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竜と白柱の国  作者: 風見真中
16/27

「つ、ついた……」

 見慣れたはずなのにとても懐かしく感じる我が家を前にして、ラックは力尽きるように白柱に設置された足場に身体を投げ出した。

 シャヴァンヌが亡くなってから丸三日を要し、夕暮れ時になって三人はようやく居住区にある家に辿り着いた。道中では竜に襲われたり、ワイヤーも無しに白柱を素手でよじ登ったりと、筆舌に尽くしがたい苦難を味わった。

「ラック、大丈夫?」

「あんまり大丈夫じゃねえな。疲れたし、腹減った……」

 ラックの身を案じて顔を覗き込むのは、青い瞳を不安気に揺らすアストゥリアス。シャヴァンヌの竜素を受けて目を覚ましたアストゥリアスは、まるで別人のような変貌を遂げていた。

 幼い容姿は生まれたときと大差ないが、その言葉遣いにはたどたどしさがなく、教えていない言葉の意味もきちんと理解した上での会話が成り立っていた。これがシャヴァンヌの言っていた回復と成長、記憶の一部を与えられた結果なのだろう。

 赤ん坊の様だった精神性も成長し、一見して容姿相応の少女のように見える。

「ラック……」

「うん、しんどいから離れてくれるか、アスティ?」

「や!」

 しかし、会話が成立するようになっても、こうしてラックにしがみ付くことだけはやめなかった。体を投げ出したラックに覆いかぶさるように、アストゥリアスはその首に腕を回している。

「こーら、離れなさいアスティ。ラックは疲れてるのよ?」

 見かねたミーアが両脇を抱えて引き剥がすと、アストゥリアスはジタバタと暴れ、それが無駄だと悟るとやがて唇を尖らせた不満そうな顔でミーアを見つめる。

「そんな顔してもダメです。しばらくは休ませてあげないと」

「……ミーアの意地悪」

「意地悪してるわけじゃないの。ラックは私たちを背負ってここまで登ってきたのよ? とってもとっても疲れてるの」

「うー!」

「アスティ!」

 厳しく叱りつけられ、アストゥリアスは渋々とラックの隣に座り込んだ。

 アスティというのは、ラックとミーアで考えたアストゥリアスの呼び名である。アストゥリアスでは少し長いし、何よりそれは先代の神竜の名前であり、この子のものではないと考えたのだ。

「また後でな、アスティ。ミーアは平気か?」

 数日ぶりに防素マスクを外した身を気遣うラックに、ミーアは少し呆れたような笑みで返す。

「ラックよりは平気よ。ありがとう。それにしても、ラックの体は本当にどうしちゃったんだろうね」

「ああ。どう考えても変だよな……」

 この二日間、ラックは幼いアスティと竜素中毒に苦しむミーアをほとんど一人で抱え、こうして居住区まで戻って来た。

 竜に襲われる危険を考慮してまともな睡眠もとらず、食事もままならない状態で動き続けてきた。二人の体に加えてシャヴァンヌの遺した骨を背負った状態で、素手で白柱をよじ登ってここまでたどり着いたのでる。

「まるで、竜人族だよな……」

「うん……」

 竜素に対して一切の反応を示さず、聴覚に秀でるミーアよりも先に竜の接近を知覚できる鋭敏な感覚。驚異的な身体能力を発揮する体や首に生えた鱗も含めて、ラックは自分の体に起きた変化を理解し始めていた。

 ベヘモットに殺されたとき、自分は竜人族に生まれ変わったのではないか、と。

「とはいえ、さすがにもう限界だ。ミーア、疲れてるとこ悪いんだけど……」

「ラックよりは疲れてないから、大丈夫だよ。すぐに何か作るね」

 そう言ってミーアは一足早く家に向かって駆ける。

 二日に及ぶ行軍によって、ラックたちの空腹は限界に達していた。ずっと体を酷使していたラックは勿論、マスク越しとはいえ濃い竜素に晒されていたミーアも食事と休息を求めている。アスティに至っては、生まれてからまだ何も口にしていない。

「とりあえず、俺たちも家に入るか」

 緩慢な動きで体を起こし、ラックもふらふらと家に向かって歩く。ラックにしがみ付きたい衝動を抑えながら、後に続くアスティは小首を傾げた。

「家?」

「ああ、俺たちの住んでる家だ。とりあえず入って、飯食って寝よう」

 ドアを開け、家の中に入る。ほんの数日ぶりだというのに溢れ出す哀愁、同時にこみ上げてくる安心感に、ラックは思わず泣きだしそうになった。

「ここが家?」

 対してアスティは、初めて目にする家の中に興奮した様子である。

 もの珍しそうにあちこちを駆け回り、ソファの上でぴょんぴょん跳ねたりしている。ツギハギだらけの年代物のソファからは内部のクッションが悲鳴のように軋む音が聞こえるが、今のラックにはそれを咎める気力もない。

 力なく床に腰を下ろしたラックに、キッチンから顔を出したミーアが困った様子で話しかける。

「ラック、材料ほとんどないから、ちょっと買い物行ってくるね」

「え?」

 ラックの返答も待たず、ミーアは動きやすい普段着に着替え、入って来たばかりのドアから外に出ようとする。

「おいおい、ミーアも疲れてるんだし、少し休んでからにしたらどうだ?」

「いいよ。私が一番足引っ張っちゃったし、みんなお腹空いてるんだから。それに、町の様子も見てきたいから。二人が行くより、私の方がいいでしょ?」

「それは……」

 ラックとミーアには、懸念があった。

 遠征に出てからの数日で矢継ぎ早に起こった多くの事件。ベヘモットによる石拾いたちの虐殺に、国の守り神であるシャヴァンヌの死。それが国民たちに伝わっているのか否か。

 遠征に使われた飛行戦艦はアスティとシャヴァンヌの攻撃により大きな損傷を受けたが、完全に破壊して飛べなくなったのかは確認できていない。

 もしもまだ船が航行可能で、ベヘモットたちが既に居住区に帰り着いているとすれば、ベヘモットが狙うアスティもラックも安全とは言えない。

 幸い自分はベヘモットと対峙してはいないので、見つかったとしても危険は少ないというのがミーアの考えだった。

「ごめん。頼むよ、ミーア」

「うん、任せて。それじゃあ、行ってくるね」

 ラックと小さく頷き合い、ミーアは家を出る。そんなミーアを見て、トテトテと寄ってきたアスティが不思議そうに首を傾げた。

「ミーア、どこ行くの?」

「うん? ご飯買ってくるんだよ。アスティ、ラックを困らせないように、大人しくしてるんだよ」

「はーい!」

 良い返事だが、本当に大丈夫かとミーアは心配になった。念を押すようにアスティの銀髪の頭を撫でていると、今更ながらにその恰好はいかがなものかと考える。

 当然だが道中では着替えの持ち合わせなど無く、アスティは未だベヘモットたちが拘束に使っていた布で体を包んでいる。アスティの見た目はただの少女のそれで、少し動いただけで裸体が露わになってしまうのはさすがに良くない。

「ねえラック、少し休んだらアスティに服着せてあげてね。物置に私の子どもの頃の服があるから」

「ああ、分かった」

 アスティが離れた隙にソファを確保しつつ、ラックはミーアの言葉に手を振って応える。

 体を沈めるソファの感触に己の疲労困憊ぶりを自覚し、ラックの意識は微睡に落ちそうになる。

 ドアの閉まる音と、直後に耳に届いた駆け寄ってくるような足音。手放しかけていたラックの意識は、首に腕が回される感触で無理矢理覚醒する。

「アスティ、頼むから寝かせてくれ……」

「ラック、寝るの?」

「うん、寝るの。寝たいの」

「じゃあアスティも寝る!」

「ああ、そうしてくれ……」

 引き剥がそうとすることもせず、腕の力を少し緩めてから二人は密着したままソファに寝転んだ。ラックはこのまま少し眠ろうと思ったのだが、

「…………ごめん、やっぱ無理。ちょっと起きてくれアスティ」

 のそっと体を起こし、改めて自分の首に腕を回すアスティの姿を見る。

「ラック、寝ないの? どうしたの?」

「いや、どうもこうも……」

 アスティの姿は体を布で包んだだけ。ほぼ裸である。

 家に帰り着くまでの道中では些末な問題だと後回しにしていたが、家という日常的な空間においてその姿は異様でしかない。

 何より、自分では大人ぶっていても、どれだけ腕が立っても、石拾いとして稼いでいても、ラックは十四歳の少年。竜とはいえ、どう見ても女の子なアスティに裸同然の格好でしがみ付かれたまま眠れるほど、その精神は成長し切っていない。

「……先に着替えだな」

「着替え?」

 休息を求める体に鞭を入れ、アスティを首から下げたままでラックは物置に向かう。

 物置にはラックが子どもの頃に愛読していた国外の書物や、新調したのになぜか捨てられないでいる古い練習用の木剣など、ラックにとって懐かしい品々が保管されている。

 積まれた木箱の蓋を次々と開け、懐かしい本をつい手に取ってしまいたくなる衝動を堪えながら目当ての箱を発見する。

「これなに?」

「昔ミーアが着てた服だよ。サイズは大丈夫そうだな」

 目に付いたシャツを引っ張り出してアスティの体に当ててみると、ピッタリとはいかないまでも着られないこともなさそうだった。

「ほら、これ着てみろよ」

「うん」

 勢いよく布を捲り捨てるアスティ。もう少し常識というか、恥じらいというものも覚えた方がいいと思うラックだが、考えてみればアスティは竜。シャヴァンヌも含めて竜は基本的に裸でいるのが当たり前なのか、とも思ってしまう。

「えっと、あとはスカートがあるな。下には……」

 流石に下着の類は無かったが、代わりにラックが履いていた半ズボンがあったのでそれを渡す。

「うん、結構似合うな」

 サイズの合っていないシャツに、スカートから覗く半ズボン。ちぐはぐな格好ではあるが、布一枚よりは遥かにまともな姿になった。幸い着衣を嫌がるようなこともなく、アスティはすんなりと服を着てくれた。

「えへへ。ラック、ありがと」

「シャツとスカートはミーアのお下がりだから、礼ならミーアに……?」

 着替えを終えて、これでゆっくり休めると息を吐いたのも束の間、乱雑に家のドアを叩く音が二人の耳に届いた。

「ミーア?」

「いや、ミーアなら普通に入ってくるはずだ。もしかして……」

 アスティを狙うベヘモットの追手。その可能性がラックの頭をよぎったとき、ドアの向こうから聞き覚えのある声が響いた。

「ラック! まだ帰ってないのか?」

 その声はミーアのものでも、危惧したベヘモットのものでもない。ラックの既知の人物のそれだった。

「ブ、ブレダさん?」

 顔見知りの来訪に困惑しながらも、微かに安堵したラックはアスティと共に玄関に赴き、ドアを開けてブレダを迎え入れる。

「ブレダさん、どうしたんだ?」

「ラック、帰ってたのか……」

 そこには竜の巣で装備品屋を営むブレダと、他にも数名の男たちがいた。ブレダ以外の者たちも服屋の店主や研ぎ師の男性など、竜の巣に店を構えるラックの顔見知りで、皆一様に険しい表情を浮かべている。

「な、なんだよ、みんな?」

 突然の来訪と険しい表情に戸惑うラック。ブレダはラックの問いには答えず、ラックの隣で首を傾げているアスティの首元に目をやる。

「竜人族の女の子……本当にラックと一緒にいたのか……」

 アスティの首元、青い鱗に注視したブレダは、表情をより一層険しくする。

「な、何でアスティのこと、知ってるんだ?」

 既に遅いと思いながらも、ラックはアスティを背後に庇う。

 ラックとアスティは遠征先で出会ったばかりで、当然ブレダがその存在を知るはずはない。知っているとすれば、あの場に居合わせた何者かがその存在を公にしたとしか考えられない。

 あまり考えたくないことではあるが、ラックも遠征の一件を経て人を疑うことを覚えた。

 例えば、ベヘモットとその部下たちは既に飛行戦艦で居住区まで戻っており、政府に通じているベヘモットが遠征先での石拾いの虐殺やシャヴァンヌの死を、歪んだ形で公表した。全ての罪を、ラックになすり付ける形で。

 何かの間違いであって欲しいが、よくよく見ればブレダたちの腰には剣、背には槍と、荒事に秀でた石拾いでもないというのに不自然な武装をしている。

 まるで、殺人犯に誘拐された女の子を助けようと動いているよう者たちにも見える。

「……ラック、一緒に来るんだ」

「……嫌だっつったら?」

「言わんさ。お前が、俺たちの知っているラックならな」

 含みを持たせたブレダの言葉。その声色で全てを悟ったラックは、一切抵抗をしなかった。

 人と人との繋がり。大切な人間同士が互いを思いやる感情。

 それは時として、無関係の人間までも巻き添えに、絶望に誘う糸になる。



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