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氷上のシヴァ  作者: 天上杏
第三章 Ruiner 朝霞美優
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第18話 エリザベート

「……先生、今季はエリザベートでプログラムを作ってください」


 洵君に頼まれた時、私はすぐに返事ができなかった。

 彼がエリザベートの姿に汐音ちゃんを重ねているのは明らかだったから。


 ハプスブルク家の古き伝統を拒み、自由と孤独を愛したオーストリア皇后。

 その美貌は死神をも虜にし、彼女の傍には常に死の影が付きまとう。

 死の誘惑に気高く耐えながらも、最後は自ら死を受け入れる……そんなエリザベートに、病死した妹を重ねて演じさせていいものか。

 それは、ともすると彼女の死を美化することになりはしまいか。

 私は悩んだ。


 しかし、普段は物静かな分、いざという時には絶対に主張を曲げない洵君を説得する自信は無かった。

 結局、私はエリザベートでプログラムを作り、彼はこのプログラムで一年戦い続け、とうとう世界ジュニアの頂上決戦までたどり着いた。


 しかし、私は今でも一抹の後悔の念を消せずにいる。

 洵君のためにも、本当はこのプログラムを作るべきではなかったのかもしれない、と。




 不気味な不協和音のコーラスとともに、演技が始まる。


 私はすぐに、衣装変更の重要性を理解した。

 以前は軍服を模したロイヤルブルーのハイネックだったが、今は黒地のシャツに銀と白の飾り布が縫い付けられている。

 これは、彼が演じるのが皇太子ルドルフから死神トートへ変わったことを意味する。


 冒頭、右手を伸ばし、頭をくるりと回してから滑り出す、その流れが既に別物だった。


 以前は闇に飲み込まれていく儚い印象だったものが、闇へと手招きして引きずり込むという明確な動きに変わっている。

 目を伏せたまま滑り出すのではなく、滑走と同時に目を見開く。


 死に翻弄される青年から、死へと誘惑する死神へ。

 わずか数秒で、彼は自ら演じる物語の解釈を塗り替えた。


 たった一週間、私の元を離れて岩瀬先生の元で滑り込んだだけでこうも変わるものなのか。


 私は驚嘆のあまり、最初のジャンプ、不安を抱えていたトリプルルッツがクリーンに決まったのを、まるで一観客のように惚けて見ていた。


 技術云々の問題ではなく、演技の質が完全に変わっていた。

 衣装の変更は岩瀬先生の指示ではなく、紛れもなく洵君の意志だろう。

 それでも、衣装だけで演技まで変わるわけはなく、手や足、表情による色付け、エレメンツの入り方やタイミングを変更することで、印象は変わる。

 そこにメスを入れたのが岩瀬先生なのは明らかだった。

 その大胆な舵切りは、見事なまでに奏功していた。

 不安げに揺らめく悲劇の皇太子はもうどこにもいない。

 今の洵君は、氷上に君臨する黄泉の帝王だ。


 続いてのトリプルフリップ+トリプルトウループ、そして単独のトリプルトウ、いずれも加点が見込まれる鮮やかなジャンプ。

 一つエレメンツをクリアするごとに、洵君の表情は力強さを増していく。


 岩瀬先生の鋭いメスは、私のプログラムに潜む甘さを決して見逃さない。

 それは、洵君から死神のイメージを少しでも遠ざけたいという、私の欺瞞だ。

 エリザベートという作品を選んだ時点で、死の匂いから逃れられるわけがない。

 誰よりも、洵君が覚悟していたはずだ。

 その上で彼が表現したかったもの、近付きたかったもの、手に入れたかったもの。

 それらを拾い集めて形にしていくのが、コーチの役目のはずなのに。


 私はそこから逃げ、岩瀬先生は逃げなかった。

 私はそれを放棄し、岩瀬先生は拾い上げた。

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