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緊急避難 03

 最後に自治会長の桑原が妙にぱっちりと目を開けたのは、急に暗くなってきた空から、最初の一粒が落ちた時だった。

 雨粒がまぶたに当たったようだ。

 彼は、すぐ隣に横たわるトモエを不思議そうに眺め、しばらく首を傾げていたが、起きている連中に目を上げて、更に怪訝そうな目になった。

「ええと何か」

 桑原も、何も覚えていないようだ。「何か集会が、あったような……」

 誰も答えられない。

 桑原は更にあたりを見回して、

「青木さんとか、確か一緒に……」

「もう帰りましたよ」

「梅宮さんも確か」

「ああ梅宮さんは」

 ヤベじいの視線がゆっくり動いた先を同じように追って

「おやおや」

 桑原は何の悪気もなくつぶやく。

「寝てしまったんだ、あんなに飲むからだよ……ああ、カオリちゃんが来てくれれば安心だな」

 カオリはいっしゅん身を強張らせたが、父親の肩に手を置いて顔を上げずにいる。

「しかしすみません、私はお先に失礼しますよ」

「そうですか」

 言いながらもヤベじいは、脇に横たわるルリの頭を静かに撫で、どこか遠くを見ている。

「でも、もう少しここにいた方がいいかと思いますが」

 いぶかしげな桑原の視線を浴びて、ケンイチも、重い口を開く。

「……雨が止むまでは」

 桑原は、濡れたまぶたに手を伸ばし、指先で吹きとった。

「いやしかし」

 急に責任のある自治会長の物言いが戻る。

「やっぱり何か、やり残したことがあるような。すみませんがお先に帰らせていただきます」


 ぽつり、と大きな雨粒がミワのすぐ足もとの地面に落ちた。うす暗い中でも乾いた地面にその水滴はくっきりと丸い跡をのこす。


「あの」

 たまらなくなって、ミワが問いかける。

「……覚えてないんですか?」


 桑原がゆっくりと振りかえった。

 ミワの顔を見て、桜の幹に目を移し、ヤベじいに目をやった。どこまでも視線は平静だ。

「いや、何も」


 ミワはついかっとして、口を開く、非難したいことはたくさんあり過ぎた。と、そこへ


「ああ、そうだった」

 桑原は急に快活な目になった。

「思い出しましたよ、滝に行くよう、言われていたんですわ」


「滝に」ヤベじいが無表情のまま繰り返す。


「はあ、飛び込むんですわ。では」


 軽く頭を下げ、桑原はためらいのない様子でサクラヤマを降りて行く。


 そんな彼のがっしりとした黒い背中を、ミワたちはただ、黙って見送ることしかできなかった。


 間もなく、長い笛の音がほの暗い山の中に響き渡り、最後にすすり泣くような音とともに消えていった。


 サクラヤマに残されたのは、結局ミワとケンイチ、ルリコ、小さなサエ、途方に暮れた顔のカオリ、ヤベじい、そして意識のないトモエと梅宮、すでに息のなさそうな目玉ババアもとい、ルリだけとなった。


 ぽつり、ぽつり、

 最初は気づかないくらいに、そのうちに勢いを増し、雨粒はだんだんと数を増す。

 ヤベじいは、ルリの小さな身体を抱いて一番奥の、少しだけ高くなった場所にその身を横たえてやった。ケンイチはすぐに気づいて、ミワを呼んだ。

「トモエさんと、梅宮さんを、少しでも濡れない場所に移動させよう、足を持ってくれるか?」

「どこに」

 それには、今までぼおっとしていたヤベじいが答えた。

「ルリさんに寄りかかるように、寝かせようか。あそこなら雨も当たりにくいしな」

「えっ、でも」言いかけてミワは、はっ、と息をのむ。


「うん、ルリさん、さっき逝ってしまったよ」


 ヤベじいは、急にいつもの調子に戻っていた。あたかも、天気の話でもしているようだった。

「最後にね、何だか笑ってね、何が可笑しかったんだろうね」



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