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竜と白柱の国  作者: 風見真中
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 目覚めは、決して平穏なものではなかった。

「……ック! ラック!」

 確かに聞こえる、自分の名前を呼ぶ声。

 眠りに落ちるまでは確かにあったはずの腕の中の温もり。それが喪失していることに気付き、ラックはバッと目を開けた。

「ラック!」

「どうした!?」

 急激に覚醒する意識。ラックの視界に飛び込んできたのは、待ち望んでいた光景。そのはずだった。

「……ん? なんだ、生きていたのか」

 そう言って興味なさげな視線をラックに向けるのは、見覚えのある男だった。

「ベヘモット、さん?」

 そこにいたのは遠征の主催者、竜人族のベヘモット。そして、防素マスクとゴーグルを装備した、数名の調査隊員だった。

 ラックの考えていた通り、ここが調査場所の不自然な柱で、自分は無事に調査隊と合流できたのだと、そう思った。しかし、眼前の光景が、その安堵できる状況を否定する。

「ラック!」

 竜輝石から生まれた女の子は、両手両足を一人一本ずつ、計四人の調査隊員に抑えられ、磔のような状態にされていた。拘束から逃れようともがき、涙を流しながら必死でラックの名前を呼ぶ。

「……ベヘモットさん、その子に何してんだよ?」

「やれやれ、何してるはこちらのセリフだよ。ただの石拾いごときにここまでの介入は許していないというのに」

 これ見よがしなため息を吐き、ベヘモットはスッと、緑色の鱗に覆われた手で腰に差した細身の長剣を抜き放つ。

「ッ?」

 そのあまりに自然な動作に、ラックは悟った。

 やはり自分は、知ってはいけないものを知ってしまったのだと。

「竜人族が本当に竜輝石から生まれるとはな。アンタも石から生まれたのか、ベヘモット?」

「これと私を一緒にするな。石から人は生まれん。いや、そういえば海外には、石から生まれた獣人族が大陸を歩いて旅をするというお伽噺があったな」

 まるで世間話のような安穏な口調。その最中に、細剣はシャッと振るわれた。

「っ!」

 ギィン、甲高い音を立て、細剣とカタナが交錯する。

 防がなければ確実に喉笛を穿ったであろう太刀筋に、ラックはギュッと胃が縮んだ。

「ほう、なかなかいいものを持っている。それに、そこそこやるようだな。武器を取り上げておけばよかったよ」

「お、俺のことなんか気にならないくらい、その子に夢中だったのか? 同じ竜人族だもんな」

「だから、人は石からは生まれないと言っているだろう」

 数秒の鍔迫り合いの後に刃が離れ、ラックは覚悟を決める。

 ベヘモットは今、確実に自分のことを殺すつもりだ。ならばこちらも、相応の覚悟を持って相手をする必要がある。

 遠征の主催者、自分の雇い主、倫理的な葛藤。

 全て、思考から排除する。

 そうしなければ、ただ生きることを優先しなければ、ラックの夢は、始まる前に終わりを告げる。

「嘘つくなよ。その子は俺の目の前で、でっけえ竜輝石から生まれたんだぜ!」

「……余計なものを見ずに大人しく死んでおけばいいものを」

 ベヘモットはキュッと腕を引き絞り、細剣を横に寝かせる。

 刺突、そう悟ったラックは、点になった射線を冷静に見極める。

 放たれた突きは、先ほどの一閃と同様にラックの首を狙っていた。僅かに身をよじり、奔る刃をカタナの峰で受け流す。

「ッ?」

(もらった!)

 滑るように一歩、間合いを詰める。刺突で伸び切った腕を引き戻すよりも、確実に自分の方が速い。

 勝利を確信したラックは、躊躇わずカタナをベヘモットの左胸に突き立てた。しかし、

「なっ?」

 服に穴を空けた切っ先は、硬質な異音と共にそこで止まった。

「……いい腕だ。それに覚悟も据わっている。だが、ものを知らんな」

 ガッと首を掴まれ、呼吸が止まる。

 身体が一気に弛緩し、腕がだらりと垂れ下がった。滑り落ちるカタナがベヘモットの上等なスーツを切り裂くと、その肌は、びっしりと緑色の鱗に覆われていた。

「竜人族の鱗に竜素の籠っていない刃は通らん。次があったら参考にするといい」

 ギリッと腕に力が籠められ、ラックは自分の喉が破壊される音を体の中から聞いた。そして、

「まあ、次など無いか」

 引き戻された細剣が無造作にラックの首に突き立てられる。

「――――――――ッ!」

 不思議と、痛みはなかった。ただ冷たい感触が喉から首の後ろまで通り抜けるだけ。潰れた喉は、悲鳴さえ発してはくれない。

 細剣が真横に振り抜かれ、同時に周囲は噴き出した血に赤く染まる。文字通り首の皮一枚だけで頭部が繋がっている状態になり、ラックの体は動かなくなった。

「ラック! ラック、ラック!」

 僅かに残る感覚器官が、泣き叫ぶ少女の呼ぶ声を捉えた。しかし、どうすることもできない。

「ラックー!」

 声はやがて遠くなる。それが果たして遠ざかっていったものなのか、それとも単に体の機能が停止したからなのか。

「行くぞ」

「はっ!」

 ラックにはもう、分からなかった。

「……………………」

 終わったのだと、そう感じた。

 大金を得て、家族と共にこの国から出る。シャヴァンヌの旅に同行し、自分の目で世界を見る。そんなラックの夢は、もう叶うことはない。

 バカだったと、薄れゆく意識の中で自虐する。

 ミーアの言う通りだった。この遠征はラックの手に余る、決して触れてはいけない危険と秘密を孕んでいた。

 大人しく石拾いに精を出していればよかった。率先して蛇竜になど挑まなければよかった。人助けなどせずに船の中で眠っていればよかった。

 後悔は止まらない。さっさと途切れてくれればいいのに、なぜか意識が保たれている。

 体の機能の一切は停止しているのに、か細い思考だけが首の皮のように僅かに繋がったままで、ラックに悔いる時間を与えている。この時間が愚行に対する罰だというなら、少し厳しい。

「いいえ、終わっていませんわ」

 途切れたと思っていた機能が、確かに声を捉えた。

「酷いことになってしまいましたが、まだ終わってはいません。あなたにはまだやれることがあります」

 何をバカな、と思考だけで応える。

 身体は動かない。既に脆弱な小人族の体は壊れてしまった。

 ただ死んでいないだけのラックに、この声は何を求めているのか。

「身体は壊れた。機能は終わった。武器は届かなかった。愚行は過ぎた。後悔は遅かった。希望は潰えた…………」

 なんだ、分かっているではないか。

 そう、全ては終わったのだ。ここまで完膚なきまでに終わっておきながら、これ以上何があるというのか。


「その程度のことが、夢を諦める理由になるのですか?」


「……………………あぁ」

 夢を、諦める?

 この状況で、夢を語る?

 バカな話だ。夢など、所詮は夢。現実の前には容易く崩れ落ちる、幻想の絵に過ぎない。

 幼い頃から、ラックは夢だけを指針に生きてきた。

 絶望的な状況、竜素の中で死を感じた。強大な敵、竜とは何度も戦った。立ち塞がる現実、種族や金という抗いがたい壁。

 全ては、夢のために立ち向かってきた。

 夢とはラックの生きる理由で、ラックが生きる限り夢を諦めることはない。

「…………俺の、夢は」

 身体は壊れた。機能は終わった。

(だから何だ、まだ生きてる)

 武器は届かなかった。

(次の参考だ。次が無いなんて、勝手に決めるな)

 愚行は過ぎた。後悔は遅かった。

(反省も懺悔も、いつだってできる)

 希望は潰えた。

(潰えて、ねえ…………!)

 夢を諦めるには、十分な理由。

「夢は、諦めねえ……!」

 諦めるのに十分な理由がある。

 諦めないための気持ちがある。

 ならば足掻け。ならばもがけ。

 苦難も試練も、飽くほど味わった。

 無駄だといわれた。

 生まれが悪かった。

 その程度の絶望は、とうに慣れた。

 ならばこんなもの、いつもと何も変わらない。

 少し痛いだけ。少し辛いだけ。少し冷たいだけ。

 夢を諦めるには、この絶望は生温い。

「…………アナタは生まれ変わる。決して折れず、決して曲がらない、あのお方の傍にあって然るべき存在に」

 声は遠くなる。

 身体が熱い。

 魂が、沸騰する。

「…………俺は、ラック」

 この身の種族は脆弱だった。生まれたときから劣っていた。

 しかしこの名には、祝福がある。

「幸運の、ラックだ!」

 身体は、心は、魂は、燃え上がる。

 竜の息吹のように、熱く、熱く、ただ熱く。


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