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氷上のシヴァ  作者: 天上杏
Bonus Track 第六章 Butterfly 霧崎汐音
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第4話 回路(地上)

「やだ。あなたたち、またケンカしたの?」


 してない、という声が完全にかぶって、わたしたちはますます不機嫌になった。


「……してるのね」

 ママは呆れ返ったようにため息をつく。


 荷物を放り込んでトランクを閉めようと手を伸ばしたら、洵の手が先に届いていてわたしは更にムッとした。

 洵は助手席に乗ろうとドアに手を掛けたけど、ぱんぱんに詰まった買い物袋コストコのやつが既に席を占領しているのを見て、観念してわたしの隣に座った。


 帰りの車ではママが一方的に喋っていた。わたしはふうんとかへえとか時々相槌を打つ。

 ママは最近仕事を始めたというか再開した。小児科で週二のパート。院長先生が大学に行く火曜と木曜に、ママが患者さんを診る。

 ──干支一回り分のブランクは大変。

 ママが自虐っぽく言うたび、わたしは居たたまれない気分になる。

 十二年。それはわたしたちの生きてきた年月そのものだ。

 洵は早々にイヤホンをしてずっと目をつぶっている。両手はポケット。最近ブームのポーズで、学校でも家でもポケットに手を突っ込んでいる。


「そういえば、朝霞先生おいくつだっけ?」

「今年で三十歳って言ってた」

「あら。そろそろご結婚とか聞いてない?」

「全然。ずっと彼氏いないらしい」

「まあ、スケートの先生ってお忙しいものねえ」


 わたしはちらりと洵を見た。

 目は瞑ったまま、イヤホンも耳に入れたまま。

 ……けど洵は絶対今の会話を聞いている。

 わたしは小さく息を吸った。


「そういえば、可憐から聞いたんだけど、昔バンクーバー五輪のアイスダンスの人と付き合ってたみたい」

「それ、ウソだよ」

 ほら、この瞬発力だ。

 わたしはくるりと首を横に向ける。

「ウソって、どうして分かるの」

「バンクーバーのアイスダンスのカップル、結婚してるから」

「今結婚してるからって、ずっと付き合ってたことにはならないじゃん。昔は美優先生と付き合ってたかもよ。同じ大学らしいし」


 洵はハッと音が聞こえそうなほど目を見開いた後、俯いて黙り込んでしまった。

 その横顔があまりに無防備で、わたしは猛烈に苛立ちが湧いた。


「……洵ってバカだよね」

「は? お前に言われたくない」

 じろりと瞳が動く。しばらく横目で睨み合っていた。

 やがて洵は諦めたようにチッと舌打ちをすると、

「うざ」

 わたしから顔を背け、イヤホンを耳に押し込み窓におでこを預けた。

 瞬間、ぬるい冷たさがわたしのおでこにも生まれた。


 洵が今聞いているのはオアシスの“Stop crying your heart out”。

 うざ。何でわたしのバタフライ・エフェクトの曲聞くの。自分のレミゼでも聞けばいいのに。

 顔は見えない。身体は決して触れ合わない。わたしも目を閉じる。

 粛々と刻むピアノ。優しい歌声が流れ込む。

 口ずさむ唇のシンクロ。

 Hold up,Hold on,Don't be scared.(大丈夫、そのまま、怖がらないで)


 今、わたしたちは回路を共有している。

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