居場所
休息を求める体に鞭を入れ、ミーアは足早に竜の巣に向かっていた。
家でお腹を空かせて待つラックとアスティに、少しでも早く食事を届けようと意気込んでいた。
体は勿論、心も疲弊しているであろうラックには、何か力の出るものを食べさせたい。しかし、あまり準備に時間をかけてはラック申し訳ない。
竜の巣の中の食料品店で材料を買い込み丹精込めて料理を作るのがいいのか、市場ですぐに食べられるものを買って帰った方がいいのか、そんなことを考えていたミーアは、自分の考えの甘さを呪うことになる。
「な、なに、これ……?」
竜の巣の周辺、白柱の国の心臓部である市場の至る所に、張り紙が掲示されていた。
張り紙の内容は、先日の遠征の顛末。
政府主催の遠征は、たった一人の石拾いが竜輝石を独占しようとしたために、凄惨な結末を迎えた。
参加した石拾いたちは、その一人を除いて全員が死亡。遠征に使用された飛行船に火を放ち、政府の調査隊員もほとんどが死亡。あまつさえ犯人は、遠征の主催者であるベヘモットの身内の少女を誘拐し逃亡中。
犯人は小人族の少年と、国の守り神であったはずの古竜。
古竜シャヴァンヌは乱心し、その庇護下にあった石拾いの少年ラックは、竜輝石欲しさに大勢の同業者を殺害した。
張り紙の横には非常に精巧なラックの似顔絵と、一億エルという懸賞金の記された指名手配書。そして、政府の公認であることを示す印。
ほんの数日の間に、ラックは犯罪者に仕立て上げられていた。
「なんなのよ、これ? こんなの滅茶苦茶じゃない!」
ラックの罪はベヘモットの凶行のなすり付け。シャヴァンヌの乱心などというデタラメを交えて、情報は全てベヘモットにとって都合の良い様に改竄されている。
張り紙も手配書も剥がして破り捨ててしまおうとしたミーアだが、そんなことをしても張り紙は至る所に張られているし、この様子では各家庭にまで配られているかもしれない。
どれだけ荒唐無稽な内容でも、石拾いの死だけは事実。ラックが外に出るために金を欲していたことも有名で、誇大すれば動機として成立してしまう。しかも、手配書には政府公認を示す印まで押されている。
無実を訴えたところで、それが聞き入れられる可能性が極めて低いことは、すぐに理解できた。
「っ!」
今更のように、ミーアは周囲の視線に気付いた。
市場にはそれなりの人がいて、皆遠巻きながらミーアに注目している。
懸賞金とは別に手配書に記された一文、有力な情報提供者に対する謝礼金五千万エル。
ミーアにとってこの市場も竜の巣も生活圏内。店を営む者は勿論、買い物に来る客の中にも顔見知りは多い。当然、ミーアとラックが家族であることなど、周知の事実である。
既に手遅れと思いながらも、服の襟を上げてなるべく顔を隠し、全力で市場から逃げ出す。市場に足を運んだことは、完全な失態。すぐに家に戻り二人と合流しなければ、手遅れになる。
焦りが注意を散漫にし、走り出してすぐにミーアは人にぶつかり転倒してしまう。
「きゃっ!」
「おっと、すまん……っ? お前、ミーアじゃないか!」
「っ?」
顔を上げたミーアの目に映った人物は、竜輝石の買い取り場の店主、ドミニクだった。
石拾いと政府の橋渡し役。ミーアが知る中でもかなり政府に近い人間との遭遇に、焦りは戦慄に変わった。
「お前、今までどこにいたんだ? っと、話は後だ。今すぐ一緒に……!」
「っ!」
ミーアは転倒したままの低い姿勢から、回し蹴りでドミニクの足を払う。支えを失って崩れ落ちるドミニクと入れ替わるように立ち上がり、全力で市場を駆けた。
ミーアはフィジカルに秀でた獣人族、加えて曲がりなりにも石拾いである。間違っても土鬼族のドミニクに追い付かれることはない。しかし、ミーアやラックの帰る場所など、こんな状況でなくとも自宅ただ一つ。追いつめられるのは、時間の問題。
「待てミーア! 俺と一緒に来い!」
背後で聞こえるドミニクの声にミーアは歯噛みした。
完全に顔を見られ、自分だと認知された。
もうこの国に、自分たちの居場所はない。
シャヴァンヌが亡くなった今、ラックの身を守るのは自分の役目。そのためには手段を選ぶ余裕はない。
「なんで……なんでこんなことになっちゃったの……?」
ほんの数日前まで、普段と同じ日常がそこにはあった。
市場での買い物も、買い取り場でのやり取りも、当たり前にミーアの日常だった。
それがたった数日で、自分たちはその輪の中からはじき出された。
平穏を失い、シャヴァンヌを失い、そして今、居場所さえ失った。
「私たちが、何をしたっていうのよっ……!?」
あまりにも多くを矢継ぎ早に失ったミーア。それでも、自分の最愛だけは、ラックだけは失う訳にはいかない。
道行く人波の視線を集めながら、決して振り返らずにミーアは走り続ける。
可能性は低いが、まだ手遅れにならずに済む方法がる。
自分はダメでも、ラックとアスティの二人は竜素の影響を受けない。飛行船という手段を使わなくとも、自力でこの国から逃げることができるかもしれない。
もうこの国にはいられない。今すぐ逃げなければならない。それを伝えるために、ミーアはひた走った。
家の影が見えた瞬間、ミーアの足は度重なる疲労についに限界を迎え、盛大に転んでしまう。
「っぐ!」
裂けた皮膚、破れた服、口の中に広がる血の味。全てどうでもいい。
足場に手をつき、這いずるようにして家までたどり着き、壊さんばかりの勢いでドアを開ける。
「ラック! アスティ! 今すぐ外に出て! もう私たちは、この国にはいられない!」
悲痛な訴え。諦めと絶望に満ちた声。
しかし、いくら待っても、答える声は聞こえない。
「ラック!? アスティ!? ねえ、寝てるの!?」
足をもつれさせながら家に入るミーア。しかし、二人の姿はどこにもない。
「なんで……どうして……どこ行っちゃったの、二人とも?」
きょろきょろと首を振るミーア。その中で、先ほど確かに置いたものが無くなっていることに気付いた。
竜輝石と骨。
シャヴァンヌの遺した形見ともいうべき品だけが、二人の姿と共に消失していた。
「……どっち? ねえ、逃げられたの? それとも、捕まっちゃったの?」
追手に気付いたラックとアスティが、シャヴァンヌの形見を持って逃げおおせた。それならばいいとミーアは考える。どのみち自分は竜素を越えられないのだから、共に逃げることはできない。
しかし、この状況では二人が逃げたのか捕まったのかの判断がつかない。
安堵と絶望が混ざり合った状況にあって、ミーアは既に自身の危険には頓着が無かった。
(家は、荒れてない。つまり先に逃げられた? でももし二人とも寝てたら? アスティが人質になったら、多分ラックは無抵抗で……)
床に膝をつき、虚ろな眼でぐるぐると巡らせる思考。決して答えの出ない自問を繰り返すミーアの元に、厳かな靴音が響いた。
「これがアイツの家で、この獣人族がアイツの家族か?」
「はい、記録ではそうなっています」
家に土足で上がり込み、侮蔑の籠った目で自分を見下ろす男。顔を覆う緑色の鱗が目に入ったとき、ミーアは場違いな安堵をしてしまう。
(このまま捕まって、そこに二人がいなければ……)
少なくとも二人は無事なんだと、そんなことだけを思った。




