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竜と白柱の国  作者: 風見真中
10/27

蛇竜


「むっふふふふふ」

 あてがわれた船室のベッドに仰向けに寝そべりながら、ラックは最大級にだらしないにやけ顔を浮かべながら手にした封筒を抱き締めていた。それは入船の際に渡された前金、二百万エルの詰まった封筒。

 手にしたことで一気に現実味を帯びてきた外界への憧れに、ラックは入船前の疑念も何処へやら、何度も何度も一万エル紙幣の詰まった封筒を撫で回していた。

 ラックたち石拾いには、それぞれ個室が用意された。部屋は一人で使うには広く、内装もそれなりに豪華。一応壁際には窓もあるが、気密性を保つために当然固定されている。外は既に竜素の中で、景色と呼べるものは何も見えない。

 深夜に飛行船が出航してから、長い時間が経っていた。朝を迎えて昼を過ぎ、今は既に夜である。予定では明朝目的の地点に到着し、そこで調査と竜の退治、そして目玉の竜輝石の収集が行われる。

 それまでは自由時間。まるで優雅な船旅のような気分に、ラックはすっかり気が緩んでいた。

「ふわぁ~。明日は本番だし、そろそろ寝るか……」

 撫でるためだけに取り出した封筒をバッグの中に戻し、明かりを落としてベッドに身体を沈める。今日は寝てばかりで体は全く疲れていないというのに、明日への興奮に目が冴えることもなく、ラックは眠りの中に落ちていった。

 心地よい眠りの最中、ラックは揺さぶられるような衝撃と、次いで響いた船内放送に意識を無理やり覚醒させられる。

『緊急、緊急。各船室に待機中の石拾いの方々へ』

「な、なんだ?」

 バッと飛び起き、頭を振って状況を把握しようとする。

 放送は各部屋に備え付けられたスピーカーからのもので、声の主はシェルフィであろう。放送の前の揺れは、気のせいではない。現に今も船が大きく揺れているのが分かる。

『現在本船は大型の竜に襲われています。竜は船体右側に取り付いており、目的は炉の竜輝石と思われます。石拾いの方々は、大至急竜の討伐を。繰り返します……』

 放送の声に、ラックの目は一気に冴えた。

 即座にゴーグルと支給されたマスクを装備し、腰にシャヴァンヌの土産であるカタナを挿して部屋を飛び出す。

 廊下には既に数名の石拾いがいて、ラックと同じように装備を整えて竜がいるという船の右側に向かっている。

「邪魔だぞガキ!」

 ラックも船体右側に向かおうと走り出してすぐに、聞き覚えのある粗暴な声を向けられた。そこにいたのは入船前にラックに絡んできた獣人族の男、ビルクである。

「この船を襲うほどの大型の竜だ。ガキは部屋にでも籠ってな」

 蔑むようなビルクの視線にラックはため息で返し、皮肉めいた笑みを口元に浮かべる。

「……ま、アンタみたいなのには何言ってもダメだろうからな。ここで言い合いしようとは思わねえよ。ただ、その内絶対に俺がいて良かったって思わせてやるからな」

「へっ、言ってろガキが」

「そのガキってのもオッサン自ら改めさせてやるよ」

「オッサンじゃねえ! 俺はまだ三十五だ!」

「そこそこオッサンじゃねえか!」

 言い合いをしないと言った舌の根も乾かないうちから掃射のように言葉を重ね、ラックはビルクを置き去りにして速度を上げ、船の通路をひた走る。

 飛行船の左右には出入り口とは別にいくつもの降下用のハッチがあり、先行していた数名の石拾いたちは既に外に出て竜と交戦していた。

 窓の外に見える竜は、十メートルはあろうかという細長い身体に二対の羽根を持つ、紫色の鱗の竜。手足が無い代わりに体の柔軟性が高い、蛇竜と呼ばれる種類の竜である。

「うっわ、蛇竜かよ。メンドクセエ」

 蛇竜の特徴は体に深い切れ目を入れたような巨大な口。百八十度開く口にはいくつもの鋭い牙が並び、特に上顎から生える大きな二本の牙からは鱗と同じ紫色の液体が滴っている。この液体は毒々しい色から得るイメージを裏切らず、猛毒である。

 蛇竜の大きさと脅威に尻込みするものもいる中、ラックはハッチの前に並んでいた者たちの中に混ざり、第二陣として船外に出る。

 船内への竜素の侵入を防ぐための二重の防素扉の中には石拾いとは別の集団、ベヘモットの言っていた調査隊のメンバーと思しき者たちが防素マスクを装備した状態で待機しており、ワイヤーリールの操作を行っていた。

「頼むぜ」

「え? あ、ああ」

 ラックが備え付けられたワイヤーリールの一つの前に移動すると、調査隊員はラックの年齢や種族に戸惑いながらもリールを体に固定し、一緒に防素扉をくぐったメンバー全員の準備が完了したところでハッチが開く。

 一歩船外に出ると、そこは一呼吸で充分死に至る竜素の渦の中。船外活動のために増設されたらしい広い足場の後付けっぽさに若干の不安を感じながらも、ラックは第一陣が蛇竜と交戦している地点に足を向ける。

 船外活動用のワイヤーリールは、当然一つにつき一人しか固定できない。第一陣は蛇竜に最も近いハッチから船外に出ており、ラックたち第二陣はワイヤーを伸ばしてそこまで向かわなくてはならない。

 ゴーグルの光度を調整して視界を確保し、ラックは第二陣の中で最も先頭に立ち蛇竜に向けて駆ける。

 蛇竜はその長い身体を駆使し、尾を使って石拾いたちを薙ぎ払おうとしていた。これは蛇竜がよく使う技。蛇竜の体は全身が筋肉で、尾の一撃はまともに食らえば致命傷になり得る。かといって、大きく躱せばその隙に大口に襲われて猛毒の牙を受けることになる。

 蛇竜と戦う際のセオリーは、最小限の動きで尾を躱し続け、焦れた蛇竜が食らいついてくるところをカウンターで仕留めることである。

 足場を一掃するように振るわれる長い尾を、セオリー通りに跳んだりしゃがんだりしながらやり過ごす石拾いたちを尻目に、ラックは足場を蹴って空中に躍り出た。

 蛇竜と戦う際のセオリー。それはあくまでも、一人で蛇竜と戦うためのもの。

 自分一人に尾の薙ぎ払いを向けられれば避けるしかないが、集団に向いているそれが自分に当たらないのなら、無視して攻めてしまっても問題ない。それをシャヴァンヌから教わって知っていたラックは、尾が第一陣に向いているこの時を好機ととらえ、攻勢に出た。

 背中の留め具を外し、ワイヤーを大量に引っ張り出す。十分な長さを確保したところで再び固定し、ワイヤーを大きな輪の形にして蛇竜の羽根の一つに輪投げのようにして引っかける。

『ギシャー!』

 ラック一人のことなど意にも介さず、蛇竜は集団への攻撃を続けている。やがて第二陣、そしてラックより後発の第三陣が合流し、蛇竜の薙ぎ払いは更に精度を欠く。

「お、おいガキ! 何やってんだ?」

「死にてえのか! さっさと降りてこい!」

「いや、あれワイヤーが引っ掛かって降りられねえんじゃ……」

「なんだそりゃ? クソッ、だからガキの来るところじゃねえって……!」

 石拾いたちは蛇竜にくっつくというラックの蛮行を何かのミスと思ったのか、口々に罵声を浴びせる。その中には、第三陣でやって来たビルクの姿もあった。

 同業者とは、つまるところ商売敵。竜輝石という資源を奪い合う石拾いたちの間に、本来仲間意識は薄い。しかし今回のような遠征や、普段の降下で大型の竜に遭遇した際はその限りではない。

 石拾いたちは荒くれ者だが、決して無法者の集まりではない。同じ仕事に就く者、ましてや子どもが死ぬところを見て喜ぶような人でなしではない。ビルクのラックへの忠告も、ラックの身を慮ってのものだった。

 しかし、大型の竜との戦闘中に人を助ける余裕のある者もそうはいない。ましてや耐え忍んで好機を待つのがセオリーの蛇竜との戦闘中に、その蛇竜の体に引っ掛かっている者を助ける方法など、普通なら考え付きもしない。

 結局石拾いたちは、ラックを助けることができないでいた。しかし、それはお門違いもいいところである。

 ラックは自ら蛇竜にワイヤーを括り付け、他の石拾いたちとは違う好機を待っていた。

『ギシャ、ギシャー!』

 幾度となく尾の薙ぎ払いを躱され、蛇竜は焦れた。制度の低い尾による攻撃を止め、口を大きく開いてその牙と毒で石拾いたちを襲おうと羽根を羽ばたかせる。

「来るぞ!」

「おう!」

「おいガキ、死にたくなけりゃ大人しく…………って!」

「な、何やってんだお前?」

 好機を前に緊張していた石拾いたちは、眼前の光景に目を疑った。

 ラックは羽根の躍動に合わせてブランコのように体を揺らし、再びワイヤーを伸ばして空中に躍り出た。

 金属音と共に伸びるワイヤー。目的の地点まで到達したところで留め具を固定し、あろうことかラックは蛇竜の頭部、上顎の部分にしがみ付いた。

『ギッ?』

「へへ」

 防素マスクの下で好戦的な笑みを浮かべ、腰のカタナを抜き放つ。

 蛇竜との交戦で最も注意するのが、上顎から伸びる二本の牙の毒である。液化した竜素とも言われるこの毒に血清の類は存在せず、噛まれれば命は無い。さらには強い溶解性も持ち、触れただけでも肌を溶かして浸透し、処置が遅れればそれだけでも死に至る。唯一の救いは飛竜の炎のように飛び道具として使われることがないという点だけ。

 つまり蛇竜の頭部、その口は最も避けるべき場所であり、断じてしがみついていい場所ではない。

 しかし、ラックはこう考える。

 毒があろうとなかろうと、こんな牙で噛まれれば死ぬ。ならば牙ごと無くせばいい、と。

 開いた蛇竜の口、その牙の先端からは、紫色の毒が滴っている。逆に言えば、先端からしか毒は出ていない。決して牙の届かない上顎は、絶対に毒に触れることのない安全圏なのだ。

 最も近くでありながら毒の届かない安全な上顎から、抜いたカタナを蛇竜の口内に突き立てる。即死に至る牙の、その根元。歯茎に向けて。

『ギシャー?』

 恐らくは生まれて初めてであろう激痛に、蛇竜は石拾いたちへの突進を止めて空中をのたうち回る。

 身体は固い鱗に覆われていても、口内にまで鱗は無い。カタナの刃はすんなりと肉の中に沈み、毒の牙の根元をぐちゃぐちゃに耕した。

「ほら、もう一丁!」

 次いでカタナを反対の手に持ち替え、もう片方の牙の根元に突き立てる。

 同じように牙の根元をぐちゃぐちゃにしたところで、ラックは体を起こし、ワイヤーの留め具を外して蛇竜の上顎を蹴り、飛行船の足場に舞い戻る。

 腕を振って蛇竜の血を掃っていると、ビルクが驚愕の色に染まった顔で詰め寄ってきた。

「お、お前、何やってんだよ? 蛇竜の口に腕突っ込むなんて、正気か?」

「上顎なら牙は届かねえんだよ。溢れた毒が蛇竜自身の目に入らないために、そういう構造になってるんだ」

「なっ?」

 ビルクが瞠目したのは、その情報に驚いたからではない。

 そんなことを知っていたとしても、触れただけで死に至る毒の発生源に触れるなど、考えられないからである。

「お前、死ぬ気か?」

「死なねえよ。牙の根元はぐちゃぐちゃにしたけど、毒腺は傷つけてないから……」

「そうじゃねえ! そうじゃなくて、もし手元が狂ったりだとかは考えねえのかってことだ!」

 ビルクの言う通り、少しでも手元が狂えば刃は牙の中を通る毒腺を傷つけ、血と一緒に多量の毒がラックの肌に触れていた。それは仮に死に至らなかったとしても、死に迫る危険であることに変わりはない。

「考えねえよ、そんなこと。その程度のミスで死ぬなら、俺は所詮そこまでの奴だってことだ」

「お前……」

 ラックの中の狂気、死に触れる寸前にまで自分から飛び込める胆力に、ビルクは言葉を失った。

「そんなことより、皆で手ぇ貸してくれ!」

 そう言ってラックは持っていたワイヤーを石拾いたちの中に投げ入れる。

「な、何をするんだ?」

「蛇竜をこの足場に叩き落とす。ワイヤーはアイツの羽根に括ってあるから、全員で引けば落とせるぜ」

 飛行船とラックを繋ぐ背中のリールのワイヤーは、輪っかになって蛇竜の片翼、その根元に巻き付いている。これならばワイヤーが千切れるか、ラックがワイヤーをなぞるように羽根の周りを回らなければ外れることはない。

「一ヶ所に集まって引っ張ってくれ。牙はあと一撃で抜けるから、落としてから処理する。毒が飛び散るから、俺から離れててくれ」

 先行して作戦を決めてしまうラック。しかし、もう異を唱える者はいない。

 蛇竜に対する誰もが思いつきもしなかった攻略法。それを可能にする卓越した身のこなしとワイヤーの扱い。何より、それをやってのけてしまうラックの実力を、石拾いたちは認め始めていた。

「文句あるやつは、いないんだな?」

 ニヤリと笑うラックに、石拾いたちもまた笑みで応えた。マスクで口元を覆っていようと、その目に宿る石拾い特有の愉悦がすべてを物語っていた。

 さあ、竜狩りの始まりだ、と。

「引けぇ!」

『オオウッ!』

 ラックの合図で、石拾いたちは一斉にワイヤーを引く。

 現在船外の足場に出ているのは、目算で遠征に参加している石拾いたちの約半数。ワイヤーリールの数的にこれが船の右側に出られる限界なのだろうが、総勢五十名はいる屈強な男たちである。

 口内の痛みに悶えていた蛇竜は突然の引力に羽根を羽ばたかせて抵抗するが、片翼がワイヤーに巻かれていては羽ばたく力も半減する。

 痛みと引かれる力に混乱し、蛇竜はあっさりと船の足場に落下した。

「っ!」

 落下と同時に頭を上げて口を開く蛇竜だが、ラックは既にその口元に肉迫していた。

 わざわざ狙いやすいように開いてくれた口にカタナを奔らせ、毒の牙の一本を根元の歯茎ごと切り離す。

「オラ!」

 抉られた毒腺から毒液が溢れるよりも早く、即座に腕を翻し、もう一本の牙も斬り飛ばす。これで、蛇竜の最大の危険を排除した。

「いよぉしっ! 今だ!」

 危険が大幅に減ったことで、石拾いたちは一気に沸いた。

 約半数がワイヤーから手を離し、各々の武器を手にする。

 剣を持つものは、蛇竜が再び飛び立つことがないようにその羽根を断とうと剣を振るう。

 槍を持つものは、蛇竜を足場に縫い付けるために鱗の隙間を穿つ。

 斧を持つものは、蛇竜の命を絶つために蠢く体に斧を叩きつける。

 鎚をもつものは、動きを止めるために蛇竜の頭部を力の限りぶっ叩く。

 いかに巨大な蛇竜といえど、その命は既に風前の灯火。誰もが勝利を確信した、次の瞬間、

『ギ、ギシャ……!』

 断末魔のような声と共に、蛇竜が最後の力を振り絞り、その体を一際大きく跳ねさせる。しかしそれは、もはや意味のない行動。多くの傷を受けた蛇竜にできることは、そうやって僅かに飛行船を揺らすことだけだった。

「え?」

 そんな意味のない行動が、一つの偶然をもたらした。

 宙を舞うそれは、蛇竜が暴れたことで足場から跳ね上がった、斬り飛ばした毒の牙。

 内部の毒腺に残っていた僅かな毒液を零しながら、牙はワイヤーを握る石拾いたちの中に飛び込んでいく。

「ーーーーッ離れろ! 牙がそっちに行った!」

 ラックの叫びを聞いて、石拾いたちは瞬時に状況を理解した。牙の中に残る毒液の危険を察知し、方々に逃げ出す。しかし、さほど大きくもない牙だけなら避けられても、無作為に飛び散る毒液は簡単に避けられるものではない。

「なぁ?」

 案の定、たまたま牙の落下場所の近くにいた一人が、頭上から降り注いだ少量の毒液を浴びる。それは奇しくも、ビルクだった。

「く、くそぉ!」

 少量とはいえ、蛇竜の毒は強い。ビルクは降り注いだ毒液を必死に服の袖で拭うが、拭った傍から服が溶けていく。そして、

「っ?」

 防素マスクの紐が溶け崩れ、マスクが外れた。

 ここは居住区とは比べ物にならない竜素の渦の中。小人族よりは耐性のある獣人族といえど、一呼吸もすれば充分絶命し得る。

 慌てて口元を覆うビルクだったが、その動揺は行動の精度を欠いた。

 足元に転がったマスクに手を伸ばそうとして、指先で弾いてしまう。ビルクがもたついた一瞬に、ワイヤーが手放されて拘束が緩んだ蛇竜が、再び体を跳ねさせる。

「っ?」

 ビルクのマスクは宙を舞い、足場の端を転がり、船から落下していった。

 突然のことで満足に整えられていない呼吸と、マスクを失った絶望が重なり、ビルクは僅かに、ほんの僅かに息を吸ってしまう。

「ん、んんんんッ?」

 特濃の竜素が口から侵入し、ビルクの体を蹂躙する。

 足場に倒れ込んだビルクは、極度の竜素中毒に身体を痙攣させた。

「オッサン!」

 ラックは走りながら大きく息を吸い込み、呼吸を止めて自分のマスクを外した。

 即座に片手の指で鼻を摘み、竜素の侵入を防ぐ。そして、外したマスクをビルクの口元に押し当てた。

(息吸え、オッサン!)

 ラックのマスク越しに安全な空気を取り込み、数回の咳き込みの後、やがてビルクの体の痙攣は止まった。

 ゆっくりと、ゴーグルの奥でビルクが目を開ける。声を出すことができないラックが視線だけで安否を確認すると、ビルクは開けたばかりの目から一筋の涙を零した。

「す、すまねえ……。助かった、ありがとう、ラック……!」

 ビルクは涙ながらにラックに礼を言う。ラックはビルクが自力でマスクを固定できると確認してからそっとマスクから手を離し、親指を立ててその礼に応えた。

 遠征では、石拾いたちは普段バディに預けている命をお互いに預け合う。乗船前のビルクの言葉に、ラックは言葉ではなく、行動で答えを出した。

 ラックの機転と素早い行動で最悪の事態は免れたが、ラック自身がマスクをしていない以上危機が去ったわけではない。

 未だ竜素の後遺症が残るビルクは数人の手を借りて立ち上がり、ラックと共に船内に引き返す。支給されたマスクは一人一つ、当然この場に余計なマスクを持っている者はいないが、船内には予備の一つくらいあるはずである。

 予想外の事態にも関わらず死者が出なかったことに一同が安堵した、その瞬間、

『ギシャー!』

 油断と言う他ない。

 誰もがワイヤーを手放していたこと。滅多打ちにしていた者たちの武器が止まっていたこと。何より、虫の息と思っていた蛇竜が未だ飛び立つ力を残していたこと。

 その場にいる全ての者が出した、弛緩した空気。それが再び、予想外の悲劇を生んだ。

「ラック?」

「ッ?」

 ラックの体を繋ぐワイヤーは、未だ蛇竜の羽根に括られたまま。

 蛇竜の羽ばたきにラックの体は宙を踊り、背中から飛行船の船体に叩きつけられた。

「がっ!」

 肺から無理矢理空気を押し出され、ラックは竜素の中でえずいてしまった。

「ラック!」

「ワイヤーを外せ!」

「おい、リールを……!」

 ラックとビルクを迎え入れるために開かれていた船のハッチと、そこに備え付けられたワイヤーリール。

 全身が筋肉である蛇竜といえど、頑強な降下用のワイヤーを断ち切ることはできない。しかし、固定されたワイヤーリールの根元は、そこまで強固な造りにはなっていなかった。

 必死の羽ばたきを見せる蛇竜の筋力に、ワイヤーリールは床板諸共引っぺがされた。

「ワイヤーを引け!」

「だ、ダメだ、もう届かねえ!」

 羽根にワイヤーを括り付けたまま蛇竜は空を泳ぎ、ラックもまた宙吊りになる。

「ラックッ!」

 遠く離れていく飛行船と、その足場で自分の名を呼ぶビルクの姿。

「…………っがぁ!」

 押し留めていた呼吸は限界を迎え、肺は空気を求めて喘ぐ。

 咄嗟に竜素に侵入を防ぐために手で口元を覆うが、必死の抵抗もむなしく、やがてラックの意識は暗い竜素の中に落ちていった。


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