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第2話【開幕、人魚姫の物語】

 さて、観劇にはチケットが必要だが、他の部屋を利用中の客から強奪してくるしかないかと思いきや、そんなことをしなくてもよかった。


 ホテルの部屋に到着すると、ドレッサーの台座にチケットが四枚ほど置かれていた。

 ゲームルバーク最大級の劇場を売りとしているホテルからすれば、客に劇場を利用してもらいたいのだろう。先手を打たれたような気がしたが、まあ他人から強奪する手間が省けたと考えるべきか。



「ふぅーん、こんなに早く手に入るなんてね」



 ドレッサーの台座に置かれたチケットを手に取り、ユーシアはチケットに書かれた文章を読み込む。


 開幕時刻は一八時からで、入場開始時刻はその三〇分前となる。

 演目はネアが興味を持った人魚姫で、主演の部分にテレサ・マーレイとある。有名な舞台女優で、とても綺麗な歌声に誰もが魅了されるとニュースで聞いたことがある。


 チケットは本物のようで、きちんと使えるみたいだ。これでネアの我儘も叶えてやれる。



「それにしても、リヴ君」

「何です?」

「ツインなんだね、取った部屋」



 ホテルの客室には、大きめのベッドが二つ並んで設置されていた。


 ベッドは女性陣が使うとして、男性陣はどうやって眠るのだろうか、せめてソファがあればと思っていたのだが、この客室にベッドとドレッサー以外の家具はない。

 リヴはどうせ浴槽で眠るだろうし、残されたのはユーシアだけである。立って寝ろと言われているのか、これは?


 リヴはキョトンとしたような表情で、



「そうですね。何か問題が?」

「俺はどこで寝ればいいの?」

「ドレッサーの椅子に座って寝ればいいのでは? 運転する僕の隣で寝るんですから余裕でしょう?」

「休まると思う?」



 確かに座りながら眠ることも出来るが、果たしてそれで身体が休まると思うのか。


 ユーシアがその部分を指摘すれば、リヴは片目を瞑って舌を出し、コツンと自分の額に拳を置いて「てへぺろ」と茶目っ気たっぷりに言う。

 ネアやスノウリリィがやれば可愛いだろうが、普段から殺意に溢れる青年がやっても可愛げはない。腹が立ったので、相棒の頬を抓っておいた。


 すると、何かを察知したスノウリリィが「あのう……」とわざわざ挙手をして発言してくる。



「ユーシアさん、よろしければベッドをお使いください」

「え、でもリリィちゃんはどこで寝るの? 床?」

「雑な扱いに懐かしさを感じてしまう私は感覚が麻痺してきてますね……いえ、そうではなく」



 スノウリリィは腰に抱きついているネアの頭を撫で、



「私はネアさんと一緒のベッドで寝ますので、大丈夫ですよ」

「そうなの! ねあ、いつもりりぃちゃんといっしょなの!」



 いいでしょ、とばかりにネアはスノウリリィの手のひらに頭を押し付ける。



「そう? じゃあ使わせてもらうね。いびきとかうるさかったらごめん」

「おにーちゃん、いつもしずかだよ」

「そうですよ。逆に生きているか心配になってくるぐらいに静かですよ」

「え、そんなに? 心配されるぐらいに俺って静かなの?」



 自分の寝相に関して心配されるとは思わなかったユーシアは、困惑するしかなかった。


 さて、守備よくベッドを獲得できたのだが。

 ――何故、リヴはベッドを占領しているのだろう。



「リヴ君、そこは俺が寝るところなんだけど」

「いやー、このベッドって意外と寝心地いいですね」

「そういうことじゃないんだよ、リヴ君!! ほら起きて!! 俺の寝るところがないでしょ!!」

「僕の隣が空いてますよ」



 ベッドを占領するリヴが、ベッドの空きスペースを叩く。


 つまり、これはあれか。

 相棒と一緒のベッドで寝ろと、そう言っているのだろうか。


 天井を振り仰いだユーシアは、相棒からベッドの主導権を強奪するべくリヴへ挑むのだった。



 ☆



「チケットを拝見いたします」



 係員の男性に用意された四枚のチケットを差し出すと、彼は「はい、確かに」とチケットの端を千切って控えとする。


 一七時三〇分になると、ロビーにはたくさんの人で溢れかえっていた。誰も彼も、このホテルに併設された劇場を目当てとしているらしい。

 チケットを係員の男性に渡して劇場に足を踏み入れれば、薄暗いホールがユーシアたちを迎え入れた。


 最奥に鎮座するのは、赤い緞帳どんちょうで覆われた舞台である。

 スタッフが忙しそうに緞帳をめくっては外と内側を行き来しているので、今まさに舞台の準備をしている最中なのだろう。


 チケットに指定された座席に腰掛け、ユーシアは「久々だなぁ」と言う。



「舞台の人魚姫なんて初めてだよ」

「僕もミュージカルは初めてです」

「いきなり歌い出したからって、舞台役者に飛び付いたらダメだからね」

「努力します」



 ユーシアは隣に座るリヴを一瞥して「我慢してね」と釘を刺す。


 いつもなら黒い雨合羽レインコートを身につけるリヴだが、今は清潔感のあるシャツと細身のジーンズという簡素な格好だった。さらに上から黒いカーディガンを羽織り、普通の服装を選んでいる。

 雨合羽の格好で劇場に向かおうとする相棒に待ったをかけ、普通の格好に着替えさせたのだ。リヴは最後の最後まで渋っていたが、さすがに劇場まで雨合羽では目立つので強制的にお色直しである。


 ちなみにこの一悶着の様子を書くと、



「リヴ君、さすがに劇場で雨合羽は目立つから着替えて」

「嫌ですよ。僕のアイデンティティです」

「リヴ君、俺たち指名手配されてるんだけどさ。雨合羽って実はめちゃくちゃ目立つ格好だと思わない?」

「でも嫌です。シア先輩は僕に上半身裸の変態になれと言うんですか?」

「リヴ君ちゃんとした私服持ってるでしょ!! それ着なさいよ!!」

「アイデンティティは脱ぎたくないです!! お願いです見逃してください!!」

「一緒に行くネアちゃんとリリィちゃんに危害があったらどうするの!!」

「脱ぎます」



 即答だった。

 ネアの名前を出した途端、彼は即座にアイデンティティと宣った黒い雨合羽を脱いだのだ。それまでのやり取りが馬鹿みたいに思える。


 人魚姫の舞台が楽しみなのか、ネアはスノウリリィの袖をくいくいと引っ張りながら興奮気味に言う。



「にんぎょさん、どうやっておよぐのかな? おみずたくさん?」

「それだと水責めになってしまいますね。きっと天井からワイヤーで吊るんだと思いますよ」

「わいや? わいやってなぁに?」

「とても丈夫な糸ですね。お空を飛ぶように見えるんですよ」

「そうなの? ねあとおんなじ?」

「そうですね。ネアさんと同じです」



 ネアは「ふんふーん♪」と鼻歌を歌いながら揺れる。舞台が楽しみで仕方がないようだ。


 その時、ぼんやりとホールの照明がゆっくりと消えていく。

 周囲の観客が「始まる」「楽しみだわ」と声を潜める中、コツコツと足音がホール内に響いた。


 緞帳が降りた舞台に現れたのは、タキシード姿にシルクハットを被った男だった。


 鼻の下に伸ばした特徴的な髭を指先で弄ると、男は「ladies and gentlemen」と客席に呼びかける。



「こんばんは、ようこそメロウミュージカルホールへ!! 今宵の物語は人魚姫、幻想的でありながら胸が締め付けられる悲劇の恋愛物語です!!」



 彼が語り始めると同時に、客席は水を打ったように静まり返る。



「ここで観劇に関する注意事項です。えーと――」



 観劇に関する一般的なマナーを守るように呼びかけ、彼はシルクハットを持ち上げて恭しく一礼する。



「それでは、マナーを守って快適な観劇をお楽しみください」



 男は舞台袖へ戻る前に「まもなく開演ですよ!!」と言い残して消える。


 ネアはスノウリリィの袖をさらに強く引っ張り、



「はじまる? はじまる?」

「始まりますよ。ネアさん、静かに」



 スノウリリィが唇に人差し指を添えて「しー」と言うと、ネアも真似して人差し指を口元に当てて楽しそうに笑っていた。


 女性陣は変わらず元気である。

 楽しそうにしているようで何よりだ。


 ユーシアとリヴは互いに顔を見合わせると、



「楽しそうだね」

「楽しそうですね」

「……何も起こらなければいいけど」

「少なくとも、二人が巻き込まれなければ僕はいいです」



 ぶー、と開幕を告げるブザーが鳴る。


 拍手と共に幕が上がり、人魚姫の物語が始まった。

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