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土くれのアァリ   作者: なす蔵
8/18

由来

『昨日、帰って来てから機嫌がいいね』


 レムゥドは朝食前のコーヒーもどきを啜りながらアァリに尋ねた。

 尋ねられたアァリは、昨日の牛舎での出来事を思い出して口元を緩ませる。


『そうですか?』

『人間の村で何か良い収穫でもあったのかな?』

『んー……そうですね……』

 

 確かに昨日はとても大きな収穫があった。それはレムゥドの為にもなる収穫で、その詳細をレムゥドにも話したい。だが話したとしても、まだ彼に理解するのは難しいかもしれない。

 この気持ちをレムゥドにも分けてあげたい。この幸福の味を知れば、レムゥドも人と親密になる事に前向きになるはずだ。

 しかし、当然そんな都合よく話が進むとは限らない。事実、今のアァリは舞い上がっていて冷静ではない。

 仮にこの両者の熱量の差だけが伝わってしまうと、レムゥドにアァリが『人間側』だと思われる可能性がある。

 やはり、こんな緊張感のない顔で焦って伝えてはいけない。時間をかけてクレバーに進めるべきだ。

 というわけで。


『秘密です』

『どうしても?』

『大丈夫、いずれわかりますよ。レムゥドにもね。あっ、今日も村に行ってきます。約束してるんです』

『そう……今日も行くんだ。まあ、私も調べ物が残ってるからいいけど』


(あれ? 拗ねてる?)


 意地を張ったような言い方に聞こえたのは気のせいなのか。それとも、うちの主人は半日離れただけでこうなるのか。

 普通なら面倒だと感じる所だが、アァリはここで罪悪感を持つタイプである。

 村に行くのもレムゥドの為、とアァリ的に心を鬼にする。


『遅くならない内に戻りますし、今日はお昼ごはんも作っておきますから。何か食べたい物ありますか?』

『食べたい物でいいの?』

『はい』


 選択肢はどうせ一つしかないし、アァリもそれを作るつもりだったが、このような問答にすれば彼の意思を尊重したかのような形になる。使い慣れた嘘はさすがに怪しまれなかった。

 アァリはレムゥドのリクエストを快諾し、その後にそれと、と付け加えた。


『マグカップ、二つ用意しといてくださいね』


 、、、


「おはよう。あ、ちゃんと着てきたわね」

「おはようございます。せっかくいただいたので」

「リボン曲がってるけどね。ほら後ろ向いて、直したげる」

「ありがとうございます」


 昨日と同じ時間に森の入り口へ行くと、デジャヴかのようにミリアが待っていた。

 腕を組んだ姿まで同じだが、両者の距離感だけは昨日とは違う。


「あんた、アイツとうまくやれてるの?」


『アイツ』というのはレムゥドの事だ。まだまだ悪意のある呼び方だが『アレ』よりはいい。


「はい、大丈夫ですよ」


 ミリアがどういう想像しているのかはわからないが、アァリとレムゥドの間に軋轢のようなものはない。昨日だってこの服と髪型で盛り上がった。


「まぁ、性欲について聞かれた時は困りましたけど」

「それほんとに大丈夫なの……?」


 いらぬ誤解が生じそうだったのでアァリは顔を真っ赤にしながら訂正を入れた。あの屋敷でアダムとイヴになる気はまったくないし、そもそもお互いにそういう事が可能なのかどうか検証する気もない。

 こほん、とアァリはわざとらしく咳払いをして、無理やり話題を本題へと変えた。


「ミリアさん、それで今日は?」

「今日はとりあえず私が任されてる仕事を手伝ってもらうわ。あんたがどれだけ役に立つかも見ておきたいし」

「あの……、本当にいいんですか?」


 アァリの脳裏にはミリアの父親の姿が浮かんでいた。ミリアの手伝いをしていれば、おそらく他の村人の目に触れるのを避けられない。


「大丈夫よ。遠くから見れば村の女の子と見分けつかないし、もしバレてもあんたみたいな子どもなら大した問題にはならないわ」

「……わかりました」


 ミリアは『大事にはならない』と言ったが、『何事もない』とは言っていない。アァリの要望を汲んだ彼女は確かにリスクを背負っていた。


「よし! ボク頑張りますから! よろしくお願いします!」

「ふふっ、頼もしいわね。怪我には気をつけなさい」

「はい!」



「つ、疲れた……」

 

 まさに疲労困憊という顔で、アァリは崩れるようにその場に倒れた。

 ミリアの仕事というのは農作業だったのだが、どれもハードなものだった。

 おそらく初心者のアァリにもできるような単純作業を斡旋してくれたのだろうが、見た目通りの筋力しかないアァリには重労働どころではなかった。もっとも、『パワーが無い分、スピードでカバーしよう!』というアァリの無茶な作戦にも問題がなかったわけではないのだが。

 

「お疲れ様。疲れたって言ってる割には汗ひとつかいてないじゃない。私が声をかけるまで休憩をしようとすらしなかったし、意外と体力あるのね」

「ど、どうも……」


 汗ひとつかかないどころか息も切れていないのは『体力がある』で済ましていいものなのか疑問だが、『土人形だから』なんて説明するわけにもいかないのでそういう事にしておく。


「いつも一人でこれをやってるんですか?」


 まさか、とミリアは笑い出した。


「一人じゃないし、一日でやる量でもないわよ」

「えっ……」

「待った。別に騙そうとしてた訳じゃないからね。アァリがどれだけ真剣なのか見たくて止めなかったの。いやでも、本当に助かったわありがとう」


 お礼を言われたらアァリはもう何も言い返せない。不貞腐れ気味に『どういたしまして』と返した。

 しかし冗談抜きで自分が土人形でなければ今頃、土に還っていたような気がする。


「もう、そんなに怒らないでよ。あんたは十分戦力になってるから助かるんだって。これからも手伝いに来てくれるわよね?」


 それはもちろん、とアァリは同意をしようとしたが、彼女の言葉はまだ続いていた。


「——手伝いにさえ来てくれれば、あんたの事みんなに紹介できる。そうすればこの村に自由に入れるようになるから」


 どこか遠くの方を見ているミリアの目には強い意志があった。


「このままじゃ駄目だって思ってるの。余所者に疑心暗鬼になる気持ちはわかるけど、こうやってみんなが村の中に閉じこもってる状態を見て見ぬふりはできない」

「……」


 自らの決意を語るミリアをアァリは渋い顔で見つめた。

 ミリアの言い分はわかる。アァリも彼女と同じく誰かの殻を破ろうとしている立場だからだ。

 しかし、でも、だって——


「ボクで、ボクでいいんですか……?」


 彼女は村の排他的な空気を換気する為にアァリを利用している。それは別にいい。問題なのはアァリをその呼び水に選んだ事だ。

 理由はなんとなく察しがついた。村がこうなった原因にレムゥドが関わっているからだ。

 だからアァリを選んだ。

 だからこそアァリを選んではいけない。

 

「下手したらミリアさんの立場だって……!」

「いいの。アァリを見つけた時ね、チャンスだって思ったんだ。この子を使えばこの淀んだ村の空気を変えられる。これは運命みたいなものだって。でもどうすればいいのかは迷ってて——」


 人質にしようかとも思ったのよ、と冗談っぽくミリアはおどけてみせた。


「そしたらそっちから距離を縮めようとしてくるんだもん。びっくりしたわ」


 明るく繕うミリアにアァリは言葉を失った。

 彼女もアァリと同じく、止まっている時間を動かそうとしている。だがアァリとは覚悟が違った。

 もし下手を打てば彼女は村に居られなくなる。彼女自身が、彼女が最も毛嫌いしている『土くれの魔法使い』になってしまう。

 ミリアの行動にはそれだけのリスクがあった。『もし人との共存が頓挫しても、レムゥドと二人で暮らそう』と逃げ道を残していたアァリとは比べるのもおこがましい。

 アァリは立ち上がりミリアの方を見て天を仰いだ。


「——頑張ります。ボクも、頑張ります」

「……うん。頼りにしてるわ、アァリ。——さっ、明日も働くんでしょ! なら早く帰って休みなさい!」


 今までの重い空気をその場に置いていくように、ミリアはぐいぐいとアァリの背中を押した。


「ちょ、押さないでください! ——ん?」


 アァリが視界の端で何かを捉えた。作業中は走り回っていたので気にしている余裕がなかったが、改めて見るとあれはなんだろうか。

 近寄ってみるとうずくまった牛だった。この大きさならまだ仔牛だろうか。

 ただ、その毛の模様はホルスタイン種のものなのだが、色は黒と白のツートンではなく水色と白の見た事のない組み合わせだった。

 爽やかなカラーリングだが、当の本人の顔色はお世辞にも爽やかとは言えない。


「その子病気なのよ」


 アァリの疑問にミリアが神妙な顔で答えた。


「病気? 病気でこんな色になるんですか?」

「私も詳しくはわからないけど、何年かに一度こういう毛色の子が産まれるのよ」

「治らないんですか?」

「治療法を知ってる人はこの村にはいないわ」


 ミリアは膝をついて、牛の頭に手を添えた。


「ここまで大きくなったけど、この子ももう……」


 ミリアの顔はアァリが今まで見た中で、最も優しさと悲しみにあふれたもので、とてもじゃないが見過ごせない。

 どうにかしてあげたいが、アァリにはどうしようもない。 

 でも、あの人なら——


「ミリアさん、この子はボクがなんとかします」

「なんとかって」


 怪訝そうにアァリを見つめるミリアの顔がはっと複雑なものになった。アァリの考えを察知したのだろう。

 逡巡している。アァリを受け入れることはできても、レムゥドはまだ許容できない。そんな様子だった。


「——わかった。お願いするわアァリ」


 しばらくして、そう口にしたミリアは笑っていた。無理をしている事はもうアァリにはバレているのに、彼女は笑顔でアァリに託してくれた。


 、、、


 もうすぐ日没。アァリが屋敷に戻れたのはそんな時間帯だった。すぐさま自室で普段の服に着替え、書斎へ向かった。今日も調べ物があると言っていたから、彼はそこにいるはずだった。


『レムゥド?』


 急いでいたアァリはノックをせずに、ドアを開けながら声をかけた。彼の返事は聞こえなかったが、気配を感じたのでそのまま中へ入った。

 日はもう半分は落ちているだろうか。部屋の中は薄暗く、窓から差し込む橙色の光の帯の中を埃が舞っていた。

 今、この部屋に漂う雰囲気はアァリが目覚めた時を彷彿とさせる。アァリはふと、何故かそう感じた。


『おかえり』


 窓際に座っていたレムゥドは、相変わらず本の方を向いたまま振り向かずに声をかけてきた。

 その背中を見つけてアァリは安堵した。


『ただいま、です。灯りを点けないと目を悪くしますよ』

『ああ、もうそんな時間か』


 レムゥドが軽く手を振るうと、室内が一気に明るくなった。刺激の無い、滲んでいるような優しい光だ。


『レムゥド、相談があるんです』

『うん、何?』


 アァリは村にいた水色の牛について話した。レムゥドはいつものように黙って耳を傾けるのではなく、珍しく相槌を打って聞いていた。


『——それで、レムゥドならなんとかできるんじゃないかと思ったんですけど』

『できるよ』


 即答だった。アァリは念の為聞き返してみたが、まったく同じ答えが返ってきた。

 よかったー、とアァリは肩の力を抜いた。こんなにあっさりと解決されると、深刻な顔で説明をしたのが恥ずかしくなる。


『その異常の原因は大地のエネルギーによるものだから私の管轄だ』


 レムゥドは机の上に積み重ねられた山の中から一冊の本を抜き取ると、アァリにも見えるように広げた。

開かれたページには動物と思われる挿絵があり、レムゥドはそれを指差しながら見解を話し始めた。


『おそらくその牛にとって害となる大地のエネルギーが少しずつ蓄積され、それが一定の量を超えると発症するんだろう。何年かに一度産まれるというのはその蓄積に数年かかるせいだ』

『じゃあ病気なのは母牛の方なんですか?』

『いや、蓄積された大地のエネルギーがそのまま胎内の牛に受け継がれたんだ』

『受け継ぐ?』


 血筋のようにね、と言ってレムゥドは本を閉じた。


『薬を作っておくよ。体内の大地のエネルギーを整えさえすれば、じきに良くなるはずだ』

『お願いします! これでペコの件は解決ですね!』

『ペコ?』


 アァリが『言ってなかったっけ?』という顔をすると、レムゥドが『聞いてない』という眼差しを送ってきた。


『ペコは牛の名前です』

『どういう意味なの?』

『さあ? そこまでは聞いてないです。動物の名前なので響きがかわいいとかですかね? ペコですし』

『ふーん……そういえばアレまだ見せてなかったね』

『アレ?』


 アァリは考えてみたがなんの事かさっぱりわからない。一番遠い記憶でもたった三日前のはずなのだが。


『君の名前の意味は前に教えたよね?』

『あー、はい』


 思い出した。以前、『アァリ』という名前の意味について話した時のことだ。

『アァリ』は『8番』という意味で、その時にレムゥドはアァリに『あとで何かを見せる』という約束をしていた。


『で……見せるって何を見せるんですか?』


 レムゥドは勿体ぶるような間をとってから答えた。


『君の産まれた所さ』


 、、、


 レムゥドの後をついていったアァリが辿り着いたのはあの開かずの扉だった。いや、正確には『戻ってきた』という方が正しいのか。


『そこ、鍵が掛かってますよね』

『うん。中には複雑な魔法があるからアァリが間違って入らないように鍵を掛けたんだ』


 やはり魔法で鍵が掛けられていたらしい。レムゥドがドアノブに触れると、ズシっと軽い揺れが起き、ドアと壁の間に隙間が生まれた。これでは施錠というより溶接と言った方が正しい。

 レムゥドはまるで重い扉を開けているかのように、ドアをゆっくりと開け始めた。

 特に何の期待もしていなかったアァリだが、流石にここまでくると緊張した。

 この部屋は自分にとっての何になるのだろう。分娩室、それとも母胎だろうか。母胎だとすれば、このドアの隙間から流れてくる瘴気は言わば羊水といった所か。


 視界に入った瞬間、絶句した。

 ドアを開けるとすぐに小さな階段があり、部屋の床は廊下と比べて一段低い。部屋の床には赤と緑と黒を混ぜたような色の魔法陣が敷き詰められていた。


 そして、その魔法陣の中にはバラバラになった人間のパーツが粗末に置かれていた。


 一瞥しただけで、足、手、大腿があるのがわかった。

 一番見つけたくない物がこの場に無い事を証明する為に、無意識の内に魔法陣の中を見渡したアァリは、——目が合ってしまった。


『——あ』


 腰が抜けた。すとんと体がその場に落ちる。

 なんなんだ。なんだこれは。

 一人じゃない。量からも数からもそれがわかる。手らしきものだけでも七、八個。最低でも四人、いや五人はいる。

 そこでやっと気づいた。

 アァリはすがるように、尋ねた。


『マ、マネキンですか……?』

『違う違う。君と同じ土人形だよ』


 違う。否定なんていらない。欲しいのは肯定だ。突拍子もない答えに花マルをくれるような甘ったれた過保護が欲しい。

 だから。


 ——君は


 レムゥドの姿で。声で。


 ————『8人目』なんだよ


 喋らないでくれ。土くれの魔法使い。


 —————————————アァリ。

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