味方
陽の光の届かない白昼の国にあって、そこは輪をかけて暗い場所だった。
竜素炉の出力が足りていないのか、灯りは所々明滅しており、空調も満足ではなく広い空間のはずなのに空気が重苦しい。
ここは竜の巣からほど近い場所に建てられた倉庫。国外に輸出する竜輝石を保管しておくための施設である。
「アンタ、自分が何してるか分かってんのか……!?」
険しい顔で詰問するラックに、ブレダは椅子に座ったままふんぞり返り、腕を組んで鼻を鳴らす。
「思う所がねえと言ったら嘘になるな。俺もいい歳だし、家族も生活もある。そういうの全部ひっくるめて考えた結果だ。ここにいる全員、同じ気持ちだよ」
簡素なイスとボロボロのテーブル。廃材を集めてとりあえず用意したような家具に座り、その場に集った面々は僅かに口角を上げている。
「……俺たちの言い分を一切聞かないでか?」
「聞く必要ねえだろ。お前が何言おうと、俺たちの考えも、やることも変わらん」
その場に集っているのは、統一感の無い面々だった。ラックをこの場に連れ込んだ、ブレダを筆頭にしたラックの顔見知り。市場や竜の巣で店を営む者、近所づきあいのある者、ラックにとっては同業者の石拾いや、先の遠征に行ったきり帰ってこなかった石拾いたちの家族もいる。
「ラック……」
苦悶の表情を浮かべるラック。その心情が伝わったのか、アスティが不安そうにラックの服を掴む。
「アイツらは、マジでイカれた悪党なんだぞ!? 俺だって一度……!」
「お前が何言おうと、政府のお偉方が何を企んでいようと、この場にお前たちを売るような輩はいねえ! 俺たちが何としてでも、お前たちを外に逃がしてやる!」
「っ!」
ブレダの号に、その場にいた全員が賛同する。
家に訪れたブレダたちの真意を悟ったとき、ラックは目を覆いたくなるほどの絶望を味わった。
ベヘモットの画策により、ラックには全ての罪がなすり付けられていた。
石拾いたちの殺害、飛行船の破壊、アスティの誘拐。
その全てを、ブレダたちは何の確証もなく否定した。
ラックの凶行もシャヴァンヌの乱心も、全て真っ赤な嘘だと判断し、ラックたちの捜索と並行して、こうして国外への脱出の準備を整えてくれていたのである。
政府の発表した指名手配犯の隠避と逃亡の幇助。それは即ち、ブレダたち全員が命を危険に晒すことに等しい。
「俺たちを逃がすってことは、アイツらに逆らうってことなんだぞ!? それがどういうことか、マジで分かってんのかよ!? アイツらは平気で人を殺すし、俺だって一度殺されたんだぞ!?」
「何度も言わせんな。政府がイカれてんのなんて、みんな分かってるさ。だが、そんなことがお前を見捨てる理由になるはずねえだろ」
確固として譲らないブレダ。ラックは頭を抱え、泣きそうになりながら言葉を重ねる。
「それが分かってねえっつってんだよ! 殺されるかもしれねえんだぞ!?」
「だから何だ!? わが身可愛さでお前を見捨てるくらいなら、俺は今この場で死んでやるよ!」
力の限りテーブルを叩き、ブレダは怒号のように言い放つ。
その姿に、ラックは限界を迎えた。
「なんだよ、それ……」
力無く椅子に崩れ落ち、溢れる涙を止められない。
「あり得ねえ。何考えてんだよ、バカじゃねえのか……」
考えられない。考えてはいけない。
胸中に渦巻く感情は、決して抱いてはいけないものだと、ラックはそれを拭おうとする。
しかし、消えてくれない。
「ラック、痛いの? 苦しいの?」
「ああ、痛くて苦しくて、たまらねえよ……」
おぞましい。
汚らわしい。
考えただけで吐き気がする。
(ここにいる全員、死ぬかもしれねえんだぞ? 他の協力者も、知ってて黙ってたやつも、全員が同じ目に遭うかもしれねえんだぞ? なのに、なんで……)
自分のせいで、自分を庇ってせいで、多くの人間が死ぬ。これだけの人間が、自分のために命を懸けている。
(なんで俺は、こんなに嬉しいんだよ…………!)
自分にはまだ、こんなにもたくさんの味方がいる。
その事実だけが、今この場の真実。
相手は政府、国そのもの。
相手取ることなどできるはずない。なのにラックの心には、一握の恐れもない。
「ラック、すまなかったな」
「え?」
唐突にブレダの口から告げられた謝罪に、ラックは困惑する。謝罪を受けることなど、何一つ無いはずだからである。
「俺はな、お前を見くびっていたんだ。子どものくせに飛行船の船代を稼ぐだの、シャヴァンヌ様の旅に同行するだの、夢物語ばっかり口にする現実を見れてねえガキだってな。金に汚くて、口先だけの奴だと思ってた。ついでに、店としちゃあいいカモだとも思ってた」
それは、罵倒ともとれるほど辛辣な言葉の数々だった。
大口をたたき、夢ばかり語る、現実と向き合えない子ども。叶いもしない分不相応な目標を自信満々に語る様は、さぞ滑稽だっただろう。
「だがな、政府が手配書を回したとき、俺は怒りで目の前が真っ赤になったんだ。俺たちの知るラックが、そんなクソなやり方をするはずねえ。こんなもんは、ラックのことをちっとも知らねえ奴が考えたデタラメだって、すぐに分かったよ」
ブレダはそっと手を伸ばし、ラックの頭をポンと叩く。
考えてみればラックは、誰かに撫でられたという思い出がほとんどない。物心ついたころには両親は他界していたし、育ての親であるシャヴァンヌの腕は、小人族の頭を撫でるには大きすぎた。
「そのとき気付いちまったんだよ、俺たちはみんな、お前のことが大好きだったんだってな」
「ブレダ、さん……!」
ブレダの手は優しく、父を知らないラックにも父性を感じさせるものだった。
「ラック、夢を叶えろ。お前は確かに大口たたきの夢見がちなガキだ。だが、ただの一度も自分の夢に嘘は吐かなかった。それはきっと、誰にでもできることじゃねえ」
その手の温もりとは反して、ブレダの言葉は決して優しくはない。それはつまり、自分一人の夢のためにこの場の全員を殺す覚悟をしろと言っているのと同義だったから。
しかし、それに異を唱える者はいない。
「この国で生まれ育って、外に憧れないやつはいない。みんな口に出さなくても、本物の空を見たいと思っているさ。俺たちの夢も、お前に預けさせてくれ」
ラックにとって、ブレダは決して友人ではなかったはずである。事あるごとに装備品の修理代をふんだくられて、ケチな土鬼族のオッサン以上の感情は抱いたことがなかった。
それでもラックは、いま確信をもって思える。
自分は見守られていた。この繋がりには、自分の名に恥じない幸運があると。
「……約束、するよ。俺は絶対に、夢を叶える!」
顔を上げ、泣き腫らした目でラックは笑う。
そこにはもう、一片の絶望もない。
ただ、幸運の道行きへの期待だけがあった。
「次の飛行船は五日後だ。それまでは俺たちが交代でこの倉庫を見張る。幸いここの管理はほとんどドミニクの奴がやってるから、見つかる心配はない。あとは……」
「あ、ブレダさん、ついでに一つ頼みがあるんだけど」
「なんだ?」
今後の予定を話し合おうと口を開き合った直後、倉庫の引き戸が勢いよく開かれ、一同がそちらに注目する。
「な、なんだ、ドミニクか……」
今しがた名前の出た買い取り場店主の合流に安堵しかけた、その瞬間、
「た、大変だ! ミーアが……!」
ドミニクの口から告げられた報告に、再び一同に緊張が走る。




