第61話 幕間:ケムシンと過去
「増山ぁ! あの書類やっとけって言ったよなぁ! いつまで待たせる気だ!」
「す、すみません部長。いま最優先で進めとって……」
「なんでまだ終わってないんだ! もっと段取りを考えろ馬鹿!」
「で、でも、昨日の夜にいきなり渡されてからずっとこれに……」
「俺が悪いって言いたいのか!? お前の仕事の進め方に問題があるんじゃないか? もっと早く終わらせる方法が絶対になかったと言えるのか!?」
「ぜ、絶対かは分かりませんけど……」
「じゃあどうして改善しないんだ! そんなんだから仕事が遅れるんだぞ!」
大阪のとある企業のオフィスに部長の怒声が響く。だが怒られている本人以外は反応を見せない。ここでは部長が怒鳴るのは日長風景だった。
「仕事舐めてるのか!?」
「俺が若い頃はもっとなぁ!」
「お前のために言ってるんだぞ!」
「す、すみません……」
怒鳴られている社員の名は増山健一。生前のケムシンである。
理不尽な上司、毎月超過する残業時間、労力が反映されない給料。その環境では転職活動に必要な時間も気力も残らず、なかなか貯まらない貯金額を見れば退職の決断も下し難かった。
入社して8年。昇進の気配は無し。後輩が出来てもほとんどが数年で消えていくため、いつまで経っても下から数えてすぐの立ち位置に居た。
「樋口ぃ! 納品先からクレームが来たぞ! お前の責任で何とかしろ!」
部長の説教から逃れる方法、それは他の社員に矛先が向くのを待つ事。その日増山はたった1時間で部長の説教から逃れる事が出来たのだった。
その日の夜、時計の針が25時を指した頃。
普段に比べ比較的早くその日の仕事を終える事が出来た増山は、明日の仕事に手を付ける事無く帰る事にした。少しでも長く寝たかったからである。
荷物をまとめ部屋を出ようとしたとき、増山はふと樋口に目をやった。
増山より2年後に入社した、数える程にしか残っていない後輩である。仕事の能力も高く、その分他の平社員よりも多くの仕事を抱えさせられていた。
部長の確認不足により起こったクレームへの対応。それを押し付けられた事で樋口は頭を抱えていた。それを見て可哀そうにと思う樋口。
だがいつもの事だった。下っ端同士で互いを憐れみ自分を慰める日々。増山は自分が休むことを優先しそのまま帰宅した。
次の日、樋口は自殺した。
「増山ぁ! 樋口の仕事が止まってるぞ! なんとかしろ!」
「な、なんとかって……俺1人でですか?」
「お前の後輩だろ! お前が責任取れ!」
世界は理不尽であふれていた。到底1人で処理する量ではない仕事の山。頼れる同僚などいない。誰も助けてはくれない。ただただ精神だけが削れ追いつめられていく。
「そうや……死んだら楽になれるんや」
増山がそう思い至るのにそう長い日数はかからなかった。
教会前に張り込み、訪れる転生者に片っ端から声をかけ、ケムシンは遂にホワイトホームにたどり着いた。
「おーいゲッシ―、お前に用があるってよ」
「え……どちら様です?」
この世界の樋口は銀髪の快活そうな好青年になっていた。とりあえず元気そうな姿に安堵するケムシン。
「久しぶりやな、俺は増山や」
「え……ええ? もしかして先輩……ですか?」
「ちょっと、2人だけで話せんかな?」
こうして、2人の社畜が再会した。
「先輩も、この世界に来てたんですね」
「まあな。樋口君が死んでもうてからそんな経たんとな」
「今はゲッシ―です。前の名前で呼ばないでください」
「そうやったな……ごめん……」
町を出て人気のない場所まで移動した2人。両者の間には何とも言えない気まずさが立ち込める。
「それで、なんです? 大方僕の仕事を押し付けられて先輩も死んだとかですか。先に逃げた僕に文句でも言いに来たんですか?」
思い出したくもない過去を思い出させられたゲッシ―の言葉にはトゲがあった。無理もない。自殺するほどの過去である。突き放すような態度が彼の心情を物語っていた。
「そんな事するわけないやん。悪いのはゲッシ―やない。あのバーコードハゲや」
「じゃあ何しに来たんですか」
生前でもほとんど交流が無かった2人。これだけ会話が続いたのは初めてかもしれない。わざわざ訪ねてくる理由がゲッシ―には思いつかなかった。
「君に、謝りたくてな」
「先輩が? 何をです?」
「君が追い込まれてたのに、助けられなかった事や」
「……」
「あの時俺は自分の事で一杯一杯やった。君が大変やと知っとって、でも手を貸そうとすらせんかった」
「……」
「最近ちょっと仕事について考える機会があってな。君を助けなかった事を後悔して、君がこの世界に居るって俺は知っとって、君に謝らんとって思って、それで――」
「何なんですかさっきから!」
ケムシンの言葉は遮られた。
「謝ったらどうにかなるんですか? 僕が喜ぶとでも思ってるんですか? 先輩がすっきりするだけじゃないですか!」
吐き捨てるような叫び。ゲッシ―はケムシンを睨む。
「僕がいつ謝ってほしいと言いました!? 今さら会いに来て何勝手な事言ってるんですか!? 僕は昔の事なんて思い出したくも無いのに!」
肺の中の空気をすべて怒声に使い切り息絶え絶えになるゲッシ―。呼吸が整うまでケムシンは黙って待っていた。
「……すいません、気が荒くなりました。悪いのは先輩じゃなくて部長なのに……」
ゲッシ―は、ケムシンと目を合わせられなかった。
「でももう僕には関わらないで下さい。今の僕には仲間が居るんです。会社には居なかった、最高の仲間が」
「……そうか、ごめんな、嫌な思いさせてもうて」
ケムシンは、安心した様子でそう言った。
「じゃあ、俺は帰るわ。元気でな」
去っていくケムシン。その後ろ姿からなぜか目が離せず見続けていたゲッシ―は、声が届くか分からないほどの距離になって思わず声を上げた。
「先輩は! 先輩は、仲間は居るんですか?」
その声はケムシンに届いていた。振り返ったケムシンは笑顔でピースしてこう答えたのだった。
「もちろんや。とびっきり最高のな!」
「あ、おかえり。思ったより早かったな」
『おかえりなさいませ、ケムシン様』
「2人とも、ただいまやでー」
いつもの路地裏にて合流した3人。
「知り合いには会えたのか? てか何の用だったんだ?」
「あはは、ちょっと前世の知り合いが元気か気になってな」
「前世の?」
「そうなんよ。ちょっと暗い話やけど、聞く?」
「ケムシンが話してくれるなら、俺はケムシンの事知りたいな。俺も昔の事話すからさ」
「オッケ。実は俺、日本では社畜やってなあ――」
この日、ミョンチーとケムシンは互いの過去を打ち明け合ったのだった。




