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竜と白柱の国  作者: 風見真中
14/27

竜の息吹


 目を見開く。視界は暗いが、それは視覚という機能が壊れたからではない。単に周囲が暗いだけ。光源となっていた竜輝石の殻は光を失い、辺りは真っ暗になっている。むしろこの光度なら、ゴーグル無しで良く見えているくらいだ。

 ゴーグルの光度を調整し、十分な視覚を確保する。白柱の床には赤い染みが惨劇を物語るように広がっていて、これが体から流れた血だと思うとラックの背中には怖気が走った。

 しかし、体は動く。

 確実に命が潰える一撃を受けたというのに、首の傷は完全に塞がり、体は普段よりも好調なほどだった。

「あーあー。よし、声も出るな」

 先ほどは悲鳴も上げられなかったというのに、今のラックの体は万全と言っていい。

 ゴーグルで視界は良好。マスクは無いが、竜素中毒の兆候も無い。落ちていたカタナを腰の鞘に納め、ラックは洞窟内を駆ける。

 目的は、とりあえず飛行船。遠征の主催者であるベヘモットの凶行を公表し、場合によってはビルク達ほかの石拾いの協力も仰いで、殺された恨みを晴らしてやろうと考えた。

 そして、あの竜人族の女の子を奪い返す。

 理由は分からないが、ベヘモットの目的はあの子だったのだろう。そのためにこの遠征を催し、この変な柱を調査するつもりだった。しかしラックが先に竜輝石と女の子を見つけてしまったせいで、その計画がご破算となった。そして仕方なく、もののついでのようにラックを殺した。

(ふざけんな……!)

 そんな勝手で殺されてたまるか。

 そんな理由で、人を殺していいはずがない。

(お前は、何様のつもりだ、ベヘモット……!)

 腹の中を渦巻く憎悪。怒りと憎しみの炎を原動力にして、ラックは洞窟を飛び出した。

 眼下には蛇竜から落ちたラックが目を覚ました、横たわる白柱。そこには、遠征に参加していた石拾いたちがいた。

 ただし、一人残らず、生きてはいなかった。

「な、なんだよ、これ……?」

 石拾いたちは皆一様に、苦悶の表情のまま息絶えていた。

 周囲には竜の死体も数多く転がっているが、どう見ても石拾いたちは竜にやられたようには見えない。

 武器を手に、ゴーグルの奥の瞳を絶望に染め、そして、誰一人まともに防素マスクをしていなかった。

 遺体の一つの傍に駆け寄ったラックは、足元に転がっていたマスクを拾い上げる。それは間違いなく乗船の際に支給された最高級品の防素マスクで、ラックが蛇竜との交戦の際にビルクに渡したものと同じだった。

 マスクの防素機能の要である浄化フィルターには、内部から爆発したような不自然な破損があった。

 いくつも転がっているマスクの全てに、石拾いたちの亡骸にくっついているだけのマスクの全てに、同じ破損があった。

「何か、仕込んでやがったのか……?」

 支給されたマスクには、最初から内部に自爆装置が組み込まれていた。

 降下中、竜素の中にいるときに作動すれば、石拾いたち全員を竜素中毒で殺せるように。

 つまり最初から、ベヘモットはこうするつもりだった。

 遠征などただの口実。竜人族の女の子を手に入れるために邪魔な竜の排除を石拾いたちにやらせ、後はこうしてまとめて殺す。

 今のこの場は、それが成された後だった。

「っ?」

 死屍累々と溢れる亡骸の中に、ラックは見知った顔を見つけた。

 ラックに侮蔑の視線を向け、ラックが助けた際には涙ながらに感謝を伝えてきた。獣人族の男性、ビルクの亡骸がそこにはあった。

「…………ベヘモットッ!」

 ラックの怒りは、頂点に達した。

「どこにいる、ベヘモットォ!」

 許さない。絶対に許さない。

 人を、こんな簡単に殺しやがって。

 使い捨てるように、亡骸も家族の元に返せないような、こんな暗い白柱の底に放置しやがって。

「絶っ対に、ぶっ殺す!」

 怒りに満ちた形相で、ラックは周囲を見渡す。そして、見つけた。

 遥か頭上で滞空する、ラックたちが乗っていた飛行船。

 船外活動用の足場の上に、複数の人影が見えた。

 ゴーグルの望遠機能を使いその姿を確認すると、そこには体に布を巻かれて拘束された竜人族の女の子と、女の子を抑え込む数名の調査隊員、そしてベヘモットがいた。

 さらに、細剣を構えるベヘモットと対峙するように、槍を構えた耳長族、シェルフィがそこにいた。

「シェルフィ!」

 飛行船は遠いが、周囲は静かで声は遠く響く。足場にまでラックの声は届いたらしく、その場にいた全員がラックの姿に注視する。

「ラックさぁん!」

 ラックの名を呼ぶシェルフィは、ゴーグルはしているが、防素マスクを着けていない。確かに奴らの支給したマスクなど要を成さないが、シェルフィも人間。竜素耐性の高い耳長族とはいえ、竜人族とは訳が違う。その体は確実に竜素の毒に侵されているはずである。

(そういえば、何で俺は……?)

 先ほどまでとは違い、周囲には確かに竜素が満ちている。深度計の示す竜素濃度は、小人族のラックならば一呼吸で死に至るほどの高濃度。現にマスクを失った石拾いたちは一人残らず絶命している。

 自分の体がどうなっているのかは気になったが、今はそれよりも優先することがある。

「ラック? ラック!」

 竜人族の女の子がラックの姿を見て叫ぶ。

 その悲痛な声はまるで助けを乞うようで、ラックは居ても立っても居られなくなった。

「シェルフィ、今俺もそっちに……!」

 ベヘモットと対峙していることから見て、恐らくシェルフィはラックの味方。何とかして飛行船に戻り、シェルフィに加勢しようと考えるラックだったが、シェルフィはそれをピシャリと断った。

「いいえラックさん、来てはいけません!」

 そう言ってシェルフィはラックからベヘモットに視線を戻す。当のベヘモットと調査隊委員たちは、そのあり得ない光景に確かに動揺していた。

「バカな……? あの小僧は、確かに?」

 殺したはずのラックがそこにいる。しかも一呼吸で死に至る竜素の渦中で、マスクも無しに。

「特別なのが自分だけとは思わない方がいいですよ、ベヘモットさん?」

「なにを……?」

 挑発するように嗤いながら、シェルフィは背負っていたリュックを足場に下す。何をするつもりかと距離を詰めるベヘモットに、リュックから取り出したソレを向け、「動くな!」とシェルフィが叫ぶ。

「え? あれって……?」

「っ! た、大砲だと?」

 シェルフィがリュックから取り出したのは、布に包まれた筒。先端をベヘモットたちの方に向け、手の中には点火用のマッチも持っている。

「しょ、正気か貴様? そんなものを使えばコイツも……!」

「アストゥリアス様は、大丈夫ですわ。力を分けた王子様が、絶対に守ってくださいますもの」

「力を……まさか?」

 薄く笑いながら発せられたシェルフィの言葉に、ベヘモットの視線はラックの方を向いた。そして、シェルフィは叫ぶ。

「ラックさん! アストゥリアス様を、お願いいたします!」

 ラックには、アストゥリアスという名に聞き覚えはない。しかし、それが誰のことなのかは直感的に理解できた。

「アストゥリアス……!」

「アストゥリアス・クエレブレ。そのお方の真名です」

 その言葉を最後に、シェルフィは布を解き、下部の導火線に擦ったマッチで火を点ける。

 あっという間に燃え尽きる火薬の擦り込まれた導火線。それの正体を知っていたラックは、ゴーグルの望遠機能を切り、光度を調整する。暗い場所でも視界を確保する集光から、明るい場所で光から目を守る散光に。

「食らいなさい、ベヘモット!」

「くっ?」

 シェルフィのハッタリにまんまと引っ掛かり、ベヘモットは射線から外れようと大きく回避する。シェルフィが狙いを定めるどころか、目を固く閉じていることなど一切気付かずに。

 放たれた火薬の玉は『ピュー』という笛のような甲高い音を立て、全く見当違いの方向に飛んでいく。そして、高く高く上り、空に大輪の花を咲かせた。

 離れていたラックには、まずその鮮やかな爆発が見えた。何色にも煌き、まん丸に広がる不思議な爆発の花。暗くしたゴーグル越しでも、その鮮やかさは圧巻だった。こんな状況でなければきっと楽しめただろう。

 次いで耳に響く、ド派手な爆発音。竜の咆哮より低く重く轟く、音の暴力。

(あれは、ばあちゃんの……!)

 シェルフィが使った筒は、大砲などではない。あれはラックが遠征前にシャヴァンヌに渡され、持ってくることを拒否したもの。

 音と光を楽しむ、外国の娯楽品である。

「な、なんだ……?」

 大砲と思い込んでいたベヘモットたちは、まずその殺傷力から身を守るために回避し、次いでその性能を確認するために観察していた。その結果、音と光の直撃を受けた。

 特にゴーグルで光度を確保していた調査隊員たちの目のダメージは深刻で、突然の光を必要以上に集めてしまい、視覚は完全に失われた。

 ゴーグルをしていなかったベヘモットも、混乱から回復するにはある程度の時間を要する。目を閉じていたシェルフィは光の影響を受けることなく、素早くベヘモットの横を素通りし、混乱から拘束を解かれた女の子の身を奪い取る。

「ラックさん!」

 即座に飛行船の足場の端に移動し、隊員たち同様に目と耳を混乱させた女の子を船の外に放り投げる。

「っ!」

 シェルフィが力一杯放ったおかげで、女の子の体はラックの付近まで届いた。

 そのあまりの高度に受け止め切れるか不安だったが、幸いにも女の子の体はラックにとっては軽く、腕に激痛が走りはしたが、しっかりとその体を受け止めることができた。

「ラック!」

「いてて……。ああ、俺はラックだぜ。幸運のラックだ」

 ぐしぐしと目を擦り、女の子は満面の笑みで青い瞳にラックの姿を映した。腕に走る激痛に顔を歪めながら、ラックも脂汗を滲ませた顔で笑みを浮かべる。

「こーうんの、ラック!」

 パッと広げられた腕が、ラックの首に巻き付く。もう決して離れないように、強く、強く。

「うふふ、任せましたよ、ラックさん!」

 飛行船の足場でシェルフィが叫ぶ。すぐにシェルフィも飛び降りてくる、そう思っていたラックの目に、

「ただの目くらましだったとは、やってくれたな……!」

 シェルフィの腹部から、細剣の刀身が突き出すのが見えた。

「っ! ざ、残念ながら、あれは目くらましではありませんわ。そのように使えたのは、ただの副次効果で、然るべき使い方は……!」

「黙れ。いや、死ね」

 細剣が引き抜かれ、再び突かれる。二度、三度、幾度もその身を貫かれ、シェルフィは足場に崩れ落ちた。

「シェルフィ?」

 足場を伝い、シェルフィの血が降り注ぐ。

 喀血し体を震わせるシェルフィ。ラックにはその姿を見ることはできないが、その命が絶たれようとしているのは手に取るように分かる。

「……馬鹿な女だ。下らん使命感に駆られなければ死ぬこともなかったろうに」

「夢に、命を懸ける。素敵じゃあ、ありませんか?」

「夢は潰えた。無駄なことだったな」

「いいえ、託しましたわ。ワタクシの夢は、然るべき方に……」

 最後の言葉を言い終える前に、シェルフィの体は足場から蹴り出される。

「死ねと、そう言った」

 ゴミを蹴飛ばすように無造作に、何の感慨もなく無慈悲に。

 シェルフィの体は落ちて、落ちて、ラックの目の前をあっさりと通過する。

 白柱の足場に落ちることもなく、底の見えない遥か奈落に。

「シェルフィ!」

 僅かに見えたその顔は、

「頼みましたよ、ラックさん」

「っ!」

 シェルフィは、笑っていた。

 初めて会ったときと同じ、真意の伺えない笑顔のまま、落ちていった。

「……なんだよ、頼みましたって」

「ラック?」

 腕に力を籠め、小さな体を強く抱き締める。

「勝手なこと言うなよ。アンタが誘ったんだろ? アンタに言われたから、俺はこんなとこに来て、こんな訳の分からない目に遭ってんだぞ?」

 事の発端はシェルフィだった。ラックはシェルフィの誘いで遠征に参加し、危険な目に遭い、あまつさえ一度殺された。

 挙句の果てに、自分が死ぬときは何の説明も無しに「頼む」だなんて、いくら何でも勝手すぎる。

「ラック?」

「っ!」

 頼まれたのは、この子のこと。自分はこの子のことを託された。

(ああ、やってやるよ)

 相変わらず訳が分からない。なぜ自分がこんな目に遭っているのか。自分はただ、外に出たかっただけだ。

 そのために金が欲しかった。大きな仕事がしたかった。ただそれだけのはずだった。

 他人の命懸けの願いなんて、託されたくない。

 大勢の同業者の亡骸の中で立つなんて、そんな重責は真っ平御免被る。

 そんなのはラックの知ったことではない。

 ラックはただ、自分の夢に向かって歩くだけだ。

 今までも、そしてこれからも。

 そのために、

「そのために、お前は邪魔なんだよ、ベヘモット!」

「…………」

 ただ、邪魔な相手が同じだっただけ。ラックがシェルフィの頼みを聞く理由なんてその程度、もののついででしかない。

「……まったく、面倒なことだ。おい、船をあのガキの位置まで降ろせ。次は決してあいつを離すな」

「はっ!」

 ベヘモットの言葉に従い、調査隊員たちは飛行船の中に戻り、停泊していた船を動かす準備を始める。

「……先に始末しておくか」

 ラックとアストゥリアスを睥睨するベヘモットは、船が動き出すのを待たず空中に身を躍らせる。白柱の足場に着地し、ラックと至近距離で睨み合う。

「一応聞くが、貴様なぜ生きている?」

 細剣を振って刀身に付いていたシェルフィの血を掃いながら、ベヘモットはラックに問う。

「知るかよ。こっちが聞きてえくれえだ」

 不遜に答えるラック。不安気にその首に腕を回し、アストゥリアスは青い瞳を揺らす。

「ラック……」

「大丈夫だ。えっと……アストゥリアス」

 シェルフィが呼んでいた名前。竜人族の女の子の名前を口にする。

「あす、てぃす……?」

 首を傾げるアストゥリアスを指差し、ラックは再び言葉を重ねる。

「アストゥリアス。お前はアストゥリアスだ」

 刻み込むように名前を呼び、少しでも安心させるためにそっとアストゥリアスの頭を撫でる。

「ラック……」

「心配すんな。大丈夫だ、アストゥリアス」

 巻き込まないためにアストゥリアスをそっと引き剥がし、カタナを抜いて構えながらラックはベヘモットと相対する。先ほどと同じ結果にはしない、そう決心しながら。

「まあいい。もう一度死ね!」

 引き絞られ放たれる細剣の刺突。二度も同じ攻撃を見て戸惑うほど、ラックは愚かではない。

 最小限の動きで刺突を回避し、一歩でカタナの間合いに詰め寄る。

「テメエが死ね!」

 ラックはベヘモットの心臓目掛けてカタナを振るう。その動きを見て、ベヘモットは失望した。一度殺された教訓を、全く活かせないのかと。

(馬鹿かコイツ?)

 カタナは先ほど同様に鱗に弾かれる。そう油断したベヘモットに、鈍痛と衝撃が走る。

「シッ!」

 切っ先が鱗に触れる寸前にラックは手首を返し、鉄でできたカタナの柄でベヘモットの顎を穿つ。

「がっ?」

 一度殺された相手に対し、ラックは同じ手が通じるとは思っていない。決して同じ轍など踏みはしない。

 仰け反った隙だらけの体をよく観察し、見極める。

(竜素の籠った攻撃なんて知らねえけど……)

 竜人族の鱗に竜素の籠っていない攻撃は通らない、他でもないベヘモットにそう言われた。生憎とラックには竜素の籠め方とやらは知る由もない。だからラックは、よく観察する。

 蛇竜の口内のように、刃が通るであろう鱗の無い箇所を探す。

(……ここならっ!)

 今しがた穿ったベヘモットの顎には、先ほどまでは無かった鱗が見える。ラックは竜人族の体に詳しくないが、この鱗は何かしらの防衛機能として攻撃を受けた個所に生えるのかもしれない。つまり、今は鱗の無い箇所も攻撃を当てた瞬間に鱗が現れる可能性がある。

 だからラックは、決して鱗が生えないであろう箇所、ベヘモットの左目を狙う。

「っ?」

「ラァッ!」

 自分を殺し、大勢の同業者を虐殺した相手をいたわるほど、ラックは愚かではない。容赦なく、的確に急所に向けて、相手を殺め得るほどの一撃をベヘモットに見舞う。しかし、

「なっ?」

 ベヘモットの眼球に突き立てられたカタナは、鱗の生えた閉じた瞼によって止められた。いくら力を籠めても一向に動かないカタナに、ラックの手は力の行き場を無くして震える。

 フェイントを交えて作り上げた隙。ラックの機転を、ベヘモットはただ目を閉じただけで攻略してしまった。

「……これだけか?」

 僅かに眼球を傷つけられたベヘモットは閉じた左目から血を流し、カタカタと揺れるカタナを素手で奪い取った。そして、カタナを白柱の足場に突き立て、柄を蹴り飛ばして刀身をへし折る。

「このっ!」

「邪魔なものはなくなったな」

 武器を失い素手になるラック。失ったカタナの代わりに細剣を奪おうとするが、ベヘモットはそれを軽くいなす。

 体勢を崩したラックを蹴飛ばし、再び細剣を構えるベヘモット。

「鬱陶しい。いい加減に死ね!」

「っ?」

 細剣を引き絞り、突きを繰り出すベヘモット。ラックの眼前に迫るその刃を、

「だめー!」

「なっ?」

 二人の間に割って入ったアストゥリアスが、細剣を両手で包むようにして止めた。

「お前、なにを……!?」

 幼い少女の手では細剣の勢いは全く衰えず、細剣の刺突は布に包まれたアストゥリアスの胸に吸い込まれる。

 アストゥリアスが自分の代わりに刃を受けた。そう思ったラックは戦慄するが、細剣を包み込んだアストゥリアスの両手からも、切っ先の触れた胸からも一滴の血も流れていない。代わりに、そこには先ほどまで無かったはずの青い鱗がある。

「この……よくも邪魔をっ!」

「ラックから、離れろ!」

 アストゥリアスはギュッと目を閉じ、力の限り叫ぶ。そして、大きく開かれた口から、

「――――離れろぉ!」

「っ?」

 周囲の空気を焦がすほどの高温の、青白い炎が噴き出した。

「なぁ!?」

 驚愕に目を見開くラックの視界はアストゥリアスの吐いた炎で青く染まり、肌を焼く熱波に全身から水分が飛ぶのを感じる。

 顔を守るために身を屈めたベヘモットの姿が炎の中に掻き消え、なおも吐き出される青い炎は白柱の足場をも焦がす。

 奔流する炎は周囲を埋め尽くし、ベヘモットの指示で降下していた飛行船の船体も巻き込む。

「ベヘモット様?」

「クソ、なんてことだ!」

 足場にいた調査隊員たちも炎に晒され、轟音の中に悲鳴すら飲み込まれて消える。やがてアストゥリアスが咳き込み、呼吸も覚束ないほどの大気を焼く熱気を残して、ようやく炎は止まった。

「ラッ……ク……」

「アストゥリアス?」

 炎を吐き終えたアストゥリアスはふらふらと体を揺らし、白柱の足場にバタリと倒れ込んだ。

 駆け寄ったラックがその体を抱えると、目を瞑るアストゥリアスの小さな体は信じられないほどの熱を帯びていた。

「アストゥリアス? おい、アストゥリアス?」

 ラックの呼びかけに答えることもなく、アストゥリアスは目を閉じたまま荒い呼吸を繰り返す。

 アストゥリアスの身を案じるラックだが、憤怒の籠った声がラックの邪魔をした。

「……ふざけ、やがって!」

 炎を浴び、纏っていた上等な服も燃え尽きたベヘモット。防衛機能として全身を覆った緑の鱗は、ラックの攻撃にはビクともしなかったというのにアストゥリアスの炎が燻り赤く変色していた。

「ベヘモット……!」

「全く、忌々しい。おい、早く火を消せ!」

「は、い……?」

 飛行船に残っていた調査隊員たちに、ベヘモットは短く命令を下した。しかし、返事をした調査隊員たちは呆然と空を見上げ、動かない。

「なにをしている? サッサとしろ。すぐにアイツを奪い返して……!」

「べ、ベヘモット様!」

 調査隊員たちは、ベヘモットを見ていない。飛行船を焼き尽くさんと燃え広がる炎さえ気に留めていない。

 代わりにその視線ははるか上空。竜素の渦の中に向いていた。

「なっ?」

 部下たちの視線を辿り、ベヘモットは確かにその雄大な姿を見た。

 竜素の中を泳ぐ、巨大な影。

 悠然と羽ばたく翼。巨大で圧倒的な存在感を放つ、この世界で最強の生物。

 瞠目するベヘモットたちとは違い、ラックはその姿に「思ったより早かったな」という程度の感想しか抱かなかった。

 シェルフィの放った火薬の花。あれを合図にして家から飛んできたにしては、かなり早い。ひょっとしたら近くで待機していたのかもしれない。

「あ、あれはっ?」

 竜素の中から、アストゥリアスの吐いたものとは桁違いに巨大な炎の塊が放たれる。

 炎は暗闇を照らし、未だ炎が燃え広がる飛行船に追い討ちのようにぶち当たる。

「っく、おのれ!」

 動揺するベヘモットを尻目に、二発目の炎塊が再び飛行船を襲う。

 そして炎の主、古竜のシャヴァンヌは、悠然とラックたちの眼前に降り立った。

「ばあちゃん……!」

 悠然と現れたシャヴァンヌに、ラックはまずは何を言えばいいものかと迷った。

 竜人族の女の子のことを話せばいいのか、石拾いたちのことを話せばいいのか、自分が一度死んだことを話せばいいのか、シェルフィのことを話せばいいのか、ベヘモットの凶行のことを話せばいいのか。

 ほんの数日の間に、あまりにも多くのことがあり過ぎた。

「話は後だ。背中に乗りな、ラック!」

「ラック、早く乗って!」

 シャヴァンヌの背にはマスクとゴーグルを装備したミーアがいて、ラックに向けて手を差し伸べてくる。

「ミーア!?」

 伸ばされたその手を取り、ラックはアストゥリアスを抱えたままシャヴァンヌの背を駆け上がる。

 すぐにシャヴァンヌは翼を羽ばたかせ、白柱の足場から飛び立とうとする。

「聞いてくればあちゃん! アイツら……あの竜人族の男、許せねえんだ!」

 ベヘモットの行いに怒りを露にするラック。事の次第を説明すれば、当然シャヴァンヌは力を貸してくれる。圧倒的な力を持つシャヴァンヌの合流によって戦況は決したかに思われたが、シャヴァンヌは飛行船に向かっていくのではなく、大きく距離を取った。

「ば、ばあちゃん? アイツらは悪党なんだ! 石拾いたちを殺して、この子を……」

 まるでこの場から離脱するような動きをとるシャヴァンヌにラックは困惑した。

「何が起きてるのかは大体分かってるよ。しかし、いくらアタシでもあの船を相手にするのは分が悪い」

「え?」

 未だ延焼を続ける飛行船に目を向けると、炎の奥に無骨な鈍色の筒が見えた。

 それは飛行船の側面、蛇竜との交戦の際に開かれた、足場に繋がるハッチ。

 石拾いたちと船を繋ぐワイヤーリールが備え付けられていたはずのそこは、無数の砲門に付け替えられていた。

「た、大砲?」

 竜素の中を航行する飛行船には、対竜用の兵器が備えられることは珍しくない。しかし、あれはいくらなんでも多すぎる。

「ありゃあ飛行船なんかじゃない。外の国で戦争に使う兵器、飛行戦艦だ」

「せ、戦争……?」

 戦争とは、人と人、国と国との間に起こる争い。白柱の国という閉じられた世界で育ったラックは知る由もないが、戦争とはいかに効率よく人を殺すかというもので、戦争に使う兵器とはそれを突き詰めたもの。

 あの船は、ただ相手を殺すためだけに存在している。決して、戦おうとしていいものではない。

「あんなモンの相手しちゃあいられないよ。ここは退くよ」

「わ、分かった……!」

 いくら古竜がこの世で最強の生き物とはいえ、あれは生き物が相手にしていい存在ではない。それを瞬時に理解したラックは、即座にシャヴァンヌの決定に従う。

「っ!? 逃がすな! 撃て!」

 シャヴァンヌの登場による混乱から我に返ったベヘモットは、船にいる調査隊員たちに素早く命令を下す。飛行戦艦に備え付けられた数々の強力な武器を用いて、シャヴァンヌを攻撃しろと。

「し、しかし、相手は古竜様……!」

「だからなんだ? さっさと撃ち殺せ!」

 守り神である古竜への攻撃を躊躇っていた調査隊員だったが、ベヘモットはそんなことは意にも介さず命令を重ねる。

 調査隊員たちは意を決し、船の消火も後回しにして飛び立つシャヴァンヌに武器を向けた。

「ば、ばあちゃん!」

「掴まってな!」

 シェルフィのブラフとは違う本物の大砲。対象を貫き拘束するためのワイヤー付きの銛。飛行戦艦に備えられたありとあらゆる武装がシャヴァンヌに向けられる。

 ラックは言われた通りに、未だ目を閉じたままのアストゥリアスとミーアの体を抱き寄せ、決して離れないように共にシャヴァンヌの背にしがみ付く。

「早く撃て!」

 ベヘモットの号令と共に、大砲の砲身が火を噴く。

 鈍色の鉄塊、返しの付いた鋭い銛。飛来する数々の武器を、シャヴァンヌは身を翻して回避する。

 シャヴァンヌを捉えられなかった武器はラックたちの頭上を通過し、至近距離から聞こえる轟音はラックたちの心に焦りを生じさせる。この兵器は、武器の剣戟とは次元が違うと。

「ばあちゃん!」

「平気だよ!」

 ラックたちはシャヴァンヌの背に身を伏せ、轟音が止むのを待つ。

 幾度となく発せられる攻撃音。急激な旋回による揺れに意識を失いそうになりながらも、やがて音は遠くなり、ラックたちの耳にはシャヴァンヌの翼が羽ばたく音だけが届くようになった。

 顔を上げたラックの視界には、遠く小さくなる燃え盛る飛行戦艦。そして、その傍らでこちらを睨みつける、ベヘモットの姿があった。



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