第5話【マッチ売りの少女は地獄を見る】
夜の気配に包まれたゲームルバークを駆け抜けるアリシアは、近くにあったゴミ箱を蹴飛ばしながら悪態を吐く。
「あー、もう。こんなつもりじゃなかったのにー」
ボスから御子息であるスノウホワイトを殺害した二名の悪党を始末するように頼まれたが、方法は問わないと言われた。
だからアリシアは、大好きであり得意な放火殺人を計画した。あちこちの建物を燃やしながら、着実にあの悪党二名を殺せるように。
結果はどうだ?
決まっている、相手の方が一枚上手だったのだ。
ようやく掴んだ奴らの居場所を早速とばかりに燃やしてやったのに、奴らはあろうことか荷物を全て運び出した上で早々に脱出したのだ。これはアリシアも想定外である。
逃げられることは想定していたが、荷物まで運び出されるとは思わなかった。一枚どころか二枚も三枚も上手な気がしてきた。
「でもー、しばらくはあの家にいるってことだよねー。じゃあチャンスはあるのかもー?」
狭い路地を駆け抜けながら、アリシアは身を隠す為の場所を探す。
どうせ彼らは追いかけてくるが、距離はあるはずだ。
急いで身を隠せば分からないはず。そのまま体勢を立て直して、今度こそ奴らを燃やして殺してやるのだ。
――そう思っていたのに。
「…………?」
アリシアは足を止める。
路地を抜けた先に、誰かが立っているのだ。
煌びやかなネオン街を背にして仁王立ちをする、真っ黒な人間が。
「ひッ……」
まるで幽霊のような気配を漂わせる真っ黒な人間は、ぶかぶかな袖から鈍色に輝く何かを取り出す。
それがナイフだと気づけたのは、本当に偶然だった。小さな刃が背後に控えるネオンのけばけばしい光を反射して妖しげに輝き、アリシアへ確かな殺意を伝えてくる。
間違いない、あいつだ。
あの頭のおかしな二人組の悪党、その片割れ。晴れの日でも真っ黒な雨合羽を脱がず、そこら辺にいる【OD】よりも頭の螺子が何個かぶっ飛んだ殺人鬼。
真っ黒な人間は、ナイフを持っていないもう片方の手を掲げる。
アリシアが掲げられた手に注目すれば、よくある注射器が握られていた。
そのシリンダーの中では透明な液体がちゃぷちゃぷと揺れていて、何か良からぬものであることは嫌でも分かる。
「おやおや、どうかしましたか? まるで幽霊でも見たような反応をして……もしかして僕に何か憑いてます?」
雨合羽の下から覗く口元が、僅かに曲線を描く。
「それとも、アンタ自身が幽霊になるおつもりですか?」
注射器の針が、真っ黒な人間の首筋に突き刺さる。
シリンダーの中で揺れる透明な液体が体内に注入されると同時に、真っ黒な人間が姿をフッと掻き消した。
本当に、相手が言ったように幽霊の如く、何の予備動作すらなく。
「ッ!!」
一瞬だけ身体を硬直させたアリシアだが、すぐに身を翻して駆け出す。
逃げなければ、今はひたすら逃げなくては。
あの真っ黒な人間から――頭のいかれた悪党から逃げなければ、自分の命はない。
「おや、どこへお行きですか?」
声が降ってくる。
弾かれたように顔を上げれば、視線の先には壁から突き出した室外機の上に真っ黒な人間が腰掛けていた。
フードの下から覗く黒い瞳が、楽しそうにひん曲げられている。じっとアリシアを品定めするように見つめるその姿は、黒猫みたいだと言ってもいいだろうか。
足をぶらぶらと揺らし、小さなナイフを弄ぶ邪悪なてるてる坊主は身体を硬直させるアリシアを眺めている。
「逃げても無駄ですよ。僕はどこまでも追いかけます。追いかけられるのは嫌ですが、追いかけるのは好きですからね」
ゾッと冷たい殺気が、アリシアの肌を撫でる。
ほぼ反射的に足を動かしてその場から逃げ出したアリシアの背中へ、真っ黒なてるてる坊主が実な楽しそうな口調でこう告げた。
「いーち」
☆
「夜だから分かりにくいなぁ」
伽藍とした様子の雑居ビルの一室を占拠するユーシアは、ぶつくさと文句を言いながら純白の対物狙撃銃の照準器を変える。
もちろん、普段は変えなくていい。
狙う相手は明るい室内にいることが多いし、目立つ格好をしてくれたので狙いやすかった。だが、この辺りだと街灯も少なくて薄暗く、普通の照準器だとあまり見えないのだ。
照準器を暗闇専用のものに付け替え、ユーシアは試しに照準器を覗き込んで倍率を確認する。
「あー、うん。よし、いい感じ」
しばらく使っていなかったが、まあ使い心地は普通の照準器と変わらない。
目を慣れさせる為にしばらく周囲を狙ってみたりしていると、唐突にユーシアの携帯から『こちらファルコン、応答せよ!! こちらファルコン、応答せよ!!』などという野太い野郎の音声が流れた。
どうやら、またリヴに携帯電話の着信音を変えられたらしい。なんかこう呼ばれると軍人時代を思い出してしまうので、ちょっとやだ。
ユーシアは仕方なしに携帯電話を取り出し、液晶画面を確認する。案の定、着信はリヴからだった。
「リヴ君さ、また俺の着信音を変えたでしょ」
『お気に召しましたか?』
「前の職場を思い出すんだけど」
『それなら次は僕の声でも入れてみます? 全力で喘いでみましょうか』
「辞めてくれない? 往来で着信があった時やネアちゃんとリリィちゃんがいるところで、お前さんの喘ぎ声が聞こえてきたら気まずくなるでしょうがよ」
そんなことになったら、本気で首を吊りたくなってしまう。
リヴもユーシアの自殺の気配を察知したのか、半笑いで『冗談ですよ』などと言う。彼の場合、本気と冗談の境目がよく分からない。
「ところで、電話をかけてきたってことは見失った?」
『まさか。追い込んでますよ』
「楽しそうだね」
『追いかけられるのは嫌いですけど、追いかけるのは好きなんで』
「…………俺がリヴ君を追いかけたらどうする?」
『えッ、追いかけてもらえるんですかぁー☆』
明らかに声のトーンが変わった。
何でリヴはユーシアにだけ色々と変わるのだろう。
「ところで、その炎に欲情する変態なお嬢さんは一体どこに行ったのかな?」
『シア先輩の方へ追い込みますよ。どちらですか? 今の場所は』
「サウザンビルディングっていう今は使われてない雑居ビル」
『ああ、そこでしたらもうすぐ通ります』
リヴの通話が一方的に切られると同時に、ユーシアは照準器を覗き込んだ。
静かな通り道に、足音が徐々に近づいてくる。
大きくなる足音と共に呼吸音も聞こえてきて、音のする方角へ対物狙撃銃を向けた。
「もうやだー、何でウチがこんな目にー」
懸命に逃げながら悪態を吐く、白金色の髪の少女がすぐ近くまで来た。
照準器を覗き込むユーシアは、純白の対物狙撃銃の引き金に指をかける。
あともう少しだけ近づいたら撃つ――そう心に決めて、彼女が近づいてくるまで待つ。
そのつもりだった。
「邪魔だからこれ燃やしちゃおー」
白金色の髪の少女――アリシアは、おもむろに懐からマッチを取り出した。
よくあるマッチだ。店や、それこそスナックに行けば店の宣伝用に持ち帰る量産型のマッチである。
マッチ売りの少女の【OD】だからマッチを持ち歩いているのだろうか。キャラ作りとしてはよく見かける設定である。
アリシアはマッチを箱の側面で擦って火をつけると、
「そいや」
火のついたマッチを、ポンとユーシアのいる雑居ビルへ放り入れた。
それだけで建物が燃えるはずないのだが、そこはそれ、相手は魔法のお薬によって頭の螺子をなくす代わりに異能力を得た【OD】である。
当然ながら、こうなることは簡単に予想がついた。
「やべッ」
ユーシアは慌ててライフルケースを拾い上げて、雑居ビルの窓から飛び出す。
次の瞬間、ビル全体があっという間に紅蓮の炎に包まれた。
本当に悪運が強い。あと少し遅かったら、ユーシアは焼死体になっていたことだろう。




