威風堂々
「見捨てられたな。憐れなものだ」
生け捕りにした竜を入れておくための頑丈な檻。その中で手足を縛られた状態で力なく横たわるミーアに、ベヘモットは冷ややかな声を浴びせた。
ミーアを使ったラックへの出頭宣告から、既に十日。ラックは未だ、姿を見せていない。
その間死なない程度の食事だけを与えられてきたミーアの肉体は、もはや限界を超えていた。拷問の際に見せたベヘモットへの挑発も気丈な振る舞いも見る影もなく、今や意識があるのかさえ定かではない。
「信頼していた男に見捨てられた気分はどうだ? いい加減、小僧を匿っていそうな連中を話したらどうだ?」
「……ねえ、どこに連れて行くつもり?」
ベヘモットの問いに答えることはなく、僅かに顔を上げ、ミーアは周囲を見渡す。
身体に感じる風と、視界に映る白柱と竜素の膜。ミーアは昨日まで捕らえられていた一室から外に出され、竜の巣の屋上にある広い空間に連れ出されていた。初めて目にする竜の巣の屋上は綺麗な平面になっており、どこかの国の国旗が描かれた飛行船が停泊している。
あの飛行船に乗せられ、自分はどこかに行くのだろう。ミーアはそう考えていた。
「……私の国だ。お前には、一緒に来てもらう。あの小僧なら、国外だろうと自力でお前を取り返しにやって来るだろうからな」
「来るわけないでしょ。ラックたちはとっくに国を出てるんだもの」
ミーアには確信があった。自発的なのか協力者がいたのかは定かではないが、少なくともラックとアスティは十日前の段階で既に白柱の国を出ていると。そうでなければあの考え足らずのラックが、ミーアの救出に乗り込んでこないはずはない。
「見捨てられたという自覚はあるんだな」
「あるわけないでしょ。ラックたちは、多分私が捕まってることも知らないわよ。アンタたちと面識がないから、捕まることはないだろうってね」
浅慮ではあるが、少なくともラックたちを残して家を出た段階ではミーアもそう考えていた。
「それが見捨てられたと言っているんだ。聞けばアイツは、国を出ることを目標にしていたそうだな。お前と共にではなく、神竜だけを連れて……」
「夢を叶えたんだから、立派なことよ。私はもともとこの国の出身じゃないから、別に外に出たいとも思ってなかったし」
ミーアの言葉は、決して強がりではない。ミーアは空も海も見たことがあるし、ラックほど強い憧憬は抱いていなかった。
強いて言えば、ラックが夢を叶えることが、ミーアの夢。
二人に別れを言えなかったことと、ラックが夢を叶える瞬間に立ち会えなかったことは少しばかり不本意ではあるが、自分が夢の妨げになるくらいならそんなことはどうでもいい。
ラックがすでに夢を叶えたのなら、ミーアには思い残すことはない。
「私のことは好きにしたらいいわ。もう、満足したからね」
「減らず口を……ゴホッ!?」
達観したようなミーアの言動に苛立ち、檻の格子を蹴飛ばしてやろうと足を構えたベヘモットは、急に咳き込み、その場に蹲った。そしてミーアは、信じられないものを見た。
「ゴホッ……ゴホッ!」
咳き込むベヘモットの口元から流れる、一筋の血。その症状は、良く見知った竜素中毒に酷似しているようだった。
「なに、竜素中毒? 竜人族は竜素に耐性があるんじゃないの?」
高層である竜の巣の屋上とはいえ、ここは竜素の薄い居住区。ミーアですらマスク無しでも息苦しささえ感じないほど竜素濃度は低い。
薄い竜素で、しかも耐性がある竜人族の身に起きた中毒症状。竜人族が竜素に耐性を持つというのはデマで、ラックも竜素を越えられなかったのではないか、という焦りがミーアに再び恐れを与える。
「黙れ……こんなもの、ゴホッ!」
満足に言葉も出せないほどにベヘモットは苦しみだし、出航の準備をしていた兵が手を止めて駆け寄ってくる。
「ベヘモット様!」
「やはりこの国の竜素は……」
「おい、早く準備を終わらせるんだ!」
兵がベヘモットの口元に防素マスクをあてがい、一応の落ち着きを取り戻す。その姿はまるで耐性の低い小人族のようであり、竜素に翻弄される様は何とも弱々しい。
「早く出国しましょう。本国に戻れば治療を……」
「黙れ! 気休めの治療など要らん!」
「しかし……!」
「神竜だ! 早くあの小僧と、神竜アストゥリアスを見つけろ! そうすれば、私はこんな不完全な…………」
苛立ち、防素マスクを剥ぎ捨てるベヘモット。ミーアの視界に映ったその顔は、変貌を遂げていた。
(なに、あれ……?)
ベヘモットの顔は、首元から頬にかけてだった鱗が、広がっていた。
ミシミシと、離れていても耳に届くほどの異音を鳴らし、次々と皮膚から緑色の鱗が顔を出している。突き破られた皮膚からは血がにじみ出て、苦痛に歪む顔は鱗の緑と血の赤により、不気味なコントラストに彩られていく。
「……私は、私はこんな無様には終わらん! 絶対に……!」
息を荒げるベヘモットと、驚愕の光景に硬直するミーア。
目の前で何が起こっているのかをミーアが飲み込む前に、広い竜の巣の屋上に、影が落ちる。
「え?」
「っ!?」
見上げるとそれは、どこか懐かしい、見覚えのある光景だった。
竜素の中を泳ぐ影。ミーアは一瞬飛行船かと思ったが、それには翼があった。
舞うように両翼を翻しながら、影は悠々とこちらにやってくる。
ベヘモットの私兵も、飛行船に荷物を運び入れていた二人の巨人族もその影に気付き、皆一様に空を見上げる。
檻の中に囚われていることも、ベヘモットの体の異常も些末な問題とばかりに、今や誰もそちらを見てはいない。ベヘモット本人でさえも、仰ぐように空を見上げている。
「シャヴァンヌ、様?」
思わず口から出た言葉を、ミーアはすぐさま否定する。
シャヴァンヌは死んだ。それは間違いない。
しかし、影の主は竜である。それもまた、間違いない。
その竜は、シャヴァンヌに比べれば遥かに小さい。目測で体長はおよそ二メートル、翼を広げても、四メートルほどしかない。シャヴァンヌに比べれば子どものサイズである。竜は青い宝石のような鱗を煌かせ、首元にはスカーフのように大きな布を巻いている。
そして、竜の背中には、彼がいた。
「————————ベヘモットォッ!」
響く声は荒々しく、その姿は堂々と、それは圧倒的な存在感とともに、竜の背から飛び降り、屋上に降り立った。
声の主は、少年。小柄で、首から頬にかけてを竜と同じ青い鱗に覆われている。黒かった髪も、全体の三分の一ほどが青く染まっていた。
その背中には、少年の身の丈ほどもある布に包まれた武器。恐らくは、祖母の形見の加工品。
「小僧っ!」
「ケリを付けようぜ、ベヘモット!」
少し見ない間に、その姿は様変わりしていた。
雄々しく、逞しく、どこか美しい。それでも、その幼さが残る顔に秘めた憧れには、一片の曇りもない。
石拾いのラックは、再びベヘモットと相対した。




