いただきます
土くれの魔法使いの命名が完了してから約一時間が経った。
『アァリ』
『なんですかレムゥド』
『なんでもないよアァリ』
『そうですかレムゥド』
『アァリ、もう一度』
『はい、レムゥド』
『ふふふふ』『ふふふふ』
『『ふふふふ』』
二人はお互いの名前を呼び合っていた。
機嫌の良いレムゥドを見ているとアァリは嬉しくなり、それを見たレムゥドの機嫌がまたより良くなる。その繰り返しである。
『ってこのままじゃダメですよ! 何かしないと!』
『私はこのままでもいいよアァリ』
『もう語尾みたいになってるじゃないですか。ボク達の冒険はこれからですよ! 家の中で完結しちゃダメです!』
うぅん、とレムゥドは露骨に嫌そうな声を出した。彼の思い描いていた日常はこんな感じなのだろう。
それに人と仲良くする事に彼はまだ乗り気ではない。今まで他人と距離をとっていた彼が、その距離を急に縮める事に抵抗があるのも理解できる。
異種族と交流し共存するというのはアァリの元いた世界でも行われている。しかしそれは『人間と動物』という知能に差がある者同士での話だ。
知能の高い人間が知能の劣る動物の管理をする。共存と言っても、決して無視できない自然由来の上下関係を前提に成り立っている関係である。
アァリは『人間とレムゥド』のような関係のケースは知らない。
おそらくレムゥドの知能は人間以上はある。
だが言葉は通じず、両者の間には決して埋められない純粋な力の差がある。
人間が自分達に危害を加えるモノに対してどれほど非情になれるのかはアァリにも十分わかっている。しかし、その対象が人間の上位存在の場合はどうなるのか想像もつかない。
(それでもレムゥドなら大丈夫)
アァリが彼と接してみて抱いた印象。上手くいく根拠はそれしかない。
『ボクはレムゥドを信じてますからレムゥドもボクを信じてください』
『アァリ……』
すがるように呼ばれた名前が頭の中で何度も響く。
ふと『自分には荷が重いものを引き受けるのは無責任』と昔、誰かに言われたような気がした。
『そういえば「アァリ」って名前にも意味があるんですか?』
『「アァリ」は「8番」って意味だよ』
『はちばん?』
『うん。後で見せてあげるね』
『? はい楽しみにしてます』
見せるって何をだろうと考えつつ、ふと窓の外が気になった。朝とは日差しの雰囲気が違う。随分と陽が高くなったようだ。
『もうお昼ですね。そろそろご飯にしましょう』
レムゥドは『おや?』という素振りを見せた。
『お腹が減ったのかい?』
『そりゃあ朝から何も——あれ?』
減っていない。
お腹の辺りをさすってみるが、空腹を感じないどころか胃酸共々、胃というものを感じない。
『そっか、人間そっくりですけどいろいろと違うんですね』
『ほぼ再現したつもりだけど君はあくまで人形なんだよアァリ』
言われてみれば思い当たる節があった。
先程、外出した時にも指摘されるまで裸足で土草を踏んでいた事に気づかなかったし、帰り道にあれだけ走ったのに息はまったく切れていなかった。
自覚がなかっただけで、とっくに自分も常識の外の存在になっていたらしい。お世辞にも化物と呼ばれるほどの力を持っていないのが幸いか。
『ご飯を食べなくてもいいんですね……。まぁエネルギーもなしに動けるのは便利ではありますけど』
『いや、代わりに大地のエネルギーを使ってるんだ。大地に触れるだけで補給される。私も同じだよ』
『大地のエネルギー?』
アァリは地球内部で荒ぶるマグマを想像した。あれが血液の如く、体内を駆け巡っている。そう思うと我ながら恐ろしくなる。
『そんなものじゃないよ』
『違うんですか?』
『強大で扱いを誤れば恐ろしい力というのはその通りだよ。でも大地と共に生きているものはすべてその恩恵を受けているんだ』
『もしかしてレムゥドの魔法も?』
『うん。大地のエネルギーを操るのが基礎理論さ』
なるほど、とアァリは軽く握った手を口元に添えて頷いた。ただ、その手はすぐさまお腹の方へと移動した。
レムゥド先生による魔法使い講座も気になるが、アァリとしてはやっぱりこちらの問題の方が気になって仕方ない。
『うーん、ご飯が食べられないのはキツいですね』
『お腹は減ってないんでしょ?』
『それはそうなんですけど、食事というのはただ楽しむためだけに行う事もあるんですよ。腹は減らずとも食欲ありってあれです』
『娯楽目的ってこと? 知らなかった』
娯楽かー、とわかりやすく頭を傾げるレムゥドを見て、アァリのやる気にスイッチが入った。
『レムゥド。さっき大地のエネルギーは誰にでも恩恵を与えるって言ってましたよね? もしその恩恵を受けたものをボク達が摂取したらどうなりますか?』
『そのものに蓄えられたエネルギーを摂取することになるね』
アァリは待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。
『それですよ! やっぱりボク達もご飯を食べましょう!』
『うーん』
レムゥドは二つ返事で了承、という訳にはいかなかった。今まで行っていたエネルギー摂取に『食べる』という手間が一つ増えるという点に溜飲が下がらないのだろう。
『それは楽しいことなの?』
意外な質問にアァリは一瞬だけきょとんとした。打算的な事を考えているとは思ったが、そういう方向に考えてくれているとは思ってもみなかった。
『楽しいです。二人で食べればもっと楽しいです』
『じゃあ、今日から食べることにしよう。娯楽も大事だよね』
『はい!』
アァリは思わず小さくまとまったガッツポーズを披露した。
『それに人の生活を真似ることは人を理解する事に繋がると思います!』
『食事が生きる為には必要なのはわかるけど、人間にとってそんなに重要な事なのかい?』
『もちろん。人の三大欲求のひとつですから』
『三大欲求?』
しまった、とアァリは思った。
『食事と、あと二つは?』
『……睡眠です』
『それも生きる為には必要だね。もう一つは?』
『……忘れました』
レムゥドがボソッと『アァリは嘘が下手だね』と漏らした。それが聞こえたアァリの土気色の肌が一気に健康的な赤みを帯びた。
『……せ、性欲です』
『知らない何それ』
『だからその、男性と女性があれ、ですよ……あれ』
『わからない。もっと詳しく』
『……』
『アァリ?』
『……』
『アァリ!』
『もういいでしょ! ほら何食べるか決めますよ!』
『アァリ‼︎』
『うるさい!』
、、、
考えるまでもないことだったが、食事をとらないレムゥドの屋敷に食べ物などあるわけがなかった。
異世界に来たくせに真っ先に冷蔵庫を探そうとしたアァリは頭を悩ませていた。
『レムゥドが魔法の研究に使っている道具が調理器具の代わりにはなりそうですけど、肝心の食べ物が無いんですよね』
森を抜けた先の村に行けば食べ物はあるだろう。しかし村が自給自足の生活をしているとしたらお店のようなものがあるとは言い切れない。物々交換で食べ物を分けてもらうにしても、金銭を用いらないトレードに不慣れなアァリにはどうしても不安が付きまとう。
『じきゅーじそく……あ、そっか。無いなら採りに行けばいいのか。レムゥド、この辺りで食べられる物がある場所に心当たりはありますか?』
『うん、いくつかあるよ。全部周るとなると結構な時間になるよ』
『大丈夫です。どうせお腹は空きませんから』
朝に森の中を歩いた時は気づかなかったが、ちらほら赤や黄に染まった葉っぱもあった。この世界に四季があるのかはわからないが、今はだいたい夏が終わりかけている頃なのかもしれない。
『アァリ、クツのサイズはどう?』
『ぴったりです。ありがとうございます、レムゥド』
もう一度裸足で駆け回る気にはなれなかったので、アァリはレムゥドに靴を一足頼んでいた。
『あとでちゃんとした物を用意するから今日はとりあえずこれで』とレムゥドが持ってきたのは土の板だった。アァリが体重計に乗るように土の板に上がると、レムゥドが何かをした。
次の瞬間、土の板が溶かしたチョコレートのように柔らかくなり、アァリの足に纏わりついた。再び固体になった土に微調整を加えて、ガラスの靴ならぬソイルの靴の出来上がりである。
『靴底の触感が不思議ですね。土のクツで土を踏んでるからですかね』
『柔軟性はあまりないから足が痛くなったら言ってね。私が抱っこしよう』
『抱っこってもう子どもじゃないんですから』
おしゃべりをしながら二人は森の中を巡る。時間も周囲の目も気にせずにのんびり過ごすのが心地良くて仕方ない。
『アァリ』
『はい?』
レムゥドが立ち止まり、ローブの中から伸びた手が木の根本を指した。
『ほら、あそこにキノコがあるよ』
『ほんとだ!』
宝探しでもしているかのようにアァリは木に駆け寄った。白い斑点のあるオレンジの傘を持つきれいな形のキノコがそこにはあった。
『……食べられるのかなこれ?』
『そのキノコは毒を持ってるけど私達に毒は効かないから大丈夫だよ』
『そっか……毒キノコほど美味らしいんですよね』
うーん、とアァリは眉間に皺をよせ、目の前の毒キノコが食材なのかどうか考える。
『いや、やめておきましょう。普通の人は毒キノコは食べません』
『いいのかい? 美味しいんでしょ?』
いいんです、とレムゥドのローブを引っ張ってアァリは次の食材を求めて進み出した。
人の文化を学ぶことも目的の一つである以上、逸脱したものを食べても仕方がない。
ただ、毒キノコの味が気にならないと言えば嘘になる。
、、、
『木の実に山菜にフルーツ……うーんもっと肉肉しいものが欲しいですね』
森の中を結構な時間歩き回ったが、ヘルシーそうな食材しか収穫出来なかった。
料理の腕は「そこそこ出来る」レベルのアァリとしては、これ以上木の実や山菜が増えても扱いに困る。
(肉や魚みたいなメインになるような食べ物があればいいんだけどな。でも森に野生の牛なんていないよなぁ)
野生の牛ってそもそもいるの? と自分で自分にツッコミを入れる。
ふと何かが気になった。
妙な気配の方を見ても特に変わったものはなく、周囲と同じように木々が並んでいるだけだった。ただ、感じた事のない胸のざわつきがあった。
単なる好奇心でアァリは胸騒ぎの震源地を指差して訊いてみた。
『レムゥド。あっちの方に行ってみませんか?』
『あっちは駄目だアァリ』
今までとは違う声色で即答され、アァリは少しだけ肩をすくめた。
初めて聞く、彼が何かを戒める時の声。
『一体なにが?』
『少し前に地殻変動があったんだ。あっちはまだ大地のエネルギーが荒れているから近づかない方がいい』
『……』
『感じたんだろう? こんな形で紹介するとは思わなかったけどそれが私達の源になるものだ』
これが。
これが大地のエネルギー。
人だった頃にはなかった感覚で探ろうとすればするほど、胸の内側が落ち着かなくなる。レムゥドの言う『荒れている』という意味がよくわかった。
その大きさ——存在感と言った方がいいのだろうか、その強弱の波が激しいのだ。オーディオのボリューム調節用のつまみを一気に、忙しなく回してるような不快感があった。
『アレで……ボク達は生きてるんですか……?』
『私達やこの食べ物が取り込んでいるのはもっと穏やかなエネルギーさ。あれは害をなすエネルギー、言わば毒のようなものだ』
レムゥドは元の声色に戻しながら、おどおどしているアァリの頭を撫でた。
『……すみません』
『なぜ君が謝るんだ。あっちじゃなくて向こうの方に行こう、川があるから魚が採れるかもしれない』
『はい。魚欲しいです』
アァリはぎこちない笑顔で平常を装った。
本当はあの大地のエネルギーに怯えた訳ではない。
ほんの少しだけ、レムゥドを怖いと思ってしまった。
他の人間たちと同じ反応をした事もそうだが、恐怖を感じて反射的に身を守ろうとした自分が不甲斐なく、なにより情けない。
(信じるって言ったそばからこれか)
一人で勝手に反省会を開いていると、自分の名前を呼ばれた気がした。確認をしようと顔を上げたその時、
ドスン! と目の前に巨大な黒い塊が降ってきた。
最初は熊かと思った。レムゥドよりも強い漆黒の毛に覆われた巨大な熊。ただその体格は熊というよりも猪に似ていた。この黒い塊が全力で体当たりでもしてきたらどうなるか、想像するまでもない。ついでのように獰猛な牙と爪も持っていた。
——そこの森、危ないから。
村娘の言葉がアァリの頭をよぎった。
黒い獣が肩をすくめた。
突進が来る。
怖い、逃げなきゃ。
わかっているのに体が動かない。
走馬灯を見ている時はこんな感じなんだろう。フリーズしているのに呑気に関係のない余計な事ばかり考えてしまう。
ああ、ボクはこんな化け物とあの人を同じに考えてしまったんだな、とか。
黒い獣が蹴った地面が爆発した。
その瞬間、その一帯の地面が消失した。
『——え?』
ちょうどアァリのいる位置を巻き込まないように大きな穴が空いていた。
自分に迫ってくるはずの化け物がいきなり消えたように見えたアァリは、突如現れた大きな穴の中を覗きこんだ。穴の中では急に目の前に現れた壁にぶつかったせいか、熊っぽく猪っぽい獣が気絶していた。
『……おぉ……ぉお?』
まだ何が起こったのかは理解できないが、助かった事だけは分かった。
アァリは穴の中を覗きこむ姿勢のまま首だけを動かして、おそらくこの奇跡を起こした張本人の方を見た。
『これはレムゥドですか?』
『うん。びっくりしたね。なんで逃げなかったの?』
『逃げなきゃってのは分かってたんですけど体が動かなくて』
『そっか、荒れてるエネルギーに当てられたかな?』
ついさっきまで考えていた事を知られたくなかったのでアァリは適当に返事をした。
『落とし穴ですか?』
『うん。そいつの真下の土を寄せたんだ。空を飛べない相手にはこれで十分』
急に足元に出来た落とし穴は躱しようがない。実に理想的な落とし穴だ。
『これは食べるかい?』
アァリは虚を突かれた。言われてみればこの状況、確かにお肉を捕獲している。
アァリは穴の中の動物を見つめた。この大きさなら今晩どころかしばらくお肉には困らないだろう。
『まだ生きてますよね』
『気を失っているだけだね』
『じゃあやめておきます。襲われ未遂ですし殺すのは後味が悪いです。家から離れた遠くの方へ逃がしてあげましょう』
『そうだね。無益な殺生は私も嫌いだ』
『さぁ、お魚探しに行きましょう』
レムゥドが賛同してくれてアァリはほっとした。
すでに死んでいたとしても、いわゆるジビエはアァリの手には負えない。美味しいかもわからない上に美味しくする事も無理だろう。
それに、この黒い毛むくじゃらをなんとなく食べる気になれなかった。
、、、
すっかり日も暮れてアァリとレムゥドは屋敷に帰ってきていた。
結局、川に魚はおらず、二人の最初の晩餐はヘルシーなものになりそうだった。
昨夜同様に柔らかい光を放つ照明の下で、レムゥドのために腕を振るいたかったアァリは不満そうに頬を膨らませていた。
『うーん、色々採れましたけどやっぱり物足りなく感じます』
ついにテーブルに突っ伏したアァリにレムゥドは『また言ってる』という視線を向ける。
『そんなに肉や魚が食べたかったの?』
『食べたかったのもありますけど、最初なので濃くてがっつりしたものを作りたかったんです』
そっかぁ……、と呟いてレムゥドは黙り込んでしまった。この感じは何が考えている時だ。
しばらくして『うん』と頷いた。結論が出たらしい。
『肉、作ろう』
『はい?』
『土で肉を再現するんだ』
『できるんですか? そんなこと』
『君の体だってそうじゃないか』
ちょっと納得しかけたアァリだったが、『いやいや』と食い下がる。
『待ってください。再現したところで土なんですよね? 食べられないじゃないですか』
『私達なら食べても問題ないよ。それに味、匂い、食感は肉そのものだよ』
それなら、とアァリは騙されたつもりで乗ってみることにした。口に入れて飲み込んでも問題ないのならこれほどおいしい話はない。魔法を使っているのなら大地のエネルギーも含まれている事だろう。
『さあ何の肉がいい?』
『じゃあ、牛肉のでっかいのお願いします』
『よしきた』
レムゥドは呪文のような模様の入った大きな皿を持ってきた。これが魔法陣の役割を果たすのかな? とアァリは素人目で考察してみる。
レムゥドはその皿の上でマジシャンのような手つきで指を泳がせた。皿に小さな竜巻が発生し、いつの間にか土が盛られていた。
『これを食べるのか……』というアァリの不安を他所にお肉の精製は進む。ぐにょぐにょという擬音が聞こえてきそうな動きが徐々に完成に向けて定まっていく。やがて土は滑らかな曲線を持つ物体になった。しかしどう譲っても肉には見えない。まだ土である。
『……完成ですか?』
余裕綽々なレムゥドはアァリの不安を鼻で笑った。
しゅーっ、という音ともに土の塊が深い焦茶色からみずみずしい赤に変わり、『おお!』とアァリは思わず感嘆の声を上げた。
『完成だ』
おお、おお! と沸きながらアァリは肉を指で押してみる。肉そのものの弾力を感じるとまた沸いた。
『お肉ですよ! これ! お肉!』
『これでいけるかい?』
『アァリいけます!』
あと調味料も少しお願いします、としれっと付け加えた。
、、、
『お待たせしましたー!』
初めて立つ調理場だったので思っていたより時間がかかってしまった。それでもレムゥドは行儀よく座って待っていた。
『熱いので気をつけてください』
テーブルには二人分の肉汁が跳ね回る鉄板が置かれた。
今晩のメニューはシンプルにステーキにした。カットしたお肉を熱したフライパンに並べた瞬間、これが元は土だった事など吹き飛んだ。肉汁が生き生きと溢れる様は心が躍って仕方がなかった。
付け合わせにはキノコのソテー、ソースには細かく砕いた木の実を混ぜてある。山菜はアクを抜いてサラダにした。フルーツはそのままデザートである。
アァリもレムゥドの向かいの席に座った。ステーキに釘付けになっているレムゥドを見てこぼれた笑みを整えた後、食事の作法について説明を始めた。
『レムゥド、食べる前に手を合わせてください』
『手を?』
『「いただきます」と言ってから食べるのが礼儀なんです』
『礼儀……』
レムゥドはアァリを真似て大きな両手を合わせた。『せーの』という掛け声で二人は食材に感謝を述べた。
『では、どうぞ!』
アァリは両手にナイフとフォークを持ちながら、レムゥドを見つめる。初めての食事をする彼のリアクションはやはり見逃せない。
レムゥドはパチパチと跳ねる脂を観察した後、ステーキにナイフを入れた。意外にも手慣れた様子でナイフとフォークを操り、ステーキを四等分する。まさかと思っているとそのままフォークを突き刺した。
『それじゃあまだ大きいような……というか口ってどこ?』とアァリが思っていると、重力を受けてへの字に曲がったステーキを頭の毛の中に突っ込んだ。手首の辺りまで毛に隠れていたのでアァリは冷や汗をかいたが、ゆっくり引き抜かれた手にはきれいなフォークしかなかった。
もっさもっさ、と首から上の毛が揺れる。咀嚼しているのだろうか?
『……おいしいですか?』
『おいしい?』
あ、そっか伝わらないか、とアァリは頭を捻る。
『好きな味というか、もっと食べたい、ってなってませんか?』
『うん。すごい好奇心をそそられる』
『じゃあ⁉︎』
『おいしい』
やったー! と心の中で叫んで、アァリはフォークとナイフを握りしめた両手を掲げた。
レムゥドが食事に好意的な印象を持ってくれた事も嬉しいが、やっぱり自分が作った料理を褒められた事が嬉しい。
表情筋がゆるゆるになったアァリを見ながら、レムゥドは二枚目のステーキを口(?)に突っ込んだ。
『そんなに嬉しいのかい?』
『そりゃ嬉しいですよ! ステーキはただお肉を焼くだけですけどいろいろとあって何回も練習して——』
『アァリ』
レムゥドははしゃぐアァリを呼び止めた。その後、咀嚼という間をたっぷり使ってから率直な提案をしてきた。
『作るのがそんなに大変なら素材じゃなくて完成した料理そのものを土から作ればいいんじゃない?』
アァリはその提案を聞いて、優しく微笑んだ。
『大丈夫です。料理というのは作る時に愛情を込めるものですから』
愛……、と呟いて、レムゥドは行儀悪くステーキを指差した。
『これにも込められているのかい?』
『もちろん。半分くらいは愛情でできてます』
『もう半分は?』
『大地のエネルギーですかね?』
『そうか、それはいいね』
レムゥドは三枚目の肉を口に突っ込み、付け合わせのキノコも頬張った。
『アァリ、これは熱い方がおいしい。冷めない内に食べた方がいい』
『ふふっ今日初めて食事する人とは思えない発言ですね。言われなくても食べますよ。もう我慢の限界ですから』
『……アァリ、できれば少し分けてくれないかな?』
『え? あっ! いつの間にか全部食べてる! ダメですよこれはボクのお肉ですから。おかわりしたいのならまた焼くので待っててください!』
最初の晩餐はとても楽しい時間で、忘れられないものとなった。
レムゥドが一歩前進したのを感じつつ、このような団欒を久しく忘れていた事をアァリは思い出した。