白柱の真相
耳をつんざくような轟音。体を凍てつかせる冷たい風。
視界の悪い竜素の空で、シャヴァンヌはその身に当たる樹木の枝も小型の竜も無視して、飛んで飛んで、飛び続けた。
「う、うぅ……!」
「ミーア、大丈夫か?」
あまりの風圧と寒さ、何より居住区とは違いすぎる竜素に、体を抱いて震えるミーア。ラックが触れると、その体は恐ろしく冷たかった。
「ごほっ……寒いし、苦しいよ。ラックは、平気なの……?」
「あ、ああ。俺は、大丈夫だ……」
風が冷たい、体が冷えるという感覚はあっても、ラックはそれ以上の苦痛を感じなかった。
それに、寒さだけでなく、竜素の影響も受けていない。獣人族のミーアがマスクを着けていても苦しい特濃の竜素の中で、小人族のラックはマスク無しで平気な顔をしている。
(どうしちまったんだよ、俺は……)
急激な事態の連続で思考を放棄していたが、一度殺されて目を覚ましてからというものラックの体は明らかにおかしい。
致命傷が完全に塞がっていることもそうだし、何より竜素を吸っても中毒で倒れるどころか息苦しさすら感じない。
一体どうなってしまったのか、とベヘモットに斬られた首に触れようとすると、ミーアが驚愕の声を漏らした。
「ラ、ラック、首のそれ、なに……?」
「え?」
首に傷痕でも残っているのか、と触れてみると、そこには異様な感触があった。
硬く、ツルツルとした感触。それは触れ慣れた皮膚のものではない。まるで、今自分たちが身を預けているシャヴァンヌの背のような感触である。
「う、鱗……?」
手触りでしか確認できないが、間違いようもない。ラックの首、傷があった箇所には、びっしりと鱗が生えていた。ラックには視認できないが、アストゥリアスと同じ青色の鱗が。
まるでラックにしがみついて眠るアストゥリアスのような、ベヘモットのような、竜人族のような鱗。
「み、見てくればあちゃん! これなんだか分かるか?」
「…………」
「ばあちゃん、聞いてんのか? なんで俺に鱗なんか……!」
シャヴァンヌは答えない。ラックへの返答の代わりに、なぜかシャヴァンヌは飛行速度と高度を落とし始める。
「ばあちゃん……?」
「シャヴァンヌ様?」
確実に遅くなっていく速度と、それに伴い下がっていく高度にラックとミーアは怪訝な顔になる。
羽ばたく翼から力か抜け、フラつきながら飛行する。やがてシャヴァンヌは、白柱に寄生する硬く大きな菌糸類、『竜の腰掛け』と呼ばれるキノコの巨大な傘の上に落下した。
「なっ? 何してんだよばあちゃん?」
「シャヴァンヌ様、どうされたんですか?」
落下の衝撃から守るため、ラックはミーアとアストゥリアスの体を強く抱きしめる。しかし、しがみつく腕を離したせいで、ラックたちはシャヴァンヌの背から傘の上に転がり落ちてしまう。
そして、顔を上げたラックとミーアは、それを見た。
「ば、ばあちゃん……?」
「シャヴァンヌ、様……?」
二人の視線の先、今まで自分たちがその背に体を預けていたシャヴァンヌ。その腹部は、夥しい数の傷に溢れていた。
「やれやれ、アタシも耄碌したもんだね……」
力無く竜の腰掛けの傘の上に体を横たえるシャヴァンヌは、酷い状態だった。
幾重にも撃たれた砲弾による凹みと剥がれた鱗、破裂した火薬の火傷、何本も刺さったままの銛には引き千切られたワイヤーが残っており、銛が抜けた穴からは止めどなく血が溢れている。
飛行戦艦からの攻撃、ラックたちが回避したと思っていた猛攻は、シャヴァンヌの身を的確に穿っていた。
「ひ、酷え怪我じゃねえか! ミーア、何か治療の道具を……!」
「そ、そんなの持ってないよ! ああ、どうしよう……! シャヴァンヌ様!」
ミーアは咄嗟にシャヴァンヌの傷口に手を押し当てて止血しようとするが、その寸前で激しく咳き込み、倒れる。
「ミーア!?」
「ゴホッ、ゴホッ……!」
「ラック、ミーアを離れさせな。傷から竜素が流れてる、近くで吸うのはマズい」
「竜素が?」
言われるがまま、ラックはミーアの体を竜の腰掛けの端まで引きずり、戻るとすぐにミーアがやろうとしていたようにシャヴァンヌの傷口を抑える。
「よしなラック、血も竜素も流しすぎた。もう助からん」
「バカなこと言ってんじゃねえ! 今すぐ血ぃ止めるから……!」
懸命に血を止めようと試るラックだが、槍が抜ける際にワイヤーに引っ張られて傷口を広げており、穴は拳ほどもある。
ラックの全身は血に染まり、キノコの傘の上には血溜まりが出来上がる。
ラックの手には、シャヴァンヌの体がどんどん冷たくなっていくのが感じられた。
「クソッ! 止まれ……! 止まれよ……!」
「ラック、もういい。それより、今のうちにお前に言っておくことがある」
「いいわけあるか! 絶対に死なせ……!」
「ラック!」
「っ!?」
叱咤するように名前を呼ばれ、ラックはビクッと体を強張らせる。
だらりと力なく腕を下げたラックに、シャヴァンヌは穏やかな声で語り掛ける。
「……ラック、それにミーア、聞こえるかい?」
「は、はい……ごほっ。シャヴァンヌ様……」
ミーアは竜素に苦しみながらも何とか体を起こし、シャヴァンヌの言葉に耳を傾ける。
シャヴァンヌの言葉を、一切聞き逃さないように。
「これから話すのは、この国の秘密。そして、その子のことだ」
その子とは、アストゥリアス。未だラックにしがみついたまま目を閉じている竜人族のことだと、二人は即座に理解した。
「ばあちゃん、この子のこと知ってんのか? この子はアストゥリアスって……」
「ああ、その子の名はアストゥリアス。アストゥリアス・クエレブレ。その子は竜人族じゃない。アタシと同じ、竜だ」
「はあ!?」
シャヴァンヌの言葉にラックは目を見張り、意識を失いながらも自分の体にしがみつく女の子の姿をまじまじと見る。
炎を吐いた後の呼吸の荒さは落ち着いた様子で、まるで遊び疲れた子どものように穏やかな顔で眠る女の子。
確かに肌の一部は鱗に覆われているし、炎を吐くというのはまるで竜のようではある。しかし、それでもその体は間違いなく人間のそれに見える。
「こ、この子が、竜……?」
「ああ、それもただの竜じゃない。アタシよりも高位の竜。神竜って竜の幼体だ」
シャヴァンヌの言葉は、ラックたちには信じ難いものだった。
どう見ても人間の女の子が竜であるということはもちろん、古竜であるシャヴァンヌよりも高位の竜の存在など聞いたこともない。
「ま、マジで言ってんのかよ、ばあちゃん?」
「こんなときに嘘なんか吐くわけないだろ。神竜は人間の姿で生まれ、成長するにつれてどちらの姿にもなれるようになるんだ。神竜は死ぬときに竜輝石を遺し、その竜輝石は長い時間をかけて竜素を取り込み、やがて次代の神竜に生まれ変わる。アストゥリアス・クエレブレは生まれ変わる前、先代の神竜の名前だ。だから正確には、その子の名前って訳じゃない」
この子が竜輝石から生まれたのは、ラックは自らの目で確認している。しかし、だからといってすんなり受け入れるには、シャヴァンヌの言葉はあまりにも荒唐無稽だった。
「すぐに信じろとは言わんよ。ただ、そういうものだと知っておきな。次に、この国の秘密だ」
ラックたちの理解を置き去りにして、シャヴァンヌは言葉を続ける。
全く理解には至っていないラックたちも、シャヴァンヌにもうあまり時間が無いことを察して、それ以上の言及をしない。
「この国、白柱の国はね、その子の先代である神竜の死骸でできている。柱に見えるこれらは、全てその竜の骨だ」
「ほ、骨、だと…………?」
ラックはシャヴァンヌの背後、竜の腰掛けが根を張る白柱を見る。
高く聳える白い柱。この柱が、竜の骨。
「白柱と呼ばれるこの骨の一本一本が、アストゥリアス様の肋骨にあたる。さっきまでいたのは遺骨の端、頭の辺りだ」
つまり、ラックが洞窟と思って入ったのは鼻の穴か何かということである。
「ど、どれだけデカい竜なんだよ……?」
そのあまりの規模の大きさに、ラックは状況にそぐわない空笑いを浮かべてしまう。
シャヴァンヌの体格なら肋骨の大きさはラックの身長の三倍ほど。それでも途轍もない大きさに思えるが、この柱と比べれば誤差の範囲内でしかない。
生前の神竜はどれほど巨大だったのか。ラックには想像もできない。
「竜が死ぬとき、その竜の体から内包していた竜素が溢れる。神竜は体の大きさもそうだが、特に竜素の量が桁違いでね。何千年も経っても、こうして竜素が残り続けるんだよ」
「こ、この国の竜素は、その神竜が死んだときの名残りだってのか?」
「ああ。滞留する竜素はほかの竜を呼び寄せ、やがて生態系ができる。竜素が結晶化すれば竜輝石になるから、それを欲する人間もやって来て、いずれは住み着いちまう。それがアンタのご先祖さまだよ」
神竜という一体の竜。その死によって膨大な竜素が死体の周りに溢れかえる。そして他の竜も、動植物も菌糸類も人間も、たった一体の竜を礎に永い営みを続けてきた。
そうして出来上がったのが、この白柱の国。
「次代が生まれる前兆として、周囲から先代の残した多くの竜素を集める巨大な竜輝石、次代の卵が形作られる。そのせいで次代の神竜が生まれる直前に、卵の周囲には不自然に竜素の薄い場所ができるんだよ」
蛇竜に運ばれた自分が目を覚ましたのが、その卵の周辺の竜素の薄い場所だったのだろうとラックは察する。
「次代が生まれた以上、この国を覆う竜素はもう用済みだ。これから長い時間をかけて、いずれ竜素は霧散するだろう。まあ、何千年先になるかは分からないけどね」
「それが、この国の秘密……」
生まれ育った国の成り立ち。この国に住む誰もが知らずにいた真実。そのあまりのスケールの大きさに、ラックは得も言われぬ高揚を感じた。
(なんて、デッケエんだ……!)
巨大な神竜、その遺骨に住む自分たち。
神竜から見れば、自分など巨体に寄生する虫程度の存在でしかない。
この国を出て、世界を見る。そんな尊大な夢を指針に掲げておきながら、ラックは自分の住む国の礎である竜一体と比べてもその程度。
世界は、ラックの想像も及ばぬほどに、大きくて未知に溢れている。
「まあ、これは別に秘密ってほどのことじゃないよ。ただ知る者がいないってだけでね。知ってるのはアタシみたいな年寄りと、一部の耳長族だけだ」
シャヴァンヌの口から出た言葉に、ラックは高揚も忘れて一人の姿を思い浮かべる。
「耳長族……。ばあちゃん、シェルフィとは……」
ラックの考えでは、耳長族のシェルフィとシャヴァンヌは内通していた。ラックがシャヴァンヌに持たされようとしていた火薬の筒をシェルフィが持っていたことから、それは間違いない。
問題はいつから通じていたのか。以前から通じて遠征の事情を聞いていたのなら、シャヴァンヌは遠征に向かうラックをもっと強く引き留めてもいいはずである。
「あの子とは古い仲でね。前に会ったときにはアンタのことも話したよ。アストゥリアス様の次代の竜輝石を探すために遠征の主催者に取り入ったと挨拶に来たのは、アンタが出発したすぐ後だったんだよ。まさかアタシも、アンタを遠征に誘った耳長族がシェルフィだとは思わなかったさ」
それでシェルフィはラックのことを既知のように語り、シャヴァンヌたちはあの火薬の花を打ち上げてすぐにやって来たのかと、ラックは全てに納得した。
シェルフィが挨拶に来たことでシャヴァンヌは今回の遠征の裏の目的に気付き、シェルフィに火薬の筒を渡した。そして何かあったらすぐに駆けつけられるように、自身たちはこっそり船の後を追っていた。
「ばあちゃん、シェルフィは……」
シェルフィは死んだ。ベヘモットに刺され、底の見えない奈落に落ちて。
シャヴァンヌは予想していたのか、大した驚いた様子も見せずに静かに瞑目した。
「あの子は耳長族の中でも特に竜への信仰が強い家系の生まれでね。アストゥリアス様を探すことに命懸けだったよ。あの子は最後に、なんて言っていた?」
「俺にこの子のことを、アストゥリアスのことを頼むって……」
シェルフィはラックにアストゥリアスを託し、笑いながら落ちていった。
「そうかい。重い荷だが、背負ってやりな。女の頼みは聞いてやるもんだよ」
シャヴァンヌの教えに、ラックは素直に、力強く頷いた。シャヴァンヌにものを教わるのは、これで最後だと直感していたから。
「ばあちゃん、俺たちはこれからどうしたらいい? アストゥリアスのことも……」
神竜の生まれ変わりであるアストゥリアスと、それを狙う竜人族のベヘモット。
これから自分たちはどうすればいいのかというラックの問いを、シャヴァンヌは快活に笑い飛ばした。
「なにも特別なことはないよ。その子はいずれ成長し、アストゥリアス様にも劣らない立派な神竜になるだろう。お前は今まで通り、お前の夢を叶えればいい。ただ、そのついでにその子のことを守ってやりな。その子が成長するまでの、ほんの少しの時間でいい。アンタの体のことは、悪いがその内誰か物知りな奴に聞きな。アタシには話してやる時間は無いらしい」
そう言ってシャヴァンヌは緩慢な動きで大きな腕を伸ばし、ラックの背中を抱き寄せる。
「ばあちゃん…………」
「ラック、夢を叶えな。アタシは一緒には行けなくなっちまったが、お前はお前の夢を叶えるんだ。たまには立ち止まってもいいし、泣いてもいい。後悔しても振り返ってもいい。ただ、進むことだけは諦めるんじゃないよ」
「ばあ、ちゃん…………!」
ラックは嗚咽を漏らし、シャヴァンヌの腕を全身で抱き締めた。応えるように僅かに込められた力に、ラックは大粒の涙を零し、シャヴァンヌは僅かに目を細める。
「……ミーア、聞こえるかい?」
「はい、シャヴァンヌ様……」
ミーアは竜素に侵された体を引き摺り、シャヴァンヌの元に歩み寄る。
「おいおい、そんなに近寄ったら竜素が……」
「そんなこと、関係ありません。シャヴァンヌ様……!」
ラックと同じ様にシャヴァンヌの腕に抱き着き、頬を涙で濡らす。獣人族特有の耳はミーアの感情を示すようにペタリと垂れ下がり、尻尾もシャヴァンヌの体に密着させる。
「……ミーア、アンタには苦労をかけたね。いや、今後も苦労かけると思うよ。ラックのことを任せきりにしちまった」
「いいえ、苦労なんて、そんなことありません……! 私は、シャヴァンヌ様に拾っていただいて、幸せでした……!」
ミーアの言葉にシャヴァンヌは「嬉しいねぇ」と笑い、二人の体を巨大な翼で優しく包み込んだ。
数分の間翼による抱擁を交わしたのち、シャヴァンヌはそっと二人を離す。
「ラック、その子を、アストゥリアス様の子をこっちに運んでおくれ」
「……ああ、分かった」
ラックは袖で涙を拭い、シャヴァンヌに言われた通りアストゥリアスを運ぶ。アストゥリアスは未だ目を閉じたままで、その体は竜ということが信じられないほど軽い。
「どうすればいい?」
「アタシの横に寝かせるんだ。それと、ミーアは離れなさい。竜素が溢れるからね」
言われるがままラックはアストゥリアスをシャヴァンヌの隣、血溜まりの中に横たえ、ミーアの肩を抱いて竜の腰掛けの端まで連れて行く。
「何するんだ、ばあちゃん?」
「この子は今、竜素が欠乏している。多分何か、竜素を消費するものを放ったんだろう。だからアタシが死ぬ前に、アタシの竜素を全てこの子に渡す。アタシは先代の最後を看取ったときに、その竜素も受け取ったんだ。それをこの子に返せば回復も成長も促せるし、アタシの知る知識の一部も与えられるだろう」
「…………」
アストゥリアスは確かに炎を吐いたが、それを踏まえてもラックにはシャヴァンヌの言っていることの意味などほとんど分からない。ラックにとって竜素とは竜輝石の元であり、この国を覆う有毒で邪魔な、それでいて有用なエネルギー源でしかない。
それでもラックはシャヴァンヌの言う通りにした。今まで自分を導いてくれた祖母が言うなら、これはきっと必要なことだと思ったから。
シャヴァンヌはその両翼をたたみ、自分の体とアストゥリアスを包み込む。それは子を抱く母のようであり、次の世代を守る卵のようでもあった。
やがてシャヴァンヌの体が光を発し、同時にラックにも感じ取れるほどの濃い竜素が辺りに漂う。
「……ラック、ミーア、達者でおやり。これからはこの子の中で、ずっと……見てるよ……」
「ばあちゃん……!」
「シャヴァンヌ様……!」
シャヴァンヌは目を閉じ、その堂々たる体は光の中に消える。
ラックは歯を噛み締め、大粒の涙が溢れる目で、それでもその姿を見届けた。
「ばあ、ちゃん……!」
胸に帰来する、幼い頃の記憶。
ラックはシャヴァンヌに多くのものを貰った。
夢も、試練も、知識も、楽しいことも、辛いことも、全てシャヴァンヌに教わった。
「ばあちゃん、俺……!」
シャヴァンヌと過ごした日々の思い出の中で、最後のわだかまり。それが、ラックの心を大きく乱した。
「ごめん、ばあちゃん! 俺が遠征なんか行かなきゃ……! ミーアの言うことちゃんときいてりゃ、こんなこと……!」
この状況を作ったのは自分の思慮不足のせい。自分が安易に遠征になど行かなければ、こんなことにはならなかった。そう思ったラックは、シャヴァンヌに懺悔せずにはいられなかった。
「ごめん……! ごめんよ、ばあちゃん……! 俺のせいで、こんな……!」
悔いても悔いきれない、深い罪の意識。しかし、
「はは、バカなこと言うんじゃないよ」
シャヴァンヌは僅かに目を開けて、ラックの懺悔を笑い飛ばす。それがどうしたと、その程度のことが何だと。
「アタシの傷がアンタのせいだからどうした? 言ったろう、後悔するのは勝手だが、進むことを諦めるなって。アンタはまだ、夢に進み始めてもいないじゃないか」
「え?」
「アンタの夢は、この国の外に出て世界を見ることだろう? ここはまだ白柱の国で、広い世界から見たらアンタがいつも寝てる家との違いなんて誤差みたいなもんさ。アンタの夢は、国の外に出なきゃ始まらない」
始まっていないのだから、始まる前からイチイチ後悔などするな。そう言ってシャヴァンヌは、謝罪も懺悔も突き放す。
それは決して許しではなく、シャヴァンヌの課した新たな試練なのだと、ラックは感じた。
始まってもいないのに後悔などしているヒマはない。謝罪も懺悔も、お前にはまだ早いと。
「だったら、俺は……!」
今のラックには、シャヴァンヌに謝る資格すらない。それができるのは、夢に一歩踏み込んでから、進み始めてからだと。
「俺は、夢を叶えるよ。俺のために、それと、ばあちゃんに謝るためにな……!」
溢れる涙は止めどなく、胸に渦巻く悔恨は決して消えることはない。
それでもラックは、不格好な笑みを浮かべる。
最後を看取るなら笑顔で送り出したいと、そう思ったから。
「なあに、そんなのはすぐに済むさ。それで、すぐに忘れるといい」
「…………ああ、そうするよ」
シャヴァンヌの笑みは、光の中に溶けていく。
後悔も謝罪も今は飲み込んで、最後まで見届ける。相応しい言葉はどちらでもないのだから。
「……さよなら。今までありがとう、ばあちゃん」
万感を籠めて、感謝の言葉で見送る。
「ああ、祝福に満ちた、いい旅にするんだよ。幸運の、ラック」
やがて光の奔流が治まったとき、シャヴァンヌの体は竜素に変換され、消えていた。
残されたのは体にうっすらと光の残留するアストゥリアスと、両腕でようやく抱えられるほどの大きな白い竜輝石。そして、たった一本の遺骨があった。
長さ二メートルほどの遺骨はシャヴァンヌの鱗のように赤みを帯びていて、ラックが触れると恐ろしく手に馴染む。その感触から、キチンと加工を施せば立派な武器になるだろうと感じさせた。
折れた土産のカタナに代わり、シャヴァンヌが自分に遺してくれたのだとラックには思えた。
竜素が薄れて体を起こせるようになったミーアは、竜輝石を胸に抱いてその熱を確かめる。
解けていく熱を、自分の中に刻み込むように。
竜素を受け継いだアストゥリアスが目を覚ますまで、二人はただただそうして、シャヴァンヌを偲び続けた。




