オオタルのバケモノ
外で騒いでたねえ、アイツは柏田のトモエだろう? アンタ、アイツの姪なんだって?
目玉ババアは台所でまた、スリコギを使っていた。
「あ……」
ミワが次の言葉を出せずにいると、彼女はオカッパの髪をふわりとなびかせ、こちらを向いた。
相変わらず幼女の顔だ。しかし口から出るのはやはり干からびた声だった。
「柏田の連中は、ずいぶん前から呪われてたんだ」
絶句していたミワに幼女は浴びせかける。
「知らなかったのかい? この団地の中に一軒、家を買った時にね、柏田のジジイ、何にも頓着しないものだから、玄関の敷石にちょうどいい、って近くの河から石を拾ってきて、あそこに埋めたのさ。しかも石屋で薄く何枚かに板にしてもらってね。そう、アンタの住んでいる家の、玄関先さ。平らな表面が出てるだけだから、気づかなかっただろう? アレはれっきとした豆腐石さね」
ミワの二の腕に急に鳥肌が立つ。今まで、呪われたものがそんな身近なところにあったのだ。
「柏田のジジイも、ヤベのジジイと同じくらいこの辺の話には詳しいはずだったんだが、案外それを軽く思っていたんだ。
ヤベのジジイは、本気で心配していたよ。豆腐石は本当に豆腐石だ、ってね」
外に誰か集まって来たようだ。門扉の外側で、数人が低い声で話しあっているのが漏れ聞こえていた。
トモエの声はしない。まだ気を失っているのかも知れない。
「どうして」
ようやく声が出た。目玉ババアは大きな目を見開いて、ミワを見ている。
「どうして、菅田さんは死んでしまったの?」
目玉ババアはまたすり鉢に向き直り、手を動かしながら言った。
「ヤベのジジイは、本当に心配してね」
「答えてください!」
目玉ババアがちらりと眼で彼女を制した。
ミワがそれ以上喋らないのを認めてから、続きを話し始めた。
「……だからあのジジイは、ずっと山に入っていたのさ。豆腐石を見つけるなり、神社の敷地の隅っこに隠すためにね」
話の流れが見えなかったが、ミワは黙って続きを待つ。
「しかし去年の暮れあたりから、アイツは腰を痛めたって言ってね、そのスキに、新年会をやっていた町内の役員連中が、隠してあった石を見つけちまった。
奴らは酔ったはずみで、ひとつずつ石を持ち帰っちまったのさ。
あれは触れるだけでも良くないのに、家に入れるなんてとんでもない。
軽トラックで自治会の連中の一軒一軒に運んでやったご親切なヤツがまず、一月末にトラクターごと土手から落ちて、首の骨を折った。
あとのヤツらのところには、もっと恐ろしいことがあった……」
外の声はいったん止んだようだ。
しかし、この家には裏口もある。入り込んでくるのは簡単だろう。
ミワは落ち着かない目を外に彷徨わせながら、それでも続きに聞き入った。
「菅田吉乃はね、かわいそうに奴らに掴まったのさ」
急に本題に戻ったのに気づき、ミワは身を乗り出す。
「自治会の奴らのところ、夢枕にオオタルの怨霊が立った。石を持ち帰った連中のところ全てにね。それは姿はマチマチで、誰にとっても一番恐ろしい姿をとるんだ、ある者には白い幽霊で、ある者には大蛇で……そして言ったんだ。
『すぐに生贄を獲れ。サクラヤマに上らせたらすぐに、オオタルに投げ込むのだ』ってね」
それからすぐ、臨時の自治集会があったんだ、ツクネジマ公民館で。
誰を、どうやって生贄にするか……ってね。
「なぜそんなに色々と?」
えっ、どうして外に出ないのにそんなに詳しいかって? ふふ、と目玉ババアが笑う。
「そりゃあ、カーコが教えてくれるからね。近所のことは、たいがいね」
「ねえ」
中に入ってからずっと黙っていたサエちゃんが、急に目玉ババアを指さしてたずねた。
「この子、どうしてこんなオバアチャンみたいなしゃべり方なの?」
目玉ババアが面白そうにサエちゃんの前に進み出る。
「何とアンタも、アタシの『本当の』姿が見えるのかい?」
「じゃあ……子どもみたいに見える方が、ホントウ?」
呆然とつぶやくミワにも構わず、サエちゃんが訊ねる。
「ねえお名前は何ていうの」
目玉ババアがうれしそうに答えようとした時、
―― もーん
ドアチャイムが鳴った。
ミワはびくりと肩をあげる。「アイツら、私たちを捕まえに」
―― もーん、もーん
続けざまにチャイムが鳴らされる。
「ねえ、早く逃げた方が」
ミワが言うと、目玉ババアは鼻で笑った。
「この屋敷には、呪われた奴らは入れない」
―― 豆腐石の話の、続きを聴きたいかい?
鳴り響くチャイムの中、目玉ババアは涼しい顔でまだ、すり鉢に向き合っている。
ずり、ずり、ずり……
すり鉢とスリコギの奏でる単調な響きに、妙に落ち着いてくる。
ミワとサエちゃんは床に座りなおした。
「うん、教えて」
「豆腐石が呪われたものだというのは、これだけは確実だ」
目玉ババアはスリコギの手を止めて、ふたりをまともに見据えた。
―― なんせ、オオタルに巣食うバケモノの呪いで姿を変えられたニンゲンたちのなれの果てなんだから。
サエの手がぎゅっとミワの腕に喰い込む。
目玉ババアは淡々と続けた。
オオタルの化け物っていうのは、元々サクラヤマで処刑された高貴な一族の怨霊なのさ。
いつからか、高貴な一族が西の地から流れ着いた。
彼らは姿形も地元の連中とは違い、村の中には家を建てず、山で狩ったものだけを食べ、まじないをして、ずっと山の中に住んだ。
長く住み続けるにつれ、地元から恐れられるようになって、しまいには殺してしまえ、ということになったんだ。
サクラヤマが不浄なのは、あそこがずっと昔には処刑場だったからだ。
元々、砦として切り開かれ、周りから攻めてくる敵を見張る場所だった。そして捕えた敵の首をあの砦で刎ねる。
敵とみなされた一族も、次々と捕えられてあそこで処刑されるようになった。
逃げ切れず、一族の長はついにオオタルに身を投げた。
激しい呪いのことばを吐きながら。そしてこう、呼びかけながら。
「屠られしわが同胞ども、我が元に集え、ともにこの地を呪わん、果ての果てまで」
そして間もなく、オオタルに化け物が出るという話になった。
オオタルに呪われた連中は、いけにえを捧げるために一旦捕まえてきた者をサクラヤマに預け、不浄の身とする。それからすぐに連れ出して、オオタルに投げ込む。
オオタルの怨霊は、不浄の身をことのほか好むからね。
それでやっと、オオタルに呪われていた奴らは呪いが解けて、その後は一族そろって平穏に暮らせるようになる。
しかし投げ込まれたイケニエは気の毒さ。オオタルの怨霊に生き血をすすられ、目玉をえぐり出されて、骨も肉もすり潰されて喰われちまう……残されたカスが固まって、それであんな石となるんだ。
「怨霊……それって」
ミワは考えをまとめようと、あちこちを見まわしながらつぶやく。
「聞いたことあるかも。クロシュウ、って呼ばれる人たちのこと?」
目玉ババアはにやりとした。
「じじいから聞いたことがあったのかい? そうだよ」
「クロシュウが、全ての呪いの始まりだった、ってこと?」
それには目玉ババアは「さあね」としか答えず、手元に目をおとした。
「ねえ」
急にサエが立ち上がった。どうしたの? と聞くまでもなく、ミワも気づいた。
「煙が」
黒い煙がぬらり、と玄関近くの小窓から伸びて来た、それはさながら大蛇、家の中をゆったりとはいずり、柱に当たって少し薄いもやと鳴って砕ける、だが、蛇の胴体部分は徐々に膨らみをもって家の中に入り込んでくる。
もっと運べ、と外の誰かが大声を出した。もう少し遠くから、アンタらぁ何してんだ! と叫ぶ声も届く。どこか粘り気のある口調は多分ミワの隣に住む富田林のようだ。イヤな声だがミワたちの味方をしてくれているらしい、もっと親切にしてやればよかった、ミワは思いながらもさらに耳をそばだてる。警察だ、邪魔をするな、と誰かが怒鳴り返す、そしてそのうちに刺激の強い油の匂いがミワの鼻をかすめた。
そして、何かが焦げる匂いと。
「裏から逃げろ」
目玉ババアがふたりの手を引っ張る。「奴ら火を」
地面が揺れて、そこから、記憶がとんだ。




