第5話【嘘吐きには嘘吐きを】
液晶画面に羅列する文字は、誰かの個人情報を綴っていた。
ウルスラ・ロッシ。
表向きは調香師として店を持つ香りのスペシャリストだが、裏社会では『ピノキオ』と呼ばれる詐欺師だ。高い鼻がまるで嘘を吐いた時のピノキオに似ていることから、そんな名前がついた。
ピノキオの【OD】であり、他人に嘘を信じ込ませる異能力を持つ。
ただし用心深い人間や同じく嘘を得意とする人間には通用しない傾向にあり、リヴには通用しなかったようだ。
「…………」
携帯電話を握り潰さんばかりに掴み、リヴの指先は液晶画面を上下に滑る。
あのピノキオの【OD】によって狂わされ、リヴはユーシアを連れてメロウホテルまで戻ってきた。念の為、もう一泊しておいてよかった。
気絶したユーシアをベッドに転がし、リヴはその側でピノキオに関する情報収集をしていた。本当ならパソコンがほしいところだが、贅沢は言っていられない。
どこかの部屋から盗むことも考えたが、今は時間が惜しい。ユーシアを狂わせたあのピノキオを、一刻も早く殺してやるのだ。
「おにーちゃん、おねんね?」
「そうですよ。お昼寝中なので、起こさないであげてくださいね」
「うん」
昼間のうちに買い物を済ませてくれたネアは、ベッドで横たわるユーシアの頬をツンツンと突いて遊んでいた。
一方でスノウリリィは、リヴが纏う異様な空気に心配そうな表情を浮かべていた。「えっと」とか「あの」とか話しかけようと試みているようだが、刺々しい雰囲気が会話を許さないでいる。
(【DOF】は手元にある。ピノキオを殺すには十分すぎますね。あとは奴がどこにいるのかさえ掴めれば……)
鬼気迫る勢いで情報を集めるリヴに、ようやく「あの……」とスノウリリィの声が届く。
液晶画面から顔を上げ、銀髪のメイドへ視線をやれば彼女は心の底から心配している様子だった。
睨みつけた記憶はないが、目を合わせるとスノウリリィはビクリと肩を震わせる。それほど怖い顔をしていたのだろうか。
「リヴさん、私たちにもお手伝いできることがあれば……」
「僕の殺意を邪魔しないでください。アンタでも殺しますよ」
きっぱりと言い放ったリヴは、
「絶対にあのピノキオ野郎は殺してやります。殺すんです、絶対に」
「ピノキオですか?」
「そうです。最近ゲームルバークで柑橘系の香水が流行っているでしょう? あの香水を作った張本人が、シア先輩を狂わせたんです」
あの時の光景を思い出しただけでも腹が立つ。
嘘を信じ込ませる異能力は、ユーシアにとって最悪の攻撃手段だった。
普段は用心深いユーシアでも、最大の弱点は『アリス』だ。何度アリスを殺しても、アリスの【OD】が彼の家族を惨殺した過去は拭えない。
アリスは死んだ、確かにユーシアの手で殺された。
なのに、まだ彼はどこかでアリスに囚われたままなのだ。
ピリ、とした緊張感のある空気が客室に漂い始めるが、スノウリリィの一言で部屋の雰囲気が変わる。
「それって、ウルスラって人ですよね?」
「…………知っているんですか?」
「雑誌で取材されてましたよ」
スノウリリィが部屋に備え付けられている女性誌を手に取り、リヴに差し出してくる。
様々な見出しが犇めく中で、やたら目立つのがあの鼻が高い男の写真だ。
タイトルは『調香師ウルスラ・ロッシ、密着インタビュー』とある。こんな気持ち悪い奴に密着するとは、雑誌編集者も馬鹿なことをする。
リヴはスノウリリィの手から女性誌を奪い取り、目的のページを開く。
『今、一番ほしいものはありますか?』
『出逢いである。我輩好みの女性に出逢いたいのだが、やはり理想が高すぎるのだろうか……』
『好みの女性というのは?』
『黒髪で、笑顔が素敵な女性である。聞き上手で礼儀正しい女性であればなおのことよし』
――これだ。
リヴは女性誌を握りしめて立ち上がり、それから「決めました」らと言う。
「僕、女の子になります」
「リヴさん、割と本気で言いますが頭は大丈夫ですか?」
「正常です。むしろ冴え渡っていますよ」
リヴは女性誌をスノウリリィへ突き返し、さっそくピノキオ野郎が求める女性像を思い返す。
黒髪で、笑顔が素敵な女性。
聞き上手で礼儀正しければ、なおのことよし。
幸いにもリヴは極東出身で、真っ黒な髪である。ズボラそうに見えるが、変装することも多いので見た目には意外と気を遣っているのだ。
顔つきもどちらかと言えば女性寄りで、それらしく化粧をしてニコニコと微笑んでいれば男の一人や二人ぐらい余裕で釣れる。諜報官時代に演技力も指導されたので、女性の動作や男を籠絡する為の仕草も完璧だ。
正直な話、元娼婦のスノウリリィよりも女装したリヴの方が客を取れると思う。
「やってやろうじゃないですか。ピノキオの奴をメロメロにして、そして絶望させて殺しますよ。ええ、残酷に殺してやりましょう。地獄の底で誰に喧嘩を売ったのか、大いに後悔させてやります」
凶悪な笑みを浮かべて殺意を漲らせる真っ黒てるてる坊主を見上げ、ネアは「りりぃちゃん」と銀髪のメイドへ振り返る。
「りっちゃん、げんきになったね」
「そ、そうですね。これでよかったんでしょうか……」
ユーシアが起きていれば、きっと彼は「相変わらずだなぁ」と言いながら苦笑するだろう。
残念ながら、邪悪なてるてる坊主を唯一制御できる相棒は、今もなお眠ったままだ。それはまるで、眠り姫のように。
☆
さあ、おめかしの時間である。
仕事道具の化粧品はいくつか持っているが、やはり相手の好みに合わせるのならば自然体でいくべきだろう。
礼儀正しい女性が好きならば、けばけばしさよりも品性を求めてくるはずだ。お淑やかに、かつお嬢様らしく。
髪の長さはもう少し足した方がいいだろうか。
だが、変に増やすよりも自然な髪の方が印象はいいだろう。エクステをつけるよりも、綺麗に整えるだけでよさそうだ。長い前髪は、まあピンで留めればいいだろう。
「服装はどうしましょう。ろくに持ってきてないんですよね」
ピノキオ野郎の好みに合わせて品のいい女性に変装中のリヴは、昼間に殺した連中から衣装を見繕ってくればよかったと後悔する。
品性のある女性は、露出の高い格好はしない。
そもそもこれは女装なので、肌を見せるのはまずい。骨格でバレてしまう可能性もあるので、イブニングドレスにケープを羽織るべきか。肩を出した時点でアウトだ。
「仕方ないですね」
化粧する手を止めて、リヴは「よっこいせ」と立ち上がる。
「リヴさん、どちらにお出かけですか?」
「イブニングドレスを持っていない客の為に、ドレスを貸し出すサービスをやってましたね。そこに忍び込んで何着か拝借してきます」
「正式に借りる訳ではないんですね」
「着るのは僕ですよ? アンタやネアちゃんの『ちゃんとした女性』を基準にすると、色々と勝手が違ってきますからね」
ネアとスノウリリィに購入してきてもらった【DOF】の入った注射器を首筋に突き刺し、シリンダー内で揺れる透明な液体を注入する。
親指姫の【OD】の異能力――自分の身長を親指サイズにまで縮める異能力を発動させ、通気口から部屋を飛び出すリヴ。
埃っぽい通気口の迷路をスイスイと進み、ドレスの貸し出しサービスをやっている三階の専門店フロアを目指す。
――数分後。
「ご覧ください、この成果。割とよくないですか?」
ネアとスノウリリィの前で、リヴは完璧な女装姿を披露する。
肩口で揃えられた黒い髪は艶やかで、緩やかな弧を描く口元には薄くリップが引かれている。化粧も濃くなく、お淑やかさが十分に押し出されていた。
服装は真っ黒なAラインのイブニングドレスで、裾から伸びる足は黒いタイツで覆われている。足元を飾る靴は宝石が輝く磨き抜かれた黒のヒールで、肩幅を隠すように真っ白なケープを羽織った。
詰め物で膨らんだ慎ましやかな胸を張り、リヴは「どうですか」と感想を求める。
「どこからどう見ても女性でしょう? 品がありそうじゃないですか?」
「喋り方でマイナスですが、きっと本番は演技をするのでしょうね」
「当然ですよ。相手を確実に殺す為ですから」
スノウリリィは「私よりも美人です……」と不満げに唇を尖らせるが、
「綺麗ですよ、リヴさん。どこかの会社のご令嬢に見えます」
「リリィにしては素直に感想を寄越すじゃないですか」
「何だかムカつきます」
「ははは、負け犬の遠吠えに聞こえますよ」
スノウリリィの嫉妬を、リヴは鼻で笑い飛ばす。
リヴの本気の女装を間近で見ることとなったネアは、ポカーンとした様子で彼を見上げていた。
精神年齢が五歳児まで退行しているネアにとって、女装したリヴは混乱を招く要因となった。こてん、と首を傾げると、
「りっちゃん、おんなのこ?」
「今だけは、ですよ。本当は男の子です」
「そっかぁ。おんなのこみたいにきれーになったから、ほんとにおんなのこになっちゃったのかとおもった」
ネアはニッコリと笑うと、
「りっちゃん、きれーだよ」
「ネアちゃんに褒められた……僕、今なら死んでもいいです」
「ウルスラを落としにいくのでは?」
「おっと、まだ死ねませんでした」
スノウリリィに諭されて、リヴは我に返る。
まだ死ぬ訳にはいかないのだ。
ユーシアを狂わせた原因である、ピノキオ野郎をこの手で殺すまで。
「それでは僕は出かけますね。シア先輩をよろしくお願いします」
「うん! いってらっしゃい!」
「お気をつけて」
ネアとスノウリリィに送り出され、リヴはピノキオの元へ向かった。




