い。しかし、今は経済改革を考えている場合ではないのである。問題は、宿に泊まる金がないと言うことだ。
「空いている馬小屋とか無いですかね」
「……一応聞くが、有ったらどうするんだ?」
「そこで寝ます」
「あー……ギルドは初心者の方々へ向け格安で宿を提供しております」
どうにも、ゲームでの常識は異世界では常識では無いらしい。当たり前だ。俺だって本当は馬小屋なんかで寝たくない。ベッドが恋しい。
ともあれ、俺は寝床を確保することが出来た。と言っても、累計三ヶ月分だけの頼りない拠点ではあるが。それでも寝床があるのは大きい。酷く固いベッドだったが。
翌日も、その翌日も、俺は草むしり、じゃない薬草採取に勤しんだ。こつこつ金を貯めていった。目標があったのだ。剣を買って、モンスターを倒す。そうすればもっと金が稼げる。疲れ果て、眠る頭に考えるのは、剣を持って血を浴びる俺の姿だ。
「いや、これでいいのか?」
布団を蹴り上げて、俺は思った。これで、良いのか。これで基盤なんて築けるのか? そもそも俺の生活基盤さえ危ういんだが。神様は、人選間違ったんじゃ無いか。
「そうだよ。モンスター殺すだけならもっとスポーツ選手とか居るじゃないか。俺じゃ無くても良いはずだ。俺が選ばれた理由があるはずだよ」
そう考えても、俺にだけに出来る事って、無いんだなこれが。自慢じゃ無いが、何の変哲も無い一般高校生なのである俺は。
「俺に出来る事ねえ」
うんうん唸ってようやく思いついたのは、やっぱりテンプレだった。
商売だ。異世界人という立場を活かすには、これしか無いだろう。
思い立ってすぐに行動するのが俺の良いところで、早速この世界での商売人の立ち位置を調べ始めた。といっても、道々に出される小店やらギルド職員の優しい人に話を聞くぐらいしか出来ないのだが、それでも取っ掛かりみたいなものは掴めた。
翌日、俺は俺をボコボコにした男に向け、言った。
「やあ、貴方にだけの特別な儲け話があるんですよ! ちょっとこの薬草をね、50銅貨で買いませんか? ああ、殴らないで! ちゃんと貴方も儲けられますって。いいですか? この薬草を、貴方は60銅貨で人に売れば良いんですよ。そうすれば10銅貨分の儲けが……」
俺は捕まった。
「なんで?」
「ネズミ講は犯罪だぞ」
「犯罪だったんだ……」
檻の向こうの兵士さんが、呆れた目で俺を見ていた。
「田舎者の世間知らずって事で許してやるから、もうこんなことするんじゃ無いぞ」
「ありがとうございましたー!」
娑婆の空気の旨さを堪能するだけの感慨は俺には無かった。三日で出てこられたというのもあるし、何より俺にはやることがあったのだ。
俺は懐を探り、一通の手紙を取り出した。これは、俺が牢の中で出会った親切なおじさんに頼まれた手紙である。
「君を頼んで、届けて欲しいんだ」と言われてしまえば、仕方が無い。金も出るだろうって話だし、それにその繋がりで俺に仕事をくれるかも知れない。良いことずくめだよなあ。
向かう先は、王都の隅の、ちょっと怖いところだ。スラム街と言うのだろうか? 埃っぽく、小汚い。何より雰囲気が悪すぎる。道々に転がる物乞いの姿がこの場の異様さを示している。
しかし、俺は気が楽だった。何も観光で来たんじゃ無いんだ。これは仕事だ。俺は用事があってここを歩いているんだ。そう思えば何だか、道々に転がる骨か肉か分からんような人にも親近感を感じてくるね。
そうやって堂々としていたからか、俺は特に呼び止められること無く目的地に着いた。やはり何事も堂々としていることが肝心だ。コンビニで酒と煙草を買うときも、堂々としていりゃ普通に買えるのである。
俺は込み入った街中に隠れるように佇む建物の中へ入っていった。門番っぽい人にも堂々としていたから止められなかった。ちょっと怪訝そうな顔はしていたが、俺は仕事でここに来たんだ。おどおどする必要なんて無いだろう。
中は随分狭く、ここでも迷うような仕掛けが施されていた。おじさんは「ボスに届けてくれ」と言っていたが、これでは何処にそのボスがいるのか分からない。
ん? ああ、いや。分かった。何か調度品が進む方向に増えていってるのが分かったのだ。成る程、分かりにくいが、分かりやすいな。俺はゴテゴテと金やら何やらに飾られた重い扉を、側に立っていた門番の人に開けて貰って、入った。
「こんにちはー!」
挨拶は元気よく、である。しかし返事が返ってこない。見れば、至る所に金銀や剣やらが飾られた部屋には男達が犇めいていて、俺を驚いたような顔で見つめている。
「誰だっ!」
「お届け物です」
「刺客かあっ!」
「いや、手紙の配達ですって」
あのおじさん伝えていなかったのかなあ。と思いながら、俺は手紙を渡した。
「……ボス、ギールの奴の字です」
と、中央に座す男に伝えられたところを見るに、俺の仕事は完了したようだ。
「え、この人幹部の人じゃ無かったんですか!?」
「ただの手紙の配達で、どうしてあんなに堂々としてられるんだ……」
門を開けてくれた人達があれこれ言っていた。しかし俺はそれより大事なことがあった。お金をくれる様子がないのである。男達は手紙を囲んであれこれ言っているが、ボスらしき人はこちらを鋭い目で睨むばかりで、口を出そうともしていない。
「おい、お前。どうやって手紙を受け取り、ここに入った。何の伝達も無しにここまで来るとは、ただ者じゃねえな」
「そういえば……」
困ったような、或いは疑うような目が俺に向けられた。しかし俺は正直に言うことしか出来ないのである。
「何も、ちょっと捕まって、手紙を任されて、そのまま入ってきただけですよ」
「本当か?」
「ボス、ギールの奴が書いています。……このガキは良いように使ってやって下さい、とのことで」
「ギールが……成る程な……」
あ、それ俺がおじさんに頼み込んで書いて貰った奴だ。嫌がったけど何とか書いて貰ったんだよな。「命の保証は出来ない」とか言ってたけど、杞憂だったな。
「確かに、良い度胸をしていやがる。この俺を前にして、全く物怖じしていねえ。お前、名前は」
「如月恭司、16歳です」
「16で、それか……! 気に入ったぞ、キサラギ!」
ボスが立ち上がって、俺の手を取った。ゴツゴツとした、力強い手だ。
「お前には見所がある。この、ザブザ様の配下に加えてやる」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
俺達は固く握手を交わし合った。俺の胸の内は感慨で一杯だった。ようやく異世界で生活の基盤を手に入れたのだから!
この基盤が、大犯罪結社の下っ端であるということに気が付くのは、後になってのことだった。