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竜と白柱の国  作者: 風見真中
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竜人族


 ラックの不機嫌は一晩寝れば大抵霧散する。それが普段よりも長時間の睡眠となれば、昨夜の言い争いのことなどほとんど気にも留めない。

 陽の気配の遠い深夜。遠征を前に上機嫌となったラックはミーアの心労を毛ほども意に介さず、暗い道を進むために仕事に使っているゴーグルを着用し、嬉々として家を飛び出した。

「それじゃあ行ってくる。帰ってきたらすぐに旅に出るつもりだから、ミーアもばあちゃんも準備しといてくれよな!」

 ラックの意識は既に遠征の後、シャヴァンヌの旅に同行することに向いていた。気の逸りは目の前の遠征でミスを犯す要因にも成り得ると心配するミーアだが、言葉にしたところで今のラックには届かない。

「本当に気を付けてね、ラック…………」

 結局ミーアには、そう言って無事に帰ることを願うしかできなかった。

「おう! じゃあ行ってきまーす!」

 ゴーグルの光度を調整し、鮮明になった視界で竜の巣に向けての一歩を踏み出す。この一歩が外への道に直結していると思うと、自然と足取りは軽くなる。

 荷物の重さも気にならず、ラックは早々に竜の巣の裏手、飛行船の停泊所に辿り着いた。停泊所は竜輝石を利用した街灯で明るく照らされており、光度の変化に視界が白く染まる。ゴーグルを額に上げて視界を確保すると、そこには心躍る光景が広がっていた。

 停泊所を埋め尽くさんばかりの、高価そうな装備に身を包んだ石拾い。目の届く範囲に見知った顔は無く、どうやらこの遠征に参加しているのは普段ラックが仕事をしている場所よりも遥か深くを縄張りにしている、格上の石拾いばかりなのだろうラックは当たりを付けた。

 参加者のほとんどはミーアのような獣人族か、ドミニクやブレダのような土鬼族。中には三メートルを超える身長の巨人族や、背中に翼を持つ有翼族までいる。当然、小人族はラック一人である。

 石拾いたちの群の向こうには巨大な飛行船。竜輝石を用いて下部から高温の気流を起こし、プロペラを回転させて推進力を得る造りになっている。このタイプは熱した空気を布の中に溜めて浮力を得るタイプとは違い、重い荷物も大量の人員も気流の出力次第でいくらでも積めるし、何より速度が段違いである。空気を溜める布が不要なので船体全てが船室として利用できるのも大きな特徴だが、その積載量と速度の代償として膨大な量の竜輝石を必要とする。

「本当に金掛かってんだな……」

 用意された飛行船の規模から今回の遠征に主催側が出資した金額の一端を察し、ラックは度肝を抜かれた思いだった。

 同時に、昨夜のミーアの懸念が、今になってラックの心に楔を打った。

 集まった石拾いは軽く見積もっても百人は下らない。彼ら全員に報酬の五百万エルを支払えば、その総額は単純計算で五億エル。政府の主催とはいえ、簡単に動かせる金額ではない。加えて、この場の全員に支給される防素マスクは深度八十まで対応可能な最高級品。これは土鬼族の職人が一つ一つ手作りするもので、ラックの使っているものとは比べ物にならない値段である。

 支払われる報酬、与えられる支給品、使用する飛行船、どれを鑑みてもたった一度の遠征に用いる費用とは到底思えない。

「主催者は、一体何のつもりで……」

「それはもうすぐ分かりますわよ」

「っ?」

 背後からかけられた声に振り向くと、そこには昨日の耳長族、シェルフィの姿があった。シェルフィはラックと同じようなゴーグルを首から下げ、背中には大きなリュックと布に包まれた武器と思しき長物も背負っている。

「こんばんは、ラックさん。来ていただけると思っておりましたよ」

「シェルフィさん、あんたも石拾いなのか?」

 その装備はどう見ても竜との戦いや竜輝石の収集を念頭に置いたもの。とてもただのスカウトには見えない。唯一気になるのは、シェルフィが昨日と同じように丈の長い外套を着込んでいる点だった。視界が悪く足場の安定しない降下では、衣服が枝などに引っ掛かるのを防ぐために丈の長い服や裾の広いズボンは避けるのが常識である。

 つまり、普段着には見えないが、石拾いに適した格好という訳でもない。ラックの目にはシェルフィの格好が、素人が石拾いの真似事をしているようなちぐはぐな姿に見えたのである。

「いいえ、本業ではありませんよ。祖国では政府直属の便利屋のようなものでして、今回の遠征では現場監督も兼任させていただきます」

 シェルフィの言葉に、ラックは言いようのない不安に駆られた。

「だ、大丈夫なのかよ? 竜素の中は危険だし、竜はデカくて強いんだぞ? 素人が降りるもんじゃないぜ?」

「当然、竜の相手はプロの皆さんにお任せしますわ。ワタクシの仕事はあくまでも監督。基本的には指示をさせていただくだけで、竜輝石を拾ったりもしません。あ、竜が出たらちゃんと守ってくださいまし」

「いや、充分危なっかしいんだけど……」

 飄々と言葉を躱すシェルフィ。恰好のことも含め、竜素の中に素人が入る危険を本当に理解しているのか、とラックは不安になった。

「危なっかしいのはお前もじゃねえのか?」

「?」

 唐突に、それまで様子を伺っていた石拾いの一人が、ラックとシェルフィの会話に割って入った。

 腕を組みながら渋い顔でラックを見下ろすのは、丸い耳を持つ獣人族の男性。身長は二メートル前後、体は筋骨隆々といった感じで、見るからに逞しい。背中にラックの身長ほどもありそうな大剣を背負っている。

「えっと、誰?」

「俺はビルク、見ての通り石拾いだ。お前は、シャヴァンヌ様のとこのガキだな?」

 堂々と言うより不躾といった感じの男、ビルクの態度に、ラックもまた顎をしゃくりながらふてぶてしく対応する。

「ハズレ。俺はガキじゃなくてラック、幸運って意味のラックだ。よろしくな、オッサン」

 子ども扱いされたことが癇に障ったラック。ビルクはそんな態度に一瞬眉をヒクつかせたが、その態度を崩さず、細めた目でラックを射抜く。

「悪いことは言わん、お前は帰れ。遠征ってのは小人族、ましてや子どもの行く場所じゃあない」

「なんだよ、俺に竜輝石独り占めされると思ってんのか? さすがにそこまで欲張りじゃねえぜ?」

「違うっ!」

「――――ッ?」

 突如発せられたビルクの怒声に、ラックは体を硬直させ、直後に食って掛かる。

「うるっせえな! 何だよ一体?」

「いいか、遠征は普段の降下とは一線を画す危険な仕事だ。常は各々で動く石拾いも、遠征だけは一丸となって仕事をこなす。この場に集まった全員が、毎日バディに預けている命を互いに預け合うんだ」

 大仰に両手を広げたビルクの言葉は演説のようで、それは段々と熱を帯びていく。周囲の石拾いたちはビルクとラックの様子に注目するが、その表情は一様に険しく、また声を出すものはいない。

「それが何だってんだよ?」

「互いに知り合いとも言えないここにいる皆が、お互いに命を預け合う。それを成立させるのはある種の信頼、『ここに集まった者ならば背中を預けても大丈夫』という、確証の無い妄信だ。そんな中に半人前の小人族がいるということが、どれだけ皆を不安にさせると思う?」

 資料の募集要項にある条件、深度二十五を超えられる者というのは、二十五に到達できたからいいという意味ではない。庭を散歩するように白柱に自生する樹木や菌糸類の上を歩き、気を張らずともその深度で居住区のような活動ができて、初めて超えたと言えるのである。

 そもそも、自分の到達できる限界深度ギリギリで竜輝石を探す石拾いなどいない。そんなことをすれば、ほんのわずかな不測の事態であっけなく死んでしまうからである。

 要約すると、ビルクはラックでは実力不足だと言っているのである。そして、ビルクの演説に異を唱える者はいない。

 周囲の石拾いたちの険しい目が、その態度がすべてを物語っている。ビルクの言葉は、この場にいる者の総意の代弁であると。

「…………ああ、そういうことね」

 ラックは得心がいったように表情を緩め、口元には余裕の笑みさえ浮かべる。

 実力の証左、ビルクを含めたその場の全員が納得する弁明など、ラックには用意できない。ラックが小人族であることも、この場では幼いと言われる年齢であることも、どちらも紛れもない事実。ラックの実力を知り、身内であるミーアにまで常日頃から子ども扱いされているというのに、初対面のこの場の石拾い全員に認めてもらうなど、到底不可能である。

 認めさせるには、実戦で証明するしかない。

「安心しろよ、誰も俺に背中を預けなくていいし、俺の背中も守らなくていい。ただ俺が、勝手にお前たちの背中を守ってやるからよ」

「なんだとっ?」

 まるで自分の方が格上だとでも言いたげなラックの言葉に、穏やかではない空気が漂い始める。しかし、大切な遠征を前に事を起こそうなどという無鉄砲な輩もいない。代わりにビルクを筆頭とした石拾いたちの憤懣の矛先は、未だラックの隣で穏やかに微笑むシェルフィに向けられた。

「おいスカウトのアンタ!」

「シェルフィ、でございますよ、ビルクさん」

「っシェルフィ! このガキもアンタがスカウトしたのか?」

 ラックの態度に、本人には何を言っても無駄だと思ったのか、ビルクはシェルフィに詰問する。シェルフィは当然のように「ええ」と頷き、ラックのことを誇示するように声高に返す。

「ラックさんはこの遠征に相応しい素養と実力をお持ちだと、ワタクシが判断いたしました。ワタクシの決定は即ち主催側の決定。もちろん、ご納得いただけないのであれば、参加を見送られても結構です。皆様にも皆様の考え、信条、石拾いとしてのプライドがあって然るべきですから」

「っ……!」

 主催側の決定に逆らうつもりか、言外にそう問われているような気がして、ビルクは押し黙る。周囲の石拾いたちも皆納得はしていない様子だが、先ほどのように険しい視線を向ける者はいない。

「ご心配なさらずとも、ラックさんは大丈夫ですよ。ワタクシが保障いたします」

「……はっ、そんな恰好で降りようってやつがふざけたこと抜かすな。せいぜいその長い外套を踏まないように気を付けるんだな」

 シェルフィの姿にも一言申してから、ビルクは荒々しくその場を立ち去り、人込みの中に消えた。ラックたちに注目していた周囲の石拾いも、その様子を見て方々に散っていく。

「……一応聞きたいんだけどさ、俺とシェルフィさんって昨日が初対面だよね?」

「はい、そうですが?」

 昨日今日の付き合いで自分の何を知っているのか、とラックは言ってやりたくなった。飛竜三体を倒した程度のことで実力を知った気になられているのだとすれば、それは過大評価もいいところである。この場に集まった石拾いなら、あの程度の飛竜は倒せて当然なのだから。

「あのオッサンの言い方はムカつくけど、確かにその外套は脱いだ方がいいぜ。ヒラヒラした格好で降りるのは危ないし……」

「あらら? 女性の服を脱がそうだなんて、まだそういうのは早いんじゃなくて? ああでも、男の子なら女性の体に興味があって然るべきかしら?」

 ニンマリとからかうような笑みを浮かべながら、シェルフィはあざとく小首を傾げてラックに顔を寄せる。

「はあ? そういうつもりじゃなくて、俺はただ……!」

 変な方向へ飛躍した切り返しに、ラックは顔を真っ赤にして反論しようとする。しかし、次の言葉が口から出るより先に、停泊所全体に拡声器を通した声が響いた。

『静粛に。各々方、静粛に』

 厳格な、凛とした男性の声。誰もが声の発生源に顔を向ける中、シェルフィは「あら残念」と口をへの字に曲げてラックから離れた。

「な、なんだ?」

「主催者の挨拶ですよ。ワタクシも主催側だから、行かないといけませんわ」

 ラックは声のした方、停泊した飛行船の前に拵えられた広めの台の上に、数人の人影が上るのを見た。

 こんな赤字確定の遠征を主催するものがどんな人物なのかと、ラックは背伸びしてその姿を見ようとする。

 そんなラックの無防備な頬に、ちゅっと、シェルフィの温かな唇が触れた。

「な、え……はあ?」

 気が動転し、一気にシェルフィと距離を取るラック。慌てて抑えた頬には微かな熱と湿り気が残っており、目の前にはいたずらに成功した子どものように笑うシェルフィの顔があった。

「な、何しやがんだよ?」

「ただのご挨拶ですよ。また後ほどお会いしましょう、ラックさん」

 そう言ってヒラヒラと手を振り、シェルフィはその場を離れる。「失礼しますわ」と人混みをかき分け、主催側が集まっている台の方に向けて歩いて行った。

 ラックはドクドクと激しく脈打つ心臓を深呼吸で鎮め、改めて壇上の主催者の姿を確認する。そこではちょうど、主催者と思しき男が不機嫌そうな顔で遅れてやって来たシェルフィを迎え入れ、挨拶を始めるところだった。

 壇上にいるのはシェルフィを含めて四人。主催者と隣に並んだシェルフィを挟むように、ラックの身長ほどもある大剣を背負った二人の巨人族が隣に控えている。位置取りから見て、この巨人族は護衛なのだろうと察した。そして、中央で拡声器を持つ男は、

(り、竜人族……!)

 石拾いと同じような服装に身を包み、腰には細身の長剣を携えた男。その首から頬にかけてと拡声器を持つ手は、緑色の鱗に覆われていた。

 竜人族、それは全種族の中で最も謎の多い種族である。

 竜素の中でも一切その影響を受けることはなく、巨人族に匹敵する腕力と耳長族を超える知識と寿命を持つという。数は恐ろしく少なく、ラックを含めてその場の石拾いたちも見るのは初めてだったのか、周囲からは少なくない動揺が伝わってくる。

 竜人族の最大の謎は、その出生にある。多種族のような家族、同種族でのコミュニティが確認された例はなく、当人たちもそのことに関しては一切口を開かない。

 噂では竜と多種族の混血だとか、竜輝石から生まれた竜の突然変異種だとか、好き放題言われている。

 現在公の場に姿を見せている竜人族は、皆その卓越した才覚で各国の中枢に籍を置き、国家運営に携わる重鎮であると伝え聞いている。

(道理で、金掛けられるはずだよ……)

 竜人族であればこの無茶苦茶な遠征の費用を捻出することも不可能ではないとラックは判断した。それでもこの遠征の意図は読み取れないが。

『私は今回の遠征を主催した、ベヘモットという者だ。この国の政府に所属する身で、見ての通り竜人族である』

 ラックを含め、石拾いたちはベヘモットという男の言葉を静聴していた。ラックやミーアと同じように、この遠征の在り方に疑問を持つものは多いらしい。

『この遠征の目的は未開拓の柱に拠点を築くことと銘打っているが、実際は実地検証に近い。資料に記載した地点にて飛行船での航行中に不自然な柱が確認され、それを現地で確認、検証することが主な目的である。実際の検証は我々の用意した調査隊が行うので、諸君ら石拾いには調査隊の安全のために周辺の竜の討伐を行ってもらいたい。無論、その間に諸君らの本業である竜輝石の収集を行ってもらい、後ほど収集した竜輝石の二割を収めてもらう』

「…………」

 それは、聞いたことのない仕事だった。収める竜輝石の割合は記憶の通りだが、不自然な柱の調査など、確認した資料のどこにも書いてはいない。

『これは白柱の国の、ひいては我々が礎とするこの柱の正体に近づくことができるかもしれない機会。他国に情報が漏れることを考慮し、資料への記載は避けた。ご理解いただきたい』

 ベヘモットの話は、一応の筋は通る。白柱の正体、国を覆う竜素のことは、この国に住むものならば誰もが一度は気にかけたことがある謎で、莫大な利潤を生む竜輝石にも関わることだ。

 国家機密、そんな言葉がラックの頭をよぎったが、それならばおかしな点がある。シェルフィは先ほど、祖国では便利屋のようなことをしていると言っていた。白柱の国の出身であるなら、祖国などという言い方はしないであろう。

 そもそもラックは物心ついたころから白柱の国に住んでいるが、この国の政府に竜人族がいるなどという話は聞いたこともない。

 小さな疑念の積み重ねが猜疑心を呼び起こし、ラックはこのまま遠征に参加していいものかと躊躇った。しかし、

『この後飛行船に乗り込んでもらうが、資料に記載した通り入船の際に支給品と前金の二百万エルを渡す。成功報酬の三百万エルは、遠征後、下船の際に渡す。以上、参加するものは、順に入船を開始してもらいたい』

「っ!」

 改めて突き付けられた高額報酬。手の届くところまでやって来た外に出るチャンスに、ラックの疑念は霧散した。

(そうだ、そんなことどうでもいい……!)

 幼い頃からの悲願。外に出て、シャヴァンヌとミーアと共に世界を見る。

 夢の実現は、目の前まで迫っている。

 それだけで、ラックには充分だった。

「うっし!」

 流れ始めた人の波に混ざり、ラックは飛行船の中に足を踏み入れた。



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