表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷上のシヴァ  作者: 天上杏
第五章 Skater 霧崎洵
128/184

第34話 60×30、氷のリング

「……お前、腑抜ふぬけてんじゃないぞ。この間降りたのはマグレか。翼が欲しいって、あれは嘘か。今日中に、一回降りると俺に約束しろ」


 いつになく岩瀬先生は感情的だった。

 竹刀しないでも持ってたら追い立ててきそうな勢いだ。

 病み上がりに何てスパルタだ。

 俺は倒れ込んだまま、先生を睨み付けた。


「できないことは、約束できません」

 先生の目がギロリと俺を見下ろす。

「できないこと? お前にとってクワドはできないことなんだな?」


 そこまで言ってないだろ。

 思わず舌打ちする。


「じゃあ、俺はできないと思ってる奴にできないことを教えてたってわけか。くだらん。今日は終わりだ」


 先生は失望したと言わんばかりにコートをひるがえした。


 猛烈にやるせなさが湧いた。

 氷上に座り込み、去り行く背中に言葉を投げた。


「……ジャンプは、飛翔じゃないんでしょう」


 先生の足が止まる。

 俺は膝を抱え込む。


「四回転なんて馬鹿げてる。やっぱり俺には人間業とは思えない。……世界中が、よってたかって俺達フィギュアスケーターを生けにえにして、神様に捧げようとしてるみたいだ」


 ゆっくりと、先生は振り返った。

 直情的な色は消え、身震いするほど冷徹な目をしていた。


「スケートが神への捧げ物だとしたら、随分おめでたい話だ。……お前も、星と同じタイプか。氷の神への殉教じゅんきょうを良しとするような」


 重い声で、先生は言う。

 俺は氷面に爪を立て、足に精一杯力を入れて立ち上がる。


「俺は神を信じません。氷上に神などいない。いてたまるか」


 先生の唇の片端が、鋭角に上がった。

「……いいね。どれだけ腑抜けでも、お前は俺が見込んだスケーターだ。最後まで付き合ってもらわなくちゃ困る」


 先生はおもむろに煙草を取り出した。

 リンクの上で煙草を吸う人間を俺は初めて見た。

 禁煙、なんて百も承知だろう。

 煙をくゆらせながら、先生は言った。


「フィギュアスケートを、ただのスポーツとは思わないことだ。お前はもう気付いているはずだ、この競技の本質に。……本当のところ、俺達は神との殴り合いをするべきなんだよ。さしずめここは、60m×30mの氷のリングだ」


 煙草は、確かに先端が火で赤くなっているのに一粒も灰が落ちない。

 それどころか、煙は発生したそばから輝く銀色の粒子に変わり、先生の身体をオーラのように包んだ。

 俺は気が遠くなりそうだった。


「フィギュアスケートを、人間の手に取り戻す。……あの日、達也が消えてからずっと、俺はそういう闘いをしている」


 氷を睨み付ける目には、青い炎が燃えていた。

 灯明とうみょうを抱える火鉢のように。


「……溝口みぞぐちさんは、引退したんじゃないんですか」

「達也は消えたんだよ、文字通り。……氷に取り込まれてな」


 銀盤に、返したくないの。

 銀盤の、思い通りにはならない。


 入江瑞紀の高く低く振れる声が、雷鳴のようにフラッシュバックした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ