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小話【殺人鬼が二人】

「アリス、アリス、アリスアリスアリスアリス……」



 人気のない屋上に寝そべり、純白にカラーリングされた対物狙撃銃を構える狙撃手が一人。


 くすんだ金色の髪に無精髭、翡翠色の双眸はどこか遠くを見据える。

 照準器スコープを覗き込んだ先に映り込むのは、見事な金色の髪をした女性だった。もう眠る前なのか、寝巻きに着替えた彼女は欠伸をしながらベッドに歩み寄る。


 冷たい銃把に頬を寄せ、引き金に指をかける。

 ブツブツと譫言うわごとのように「アリス」と連呼していた狙撃手だが、途端に口を閉ざした。完全に仕事の感覚へ移行したか。


 すると、狙撃手の視界に一人の少女が映り込む。



「――エリーゼ」



 それまで「アリス」と連呼していた狙撃手の口から、別の女の名前がこぼれ落ちた。


 狙撃手にしか見えない少女は、射線上にいる女性を守るように立ち塞がる。「この人を撃ってはダメ」とばかりに、少女は首を横に振る。

 それでも、狙撃手は彼女に構わなかった。そこに立つならば、お前ごと始末してやるとばかりに、迷わず引き金を引く。


 タァン、と銃声が夜空に響く。


 射出された弾丸が窓ガラスを割り、その先にいた少女を貫通して女性の側頭部をぶん殴る。

 少女に触れたことで弾丸の殺傷力が削がれ、対物狙撃銃の規格外の弾丸を受けたというのにも関わらず、女性は粉々になることなく無傷で床に沈む。


 女性は、すやすやと眠っていた。

 永遠に目覚めぬ夢の世界に囚われ、やがて衰弱して死ぬだろう。



「――対象の睡眠を確認。依頼完了」



 まともな単語を喋らないかと思ったが、狙撃手はそれまでが嘘のように淡々とした口調で告げる。


 対物狙撃銃を抱えて立ち上がった彼は、砂色の外套から煙草の箱を取り出す。煙草のフィルターを噛みながら、安物のライターで火をつけた。

 紫煙をゆっくりと燻らせながら、狙撃手は撤退の準備を始める。



「帰るの面倒臭いなぁ」



 狙撃手――ユーシア・レゾナントールは携帯をポチポチと操作すると、どこかに電話をかける。


 三度の呼び出し音を経て通話に応じた相手へ、ユーシアは言う。



「もしもし、タクシーお願い」

『俺ん家、タクシーじゃねえんだよな!?』



 深夜だというのに電話に応じてくれた顔見知りからツッコミをいただき、ユーシアは「あはは」と曖昧に笑った。



 ☆



 不思議なことに、食欲がない。



「コーヒーでいいかなぁ」



 ファストフード店に来てまでコーヒーを注文するなら、そこら辺の喫茶店にでも行けというツッコミが聞こえてきそうなものだが、ユーシアは無視して「コーヒーお願いします」と注文する。


 愛想のいい店員のおねーさんからコーヒーのカップを受け取り、どこか使えそうな座席はないかと探す。

 ちょうどランチタイムの頃合いなので、客も昼食目的で訪れているようだ。この辺りは企業が多いので、片手にハンバーガーを持ちながらパソコンに向かうサラリーマンの姿が多く見受けられる。


 どこも埋まっている様子で、店内利用を諦めようとしたユーシアだが、奇跡的に空いている席を見つけた。



「うわ」



 思わず言葉が漏れてしまった。


 何故なら、その座席を利用していたのは真っ黒なてるてる坊主だったのだ。

 正確に表現するならば、黒い雨合羽レインコートを着た青年だった。


 彼の周囲には誰も近寄ろうとせず、他の客も怪しげなものを見るかのように冷たい視線を彼に浴びせる。

 それでも彼はその場から退くことはなく、なんなら視線に気付くことなく食事を続けていた。随分と図太い神経の持ち主だ。



「まあ、いっか。相席できるかな」



 何か事情があると踏んだユーシアは、真っ黒な雨合羽を着る青年のもとへ歩み寄る。



「ごめんね、相席いいかい? 他の席が全体的に埋まっててねぇ」

「?」



 顔を上げた青年が、周囲を見渡す。ユーシアの言葉が本当か確かめているようで、実際に席が埋まっていると分かると「はあ、どうぞ」と相席の許可を出してくれる。



「ありがとうね」



 背負っていたライフルケースを側に置き、ユーシアは青年の向かいに腰かける。


 苦いコーヒーを啜りながら、ユーシアは対面に座る青年を一瞥する。


 近くで見ても、雨合羽を着る理由が分からない。今日の天気が雨ならまだしも、見事なまでの快晴で雨合羽を着る理由は何だろうか。

 目深に被ったフードから覗く顔立ちは儚げで、東洋人らしい黒い髪と黒い瞳だ。肌は驚くほど白く、体格も細身である。


 観察すればするほど彼が雨合羽を着る理由が気になり、ユーシアは思わず「お前さんは」と口に出していた。



「はい?」

「今日は晴れているのに、どうして雨合羽なんて着ているの? 趣味か何か?」



 後先を考えずに質問をしてしまったが、相手の気分を害してしまわないだろうか。


 青年は「ああ」と自分の格好を一瞥すると、



「別に、他意はないですよ」



 どうやら、彼の奇天烈な格好に意味はないらしい。



「そっかぁ。別に俺は他人の趣味にとやかく言うことはないから」

「いや、だからって趣味で片付けられても困るんですけど」

「ん、じゃあ他に理由があるの?」

「…………」



 どうやら痛い部分を突いてしまったようだ。


 青年は雨合羽のフードの下でジロリとこちらを睨みつけ、よからぬことを企むように視線がユーシアの身体の上を這う。

 これは非常にまずい事態だ。さっさとコーヒーを飲んで店から出ようと思ったが、ここで思わぬ事件が起こってしまう。



「ねえ、ママ。あれ食べたーい」



 それは、どこにでもある親子のやり取りだ。


 小さな女の子が、母親の服の裾を引っ張ってメニューを強請っているところだった。愛らしい顔立ちに綺麗な金色の髪、若葉の色をした瞳。どこか、妹と似ている少女だった。

 そんな我が子に向けて、母親は困ったような表情で窘める。



「ダメよアリス。お夕飯が食べられなくなっちゃうでしょ」



 ――次の瞬間だ。


 ドロリ、と母親にしがみついた少女の姿が溶けて、あの姿に変わってしまう。

 金色の髪に青いワンピース、白いエプロンドレス姿の幻想の少女に。その手に持った巨大なティースプーンで、果たして何人の命が散ったのか。


 その少女が、ぐるりとユーシアへ視線をやる。

 子供らしい顔立ちに凶悪な笑みを貼り付け、次はお前だとばかりにじっとユーシアを見つめてくる。


 ダメだダメだダメだ、奴が目の前にいる。


 殺さなきゃ。



「――アリス」



 殺さなきゃ、殺さなきゃ。



「アリス」



 コーヒーを溢してしまい、対面に座る青年が何かを言っている。


 構うものか。

 だって、目の前に獲物がいるんだから



「アリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリス、アリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリス!!」



 アリス、という名前を連呼するユーシアは、側に置いていたライフルケースを蹴飛ばして開ける。

 箱の中に寝かされていた純白にカラーリングされた対物狙撃銃を拾い上げると、照準もクソもなく引き金を引いた。


 誰も認識できずにいたが、アリスと呼ばれた少女を守るようにユーシアにしか見えない幻想の少女が立ち塞がる。


 ユーシアの撃った弾丸は少女のこめかみを的確に撃ち抜き、永遠の眠りの世界へ旅立たせる。

 くたり、と力なくファストフード店の床に身を横たえる彼女に、ユーシアは追い討ちを仕掛ける。彼女の母親が金切り声を上げるが、知ったことか。



「死ねよアリス死ね死んでくれ俺の為に死んでくれよなあ俺の家族を殺して殺してお前は何を思った何を見た絶望か絶望だよなそうだよなだから俺もお前を殺してやるんだ殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!」



 眠る少女の細い首を絞め上げて殺そうとした矢先、



「はい、そこまでですよ」



 首を絞める少女のこめかみに、自動拳銃の弾丸が突き刺さる。あれで、少女の命は簡単に散った。


 死んだ少女が、あのアリスではないことに気付く。

 ああ、またやってしまったのか。


 呆然とするユーシアの襟首を引っ掴んだのは、あの真っ黒な雨合羽を着た青年である。

 いつのまにか彼がライフルケースと純白の対物狙撃銃を回収してくれていて、彼は「じゃあ、お邪魔しました」と短く告げてユーシアを引きずって店から飛び出す。



(――ああ、ダメだなぁ)



 他人に迷惑をかけてしまうなんて、これで何度目だろう。


 アリスという単語を聞いてしまうと、ユーシアは自分を制御できなくなってしまう。

 あの幻想の少女はユーシアの天敵であり、殺さなければいけない獲物である。彼女を探して各地を転々としているが、アリスと名付けられた女性が多くて困ったものだ。


 青年に引きずられながら、ユーシアは自己嫌悪に陥るのだった。


 この数分後、何故かこの青年――リヴ・オーリオが「僕の実力を買いませんか?」と売り込んできて、殺人鬼同士で手を組むこととなる。

 それから互いを「リヴ君」「シア先輩」と呼ぶ相棒となるのは、もう少し先の話だ。



「あの時の出会いは事件としか呼べないけど、今ではお前さん以上に信用できる人間はいないよ」

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