竜の少女
竜輝石の卵から孵ったばかりの少女は、ラックの雄叫びにコテンと小首を傾げた。
「りゅーじんぞく?」
「しゃ、喋った?」
先ほどまで「あー」とか「うー」しか言っていなかった少女が明確に言葉を口にしたことに、ラックは再び目を見張るほど驚いた。
見た目は小人族で言えば十歳前後に見えるが、この子は生まれた、否、孵ったばかり。どの程度の知能があるのか、そもそも意思の疎通は可能なのか、危険はあるのか、ラックには何も判断ができなかった。
「しゃべーたー?」
「っ?」
次いで少女の口から出た言葉に、ラックは納得した。
この子は喋っているのではない。自分の言葉を、真似ているのだと。
一度聞いただけでかなり正確に発声を真似ている。とんでもなく耳が良く、発声器官も発達している。何より、知能が高い。
「…………ラック」
ラックは自らを指差し、名前を名乗った。
「らっく?」
こくりと頷き、「ラック」と繰り返す。
「ラック!」
ぴょん、と竜人族の女の子は飛び跳ね、ラックにしがみ付いた。
「うわぁ?」
見た目は子どもとはいえ、一応全裸の女の子。しかもまだ体はベタベタしていて、何やら生臭い。竜輝石とはいえ卵、内部には粘液があり、この子を守っていたのだろう。
「は、離れろ!」
「はーれろー!」
言葉とは裏腹に、女の子はべったりとくっついてくる。やはり、言葉の意味を理解している訳ではないらしい。
「ラック! ラック、はーれろー!」
「それはくっつくだ! 離れろは、こう!」
無理やり体を引っぺがし、距離を置く。すると、
「…………ふぇ」
「え?」
うりゅ、と青い瞳が歪み、大量の涙が溜まる。そして、
「ふぇええ! ふぇええええええええええええ!」
女の子は、泣き出した。
洞窟内に反響する泣き声。この小さな体でどうやってこんな声を出しているのかというほどの大声で、女の子はわんわんと泣き続ける。
「わ、悪かった! なんか知らんけど悪かった!」
声に驚き、慌てて引っぺがした体を抱き寄せる。すると、嘘のように女の子は泣き止んだ。
「ふぇ。ラック! ラック、くっつく!」
「ま、マジですぐ覚えるんだな……」
この状態が『くっつく』であると、たった一回のやり取りで完璧に理解した。
知能、学習能力は恐ろしく高い。しかし、その精神は赤ん坊のそれに近い。
何より、ラックには困ったことになっている予感がひしひしと感じ取れていた。
「俺のこと、親とかだと思ってないよな?」
擦り込み。鳥なんかが生まれて初めて見たものを、親だと思い込む習性。人類であるはずの竜人族に、そんな習性があるはずない。しかし、嫌な予感がする。
「おや?」
言葉を鸚鵡返しする女の子に、ラックは「しまった」と思い、ぶんぶんと首を振る。
「違うよ。ラックだよ。ラック!」
「ラック!」
「…………」
こんなやり取りでラックと親という言葉を繋げないで欲しい、と本気で戦慄した。
冷や汗を流すラックのことなどお構いなしに、女の子はただひたすらラックにしがみ付いている。両手両足でガッチリとラックの体をホールドし、すりすりと頬や首を擦り付けてくる。
「あー困った」
「あーこあった?」
「そうだよ。ラックは困ったんだよ」
「ラック、こまった!」
だから困ってんだよ、と無邪気な女の子に言ってやりたくなるが、それが無意味だということはさすがに分かった。
いくら知能が高くても、言葉や行動の意味を即座に理解できるはずもない。この子は発声の吸収が高いだけで、本質的にはただの赤ん坊なのだとラックは理解していた。
(マジで、どうしよう……)
ここで待っていればいずれ調査隊はやってくる。その考えに変わりはない。しかし、調査隊に発見されたとき、自分はどう思われるのか。
蛇竜との戦闘中に行方不明になった石拾いが、目的の調査場所で小さな全裸の女の子にくっつかれていた。
調査隊の人たちがどんな反応するのか、想像もつかない。
(それに、竜人族って……)
謎多き種族、竜人族。
竜と人の間に生まれるとか、竜輝石から生まれるとか、そんな噂が流れるほどに、その出生は知られていない。
しかし、まさか本当に竜輝石から生まれるなど、誰も思っていなかっただろう。
(……これって、知っちゃって大丈夫なことなのか?)
知られていないということは、隠している者がいるということ。
そんな真相を知ってしまって大丈夫なのだろうかとラックは不安に思った。
(でも、隠せないことじゃない……)
この場にいるのは自分とこの子だけ。抜け殻になった竜輝石を洞窟の外に運び、底の見えない遥か下に捨ててしまえば、ここには何もなかったことになる。自分は何も見ていないことにできる。
当然、その時はこの子も一緒に突き落とすことになるが。
(って、何バカなこと考えてんだよ)
無邪気に体を寄せてくる、小さな女の子。こんな子に一瞬でもそんなおぞましい考えが浮かぶなど、どうかしている。
(疲れてんだな。そりゃそうだ)
蛇竜と戦い、船から落ち、白柱の上を歩いてここまで来た。ラックは自分でも気づかないうちに、驚くほど疲弊していたのだろう。疲れを自覚すると、急激に瞼が重くなってきた。
「少し寝るか」
「ねう?」
「ああ、寝るんだ。こうやってな」
ごろん、と体を横にし、手で優しく女の子の目を覆ってやる。
「ラック、ねる?」
「うん、寝る」
調査隊がここに来ることは、ほぼ間違いない。
それまでは体を休め、体力の回復を図ろう。
腕に抱いた体の熱と鼓動を感じながら、ラックは緩やかに意識を手放した。




