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序章【裏世界ではよくある事件】

 それは、一件の殺人事件から始まった。



 ☆



 ドン、と肩と肩が触れ合う程度の衝突。



「ああ、ごめんね」



 先に謝罪したのは、燻んだ金髪の男だった。

 無精髭ぶしょうひげを生やしているものの、顔立ちは整っている。身なりを整えれば世の中の女性が放っておかないだろうが、これでは仕事帰りの中年がせいぜいだろう。


 巨大な箱を抱えた彼は、ぶつかった相手に軽い謝罪をする。

 完全に前方不注意だったので、謝罪するのは当然のことだ。彼にも謝るという礼儀ぐらいは持ち合わせる。


 ところが、ぶつかった相手はそれを許さなかった。



「あーッ、イッテエ!!」



 わざとらしく大きな声を上げて騒ぐ相手は、ややだらしなく着崩したスーツが特徴のチンピラだった。


 髪の毛は金色に染め、鼻や唇にピアスを装着している。人相も悪く、一般人であれば睨まれただけで財布を差し出してしまいそうな雰囲気だ。

 背広から覗くシャツは、毒々しい色合いの紫である。何か、もう、格好も派手でチンピラ以外の表現が見つからない。


 チンピラは首をぐわんぐわんと振りながら、謝罪をしたはずの男に詰め寄る。



「おい、オッサン。俺にぶつかっておいて、ごめんで済むと思ってんのかあ?」

「別にどこも怪我してないし、謝罪だけでいいでしょ」

「怪我してんだよなァ!! 見ろこれ、肩が脱臼しちまったよ!!」



 チンピラが、どこも怪我した様子のない肩をぶつけてくる。


 この先の展開まで読めてしまった男は、うんざりしたようにため息を吐いた。

 分かりやすいカツアゲである。どうせ「治療費を寄越せ」と怒鳴ってくるのだろう。本当に低脳で、誰よりもチンピラらしいチンピラである。


 しかも面倒なことに、チンピラには同じような仲間がいる。

 確実に男を逃がさない為に周りを取り囲み、同じように「おい、聞いてんのか」とか「金あるよな?」とか脅しをかけてくる。男が一般人であれば、財布を差し出すと共に土下座すると思う。


 しかし、残念ながら男は一般人ではない。

 というより、この時点でチンピラの負けが確定していた。



「いやー、もう本当にね。可哀想で仕方がないよ」

「ああ? 何言ってんだオッサン」

「素直に謝罪を受け入れてくれれば、死なずに済んだのにね」



 心の底から哀れな視線をチンピラに向けて、男はもう一度言う。



「本当にね、可哀想に」



 その言葉の意味が分かったのは、チンピラの仲間たちがバタバタと倒れた時だった。


 首領であるチンピラが慌てた様子で倒れた仲間たちを見回すと、彼らは全員して首を掻き切られて死んでいた。パックリと裂けた喉から、真っ赤な血が止めどなく溢れる。

 容赦のない殺戮。だが、男は武器すら持っている様子はない。


 冷や汗を噴き出すチンピラは、そっと己の背後へ振り返った。


 暗い裏通りに佇んでいたのは、黒いてるてる坊主である。

 その正体は、黒い雨合羽レインコートを身につけた青年だ。目深に被ったフードの下で、じっとチンピラを見据える黒曜石の瞳が恐ろしい。ファンシーな見た目とは対照的に、得体も知れない恐怖がチンピラを襲う。


 てるてる坊主の手には、血に濡れたナイフが握られていた。

 マチェットナイフと呼ぶべきだろうか、そこそこ刀身がある。それを両手に一本ずつ握った状態で、彼はそこにいる。



「あ、ああ、ああぁ……」

「えーと、何だっけ? 肩が脱臼したんだっけ」



 後退りするチンピラは、男に肩を掴まれて逃亡を阻まれる。


 涙に濡れる瞳で男を見上げたチンピラは、彼へ「ご、ごめ、ごめんなさッ……」と謝罪する。その謝罪は、果たして意味があるのだろうか。


 男はチンピラに向けて笑顔を見せると、



「え、許すと思った?」



 問答無用で、男はチンピラの肩関節を外した。


 ゴッキィ!! という嫌な音。

 それと同時に、チンピラは肩を押さえて膝から崩れ落ち、汚い絶叫を口から迸らせる。



「あーあ、ごめんね。肩を脱臼させちゃったね。でも大丈夫だよ」



 倒れ込んだチンピラが最期に見たものは、マチェットナイフを振り上げるてるてる坊主の姿だった。


 男は絶望するチンピラの顔を見下ろして、さも当然のように言う。



「もうすぐお前さん、死ぬからね」





 全裸にひん剥いたチンピラの死体を建物の壁に寄り掛からせて、真っ黒なてるてる坊主――リヴ・オーリオは呆れた様子で言う。



「全く、仕事道具も持たずにフラフラと裏通りを歩かないでくださいよ。命がいくつあっても足りませんよ」

「ごめんね、リヴ君。ちょっと煙草を買いに行こうと思ったんだけど、いつもの店で売ってなくてさあ」

「これを機に禁煙でもしたらどうです?」

「だよねぇ。肺癌で死ぬなんて、悪党として最高に格好悪い死に方だし」



 金髪で無精髭の男――ユーシア・レゾナントールは「電子タバコにしようかなぁ」などと的外れなことを呟く。


 チンピラとその仲間たちの死体を全裸にひん剥き、リヴは順繰りに壁へ寄り掛からせる。揃って頭を項垂れさせる様は、酒を飲みすぎて道端で眠りこける酔っ払いのようだ。

 ただし、首元が赤く染まっていなければ、の話だが。



「どうします? 何か落書きでもしていきます?」

「ペンキやスプレーがないよ」

「雑魚の血があるじゃないですか。僕が描きますよ」

「んー、じゃあ……」



 ユーシアは少し考える素振りを見せ、



「『ざまあみろ』で」



 すでに死んでしまったチンピラには与り知らないことだが、この世界にはどうしようもなく抗い難い悪党がいる。

 それが、この二人だ。


 ユーシア・レゾナントール。

 リヴ・オーリオ。


 狙撃手と暗殺者の二人は理不尽な悪党として、この米国の地方都市ゲームルバークで名を馳せていた。

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