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竜と白柱の国  作者: 風見真中
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幸運のラック


「ドゥルフ、ディルフ……?」

 視界の端で起きた、一連の攻防。時間にしてたった数秒の間に、二人の巨人族は屋上に空いた大穴の中に消えた。

「なに、よそ見してやがる!」

「くっ!」

 躍る大剣は虚空に赤い軌跡を残し、確実にベヘモットに迫る。

 そもそも大剣と細剣では、勝負になるはずもない。受けようものなら重さの違いで簡単に折られてしまうし、間合いも倍近く違う。

 武器の質で圧倒的優位にありながら、それでもラックは攻めきれないでいた。

「この!」

「シッ!」

 上段から下段、下段から上段。時には突きを交えて縦横無尽に大剣を躍らせるも、ベヘモットはその全てを見事に受け流す。何度ラックか大剣を振るおうと、ベヘモットの鱗一枚削ぎ落すことは叶わない。

「……やはりな。小僧、お前は戦い方が素人だ」

「何だと!?」

 大剣の刀身に細剣の峰を奔らせながら、ベヘモットが一歩間合いを詰める。大剣にとっては近すぎて持て余し、細剣にとっては丁度いい、そんな絶妙な間合いまで。

 ベヘモットはラックの動きのぎこちなさを見切り、身の丈ほどの大剣という武器の不慣れを的確に突き、必殺の刹那を作り出した。

「人と相対した経験が少ない、そう言っている」

「ッ!?」

 ラックはシャヴァンヌの教えを受け、ありとあらゆる異国の剣技を学び、それを組み合わせて独自のスタイルを確立した。しかし、今までラックはそれを使って人と戦った経験がほとんどない。石拾いのラックにとって、戦う相手は常に竜。ベヘモットの言う通り、人間に剣を向けることなど考えもしなかったのである。

 その結果が、この隙に繋がった。

「死ね!」

 詰められた間合いに、大剣の防御は間に合わない。

 無防備に空いた胴に、細剣の一閃が吸い込まれる。

「ラック!?」

 悲痛な声はミーアのもの。立ち上がって駆け寄ろうとするミーアだが、シェルフィがそれを許さない。

「いけません!」

「離して!」

 抑えつけられたミーアは、当然動ける体ではない。無駄に命を捨てるような真似を、ミーアを任されたシェルフィが看過するはずもない。

「ラックさんの夢を、邪魔してはいけません」

「え?」

 ラックの夢には家族が、ミーアが生きていることが大前提。ミーアが命を散らせば、その瞬間ラックの夢は永遠に叶わなくなる。ラックのためにも、ミーアは死んではいけない。

 細剣を振り抜いたベヘモットは、崩れ落ちるラックには一瞥もなく、戦いを見守っていたアスティに向き直る。

「さあ、一緒に来い」

「…………」

 シェルフィやミーアは勿論、ベヘモットは既にラックのことさえ意識していない。ただ目の前のアスティだけを見ていた。

 ベヘモットはアスティの炎を浴び、自らの鱗を焼かれた。それを警戒しないベヘモットではないが、今のアスティには明確な疲労の色が見て取れる。竜の姿から人間の姿に変わったときに漏れ出た竜素。更にドゥルフとディルフとの戦いで見せた幾重もの体の変化。

 アスティは体を変化させる度に竜素を消耗し、今は竜素が枯渇して疲れ切っている。ラックとベヘモットの戦いに参戦しなかったのは、回復に努めていたため。

 万一戦うことになっても負けはない、ベヘモットにはその確信と、僅かな気の緩みがあった。

「っ!?」

 それでも、培ってきた経験故か、背後から迫る大剣に籠められた殺気には過敏に反応してみせた。

 辛うじて回避した大剣による攻撃は、ほんの僅かにベヘモットの頬を裂いた。ラックにしてみれば、三度目の会敵にして初めてベヘモットに傷を負わせた瞬間である。

「貴様……!」

「竜素の籠ってない攻撃は、竜人族には効かない。そう言ったのはお前だろ?」

 横薙ぎに切られたラックは、シャツが両断されて腹部が露わになっていた。そこには剣を受けた個所だけでなく、全てが青い鱗に覆われた、竜のような肌だけが広がっていた。無論傷はなく、一滴の血も流れてはいない。

「はは、ははは! 確かに剣に竜素を籠めなかったのは失態だった。しかし貴様のそれは、防衛能力の鱗とは違うな。小僧、貴様の体はもう……」

「お前、何で切れたんだ?」

 ラックはベヘモットの言葉など一切耳を貸さず、頬を指さした。自分が与えたベヘモットの傷を示して。

「妙だと思ったんだよ。お前はずっと俺の攻撃なんか効かなかったのに、今はずっと避けてただろ? 俺には竜素の籠め方なんてさっぱりなのに」

「何が言いたい?」

「俺が籠めなくても、この剣にはばあちゃんの竜素が籠ってる。だからこの剣なら、俺でもお前の鱗を切れるんだろ?」

 頬を流れる血がその証拠。シャヴァンヌの力を借りて、ラックはようやくベヘモットと対等になった。

 構えた大剣はラックの意思に呼応するように赤い輝きを増し、内に秘めた竜素が溢れるように赤い煌きとなって剣の周りを覆う。

 この剣は、シャヴァンヌの力はまだ生きている。

「……その竜素によってお前は死ぬのだ。鏡を見せてやろうか?」

「必要ねえよ。自分の体だ。自分が一番よく分かってる」

 ラックの体には、既に小人族の面影はない。

 全身に鱗、髪は全てが青く染まり、瞳の色さえ青く瞳孔の形も変わっている。大剣を握る両手だけは赤い鱗に覆われているが、それは異なる二つの竜素が一つの体に混在している証拠。これが正常のはずはない。

 白柱の国の竜素に侵されたベヘモット以上に、今のラックの状態は進行している。

「ラック……!」

「ラック、死んじゃやだ!」

 ミーアもアスティも、既に理解していた。

 ラックがこの戦いに勝っても負けても、その先は無いと。

「無駄なことだ。一人で勝手に死ねばいいものを、なぜ私の邪魔をする」

「何度も言わせんな。お前が俺の邪魔してんだよ」

 僅かな間合いを取って、二人は最後の対峙をする。ベヘモットの細剣はラックの大剣のような緑色の光を帯びその存在感を増し始めた。

「これが竜素を籠めるということだ。次の機会には参考にするといい。まあ、次など……」

「あるさ。生きてんだから、次の機会なんていくらでもある」

「ないんだよ、お前には『次』も『先』も!」

「ンなこと、お前が決めんじゃねえ!」

 振り下ろされる大剣と、それを受け流すべく構えられた細剣。

 二振りの剣がぶつかり、籠められた竜素が奔流を起こす。

「っ!」

 渾身の一振りを受け流されたラックはようやく悟る。自分の技量は、二百年にも及ぶ研鑽を積んだベヘモットには遠く及ばないことを。加えて、籠められた竜素によって剣の優位が失われていることを。

「アスティ!」

「っ!」

 お互いに剣を構え直す僅かな隙に、ラックはアスティに呼び掛ける。

「お前の炎を貸してくれ!」

「ーーーーっ!」

 ラックの呼びかけに、アスティは即座に反応した。大きく息を吸い、体に残されたありったけの竜素を炎へと変えて放出する。

 巻き起こる竜の息吹、青い炎。

 ベヘモットは咄嗟に回避しようとするが、しかしそれはベヘモットを狙って放たれたものではなく、ラックの僅か頭上に向けられていた。

「何を……!?」

 その炎を、ラックは大剣で受け入れた。

 シャヴァンヌの赤い竜素の煌きと、アスティの炎に宿る青い竜素の煌き。

 二つの竜素が大剣に纏い、振り下ろされるべく大きく掲げられた。

「お、のれっ……!」

 二つの竜素の籠った大剣は、もはや細剣では防御できるものではない。これに籠った力が溢れれば、それは一撃で飛行戦艦すら破壊し得る。即座にそれを悟ったベヘモットは、剣をつぶさに観察し、ただ回避にのみ専念した。

 どれほど膨大な力を有していようとも、所詮は剣。その線上にいなければ力に飲まれることはない。

 ただ剣のみを回避しようと努めたベヘモット。剣を振り下ろす速度があまりに遅いことに気付いたとき、

「うおぉぉぉぉっ!」

 大剣を手放し、ベヘモットを狙い動いていたラックの姿は、見失っていた。

「ーーーーっ!?」

 放たれる拳には、シャヴァンヌから借り受けた赤く煌く竜素の残滓。大剣を握り続けたラックの拳には、竜人族の鱗を打ち破る竜素が籠っていた。

 ベヘモットの顔に叩き込まれた拳は、緑色の鱗を宙に舞わせる。

 体から力が抜け、細剣を落とすベヘモット。不思議とゆっくりと流れる世界の中で、ラックが落下する大剣の柄を再び掴むのが見えた。

 ラックは大剣を大きく振り回し、剣の重さに力を乗せる。

 円を描いた大剣の軌跡は、赤と青の竜素の輪。

 宙を舞う鱗は炎の中で燃え尽き、大剣は今度こそ、振り下ろされる。

 そして、轟音と彩炎。

 ベヘモットを切り裂いた斬撃の余波は、そのまま上空に登り、竜素の膜にその爪痕を残す。

 肩から袈裟斬りに両断されたベヘモットは、屋上に落ちるとともに、その光景を見た。

 神竜アストゥリアスの死後、この地を覆っていた竜素の膜に、恐らく歴史上はじめて穿たれた裂け目。

 竜の巣を照らす、オレンジ色の光。

 ベヘモットは知っていた。これが夕日、夕暮れ時の最も鮮やかな太陽であることを。

 ベヘモットは知らなかった。白柱の国で見る夕日が、こんなにも美しいことを。

「は、ははは……。憐れだな、小僧」

「な、にがだ、ベヘモット……?」

 大剣を屋上に突き立て、何とか体を支えながら、ラックはベヘモットの最後の言葉に応える。

「この、国の、空を覆う竜素は……裂けた。凄まじい、力だ……。だが、お前は、もう……」

「行くさ。偶然だけど、道はできた」

 竜素の裂け目。そこに飛び込めば、すぐにでも外の世界が見える。偶然の産物だが、ラックには好都合だ。

「お前は、私と、同じだ。小人族にさえ、生まれなければ……」

「違うね。俺とお前は、全然違う。だって……」

 ラックがベヘモットに対して感じたのは、自分と似た境遇による共感。しかし、そこには明確な違いがあった。


「俺は一度だって、小人族に生まれたことを後悔なんてしなかった。どうにもならないことを呪うヒマがあったら、俺は夢のために進もうとしてたからな」


「ぁ…………」

 それが、ラックとベヘモットの違い。

 ベヘモットは脆弱な身を呪い、竜人族となった後もその身の不完全さを嘆き、手段を選ばず万進した。

 ラックにとっては、そんなことはどうでもいい。

 弱いことも、脆いことも、とっくの昔に慣れた。

 ラックは、種族の脆弱さを補って余りある幸運に恵まれた。

「憐れなのはお前だよ、ベヘモット。せっかくお前は外に出られたのに、何で不幸を呪うことしかできなかったんだ?」

 ラックの目には、確かな哀憐があった。

 少し、ほんの少しだけ前を向けていたら、ベヘモットには幸運があったはずだと。

「…………ガキが」

 竜素と炎の斬撃に焼き斬られた体からは、一滴の血も出ていない。しかし、竜素に蝕まれた体は、朽ちるように崩れていった。

「余計な……お世話だ……」

 崩れた体は、灰のように風の中に消えていく。

 怒りと嘆き、呪いと恨み言すらも、風に飲まれて見えなくなった。

「バカはお前だ。本当に、勿体ない奴だよ……」

 ベヘモットを見送り、ラックは竜素の裂け目を眺める。

 オレンジ色の光の塊。あれがきっと太陽、それも本で見た夕日というものなのだろう。

 夕日、夕暮れは昼と夜の境目。あの太陽が姿を隠したとき、空は暗くなり、夜を迎える。

「おーい、アスティー」

 ラックが呼ぶと、アスティは滑空するように一直線にラックに飛び込み、その首に腕を回してしっかりとしがみ付いた。

「ラック……! ラック……!」

 アスティは力の限りラックに抱き着こうとするが、その体を覆う鱗と、先ほどとは様変わりした姿に慌てて体を離す。

「ダメ、アスティが触ったら……!」

 ラックはアスティの竜素により、恐らくはベヘモットと同じようになる。

「バカ言うなよ」

 そう言ってラックは腕を伸ばし、離れようとするアスティの体をしっかりと抱き締めた。

「ラック……!」

「ありがとうな、アスティ。お前のおかげで勝てたし、こうして空を見ることもできた。本当に、お前に会えたのは幸運だよ」

「でも、でもラック……!」

 声を震わせて泣きだしたアスティをなだめ、ラックは歩み寄ってくる二人に視線を向ける。

 シェルフィに肩を借りながらなんとか近づいてきたミーアは、よろめくようにラックの胸の中に飛び込んだ。

「ラック!」

「……ミーアには、何度礼を言っても言い足りないし、謝っても謝り切れないよな。バカやって、わがまま言って、迷惑ばっかりかけてきた」

「そんなのいい! そんなのいいから、ずっと一緒にいてよ! 謝るくらいなら、一度くらい私のわがままも聞いて! お願いだから……!」

 泣きじゃくる二人の家族を腕の中に抱いて、ラックはシェルフィに向き直る。どうにもならないことを嘆く時間は、残っていない。

「はい、お連れしていますよ」

 頷いたシェルフィが服の内側から取り出したのは、白い竜輝石。シャヴァンヌのもう一つの形見である。

「ありがと、シェルフィさん」

「いいえ、それでは、良い旅路を。相手の幸運を願う言葉と共にお見送りさせていただきますわ」

「幸運を願う言葉?」

「ええ。グッドラック、そう言うんです」

 幸運の言葉に笑顔で返し、ラックたちは旅に出る。

 夢が叶う瞬間はもうすぐそこだった。



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