不穏な気配
「そろそろいいかな」
「?」
ミリアの独り言に反応して、アァリは彼女の方を見た。なにか踏ん切りが付いたらしい。
先程からミリアはちらちらと牛舎の外を伺っていたので、その関係だと思われた。そういえば、村に入ってからミリア以外の村人を見ていないのだが、関係あるのだろうか。
「ついてきて」
ミリアの短い指示にアァリは何も言わずに従う。
友達にはなったが二人の関係性に変化はない。姉御肌のミリアに主導権を握らせた方が円滑に進む、というのは建前で、本当はアァリに彼女と肩を並べられる自信が無かった。
やはり誰にも会うことは無いまま、二人が辿り着いたのは普通の民家だった。
「もしかしてミリアさんのお家ですか?」
そうよ、と肯定しつつミリアは玄関のドアを少しだけ開けて、その隙間からまたもや中の様子を伺った。
「よし、大丈夫そうね。入ってアァリ——なによその目は。ほんとに私の家だって」
訝しがるアァリの視線に耐えきれなくなったのか、ミリアは家の中に入り、白々しい笑顔で「いらっしゃーい」とアァリを手招いた。特に拘泥する事でもないので、アァリは彼女の家の敷居をまたいだ。
家の中には誰も居なかった。家具や食器を見るにミリアの一人暮らしではない。家族と上手くいっていないのかもと邪推してみたが、どのみち触れない方がよさそうだった。
「そこに座ってて。すぐ用意するわ」
リビングと思われる部屋の椅子にアァリを座らせ、ミリアはキッチンで手際よく少し遅めの昼食の用意を始めた。
また放置されたアァリは部屋の中を見渡した。それしかする事がないのだから仕方がない。
部屋のどこにも既製品らしき物が見当たらない。わかっていた事だが、この世界にスーパーストアのようなものは無いらしい。もっと大きな街へ行けたなら、市場ぐらいは期待してもいいかもしれない。
「おっ?」
たまたま視界に入ったある物にアァリは釘付けになった。あれは——。
、、、
お昼ごはんはロールパンとクラムチャウダーだった。野菜とベーコンがたっぷり入った濃厚なクラムチャウダーは一口一口に確かな満足感があった。ロールパンもバターの香りだけでよだれが出てくる上質なもので、クラムチャウダーにつけて食べてももちろん美味い。料理のクオリティも素晴らしいのだが、アァリはクラムチャウダーが木をくり抜いた器に盛られている点が気に入っていた。
「そういえば今日は何しに来たの?」
「えーっと……」
ミリアの他愛のない質問に思わずアァリの手が止まる。
村に来たのは『土くれの魔法使い』についてミリアから話を聞く為だったが、正直もうそういう気分ではなかった。
レムゥドについて無関心な誰かより、レムゥドを嫌悪しているミリアの方が『土くれの魔法使い』の情報を持っている、というのがアァリの算段だった。
だが肝心のミリアの嫌いっぷりは尋常ではなく、その腫れ物に触れれば、おそらくただでは済まない。
当初は情報を聞き出したら場を濁して逃げようと思っていたのだが、状況が変わった。
(——せっかく友達になったのに)
アァリは、勇気を出してやっと紡いだミリアとの関係を早々に壊したくはなかった。
(ごめん、レムゥド……!)
自分のわがままを優先した事を謝り、アァリは別の理由を考えた。
「なにか、みなさんのお力になれる事はないかなと」
「それは……手伝いってこと?」
「はい。ご近所付き合いというか、これから村の人達の力も借りることになると思うので」
「ふーん」
一瞬、ミリアの目が鋭くなったのをアァリは見逃せなかった。どこをしくじったのか考えてももう遅い。
「そう、手のかかる師匠を持つと大変ね」
軽いジャブ程度の皮肉もアァリには首元にナイフを添えられているように感じる。ただ、思っていたより切れ味は鋭くはないような気がした。
「手伝いは——まぁ考えとくわ。ご近所付き合いもあんたなら大丈夫だと思う。でも……それ以外は難しいかな」
思っていたより好感触な返事に驚く前に、不意の事態に意識が持っていかれた。
「おや、戻っていたのか」
いつの間にか誰かが家の中に侵入していた。いきなり現れた男が誰なのかわからず、アァリがミリアに戸惑いの視線を送ると、彼女はまた別の類の不機嫌そうな顔をしていた。曇っているがその顔は、赤の他人には見せないある意味素に近い表情で、あの彼女がまるでふて腐れた子どものように見えた。
「どうしたのお父さん」
男はどうやらミリアの父親らしい。しかし今のミリアの声色は身内に使うようなものではない。
「いや、ちょっと忘れ物をな。ところでそっちの子は?」
「あっ、ボクは——」
「私の友達よ」
自己紹介をしようとしたアァリをミリアが遮った。
「見ない子だな。この辺の子じゃないだろ。それにその服——」
「あげたの。もう私には着れないから。早く仕事に戻ったら? これ以上私のお客さんに構わないで」
ミリアの父はまだ何かを言いたそうだったが、それ以上は何も言わずに家から出ていった。
アァリはその姿を見送った後、ミリアへと視線を移した。
「ミリアさん……」
「ごめん。恥ずかしいとこ見せた。アァリは別に悪くないから」
言いながら、ミリアはロールパンを引きちぎった。ぶちぃっ! というロールパンの悲鳴が聞こえる。
ミリアが牛舎で時間を潰し、昼食の時間をずらしたのはこの為だ。
会わせたくなかったのだ。『土くれの魔法使い』のニオイを漂わせたアァリと家族——いや、村人を。
「今はちょっとみんな余所者に敏感になってるのよ。理由は……察しがついてるみたいね」
「すみません。ボクが何も考えずに村に来たから」
「あんたは何も知らなかったでしょ。それに村に入れたのは私よ」
「でも……」
こっそり拾った捨て猫を見つかったのとは訳が違う。このようなコミュニティで反駁ともとれる行動をとれば、余所者に向けられていた矛先を同じ住人から向けられる可能性がある。
吊し上げられたらもうこの村には居られない。そしてそれを防ごうとすれば、さらに狭いコミュニティの中で互いに牽制し合う最悪の関係が出来上がる。
ミリアがアァリにお下がりの服を着せたのもその予防だ。もう第三者から見ても、アァリはミリアにとっての『見ず知らずの他人』ではなくなっている。
「今日はそれ食べたら帰って。それで明日また来なさい。ただし、一人では村には入らない事、いいわね」
アァリは無言で頷いた。
クラムチャウダーはすっかり冷めてしまったが、それでも美味しかった。
、、、
『ただいま戻りましたー』
屋敷に戻ってきたが返事がない。リビングを見てみてもレムゥドの姿はなかった。調べ物があると言っていたのでどこかの部屋にこもっているのかもしれない。
アァリは大地のエネルギーを利用して探そうかと思ったが、屋敷の探索がてら敢えて地道に探す事にした。
『レムゥドー、いますかー?』
ドアを見つけては片っ端からノックをして声をかける。声が返って来なくても中を覗いて確認した。どの部屋もしんとしていて、開けるたびに孤独感が膨れ上がった。
『あれ?』
アァリは鍵の掛かった部屋に出くわした。レムゥドはこの屋敷に長年一人で暮らしていたはずだが、何故か鍵が掛かっていた。泥棒でも警戒しているのかと思ったが、そもそも玄関が常時開放されている。
アァリと住むようになってから施錠したと思われるが、こうして隠されると中が見たくなるのが人の性分である。
しかし、どうやっても力づくでは開きそうにない。せめてと鍵穴から部屋の中を覗きこもうとしたが、この部屋のドアには鍵穴が無かった。
『もしかして魔法で開かないようにしてるのかな?』
だとすると、さすがに諦めがついた。
アァリは次のドアへと向かい、声がけを再開した。
ドアを三つほど開けた時にはもう、この部屋の事もこの部屋への心残りも忘れてしまっていた。
——『後悔』の反対は何と言えばいいのだろうか。
後に、この時ドアが開かなかった事に安堵する事になるとはアァリはまったく想像していなかった。
、、、
『——はい?』
『!』
中からノックへ反応する声が聞こえて、思わず声をあげそうになったのをアァリは必死に堪えた。
この宝探しもようやく終了だ。ここまでの道のりを振り返りたい所だが、正直覚えていない。もしもレムゥドを発見出来ていなければ、冗談ではなく屋敷の中で遭難していた。
アァリは中からの返事には敢えて気づいていないフリをして、他のドアと同じように声をかけた。
『レムゥドー、いますかー?』
『アァリ? 私はここにいるよ』
『入っていいですか?』
『おいで』
拒絶などされないとわかっているのに、アァリは入室許可をとってから部屋の中に入った。
部屋は書斎だった。本が比喩ではなく床から天井まで溢れており、書物の密度的にはちょっとした図書室のようだった。
レムゥドは窓際の机で本に目を通していた。彼の手元を隠すと日向ぼっこしてるようにしか見えなかったので、アァリは彼にバレないように小さく笑った。
『ただいまです』
『おかえり。もっと遅くなるかと思ってたよ』
アァリと会話をしていても、レムゥドの体の向きも視線も本の方から動こうとはしなかった。そこまで集中されると本の内容が気になってくる。
『どんなのを読んでるんですか?』
アァリはレムゥドの横から本を覗き見た。なんだかさっきから覗いてばかりだった。
本には当然ながら平仮名や漢字といったアァリが見慣れた文字は無い。代わりに記号と模様の中間のような文字が並んでいた。
すべて初めて見る文字だ。意味も書き順も成り立ちも何も知らない。そのはずなのだが。
(——やばい、読める……)
レムゥドが読んでいるので予想はしていたが、アァリも問題なく読めた。
正確に言えば『読める』というより『理解ができる』。文字の一つ一つはただの記号か模様にしか見えないが、眺めていると筆者の伝えたい事がなんとなく感じ取れる。
日本語以外の言語を理解できる感覚が不思議で仕方ないアァリは、坂を駆け降りるように文字を追った。
『これは——日記ですか?』
本の内容は動植物について纏められたものだったが、筆者の主観が多く、図鑑よりは観察日記に近い。
『うん。私のね。メモみたいなものさ』
『これレムゥドが書いたんですか⁉︎ 全部⁉︎』
振り返ったアァリは部屋を埋めつくす本の柱を見て絶句した。まさかこの部屋にあるもの全てがレムゥドの著作物なのだろうか。
量がすごいのはもちろんそうだが、おそらく自作であろう言語で書かれているのがすごい。『すごい』以外の表現が思いつかないアァリとは大違いである。
すごいですねレムゥド! とアァリが賞賛の声を上げようすると、そのレムゥドがこちらを見ていた。
いつものように微動だにしていないが、今回は本当にフリーズしているように見えた。
『その服どうしたの?』
『服?』
指摘されてアァリも思い出した。そういえばミリアのお下がりを着たままだった。
『ちょっといろいろありまして。どうですかね?』
アァリは見様見真似でスカートをちょっと摘んで広げてみせた。スカートを広げた時に中で空気が入れ替わるのを感じて、思わず顔が赤くなった。
ほてった顔を照れ笑いで誤魔化そうとするアァリをレムゥドはじっと見つめた後、ようやくその口を開いた。
『かわいい』
その四文字は、アァリの理性を吹っ飛ばすには十分すぎた。
『そ、そんなストレートに言わなくても……』
『かわいい物をかわいいと表現することの何がおかしいんだ。かわいいよアァリ』
『め、愛でないで! 嬉しいけど耐えられない! そういうのは女の子に言ってあげるものであって、ボクなんかに言っちゃダメなんですって!』
『この馬の尻尾みたいな髪がかわいいね』
『聞いて! 撫でないで! 人の事言えないけど落ち着いて! あと髪型への感性が地味にすごい!』
ご満悦なレムゥドが見られて大満足のアァリだったが、レムゥドの前ではこの服とポニーテールはしばらく封印する事にした。